【愛されて】新快速の思い出【40年】
京阪神のスピードスター、新快速の過去・現在・未来について語り合いましょう!
※名古屋地区の新快速の話題は禁止 関東住人にすると
新鮮の新かな
名古屋か大阪行かないと会えない種別だから 名古屋は新快速という種別をパクっただけでなく特快の下位種別に貶めたからね
関西の鉄オタからすればブランドを傷つけられて面白くないのが正直なところ あーそうか
中京では新快速<特別快速なのよね
μ鉄から乗客ぶん獲る作戦は成功したのだし
新快速に一本化しちゃえば分かりやすくていいのにね 祝・スレ10周年@鉄道の日
新快速は51周年(・∀・) 153系時代は京都大阪間だけやたらに速く、メーターはいつも115位を指してた。
認可速度は何キロ?
大阪三宮間はいつもノロノロ運転でノンストップなのに、途中駅停車の快速(中電)
と大差ないスピード。確か80キロくらいでかなりの距離を流してた。
神戸姫路間はまずまずの走りっぷり。
一度だけ前面のカーテンを開けて走ってたのに乗った。 メーター誤差あるんでメーター読み115なら実速107〜110ぐらいじゃないの 新快速が内線しか走れなかった頃の貴重なエピソードですね
大鉄の誇り >>750
当時の新快速が走行する線区最高速度は大阪・西明石間のみ95キロでそれ以外は110キロ
なので速度メーターが115キロを指してたというなら恐らく誤差だろうね
京阪間と阪神間での速度差は最高速度の違いのようにも思えるけど
実際は前を走る普通に頭を押さえられて徐行する区間が長いのが原因
大阪駅基準だと京都方面は8分前のものを吹田で、11分前のものを高槻で追い越すのに対し
神戸方面は5分前のものを甲子園口で、9分前のものを芦屋で追い越してたので 内側線の時は制限が多かったね。なんで空いている外側使わないのか不思議だったけど、外側使うようになるとすごく生き生きしている新快速であった。 新快速といえば何系?
ボクは223系が好きだったりするのですが邪道かな 俺はやっぱシティライナー117系かなぁ。
当時では車両からして特別感が凄かった。 俺は117系100番台だな。
0番台はハズレ、100番台ならラッキーみたいな感じ。 俺も153系ブルーライナー
外側線を走る優等列車とのデッドヒートが好きだった 初めて153系ブルーライナー乗ったときは感激した。
こんなに良い列車なのに特別料金が不要なこと。 やはり内線激走のブルーライナー強いですね
ボクは223系の何というか上品なオラオラ感(?)に惹かれるのですが 内側線時代の新快速が速かったのは全区間110キロで力行する大阪・京都間のみ
他の区間は遅延時の回復運転でもなければ70〜80キロ前後で流して走ってたけどね
なので下りは大阪、上りは三ノ宮で大半の客が降りてしまって大阪・三ノ宮間はガラガラ状態
全車冷房車なのと並ばなくても座れるという理由で新快速に乗ってた そうそうあの頃は快速は非冷房で普通に至っては吊り掛けバリバリ
そんな時代新快速凄い価値あった
その頃親の仕事の関係でおともでよく芦屋に行ってたが当時芦屋は新快速通過で恨めしい思いをした
吊り掛けサウンドもよかったけど >>763
釣り掛が残ってると15分ヘッドで新快速が運転出来ないから
昼間帯普通103系化と京都・甲子園口、吹田・西明石間の分割運転が始まったんだよ 新大阪通過が懐かしい。
今ではありえないからなあ。 当時の上り新快速、快速は芦屋で鈍行を抜いてから無停車で前が空いていたから大阪駅はそれぞれが3分ほど早着していた。逆に下りは京阪間で快速34分新快速29分が目一杯で大阪駅は遅延ぎみ、それでも尼崎あたりで先行の甲子園口行きにあたってしまうダイヤだった。
新快速は京阪間が29分阪神間が24分だったがそれぞれ30分と23分としたほうが妥当だったと思う >>767
京都と大阪両方0分、15分、30分、45分発にしたかったんだよ >>766
確かに芦屋・大阪間はかなり飛ばしてたが3分もの早着には遭遇したことがない
いくらダイヤ上可能でも当時の内側線は95キロ制限なのでそれ以上は出せない訳で 芦屋〜大阪が19.2キロ当時の快速で所定17分、それを3分早着だから14分、どんな計算すればいいのかわからんが95キロでもいけるんじゃない?
時刻表見ていると快速同士のすれ違いがさくら夙川あたり、新快速と快速がそのすぐ西側、そのすぐ西側芦屋駅の東あたりで新快速同士か >>770
ところで皆様は先行の快速が新快速の頭を塞いでいるのをお忘れで
快速が大阪到着2分後に新快速到着のスジが引かれているのにどうやって
3分も早着するのやら 快速がいつも早着していたのだよ。
上り普通の大阪着は03分06分、12分着の快速は前が空いていた 現実に起きていたことにどうやっても何も
ネタだと思っていたのならおあいにく様 時刻表み見てると新快速はラッシュ時は走ってなくて、外側快速が結構走っていてその停車駅は結構少ないな。京都〜明石間で現在の新快速に加えて茨木、元町、兵庫だけ、尼崎はない 快速抜く快速とかあったからな。
でその快速抜く快速には新快速の153系電車が使われていてしかも、12両編成の堂々たる編成なので、
6両編成新快速より堂々としてた。 快速の停車駅も当初は京都高槻大阪芦屋三宮元町神戸だし
山陽電車乗り換えで兵庫停車
新幹線乗り換えで新大阪停車
万博で茨木停車
乗降客が増えたんで六甲道須磨垂水神足西宮停車
普通廃止で山崎向日町西大路停車
東西線開業で尼崎停車
明石海峡大橋開通で舞子停車
と増えていく 長距離の客車列車が停車駅の少ない快速とは別に存在した、昭和40年代まで走っていた気がする。垂れ流し便所もそのまま使えたのかまで記憶にない 垂れ流し便所はそのままつかえたが、使用を控える区間の表示があったように記憶している。
つまり乗客の良識に任せていたわけだ。 ↑
京都と西明石の間
双方の矢印が表示されなかった トイレには“停車中は使用しないでください”のプレートがあっただけで区間指定は禁煙表示だったはず
当初は普通に合わせて京都・西明石間で後に草津・加古川間に延長された 愛知在住だけど一番好きな新快速車輌は153系ブルーライナー!
117系に置き換えになった時はガッカリしたもんだ
ただ一部の153系が新快速色のままで中京地区を走ってくれたのはうれしかった
でも、その中京移動組153も結局117系に置き換えられてしまったけどね 117系が出た時はブルーライナーがなぜ暖色系にと思ったけれども
流電色だったと知って感慨に浸ったおやぢ臭い小学生の我w
今年も全力疾走でヨロシク新快速 夏はブルーライナー色、冬は関西急電色と塗り替えたら良いのにと妄想していたチビてつの頃 それにしても
首都圏の中電はこっそり10連化が進んでいるのに(そもそも車両がアレだし)
終日12連化だなんて新快速すごいね >>786
京阪神間では一人勝ちといっても良いかもしれない。
全区間複々線は強いよね。 153系ブルーライナー色、好きだったな。
紀勢本線に165系が入った時は、113系と同じ色にして、ブルーライナーの気分が味わえると期待したんだが。 敦賀発の4連が播州赤穂まで直通するなら乗ってみたいと思うのだけど
(何しろ旭川〜稚内を上回る最長距離の特別料金不要列車!)
終点まで行くのは米原で増結される8連
赤穂線内の需要って意外にあるのね ブルーライナー色は青が絶妙。
あれより濃いと小田急紛いになるし、薄いと東武になる 153系に似合う渋い青ですよね
あれ当て書きだったんでしょうかね ブルーライナー色、関東で見れたらいいなって思っていたらなんと一時期実現した。
天オトから千ツヌへ転属してきた113系が千葉ローカルで使われたのだ。
我孫子駅で見た時は感無量だった。 ブルーライナー色、もう存在しないと思うと、悲しいね。
今の新快速をブルーライナー色にしとも十分かっこいいと思うんだよなあ。 >>793
1編成ブルーライナー塗装にラッピングしてみて利用者の反応を聞くのも良いと思う。 正面のハラマキ(?)が223系だと処理が難しそうだけれど
225系なら何とかなりそうですね(・∀・) ブルーライナーだったのは153系だけやん
117系ですでに違う塗装 その117系カラーも流電色の復刻ですしね(・∀・) 昼の1本が草津止まりになって
117系時代のように戻ってしまった。 >>793
関西行ったとき、ブルーライナーを初めて見てすごく良い色だと思った。
その後、天オトから113のブルーライナーが何両か千ツヌに転属してきた。
一時期千葉ローカルでその姿が見られ、我孫子駅で見たときは感激した。 岡山に流転したブルーライナー、マンション特攻後ATS-Pがあった関係で急遽京都に呼び戻されたが、琵琶湖バックに走る湖西線も合ってたな 1991年新快速停車駅
米原
彦根
能登川
近江八幡
野洲
守山
草津
石山
大津
山科
京都
新大阪
大阪
三ノ宮
神戸
明石
西明石
加古川
姫路 とりあえず、停車駅を減らせ
京都ー新大阪はノンストップ、芦屋も通過しろ 1978年当時の新快速
草津-石山-大津-京都-大阪-三ノ宮-神戸-明石-(西明石)-加古川-姫路
近江今津-安曇川-近江舞子-比良-滋賀-堅田-叡山-西大津-京都-大阪-三ノ宮-神戸-明石-(西明石)-加古川-姫路
西明石発着の場合のみ西明石に停車
京都⇔大阪 30分
大阪⇔三ノ宮 25分
三ノ宮⇔明石 20分
明石⇔姫路 27~35分 一方で普通列車は
(各駅)-京都-高槻-新大阪-大阪-芦屋-六甲道-三ノ宮-元町-神戸-兵庫-須磨-垂水-明石-西明石-(各駅)
六甲道/須磨/垂水は通過する場合があった。
京都⇔大阪 34分
大阪⇔三ノ宮 28分
三ノ宮⇔明石 25分
明石⇔姫路 40分
新快速は速いけれど,普通列車も各駅に止まる明石から西はともかくそれほど遜色ない時間で走っていた。 新駅が増えたからなあ
桂川、島本、JR総持寺、
神足がいつの間にか名前が変わっとるし >>805
「日和見」な
何を興奮してんのかわからんけど >>807
関西圏では普通列車と言えば1972年10月改正で消えた長距離列車を指すので
パターンダイヤに組み込まれたものは快速電車と言った方が通りがいい
ちなみに1978年の停車駅なら茨木が抜けてる
六甲道・須磨・垂水を通過するのは列車線を運転するもの
ホームのない須磨・垂水と違い六甲道はホームに乗車位置の準備がなされてたが
両駅利用者の反発を恐れてか民営化されるまで停車しなかった >>811
やな、京都ー大阪29分で30分を切ったと宣伝していた スーパー北斗の函館−札幌2時間59分と違って
全列車29分だったのだからホンモノよね 京阪特急
淀屋橋
北浜
天満橋
京橋
七条
四条
三条
丸太町
出町柳 阪急京都線特急(39分)
梅田
十三
大宮
烏丸
河原町 新快速は原点に戻ってほしいな。
高槻、新大阪、芦屋、神戸、西明石は通過。
その代わり、現在の新快速に当たる準新快速を新設する。 >>818-819
ここは鉄道懐かし板の思い出を語るスレだからスレチの妄想ネタは他の板で >>818
バブル期にスーバー新快速と呼ばれる停車駅を絞った種別案があったが御蔵入りしたからな
高槻が外側線ホームとなった時に普通・快速との乗り継ぎの関係で茨木に新快速停車させる動きがあったな 新快速初期は,普通列車が今の新快速相当の停車駅(>>807)だったのですがね。 >>821
それより前の1979年にも新快速のスピードアップ計画が新聞報道されたことがあるから
列車線に移しての高速化は国鉄時代からの悲願だったようだね 国鉄時代は大鉄の悲願ですね
アーバンネットワークは分割民営化してよかったねと言える数少ない区間な気が酢 昼に外側走っていたのは北陸急行(山科~大阪)と山陰方面急行(大阪~姫路)と
あとは貨物くらいですか 90年代前半の大山崎での阪急京都線特急6300系と新快速221系のバトルが懐かしい >>824
国鉄時代、通勤時間帯は外側線を使えば効率よく増発できただろうが、ほんの数本しか使われていなかった。
当時はなぜだかわからなかった。 >>827
朝ラッシュの上り列車線は1966年10月から快速電車用に開放されてるけどね
そのために芦屋・高槻両駅の退避線へ列車線から直接入れるポイントが設置されたので >>814-816
JR新快速 大阪─京都 29分
阪急京都線 梅田─河原町 39分
京阪特急 淀屋橋─出町柳 54分 >>829
大阪と梅それぞれそれぞれ立地が離れているから、所要時間だけで利便性を語ることは出来ないと思う。 訂正↑
大阪と梅田以外は立地が離れているから、所要時間だけで利便性を語ることは出来ないと思う。 京阪はノンストップ区間の京橋ー七条で比べるべきか?
それとも、河原町=四条で比べるべきか
まあいずれにしても、カーブの多い京阪が一番遅いのは明らかなんだが 京阪を頑張って阪神と直通させることが出来たら便利だと妄想していたが、
まさかの阪神と近鉄の直通。
車両の規格からすれば京阪の方が良いと思ったんだけどね。 京阪神では新快速に勝るものなしだもんね
奈神とか伊神とか、果ては伊姫とかのほうが勝算があるのかも >>835
そりゃ近鉄の方が路線網が広いし、奈良なら方面との直通ならJRとも被らないし、良いことづくめ
それに京阪やと、JRと阪急京都線(同じグループ)とも被ってメリットは少ない。
理想はアーバンライナーが三宮〜奈良で定期運行出来れば良いが、阪神の路線が貧弱すぎる
改良工事と高架化で速度アップも出来るだろうけど、果たして…
京阪は中途半端過ぎる上に、さらに中之島線とか中途半端な路線を作って、意味不明
まだ鉄ヲタの妄想の方がマシな路線計画を立てるぞ コストやら許認可やら諸々で引きたいように線路引けるわけでもなし路線ネットワークの成立なんてかなりの部分は成り行きでしかない
本当に必要な路線はあってしかるべきって言うならエイトライナーもメトロセブンもとっくにできてる でも中之島線の中之島止まりは必要ないやろ
せめて西九条まで伸ばすとかしないと
案の定、ガラガラで当初直通を多発していた快速急行も取りやめたし、
挙句の果てには列車で居酒屋とかやって客寄せるしか策がない >>838
もう一歩進んで、かつて大流行したノーパン喫茶を始めるのはどうかな? ここは主に国鉄時代の新快速についてのスレ
近鉄だの京阪だのの話はスレチだからよそでやってくれ 1924年復刻版時刻表が売っていた
(下関~)岡山-姫路-加古川-明石-兵庫-三ノ宮-住吉-大阪-京都
(下関~)姫路-加古川-明石-兵庫-三ノ宮-住吉-大阪-京都-(山科)-大津-石山-草津-近江八幡-能登川-彦根-米原(~東京)
という新快速の原型のような普通列車がすでに存在していた