分断された路線について
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加越能鉄道と富山地鉄射水線、静岡鉄道駿遠線など諸事情で分断された路線について。
ベルリン地下鉄や京義線など海外話題もOK. 物理上はともかく保安システム上分断の 東急旧目蒲線→目黒・多摩川線のケースは? 常磐線もそうだな。他に比べても復活の可能性は限りなくゼロに近い。
海外は、やめにしないか? 検証がしにくいから。
繋がる予定が未成(越美北線とか)のままなのは除外だよね? 京阪本線と京津線、地下鉄東西線の開通で分断。
三条〜御陵間が廃止。
バカ高い運賃で苦しんでいる。 >>9
なる、と見る。
それで、思い出したのが筑肥線。あり? 伊万里駅。統合されていた駅をわざわざ分断して、道路を建設してしまった珍しいパターンだよね。 京福もこれに当たるんじゃね?
京都と福井がつながってないという点で。
福井はえちぜん鉄道になったが >>17
もともと分断されている京福や東武は該当しないだろう。 >>17
そんな事言い出したら、かつての北鉄とか福井鉄道とか三重交通とか、
雑多な小私鉄を統合したような会社は、みんな該当。
なかば必然的に自社路線での相互連絡がないからね。
でも、>>1が上げたような路線と違って、そういう統合会社には
路線が「分断」されたという歴史はないじゃん?
たぶん、>>1や、おれも含めて、このスレタイ見て来た人間が
思い浮かべた「分断」とは、ニュアンスが違うんじゃないかと思うが。 ああ、直前に>>1さんご自身の意見がw
こちらのレスもまったく同じ意図です。全面的に賛同です。 >>6
原ノ町〜相馬は常盤中線と言うべき存在になってしまうのだろうか? 現在のJR太多線と名鉄広見線のそれぞれ各一部となる形で分断された、初代東濃鉄道。 一口に「分断」と言っても色んな解釈が
出来るよね。
例えば、名鉄新鵜沼〜高山線鵜沼間の北アルプス用連絡線は
どうだろうか?
別会社だけれど、乗り入れ用に線路が繋がっていた。 なんか、普通に思い付く例を語り尽くさないうちから、
いきなり変則的な例を出したがる人が多いようだが…
>>24
それは他社間を結んでいた連絡線が消滅しただけで、
「路線が分断された」というのとは違うでそ?
基本的には分断路線を語るスレなんだろうから、
・元は1本の路線であったのに、途中の区間が廃止され、路線図上も途切れている
・路線図的にはつながっているが、西宮北口や岸里玉出のように
同じ路線名を名乗る路線がまったく直通出来ない構造になってしまっている
あたりが基本かと。
趣旨は違うけど、境線とか利府線みたいな、かつての本線がルート変更で盲腸線で残された例とか… 似たようなので、路線名が分断されたところを思い出した。
東武の亀戸線とか西武の国分寺線って、いわば元の本線だよな。
こんど廃止となる長野電鉄の屋代線も、開業は古い。 川越線も? 今、高麗川ー大宮の直通運転ってあるの? んー、そんな例まで「分断」になるなら、
>>7が「除外」と言ってる中間未成の方がまだ
「分断」として語るにはふさわしいような。 >>25
その趣旨に賛同。
琴電志度線も瓦町駅ビル工事で分断された路線だね。
元は3線が繋がっていたが、志度線だけが分離、車庫工場も
独立している。 京浜(!)川崎が高架化されるとき、大師線は分断されるのか
と子供心に思ったが、さすがにアプローチ線?が作られていた。 じゃあ諸条件混合で富山新港建設の犠牲になった 過っての 富山地方鉄道市内線+射水線 と 加越能鉄道万葉線は、(分断は、射水線区間で発生し高岡側は、加越能鉄道に移管)
水害で分断されそのまま絶命した?(確か片側は、国鉄乗り入れ区間のみ運行確保?)の鹿児島交通南薩鉄道は?
