>>170
昭和4年に石北西線が中越まで開通すると
中越駅前から石北東線の白滝駅前まで
義侠心に富む某が馬車運送をしていたとの事だけど
結局、大赤字で間もなく撤退したとの事

名寄本線は大正9年秋に下川〜上興部間が先に開通して、
翌大正10年3月に名寄東線の中湧別〜興部間が開通、
その年の10月に興部〜上興部間が開通して全線開通した。

天北峠の分水嶺が最終工区になったのではなく、網走支庁の上興部までが
少し先に開通した訳だけどちょっと珍しい開業パターンかもね。

名寄本線廃止当日の名寄発最終も上興部行だった。
もちろん名寄方面からの利用者がいたのかも知れないが
手前の一ノ橋の交換設備が撤去されたために
交換設備のある上興部まで運転していたのかも知れないな。