名寄本線
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
池北線か名寄本線でも残っていると石北本線が不通になった際の代替路として使えたんだろうけどね >>284
蒸気の頃 朝一の急行礼文で旭川から名寄へ到着、
出来立ての温かいシメジ弁当、250円が朝食でした
当時、名寄駅構内は木材チップのにおいが、
立ち込めていました 代替路どころか根室、網走、稚内へのたった一本の鉄路すら危機だぜ >>287
蒸気機関車の煙が染み込んだ
名寄駅2番、3番ホームの木組み上屋は風情があったな・・・ >>289
前方視界ゼロでも建前上優先的に突っ込んで行ける鉄道と、自己責任で動けなくなる道路。
ま、冬の北海道を知らないとなんでも言えるわな。
最近は道路よりも早く運休決め込むのが北海道の鉄道だけど。 >>291
利用客が僅かな区間だと汽車を走らせるよりも
バスやタクシーで代行輸送した方が安上がりだったりするからね >>288
石北本線が止まっているんだと
名寄本線か池北線が残っているとね >>293
網走方面への鉄道で最初に開通したのは池北線で
次が名寄本線、そして、石北本線が最後
名寄本線も開業時は主要幹線だった筈だけどね 名寄駅構内にまだ名寄本線の線路跡は引き込み線とかで残ってる? 名寄本線とは言うけど、名寄口よりも遠軽口の方が本数も多いし、乗車人員も多かったね 池北線は池田側から先に1910年に陸別まで開通して
その後、2年間で網走まで開通、1961年までは
石北本線の北見〜網走間とあわせて
池田〜網走間が網走本線だったね >>299
深名線や宗谷本線、札沼線、釧網本線でも単行で走っていたな 名寄本線 宗谷本線 釧網本線も各停の機動車は、
だいたい3両編成だったころしか、しらないので、
キハ53調べたら、おまえら、どうしたんだと思った >>301
ワンマン化前の宗谷本線(名寄以北)で結構走っていた。
ほとんど1台で間に合う区間だしね。
また、稚内〜南稚内間の回送列車を1駅のみ走る臨時列車として
運行した時期もあったが、利用は振るわず、程なく廃止になった。
少しくらい高くてもバスの方が便利だしね・・・ >>302
両方に運転席つけられて、カッコ悪いという意味 >>304
後に3両になるけど
設定当初は
急行はぼろ 1両
急行紋別 2両
名寄本線内は2両だった
https://i.imgur.com/kUvDT3l.jpg >>305
急行大雪も併結して、最盛期は10台から13台くらいの長大編成で札幌を発車した時期もある様だね。 普通列車は大体は1台か2台だったね。
もっとも、本線とは言っても根室、釧網、日高、留萌、宗谷、石北、室蘭、函館などでも
30年くらい前から単行気動車ばかり、実際に1台で間に合うからね・・・ 昭和55年頃でも名寄本線の収支係数は1000円を超えていたんだね 実態は早くからローカル線だったのに何故本線名乗っていたのか >>310
本線から分岐して、支線がたくさん(興浜南線、渚滑線、湧網線)もあったし、
開業当時は重要幹線だったけどね。 昭和40年代くらいまでは貨物需要もかなりあったんだろうけどね 本線だけど留萌本線、日高本線も廃止候補だとか
日高本線は止むを得ないか・・・ >>315
留萌本線なんて昔は各駅に交換設備を有し
石炭を満載した貨物列車がひっきりなしに走っていたけど
今は深川〜留萌間の交換駅も峠下のみで
1両編成の気動車がトコトコ走るのみ、留萌駅も寂しいね・・・ 昭和61年くらいまでは留萌駅も賑やかな構内だったね >>321
相撲の横綱みたいなもので本線と命名されたら
何々線とかに降格する訳にもいかないのでは?