同じく 水害分断で絶命の 大分交通国東線は? >>33
1に射水線が挙げられている。
>>16
昭和9年〜15年、紀勢中線(旧・新宮鉄道)。 分断きっかけでそのまま全線絶命してたら、全然「分断路線」になってねーじゃんw 箱根登山鉄道
>>34
多摩湖線は、直通もある(平日夕方や、休日臨時など) >>32
大師線地下化計画で今度こそ分断の危機か? >>39
金町線自体は分断されていないからね。
柴又駅で分断される事態は想像できないがw >>33
>>36
中小私鉄線にとって「分断」は致命的な
ダメージになるね。
のちに全線廃止に至るのがほとんどです。 >>37
そうそう、箱根登山鉄道の営業路線は「箱根湯本〜強羅」だと思っている奴って多いよね。 >>36 南薩も国東も確か水害分断後運行可能区間で一度運転を再開しているよ。 なるほど。それなら分断路線と言えるかな。
ただ、運転再開したのが被災個所のどっちか片側だけだったら、
それは「部分運休」であって「分断路線」とは言わないだろうな。
分断個所をはさんで両側で運転してないと。 分断っぽいけど途中が未成線なヤツの代表例が
東武の熊谷線と小泉線。1970年代にはまだ幻の橋脚が残っていた。 意外だが東西ドイツのDB/DRの路線自体は繋がっていて直通列車もわずかだが走っていたんだよね。 >>44 国東は両側で走った。
南薩は、枕崎側は運行・西鹿児島側については確か国鉄直通区間のみ運行(国鉄との乗り入れ契約履行のためか?)。
余談だが、天災で一度分断に遭っても 大井川本線(2回くらいあったような) と 島原鉄道は復活したのは快挙だな。
>>47
西側から見れば珍しい蒸機の本線運用だったりもした >>48
ウィキ見てきたけど、鹿児島交通に関するあなたの記憶は
完全に間違ってるぞ。っつーか、「逆」だよ「逆」。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E4%BA%A4%E9%80%9A%E6%9E%95%E5%B4%8E%E7%B7%9A
営業区間がふたつに分断されてたのではなく、
両側が運休→そのまま廃止で、真ん中の区間だけが暫定運行してた。
こういうのは「分断」ではなく「孤立」と言うべきでは?
線名は違うが、江東地区廃止前の都電とか、上町線廃止〜全廃の大阪市電とかは路線網が分断されていた。 >>50 国鉄乗り入れ区間の運行はやってなかったけ?
余談だが、西武豊島線や東急東横線も線路高架移設時、地下化時 自社他線から孤立したことがあるな。
西武多摩川線は、中央線武蔵境駅高架時一時他の鉄道から一切孤立。
南海天王寺 支? 線も末期は、他線から孤立。 調べてみたら、鹿児島交通の「分断」は、ちょっといわく付きだね。
国鉄側に残った車両も、メンテのために「分断」区間を走って
加世田側へ回送してたそうじゃないか。
客を乗せては走れないけど、回送なら通ってる、ってずいぶん微妙な例だな。
廃止したくて、無理矢理「災害で分断されました」って宣言した感じもする。
いずれにしても、伊集院〜西鹿児島は、たとえ鹿児島交通の車両が走ろうと
きっぱり「国鉄」線ですよw
いまみたいな2種・3種の免許がない時代なんで、その辺はお間違いなく。 >>53 南薩は、災害前も軌道の状態がかなり悪かったから分断区間を設けたのは、保安上の理由もあるんじゃない? 何れにしても想像の斜め上か。
ま、寿司太郎の考える事ですから。 >>47
東欧には分断されたところ多数。
戦後、分離して再起したハンガリーでは版図が狭まったため、
多くの路線の国境をまたぐ部分が廃止された。
近年、残されていたそれらの名残りの盲腸線もいくつかは廃止。
板違い失礼。 途中が未成で、片方が水害で消えた高千穂鉄道(相手は高森線)とか、
天津小湊を目指したら、大原からの木原線→いすみ鉄道と
くっつくことになっちゃった小湊鉄道とか… >>59 分断じゃなく合流未生線だな。
木原線は、久留里線ではなく小湊には繋げられたからある意味、風俗店で嬢の振り替えに応じて入ったようなものか・・・
越美北線 越美南線(後のながら鉄道)のケース
横荘鉄道の西線(後に国鉄買収)・東線(後に会社が路線の繋がらない雄勝鉄道と戦時統合し羽後交通横荘線)
めでたく繋がったのは 大阪市営地下鉄の中央線・千日前線がそれぞれ西東部分開業後全通。
誰か合流路線スレも作って!
>>60
どうも。
合流路線とかあっても少なそうだし、ここのスレでいいんじゃないっすかね? 合流路線こそ枚挙にいとま無しじゃまいか
古くは東海道本線から近年では秋田内陸縦貫鉄道とか 東海道・山陽新幹線は未成線なのだろうか?
最初の計画では釜山まで延長だったよね。 合流路線ってのが遅蒔きながら理解できた。
んで、未成の、信貴生駒電鉄枚方線→(ry)→京阪電気鉄道交野線 >>51
「江東地区廃止前の都電」に関連するが
前身の城東電軌が荒川放水路の鉄橋を建設できず、西荒川・東荒川でで分断されていたのは如何
他にもありそうだな >>65
公営化以後は、単車(単車といえば2軸ですよね?最近鯉城のほうでは
連接車に対してボギー車を単車と呼ぶらしく違和感を覚える)の
400形が、区間を前面にペイントで塗られて専属になってる写真を見ました。
その後、トロバス化されたんですっけね? 京王井の頭線は、 日本で一番働きのものの1067mmの孤島だな。 >>69
知ってますよ
>>70
あっ、懐かし板だった
間違いました
災害分断の大ネタと言えば、やっぱり関西本線の亀ノ瀬徒歩連絡かなぁ。
何十キロに及ぶ大々的な区間運休は近年も多いけど、
どどーんと長い区間まとめて運休されてしまうよりも、
トンネルの区間だけが走れなくて徒歩連絡、という状況が
「分断」の2文字にはよりふさわしく感じられ…って事はない?w 原爆投下直後の山陽本線も分断されていたと思うが、どのあたりが不通だったのかな?
海田市〜宮島口あたりか? >>73
広島駅から西は被害が大きかったようだが、海田市方面へは
なんと6日のうちから避難列車が運転されている。
ttp://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/exploration/index_20091123.html
BBCに茶化されて一躍世界的に有名になってしまった長崎との二重被爆者の人は、
翌日の7日に、己斐(西広島)からの救援列車で長崎へ避難した結果
長崎でも被爆した、って話。という事は、7日の段階ではすでに
広島〜横川〜己斐を除けば、何らの形で列車は運行されていた事になる。
(本来の山陽本線旅客線ではない区間があるにせよ)
8日には単線で応急開通した、という記録や証言が多いので、
本線の復旧はだいたいこの辺かと。
なお、芸備線も当日昼のうちから矢賀まで入って、被爆者を郊外へ輸送してる。
話は飛ぶが、被爆3時間後に爆心地近くまで入った長崎の救援列車の話も有名。
>>74
路盤が完全に吹っ飛ばなかったからなのかな。枕崎台風の時も復旧は早かったと読んだ記憶が。 危険を顧ず被爆者救済の為輸送再開に関わった関係者の職責に敬服します。
10年位前災害で大糸線に長期運休区間ができたと思うけど、あのときは JRの東日本、西日本どちらに属す当該区間が分断されたの?
トリコになった区間は相手社経由回送で車輌定期? >>72
板谷峠の赤岩隧道崩壊も似たような話だね
まあ奥羽本線は20年前に別の形で路線が分断されてしまったが >>66
トロバスで小松川橋渡って分断解消
400型かわいいよね(トロバスもかわいい) >>65
城東電気軌道は予定では浦安まで延伸だったそうだ。
特許を取る前にやめてしまったそうだがもし延伸していたら、トロバスにせずに橋をかけて直通していたかも。 上はともかく、下はただの部分廃止じゃないかと。
石狩沼田の向こう側に「分断された札沼線の残り区間」があるわけじゃないんで。 玉電の戦前に渋谷で分断された 天現寺・中目黒側(後に都電に移管)と玉川側の件は概出? >>83
まだ。あれは砂利輸送を辞めたから要らなくなったというのもあるんだろうね。
結局両側とも廃線→地下鉄(中目黒側は一部だが)となったが。 京急の大師線も今は分断されてJRの貨物線と大師線に分かれてしまった。 >>85 小島新田より先(塩浜)は分断前に川崎市電にふんだくられたでしょ。 >>87
岸ノ里での分断の事なら外出
紀ノ川橋梁の事なら仮復旧で直通再開済み 下津井電鉄、頸城鉄道
部分廃止で国鉄線接続が分断。 相鉄線と東海道貨物線は既出?
いったん分断したけど、また別の場所で連絡線復活という珍しいケース。 >>89
自社路線同士の連絡が切れてたら「分断」だろうけど、
国鉄との接続が切れた状態は「分断」て言うんかなあ?
「孤立」ならわかるんだけど。 島原鉄道は外出?
普賢岳の自然災害で長期に亘り分断状態が続いた。
全線復旧したけど島原南線は後で廃止。 営業前なら 東横線の 反町〜 みなとみらい線の 元町中華街 までは、
地下孤立区間のみで陸送で送り込まれた電車で試運転。
移設開業時 合流。 高野線が合格なら名鉄三河線もだろう。
昭和34年に今の知立駅へ移転する際に三河鉄道が建設した三河線上から外れ、三角線で乗り入れる形に。この時に海線と山線という呼称が生まれた。
昭和51年に貨物線として残っていた昔の三河線が廃線となり三角線は失われた。
そしてダイヤ改正のたびに知立駅を通して海山を直通する列車は消えてゆき、貨物列車も消えた。
今では原則として海山直通はない状態に。
山線は乗降人員数で名鉄主要駅となった豊田市駅に引っ張られる形で全線複線化が実行に移されようとしているが、海線は刈谷駅でJR東海線に乗り換える客が続出。格差が開こうとしている。
>>94
三河鉄道自体がもともと愛知内陸と大M港の輸送と刈谷・東海道線経由での対名古屋輸送用路線としてできたからね。
それが名鉄になって自社内での対名古屋輸送に転換したのだが、くねってる海線からは刈谷で乗り換えたほうが便利なのでこうなった。 筑肥線は外出?
伊万里駅でJRとMRに分かれてしまった。
間には駅前通り。 下津井電鉄の話がでていない。
どういうわけか国鉄に連絡している部分が廃止になった。 >>97
それは分断ではなくて部分廃止だね。
ナローで分断というと駿遠線か。分断箇所をつないだのにまた廃止して分断。 >>97
>>89>>91
>>94
ウィキ見たら、列車としては直通しないけど、
車両は直通するのがあるらしいじゃん?
配線図見ても普通に直通可能だし、それで直通列車がないのは、
分断路線じゃなくて、ただ系統分割されただけじゃない?
伊賀鉄道上野市、養老鉄道大垣のパターンと同じ。 >>94-95
元の三河鉄道で考えると今の三河線と蒲郡線も分断されているのかな >>2
東北線は 今度は 物理的に 分断される 日が くると おもう。 名鉄(1500V区間)で数年前高架化工事だか何かで一時5500系を送り込んで封じ込めていた区間なかったけ? 新幹線(ミニ含む)によって物理的に分断された路線
奥羽本線
信越本線
新幹線によって一部が廃止されたものの線路はつながってる路線
東北本線
鹿児島本線 東北本線の列車線(京浜東北線じゃないほう)のうち秋葉原〜神田は分断された扱いでいいのだろうか。
>>105
>>105
東北本線は少なくとも「分断」ではないけどな。 以前 越美北線が災害で分断されたけど そのとき或る意味 九頭竜側は、越美中線だな。 >>107
なるほど、八戸以遠も、終点の青森まで三セクになっちゃったので、
もう「分断」ではありませんわなあー。 予土線も分断路線になると思う。
窪川ー若井間が土佐くろしお鉄道中村線に転換されたので、
1駅間だがJR路線としては途切れてしまった。 >>110
そもそも予土線に窪川〜若井間は入ってなかったのだが・・・
それを言い出すならば大湊線なんかが完全に「分断路線」となるが・・・ 名鉄の新一宮高架化工事の時、尾西線の玉ノ井行きが・・・
って、すでに既出だったか >>103-104
1994〜95年の出来事だったかな。 >>96
伊万里駅は>>15で概出。それにしても、筑肥線は博多〜姪浜、虹ノ松原〜山本、伊万里駅と分断の多い路線だね。 >>113
相互の往来が少なかったところに数少ない対福岡輸送は高速バスに乗り換えられたからな。
もともと直通運転する優等列車も1日1,2往復しかないし。 一時期の話でよければ、東急世田谷線。
玉川線廃止から新玉川線開業までの間は、他の東急線とは離れ小島状態。
もっとも今も、事実上分断されたままのようなものだが。 線路より便利な、東京急行バスが有った。
当時の充実具合を、知っているのかね? >>116
渋01〜06,11〜14,21〜26と揃っていた時のことでしょう。
それはわかるけど、鉄道としては分断していたと言えるのでは?
バスが充実していればOKならば、西武多摩川線も「孤立」しているとは言えないのだが。
(武蔵境〜田無〜ひばりヶ丘の西武バスの本数を調べてみてね) 三江線が「全線開業」した当初口羽駅は線路がつながっていなかった。
よって直通列車は設定することができなかった。 京義線って一応レールは繋がってたっけ?
もしそうなら釜山からリスボンまで途中で軌間の変更はあれ一本の線路で繋がっている事になるのかな? >>118 どういう経緯で? 国鉄の枝線なら車両送り込みの為 当然接続駅で繋いでおくものだと思うのだが・・・
何か事情で仮線設置で車を、送り込んだ後一度分断孤立させたの? >>119
数年前つなげて貨物列車もごく短期間走らせたよ。 >>120
南北からくっついた時点でレールはつながらず、ホームで乗り継ぎだったわけ。
閉塞の関係だと思う。 全線開通と言いながら環状運転出来なかった大阪環状線…みたいなもんか。
そう考えると、開通当初の大阪環状線もこのスレの定義を満たすのかな、
と一瞬思ったのだが、西九条では分断状態でも、
反対側を回るとつながってるわけだから、これはダメですかなw 横浜市電が東白楽で東横線に分断されて孤立路線ができたって、古い? >>122
一応レールは繋いでおいて、その上からバラストを乗せて直通出来なくしてあったと聞いたが 南海時代の貴志川線。和歌山市駅と国鉄和歌山駅を市内線が連絡していたが市内線廃止で孤立してしまった。
という考え方は除外かな?
>>126
レールはつながっていないけど、自社路線で接続。
市内線廃線後も国鉄線経由の自社車両が連絡。
面白いですね。
奥羽本線の新庄駅
営業としてはつながっているけど、本当の分断だよな。
肥薩オレンジ鉄道川内駅の方がマシ。 >>127
あ―――そうか!南海版キハ55「きのくに」が繋いでいたのか。
窓の下にちっちゃく(南海)て入ってたやつ。 東海道新幹線と東北新幹線
・・は、最初から繋がっていないか。 信濃鉄道の先の大糸南線。渥美線の先の建設線。
これらは完成と未成の差はあれど買収を待たずに着工しているわけで、分断の条件に当てはまる。 大川鉄道
西鉄に吸収された後も含めてまともな写真が殆ど残ってない。 >>125 その場合帰線電流の関係で軌道回路(信号現示)とかに支障ないのか? >>130
国鉄は直通させる予定でいたようです
号車番号が東海道と東北で同じなのは、そのためだったとか 代々木と新宿で戸籍上山手線にぶった切られた中央本線。 >>139
その区間は「二重戸籍」だったはずだけど…? 国鉄は基本路線区間の二重戸籍は認めなかったんじゃなかったけ・・・?
だから 山手線は田端〜品川
東京〜神田も二重戸籍なの? >国鉄は基本路線区間の二重戸籍は認めなかった
逆だろ。
国鉄時代には二重戸籍の区間が何か所かあったけど、
束の区間は、民営化に伴ってなくなった。
いつ頃か知らんが、ふと鉄道要覧を見た時にはもう整理されてた。
国鉄再建法の関係とか言われるが、当時はいろいろありすぎて、
そんな話まで把握しきれなかった。
東京〜神田も、国鉄時代は二重戸籍だったけど、
同じように解消されてる。今は東北本線のはず。 JR東での二重戸籍が解消されたのは、1993年7月2日のダイヤ改正から。
>>139と>>142は正解。
分断とは主旨が違うが、上毛電鉄は開業時両毛線から車両送り込みの仮設引込み線を設けた。
そして仮設なので当然送り込み線は撤去。
後年東武の赤城駅乗り入れまで鎖国状態。 >>144 書こうと思って過去レス調べてたら書いてあった……
今まで出なかった不思議 今津線の路線名自体は出て来ないんだね。たしかに不思議。
ただ、スレ初期に分断路線の定義をいろいろ考えてる中で
わかりやすい例として「西宮北口」という駅名が出てきてる(>>25)。 分断といえばインドとバングラデシュの鉄道は2年前ようやく直通再開。
現、近鉄湯の山線と内部線
昔は三重交通三重線で共にナローゲージだったけれども、
今は片方だけ改軌・昇圧・高架化され乗り入れ不可能 今津線って西宮北口を境に運転系統の異なる両区間を区別する場合
今はどう呼んでいるの?
今津北線、今津南線?でOK? それとも・・・
地元民・・・?
阪急社内(業務用語、通称)・・? >>151
それ読んで思い出した。
少々無理やりだが、「平端以東が改軌された後の旧天理軽便線」も
ちょっとそれに似てるパターンだな、と。
平端以東は改軌・電化で、大軌の路線網に組み込まれたが、
以西は旧態依然の軽便鉄道で、天理線とは切り離された「法隆寺線」に。
やがて不要不急路線として休止→廃止されてしまうので、
暫定的な「分断」ではあったが。
>>152
お隣の尼住民だけど、「(今津)北線」「(今津)南線」で通じてます。
社内とかで正式にどう言うかまでは知らないが。 京阪本線と京阪大津線
そこで今更『こわび』復活させて一体何がしたいんだ? 分断じゃないけど、北陸鉄道の片山津線と山代線が北陸本線動橋駅を挟んで対峙してました。
利用者の便を図るために両線を同一のホームに乗り入れさせたかったのだが
それと実現しようとするとどちらかの線を国鉄線をオーバークロスしなけりゃならんということで
諦めたそうでしゅ。 >>155 福井鉄道も南越線が在ったころは、ソレに近い状態だったけど統合の野望は無かったのかな? 温泉をハシゴする客がそんなに多いの?
北陸本線がまだ非電化の頃、福井と金沢の間を電鉄で結ぼうという構想はあったというが。
路線免許だけなら、東尋坊口〜吉崎〜大聖寺、粟津〜小松は繋がるからなあ。 電鉄が盛んに敷かれた頃の北陸三県の県庁所在都市の地域支配力の低さと来たら、謎だな。
突出した都市が無かったと言うべきか、農村が強過ぎると言うべきか。金沢にしても江戸時代は尾張名古屋に匹敵し関西では京に継ぐ出版文化を誇った筈だが。
平野部の奥行きの狭さが鍵かな。例えば濃尾平野では一宮市が北陸の中堅都市並みの拠点性を備えるに至った他は名古屋の独り勝ちでしょう。
県民性なのだろうな。
どこか一箇所に固まることを好まない性格なのだろう。
地形は関係ないと思うよ。 >>155
名鉄の神宮前は実際に統合やったんだっけ。 >>155
石巻、浜川崎、宇美、道路挟んで別なとこ
神宮前は国鉄の乗り越し線を2度つけかえてる。
分断といえば射水線の分断は無茶すぎる。
迂回させてつないでおこうという案はなかったのだろうか? どっかに射水線のバスがこの3月に廃止になったと書いてあった。
電車で残っていても、50馬力のモーター×2では気が遠くなる
ような遅さだったろう、現代の尺度からすれば。 大湊線下北駅
大畑線→下北交通に転換した時、連絡線ぶった切った。
そのまま廃止になってしまったが、万が一甲種回送なんて事になったらどうしたのやら。 >>1
>京義線
「鉄馬は走りたがっている」という意味の立て看板があったんだよね…
「チョルマヌン、タラゴシッポ」ってハングル表記で。 >>167 そんなモノ、隣接箇所があるなら仮設で亘り線も設けりゃイイだけ。
・・・松電や豊橋はそう。
貨物をやらない会社は、そうそう亘り線とか使わない設備を常設しても固定資産が嵩むだけなんだよ。
そもそもJR自体が甲種回送に両数、高金額とか色々制約をつけて難しくなってきた
最近は、全くJRを使わず完全陸送も珍しくない。 >>149>>150 インドしなの鉄道かと、思たよ。・・・ それを言うなら東武ですら北千住から久喜から伊勢崎から佐野から栃木から
池袋から川越から豚切っちまったからな。 >>169
南海なんて、阪和貨物線休止→廃止で一時期陸送or海上輸送してたけど、
和歌山線経由で甲種再開したけどな。
スレチすまそ。 大井川は金谷駅近くにわざわざ東海道線とのポイントを作って車両入れたよね。
つい最近では西武から購入したE31型とか。 日本人は「3大○○」が好きだからここの人に「3大分断路線」をきいてみたい。
・両側が現役な路線で
・片側だけ廃止&両側とも廃止な路線で
それぞれお願いします。
前者は西宮北口は入りますよね。都市に所在する主力電化路線の直角平面交差でしたから
“分断感”もハンパないですよね。 養老は、分社化前?から既に 桑名も大垣もJRとの亘り切っていたの? >>176 長野新幹線って、信越本線の新線という扱いではないのか?
