分断された路線について
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加越能鉄道と富山地鉄射水線、静岡鉄道駿遠線など諸事情で分断された路線について。
ベルリン地下鉄や京義線など海外話題もOK. >>74
路盤が完全に吹っ飛ばなかったからなのかな。枕崎台風の時も復旧は早かったと読んだ記憶が。 危険を顧ず被爆者救済の為輸送再開に関わった関係者の職責に敬服します。
10年位前災害で大糸線に長期運休区間ができたと思うけど、あのときは JRの東日本、西日本どちらに属す当該区間が分断されたの?
トリコになった区間は相手社経由回送で車輌定期? >>72
板谷峠の赤岩隧道崩壊も似たような話だね
まあ奥羽本線は20年前に別の形で路線が分断されてしまったが >>66
トロバスで小松川橋渡って分断解消
400型かわいいよね(トロバスもかわいい) >>65
城東電気軌道は予定では浦安まで延伸だったそうだ。
特許を取る前にやめてしまったそうだがもし延伸していたら、トロバスにせずに橋をかけて直通していたかも。 上はともかく、下はただの部分廃止じゃないかと。
石狩沼田の向こう側に「分断された札沼線の残り区間」があるわけじゃないんで。 玉電の戦前に渋谷で分断された 天現寺・中目黒側(後に都電に移管)と玉川側の件は概出? >>83
まだ。あれは砂利輸送を辞めたから要らなくなったというのもあるんだろうね。
結局両側とも廃線→地下鉄(中目黒側は一部だが)となったが。 京急の大師線も今は分断されてJRの貨物線と大師線に分かれてしまった。 >>85 小島新田より先(塩浜)は分断前に川崎市電にふんだくられたでしょ。 >>87
岸ノ里での分断の事なら外出
紀ノ川橋梁の事なら仮復旧で直通再開済み 下津井電鉄、頸城鉄道
部分廃止で国鉄線接続が分断。 相鉄線と東海道貨物線は既出?
いったん分断したけど、また別の場所で連絡線復活という珍しいケース。 >>89
自社路線同士の連絡が切れてたら「分断」だろうけど、
国鉄との接続が切れた状態は「分断」て言うんかなあ?
「孤立」ならわかるんだけど。 島原鉄道は外出?
普賢岳の自然災害で長期に亘り分断状態が続いた。
全線復旧したけど島原南線は後で廃止。 営業前なら 東横線の 反町〜 みなとみらい線の 元町中華街 までは、
地下孤立区間のみで陸送で送り込まれた電車で試運転。
移設開業時 合流。 高野線が合格なら名鉄三河線もだろう。
昭和34年に今の知立駅へ移転する際に三河鉄道が建設した三河線上から外れ、三角線で乗り入れる形に。この時に海線と山線という呼称が生まれた。
昭和51年に貨物線として残っていた昔の三河線が廃線となり三角線は失われた。
そしてダイヤ改正のたびに知立駅を通して海山を直通する列車は消えてゆき、貨物列車も消えた。
今では原則として海山直通はない状態に。
山線は乗降人員数で名鉄主要駅となった豊田市駅に引っ張られる形で全線複線化が実行に移されようとしているが、海線は刈谷駅でJR東海線に乗り換える客が続出。格差が開こうとしている。
>>94
三河鉄道自体がもともと愛知内陸と大M港の輸送と刈谷・東海道線経由での対名古屋輸送用路線としてできたからね。
それが名鉄になって自社内での対名古屋輸送に転換したのだが、くねってる海線からは刈谷で乗り換えたほうが便利なのでこうなった。 筑肥線は外出?
伊万里駅でJRとMRに分かれてしまった。
間には駅前通り。 下津井電鉄の話がでていない。
どういうわけか国鉄に連絡している部分が廃止になった。 >>97
それは分断ではなくて部分廃止だね。
ナローで分断というと駿遠線か。分断箇所をつないだのにまた廃止して分断。 >>97
>>89>>91
>>94
ウィキ見たら、列車としては直通しないけど、
車両は直通するのがあるらしいじゃん?
配線図見ても普通に直通可能だし、それで直通列車がないのは、
分断路線じゃなくて、ただ系統分割されただけじゃない?
伊賀鉄道上野市、養老鉄道大垣のパターンと同じ。 >>94-95
元の三河鉄道で考えると今の三河線と蒲郡線も分断されているのかな >>2
東北線は 今度は 物理的に 分断される 日が くると おもう。 名鉄(1500V区間)で数年前高架化工事だか何かで一時5500系を送り込んで封じ込めていた区間なかったけ? 新幹線(ミニ含む)によって物理的に分断された路線
奥羽本線
信越本線
新幹線によって一部が廃止されたものの線路はつながってる路線
東北本線
鹿児島本線 東北本線の列車線(京浜東北線じゃないほう)のうち秋葉原〜神田は分断された扱いでいいのだろうか。
>>105
>>105
東北本線は少なくとも「分断」ではないけどな。 以前 越美北線が災害で分断されたけど そのとき或る意味 九頭竜側は、越美中線だな。 >>107
なるほど、八戸以遠も、終点の青森まで三セクになっちゃったので、
もう「分断」ではありませんわなあー。 予土線も分断路線になると思う。
窪川ー若井間が土佐くろしお鉄道中村線に転換されたので、
1駅間だがJR路線としては途切れてしまった。 >>110
そもそも予土線に窪川〜若井間は入ってなかったのだが・・・
それを言い出すならば大湊線なんかが完全に「分断路線」となるが・・・ 名鉄の新一宮高架化工事の時、尾西線の玉ノ井行きが・・・
って、すでに既出だったか >>103-104
1994〜95年の出来事だったかな。 >>96
伊万里駅は>>15で概出。それにしても、筑肥線は博多〜姪浜、虹ノ松原〜山本、伊万里駅と分断の多い路線だね。 >>113
相互の往来が少なかったところに数少ない対福岡輸送は高速バスに乗り換えられたからな。
もともと直通運転する優等列車も1日1,2往復しかないし。 一時期の話でよければ、東急世田谷線。
玉川線廃止から新玉川線開業までの間は、他の東急線とは離れ小島状態。
もっとも今も、事実上分断されたままのようなものだが。 線路より便利な、東京急行バスが有った。
当時の充実具合を、知っているのかね? >>116
渋01〜06,11〜14,21〜26と揃っていた時のことでしょう。
それはわかるけど、鉄道としては分断していたと言えるのでは?
バスが充実していればOKならば、西武多摩川線も「孤立」しているとは言えないのだが。
(武蔵境〜田無〜ひばりヶ丘の西武バスの本数を調べてみてね) 三江線が「全線開業」した当初口羽駅は線路がつながっていなかった。
よって直通列車は設定することができなかった。 京義線って一応レールは繋がってたっけ?
もしそうなら釜山からリスボンまで途中で軌間の変更はあれ一本の線路で繋がっている事になるのかな? >>118 どういう経緯で? 国鉄の枝線なら車両送り込みの為 当然接続駅で繋いでおくものだと思うのだが・・・
何か事情で仮線設置で車を、送り込んだ後一度分断孤立させたの? >>119
数年前つなげて貨物列車もごく短期間走らせたよ。 >>120
南北からくっついた時点でレールはつながらず、ホームで乗り継ぎだったわけ。
閉塞の関係だと思う。 全線開通と言いながら環状運転出来なかった大阪環状線…みたいなもんか。
そう考えると、開通当初の大阪環状線もこのスレの定義を満たすのかな、
と一瞬思ったのだが、西九条では分断状態でも、
反対側を回るとつながってるわけだから、これはダメですかなw 横浜市電が東白楽で東横線に分断されて孤立路線ができたって、古い? >>122
一応レールは繋いでおいて、その上からバラストを乗せて直通出来なくしてあったと聞いたが 南海時代の貴志川線。和歌山市駅と国鉄和歌山駅を市内線が連絡していたが市内線廃止で孤立してしまった。
という考え方は除外かな?
>>126
レールはつながっていないけど、自社路線で接続。
市内線廃線後も国鉄線経由の自社車両が連絡。
面白いですね。
奥羽本線の新庄駅
営業としてはつながっているけど、本当の分断だよな。
肥薩オレンジ鉄道川内駅の方がマシ。 >>127
あ―――そうか!南海版キハ55「きのくに」が繋いでいたのか。
窓の下にちっちゃく(南海)て入ってたやつ。 東海道新幹線と東北新幹線
・・は、最初から繋がっていないか。 信濃鉄道の先の大糸南線。渥美線の先の建設線。
これらは完成と未成の差はあれど買収を待たずに着工しているわけで、分断の条件に当てはまる。 大川鉄道
西鉄に吸収された後も含めてまともな写真が殆ど残ってない。 >>125 その場合帰線電流の関係で軌道回路(信号現示)とかに支障ないのか? >>130
国鉄は直通させる予定でいたようです
号車番号が東海道と東北で同じなのは、そのためだったとか 代々木と新宿で戸籍上山手線にぶった切られた中央本線。 >>139
その区間は「二重戸籍」だったはずだけど…? 国鉄は基本路線区間の二重戸籍は認めなかったんじゃなかったけ・・・?
だから 山手線は田端〜品川
東京〜神田も二重戸籍なの? >国鉄は基本路線区間の二重戸籍は認めなかった
逆だろ。
国鉄時代には二重戸籍の区間が何か所かあったけど、
束の区間は、民営化に伴ってなくなった。
いつ頃か知らんが、ふと鉄道要覧を見た時にはもう整理されてた。
国鉄再建法の関係とか言われるが、当時はいろいろありすぎて、
そんな話まで把握しきれなかった。
東京〜神田も、国鉄時代は二重戸籍だったけど、
同じように解消されてる。今は東北本線のはず。 JR東での二重戸籍が解消されたのは、1993年7月2日のダイヤ改正から。
>>139と>>142は正解。
分断とは主旨が違うが、上毛電鉄は開業時両毛線から車両送り込みの仮設引込み線を設けた。
そして仮設なので当然送り込み線は撤去。
後年東武の赤城駅乗り入れまで鎖国状態。 >>144 書こうと思って過去レス調べてたら書いてあった……
今まで出なかった不思議 今津線の路線名自体は出て来ないんだね。たしかに不思議。
ただ、スレ初期に分断路線の定義をいろいろ考えてる中で
わかりやすい例として「西宮北口」という駅名が出てきてる(>>25)。 分断といえばインドとバングラデシュの鉄道は2年前ようやく直通再開。
現、近鉄湯の山線と内部線
昔は三重交通三重線で共にナローゲージだったけれども、
今は片方だけ改軌・昇圧・高架化され乗り入れ不可能 今津線って西宮北口を境に運転系統の異なる両区間を区別する場合
今はどう呼んでいるの?
今津北線、今津南線?でOK? それとも・・・
地元民・・・?
阪急社内(業務用語、通称)・・? >>151
それ読んで思い出した。
少々無理やりだが、「平端以東が改軌された後の旧天理軽便線」も
ちょっとそれに似てるパターンだな、と。
平端以東は改軌・電化で、大軌の路線網に組み込まれたが、
以西は旧態依然の軽便鉄道で、天理線とは切り離された「法隆寺線」に。
やがて不要不急路線として休止→廃止されてしまうので、
暫定的な「分断」ではあったが。
>>152
お隣の尼住民だけど、「(今津)北線」「(今津)南線」で通じてます。
社内とかで正式にどう言うかまでは知らないが。 京阪本線と京阪大津線
そこで今更『こわび』復活させて一体何がしたいんだ? 分断じゃないけど、北陸鉄道の片山津線と山代線が北陸本線動橋駅を挟んで対峙してました。
利用者の便を図るために両線を同一のホームに乗り入れさせたかったのだが
それと実現しようとするとどちらかの線を国鉄線をオーバークロスしなけりゃならんということで
諦めたそうでしゅ。 >>155 福井鉄道も南越線が在ったころは、ソレに近い状態だったけど統合の野望は無かったのかな? 温泉をハシゴする客がそんなに多いの?
北陸本線がまだ非電化の頃、福井と金沢の間を電鉄で結ぼうという構想はあったというが。
路線免許だけなら、東尋坊口〜吉崎〜大聖寺、粟津〜小松は繋がるからなあ。 電鉄が盛んに敷かれた頃の北陸三県の県庁所在都市の地域支配力の低さと来たら、謎だな。
突出した都市が無かったと言うべきか、農村が強過ぎると言うべきか。金沢にしても江戸時代は尾張名古屋に匹敵し関西では京に継ぐ出版文化を誇った筈だが。
平野部の奥行きの狭さが鍵かな。例えば濃尾平野では一宮市が北陸の中堅都市並みの拠点性を備えるに至った他は名古屋の独り勝ちでしょう。
県民性なのだろうな。
どこか一箇所に固まることを好まない性格なのだろう。
地形は関係ないと思うよ。 >>155
名鉄の神宮前は実際に統合やったんだっけ。 >>155
石巻、浜川崎、宇美、道路挟んで別なとこ
神宮前は国鉄の乗り越し線を2度つけかえてる。
分断といえば射水線の分断は無茶すぎる。
迂回させてつないでおこうという案はなかったのだろうか? どっかに射水線のバスがこの3月に廃止になったと書いてあった。
電車で残っていても、50馬力のモーター×2では気が遠くなる
ような遅さだったろう、現代の尺度からすれば。 大湊線下北駅
大畑線→下北交通に転換した時、連絡線ぶった切った。
そのまま廃止になってしまったが、万が一甲種回送なんて事になったらどうしたのやら。 >>1
>京義線
「鉄馬は走りたがっている」という意味の立て看板があったんだよね…
「チョルマヌン、タラゴシッポ」ってハングル表記で。 >>167 そんなモノ、隣接箇所があるなら仮設で亘り線も設けりゃイイだけ。
・・・松電や豊橋はそう。
貨物をやらない会社は、そうそう亘り線とか使わない設備を常設しても固定資産が嵩むだけなんだよ。
そもそもJR自体が甲種回送に両数、高金額とか色々制約をつけて難しくなってきた
最近は、全くJRを使わず完全陸送も珍しくない。 >>149>>150 インドしなの鉄道かと、思たよ。・・・ それを言うなら東武ですら北千住から久喜から伊勢崎から佐野から栃木から
池袋から川越から豚切っちまったからな。 >>169
南海なんて、阪和貨物線休止→廃止で一時期陸送or海上輸送してたけど、
和歌山線経由で甲種再開したけどな。
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