昔は石狩沼田、恵比島、留萌などから支線も分岐していたが
森林資源は枯渇するし、農産物輸送はトラックに奪われ
炭鉱も閉山、と・・・ この区間もバスの方が便利だしね 四国の予讃本線、土讃本線、高徳本線、徳島本線は民営化時に『本』が抜けたね。 歴史的には石北本線よりも名寄本線の方が古いが石北本線が出来た時点で落ちぶれてたよな
「本線」として失格だった
天北線も幌延経由が出来て落ちぶれた 鉄道建設されたところは造りやすいところからだったろ
例外は狩勝峠みたいなとこだけ >>326
>>327
天北線は最終日まで急行が走っていたね
DD11が客車7台を牽いて走れたんだし
鉄道を作りやすい地形だったのかも知れないな。
線名を変えずに音威子府〜浜頓別〜南稚内、
音威子府〜幌延〜南稚内のどちらも宗谷本線だったら、
とりあえず天北線も残ったかも知れない。 道路だらけの今では理解できないかもしれないが、昔は内陸より海沿い、すなわちオホーツク海寄りに和人が住み着いたんだよ。
音威子府から山に入るか川沿いに進むかは当時も議論になったようだが、そのまま北上する方が理にかなっていたわけだ。
ただ、稚内までに峠越えが何度かあるから、人口希薄だが勾配の少ない手塩川沿いに本線の地位を奪われたわけだ。その結果が今。 天北線沿線には炭鉱もあったし、森林資源や漁業資源も豊富だったね
浜頓別や中頓別なんて砂金が出て、町ができた様なものだよ 根室本線滝川経由も石勝線が出来て一気に落ちぶれたな
災害で廃止される予定 >>328
へえ、平成になってもDD11が残ってて、しかも客車を引いてたの?
当時の鉄道雑誌見てもそんな話は書いてない
凄い貴重な情報ですなあ >>333
そうだよ。
初めは気動車だった急行天北は利尻間合いの客車7台だった時期もあるよ。
その後、気動車に戻り、廃止時は気動車だったけどね。 イベント列車でフラノエクスプレスが入った事無かったか? >>332
赤平、芦別、富良野を見捨てて、マジで廃止するんですか? https://goo.gl/maps/bUdD3FXxRyo
Googleマップで経路検索したら一目瞭然だが札幌から紋別は滝上町を通った方が速く3時間48分で行けるんだな
名寄本線は道路に太刀打ちできず
渚滑線が上川まで開通してたら時代が変わってたかもしれないが >341
名寄本線廃止時は道央自動車道は旭川まですら開通してなかったよ 【新しい元号は分合″にすべき】 世界教師マ@トレーヤが提唱する『分ち合い』にちなんだものにしろ
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1552791111/l50
バイトテロを否定する奴はアウト 紋別は大手スーパーのイオンがある
昔はマイカルの紋別サティだったがイオンに移管した
長崎屋は中標津にもある 沙留のあたりが絶景だったという区間。
しかし乗ったことがなかったのは残念。 1 名寄〜下川
2 下川〜興部
3 興部〜紋別
4 紋別〜中湧別
5 中湧別〜遠軽
とわけた場合、利用が多かった順に並べるとどうなる? >>352
廃止になってる以上、存続などしとらん。
駅舎がバス待合いに使われた時期もあったが、今は存在もしとらん。
敷地はNOSAIかなんかになってるし、駅舎に似せたなにかが新たに建ってはいる。 ああ、それは、たぶん岐阜県から移住した人が作った場所でしょうね。 中湧別の保存施設だけど
跨線橋とか移設されてる?
現役時からあの場所ですか? S59.2 紋別時刻
06:43 遠軽
08:14 遠軽
10:51 旭川 (遠軽から大雪4号)
13:40 遠軽
17:07 遠軽
19:21 白滝
21:40 遠軽
22:57 遠軽 S59.2 紋別時刻
05:24 名寄
06:47 札幌 (興部から急行紋別)
07:18 名寄
08:18 北見滝上
10:36 名寄
12:20 名寄
13:20 北見滝上
15:47 名寄
16:18 北見滝上
17:11 名寄・北見滝上
19:05 興部
19:40 北見滝上
21:38 名寄
23:00 渚滑 アイヌ語が語源でしょうね。昔は深名線も合流していて交通の要衝だった筈。 昭和59年あたりだと、まだ「この路線ならば、廃止は免れるだろう」という空気が
支配していたのでは。 >>375
鉄道電話を使う簡易マルスだな
地方の小駅で結構使われてた
廃止されたみどりの窓口設置駅は他に江差駅・輪島駅・西脇駅しかない 輪島は4年前初めて訪れたが既に廃止。遅すぎた。でも、いい場所だった。
駅跡から、なぜかウラジオストク行きの方向を示す→が記されていた。 >>373
あれだけの長大線なのに紋別以外の都会がなかったのがね 網走への幹線として使われた時期がごく僅かだったもの >>367
まあ駅前通りは名寄せ通り商店街だからいいんじゃね? 来年は全通100周年。
どこからもなにも聞こえてこない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています