【愛されて】新快速の思い出【40年】
京阪神のスピードスター、新快速の過去・現在・未来について語り合いましょう!
※名古屋地区の新快速の話題は禁止 とりあえず土曜日曜祝日ダイヤの23時40分の姫路行野洲行の設定。
平日大阪発17時台30,40,50分、19時台00,10,20,30分の10ヘットのダイヤと
神戸方面17時台兵庫ー明石通過快速の廃止。
あとできれば岡山延伸と京都切り離しの形で山科以北琵琶湖線野洲までの
15分ヘッドダイヤの確立。さらに湖西線新快速運行時間の大幅延長。
少なくとも平日の新快速大阪発最終は21時00分近江塩津行の設置とその便までの
1時間ヘット確立。 更に最高時速を225型完全置き換え時に時速135〜140キロの引き上げ、
大阪ー三宮間20分運用と大阪ー姫路59分〜60分運用を期待。
あと平日夕方大阪発18時37,52分発野洲行前8両を草津線乗り入れを
する。 なんて将来ならないかな。こうなるとかなり便利になるのに新快速。 113系でスタートして程なく、大量に余りとなった153系を新装して、
京阪間をノンストップ29分で走った新快速のインパクトは強烈だった。
急行形の電車が特急なみのスピードで疾走するのには、関西に旅に出たときの楽しみだった。
持っていたHO模型の153系6両を早速この新快速色に塗り替えて、友人に自慢したものだ。
それから車両も117系〜221系〜223系〜225系と世代代わりしているが、あの魅力ある俊足に加え、
快適な乗り心地がプラスされて、今でも関西に行った時はよく利用している。
米原〜姫路なんていう長距離を乗っても飽きないんだな。
関東にはこういう列車が育たないのはつまらないと思うね。 速度面では或いは関東でも同等化が期待できなくはないのかも知れない。
しかし仮にそうなったとしても座席はロングシートかグリーン車。
寧ろ京急の快特辺りに新快速的側面が感じられる…?
まあ、2100系に乗れればの話だけど。 方向別複々線のホームの柵の横をカッとんで行くのに萌える
10年前、久々に221系新快速に乗りたくて関西行ったら、すでに223系に代わっててガッカリした
しょうがなく223系乗ったら130キロ出してて衝撃だった。モーター音も気に入って一気にファンになってしまった
117系が出たての頃、わざわざ乗りに行きましたよ。
荷棚には化粧板、天井の断面は特急っぽくて
窓にはバランサーまでついていて、肘掛けが窓側にもある。
色も過去の関西急電と同じで、妻板の換気口といいモハ52の再来かと。
中部地方はスレチとのことだけども、飯田線に117系が入るのも因縁を感じる。 小学校低学年の頃に初めて乗ったけど、ガラッガラだったな。当然153系。
車内販売が来てたように記憶してるけど、何かの記憶と混じってるのかな。
なぜか好んで戸袋部のS席に座ってた。何だったんだろう。 阪和線から113系新快速色(阪和色とも呼ばれている)が来年にはなくなるって
今売っている鉄道ファンにはその特集もやっている
113系スカ色新快速の〜113系新快速色のことが載っている
キャンブックスから出てる関西新快速物語は関西急電→225系まで載っているが、値段が高いと感じる
113系スカ色新快速の編成
クハ+モハ+モハ+クハ+モハ+モハ+クハ
万博号の編成(関西にスカ色が来るきっかけとなった)が載っていない たまに乗りに行ったら、117系の100番代の編成が来たのも懐かしい。 栃木から祖父母が遊びに来たとき、221系新快速を見て「上等な座席を使っているから
特別料金を取られる」と勘違いして、北関東でも見慣れたかぼちゃ電車(113系)が来る
まで待っていたそうな。
東武日光線の快速急行で6050系のボックスシートに指定席料金を払っていた時代
でした。 生まれて初めて乗ったトイレ付きの電車が新快速時代の117系。
トイレが電車にある!ということが何より衝撃的だった。
車両的には221系が一番好きだけど、これは新快速より寧ろ
大和路快速用という印象の方が強いので、
新快速と言われて真っ先にイメージするのは、やっぱり117系だな。 153系なんか(サハシ以外の)全車両に便所のみならず洗面所までついていたんだからね 大阪〜三ノ宮 40年前はノンストップで24分
今は2駅停車で20分
天王寺〜和歌山 40年前は新快速で45分
今は紀州路快速で70分以上
なんだこの差は… 153時代は雷鳥と併走後ぶち抜くなんてスジもあったよな‥ >>20
時刻表見れば済むことなんだけど、
いま、くろしお(とかオーシャンアロー)には
天王寺〜和歌山45分で走破するのってあるんですかね? >>22
特急は40分少々で結ぶ。でも料金が高い。
昭和40年代後半には、昼に1時間間隔で45分の新快速が走ってたし、100円で乗れる(もちろん今と物価は違うが)急行も1〜2時間間隔で出ていた。
当時は快速と新快速は1時間に各1本だったけど、区間快速(鳳以南各駅停車)でも今の紀州路快速並みの所要時間だった。 153で
普通運用に入る時にHMを外すのではなく横線表示にして掲げたままにするのが好きだった。
清一新快速色編成よりも湘南色混色編成が来ると一粒で二度美味しい気分になれた。 新快速の153系には、一部にクハ165も混じっていたんだよね。
それに乗れるとなんか“得した”気分になったもんだ。
また、先頭車両はクハ153-500の高運転台の比率が高かったような感じで、
標準高さの1〜の車両に乗り合わせた記憶があまりないな。 紀勢〜阪和線に165系が入線したとき、ブルーライナー色にすれば
これはこれで一興かと思ったが国鉄末期じゃそんなゆとりもないか。 >>23
47.3改正以後の区間快速Bなんて今の紀州路より遅いぞから使いもんにならんよ。
区間快速が70分で走ったのは47.3改正以前のAだけで、それも途中退避のない列車のみ。
本数にして毎時1本あるか無いかのレベル。
>>23
どうも。
45分というと阪和電鉄時代の「超特急」の再来のようですね。 阪和線の113系新快速は、京阪神の新快速に入った153系とは全く違って、
とにかく113系の性能一杯で“ぶっ飛ばしていた!”というイメージだったな。
当時は冷房もなかったから夏は窓全開!ものすごい勢いで顔に叩きつける風に息もできないくらいだったのを覚えている。
今は車両は快適になったけど、当時の70系区間快速並みの鈍足では寂しいなあ。 >>30
冷房ついてたよ。最初に新快速用に転入してきた3編成に関してはだけど。
集中型の試作型だったっけ。
付いてなかったのは天ナラの春日色。 それにしても停車駅増やし過ぎのように思える。
一応速度は昔と変わらずだろうけど、だったら停車駅は据え置いて
もっと速く走れって言いたくもなる。
「京都−大阪間は29分未満にしてはならない」なんて法律はないんだから…。
今のままじゃいずれ東海道山陽線系統も阪和線の如く消滅すると思える。 でも117系の頃よりは速く走ってるのでしょうよね。
今はきっと車両も良く?なって、スピードが実感しにくいんですよ。 >>32
>京都−大阪間は29分未満にしてはならない
223になって27分運転になったよ。
例の事故で元に戻しただけ。 >>34
>>32は馬鹿だから相手にしなくていいよ 側面の列車種別幕と方向幕が別々になったのは、国鉄では117系が最初だった
のも懐かしい。 >>37
ナイス突っ込み! 電動では、といまさら言っておきますw やっぱ、東海道電車急行の大型ヘッドマークって
「新快速」用に改造・塗装されちゃったのかな? 他人の間違いを針小棒大に吹聴するしか能がないのと
どっちが馬鹿なんだか…。 昭和50年、須磨の駅で待避中の普通電車の車掌が、
泥酔した老人が線路に落ちるのを目撃、救助しようとしたが、
折悪しく通過する新快速(ry
同駅には慰霊碑があるそうだ。 阪和線沿線住民の俺は113系新快速はたしかに馴染みがあって、ガタガタ五月蠅いけど
速いなあ〜とか、おらが自慢的な目でいつも思ってたが、用事で京都に出向く機会があり
東海道の新快速を見た(乗った)時は、「うわ、やっぱ『本物』はかっこええなあ・・」と。
どこか阪和線のは二番煎じ、バッタもんつう引け目があったのか知らんが
妙な肩身の狭さ? を感じたものですた・・ww 153系といえば一時期一部車両に自販機があったな。 113系スカ色での新快速で運転開始した1970年の車番わかる? ペプシコーラの自販機があったの覚えてる
あと車内販売で冷凍みかん売りに来たのも覚えてる >>45
自販機だよ、車番までは記録してないが試験的に設置と聞いた。 >>48
その話し初耳だな、大井川や三陸で登場した時話題になったな。あの時代はネットは無いから地元のオタしか知らない事ってたくさんあって乗り鉄が楽しかったな。 153系の新快速で、バスケットに弁当を入れて車販してたのを覚えてる。
その頃、山陰線の京都口の客レにも車販のワゴンが乗ってたよ。 >>18
今にして思えば221系はどちらかといえば「繋ぎ」の車両だったという感じがする。
117系の後継として華々しくデビューするも223系の登場で早くも主役の座を奪われ、
130km/h運転実施で新快速からは撤退したからな。
新快速としての活躍期間は僅か10年ぐらいしかなかった。 221系は最初に快速として運用されたんで、113系の置き換えが主目的だったのではないかと この前立ち読みした「関西新快速物語」って本が面白かった。 昭和50年代前半、大阪から京都へ行くのにいつも阪急か京阪だったが、大奮発して新快速に乗った(当時阪急、京阪が280円位、国鉄特定運賃530円)
153系の車内へ入ってみると、くたびれた固定クロスに無機質な雰囲気、走り出すと横揺れは激しいし、がっかりした。
当時の新快速は本当にガラガラだったラッシュ時は運転していなかったしね
ただ、大阪〜姫路とか以前は急行利用が一般的だったのが、新快速登場で実質値下げになったから評判よかったって聞いたことある 今、もし153系の新快速が走っていたら、選んででも乗りたいところだ。
あのMT46モーターの唸りは本当に心地よく、もう味わえないのが残念でならない。 三ノ宮から京都まで153系の新快速に乗ったよ、
雷鳥をぶち抜いたのには感動しな。
ガラガラの車内で親父と弁当喰ったよ、
>>58車内の雰囲も急行だったね。 117系→ナウい新快速
221系→トレンディ新快速
223系→チョベリグ新快速
225系→あげポヨ新快速 153系時代の方がよく乗った。
ぶっ飛ばして走るので、子供には何処にも?まらず乗っているのは、
きつかったように記憶している。
わざわざ雷鳥と並走する電車まで乗っていた。
確か大阪18時発の電車が雷鳥と京都着も同時刻だったような・・・。 >>58
大阪−姫路とか三ノ宮−姫路なんかは153系の時代でも国鉄優位だった。
私鉄(山陽電鉄)があまりにもショボかったからな。
大阪からだと乗り換えが必要だし、神姫間でも特急がロングシートの3000系では
153系新快速相手でも全然勝負にならなかった。 新快速は、現在は並行ダイヤのイメージが強いだろうが、153系時代(117系時代前半)までは、(西)明石以西は列車により飛ばすものとそうでないもので、5分くらい差があった。
また、大阪以西(西)明石までは、先行の緩行にアシを取られて飛ばせない区間も多く、京阪間の特急顔負けの走りとは格段に落ちた感じだった。 関西の新快速を追われたとは言え、ブルーライナー色の153系やクハ165が、名古屋地区の
快速や、飯田線の急行に組み込まれた時には衝撃を受けた。 ガキの頃、221系新快速を格好よく操る運転士に憧れて20年
今は新幹線電車の運転士 >>61
225系=あげポヨは…よくわからない。
しかし117系=ナウい、221系=トレンディはまさに言い得て妙だと思う。
それぞれの時代のイメージが凝縮されている。
日本が右肩上がりで明るいイメージがあった頃の雰囲気だ。
初代153系はなんだろう?
モーレツ新快速か?
特急をも凌ぐ速さは正にOH!モーレツだった。
さて。
バブルもはじけ、今度はトレンディーという言葉も死語になりつつあった92年の事である。
近鉄からある列車が廃止になった。
難波発西大寺経由京都行き特急。
この列車が設定されたのは73年の事である。
既に京阪間は特急料金不要で特急の速さが当たり前になった時代だ。
こんな列車、ヲタ以外に誰が乗ったのか!?
京阪間で一番遅く、しかも有料特急だ。 石屋川の神社脇で電車見物
四角いヘッドマーク付けた謎の113系
後ろ二文字は快速と読めたけど
一文字目が判らなかった、暫く謎の電車だった。
>68
昔は奈良線には特急料金不要の奈良行き特急があったのに、京都行き特急が
新設されたときに無くなったね。
代わりに快速急行が設定されたと記憶しているが・・・。 トイレ付きの電車の初体験が117系の新快速。衝撃的だった。 >モーレツ新快速
あえてそれを使うとしたら初代113系だろw
モーレツは万博前後だから少し時代が合わない
個人的には「男は黙って新快速」だな。
昭和47年前後なら「がんばらなくっちゃ新快速」 新快速引退後のブルライナー色の153、編成に組み込まれ東京口にも顔を
出していたね。 狭い関西、急いで行けば速く着くw
同じ事、梅田の歩行者信号で赤なのに歩き出す奴に言ったれ。
大阪の黄色信号は「進め」やで!? 急行運用でもない、セミクロスシートの近郊形でもない、
新たなブルー塗装… ”ヘンシン新快速”は如何? 昔の新快速は分かりやすかった。停車駅は京都、大阪、三ノ宮のみ新大阪も神戸も通過
芦屋、尼崎停車は時代の流れ高槻もやむを得ないのか 昭和40年代半ばだったか、三ノ宮から京都観光に行くのに10回程度利用。当時から人気有ったね
本線の夜行が頻繁に走っていた時代。三ノ宮から神戸駅、急行高千穂他無数の列車に乗車
40年後の今も大阪、京都へはほとんど新快速。たまに阪急、阪神も利用
当時は途中大阪駅のみ停車が気に行っていたね、半分それが目的。新大阪も当然通過 昭和47年に岡山開業で、列車線に余裕ができ飛躍的に新快速が増えた様な。昭和50年の
博多開業で更に、昭和50年は開業日を含め鮮明に覚えている 国鉄時代の最末期の61年改正以前は新快速は電車線だったはずだが。 >>80
列車線(外側線)は特急・急行・貨物が使っていたと思う。
京都-大阪間の北陸特急は北陸線で遅れた時に回復できるように、ダイヤに余裕が
設けてあり、内側線の新快速の方が速くて時々下克上が見られた。 >>68
難波まで乗り換え無しで行きたい客のためじゃね? 私が初めて乗車した当時は・・・
京都・新大阪 ノンストップ
大阪・三ノ宮 曜日関係なくノンストップ
この頃って221系ありましたっけ? >>86
89年3月〜90年3月な
ただ、221の新快投入は実際には89年秋頃より
昔は通勤ラッシュ時に新快速の設定はなく、新快速用の153系を2本分繋いだ快速が走ってた。8M4Tの強力編成だった。 初期の頃と思うが、神戸観光に行った時。停車駅が大阪のみだった強い記憶が有るね
何せ、高槻は無論新大阪もスルー。京都、大阪、三ノ宮何と三都の主要駅のみの停車 >>90
たぶん153系時代だね。
自分も新快速と言えば、今でも京都大阪間無停車の153系ブルーライナーを連想する。
117系に代わる直前にしか乗れなかったけど。 「本日の新快速電車の運転は終了しました。
快速電車をご利用下さい」
僕が、小学校2年生くらいから、大学入学の頃まで聞いたアナウンス。
これを聞いて17:00近くになった現時刻を認識する。 本社に抑えられた外線ではなく大鉄ローカルの内線を時には特急もブチ抜いて突っ走る。
京都を出たら大阪・三宮・明石・加古川・姫路。
新大阪? 西明石? 新幹線?
京阪神の都市間輸送がワシの使命じゃゴルァ!
こんな感じが格好よかったねぇ。 >>93
確かに京阪間では特急をも凌駕するほどのスピードで走ってたけど、
大阪以西では特急に遠慮してたところもあった。
当時は大阪−三ノ宮24分と特急より若干遅く、大阪−姫路に至っては74分と
キハ80系の気動車特急(九州特急は最速65分、はまかぜでも最速67分)よりも遅かった。
153系でも本気出してたら大阪−姫路間3駅停車だと65分で走れないことはなかったと思う。 特急に遠慮というより快速や普通との絡みじゃないの(西明石以西は貨物も?)
新快速が本気出したら13分前に大阪駅を出た快速に明石までに追いついてしまう 姫路新快速は西明石を通過したら喫煙オッケーの放送ありましたね。