東海道・山陽や東北、上越にしたって同様だろ。
まあ、「新幹線以外の在来線」の分断という意味では正しいけどね。 >>184
長野新幹線は信越本線の新線という扱いではないよ 信越本線の一部分ではなく、北陸新幹線という別路線だっけ? >>135
大牟田、果ては熊本進出のために目障りな存在だったので買収したということらしいが
買収しなくても当時の九鉄の力であれば十分に南進できたのにね
並行路線を開業させることについて当局はそんなに厳しかったのでしょうか >>190
阪堺電車の時刻表見てると天王寺駅前-我孫子道以外路面電車っぽくないよな 桐生駅の両毛線のホームだけ高架化した頃の足尾線
線路つながってたのかな? 信越本線は切り刻まれてしまったが、
そもそも(上野・大宮〜)高崎〜長野〜直江津〜新潟
を全線通して運行してた時期ってどんくらいあったんかな 能勢電鉄の川西能勢口−川西国鉄前間
元は貨物輸送のため妙見口方面とつながっていたがのちに分断、
単行が1時間に1本も走らない路線になり、そして廃止。 >>197 運転系統上の問題で、線路自体は、阪急今津線とちがい直接繋がっていたでしょ?
じゃなきゃ定期検査に車両運べないし・・・予備の60形と取替えができない。 駿遠線は別会社の路線を繋ぎ合わせて成立したので分断とは違う 近鉄道明寺線と長野線も道明寺〜古市が南大阪線の一部になったから分断されたことになるのかな >>202
道明寺線は間違いなくそう。
現在の近鉄を構成する最古の路線だが。 近鉄伊賀線の前身伊賀電鉄もある意味で伊賀神戸で分断されたといってよい 相鉄線はJR相模線だけでなく小田急線とも分断したんだったな。
(昔は横浜〜本厚木の直通があった) >>103-104>>112
確か5519Fが閉じ込められてたはず
当時は随分勿体ない使い方だなと思ってた
速度も遅い路線なので廃車が近いHLかALでも入れておけば良かったのにと思ってた >>205
西名張の代替地が見つからなかったため、だったっけ? 京阪京津線も昔は京阪本線と直通可能だったけど、昭和50年代半ば頃に分断されてしまった。 >>207
玉ノ井に5500を閉じ込めたのは、保守の都合などもあったのでは?
既に冷房化していたので、暖房車HLを入れるわけにいかなかっただろう
玉ノ井が分断された直後、震災で分断された阪急は孤立区間に新型を入れたが、これこそ保守の都合だ >>208
上野市の車庫は西名張廃止前からあったのでは? >>212
上野市車庫は1964年開設なので、西名張廃止と同時 車庫は街中から街外れに移転するパターンが多いと思うが
ここは逆だったね
それほど広大な敷地ではないから容易であったのかもな 名鉄西尾線も、西尾鉄道サイドからすると分断路線になるわな。
分断される前のことは到底知る由もないが。 もともと線名が違ったから、分断と言えるか知らんが、伊万里駅は見事にぶった切ってるな。 >>211
玉ノ井の5500は5511F5519Fの二本を使用してましたな。
一宮に仮説のピットを作って検査してた。
冷房の問題の他にも、HLの運用がほぼ三河線で車両数の関係も有ったと思いますが、さてさて…。 >>221
仮説ではなく、仮設でした、すみません。 >>218
いきさつを後世に伝えるためには、
西尾〜吉良吉田は西尾線、
新安城〜西尾は碧海線に
すべきたった でも電車が新安城・吉良吉田を直通するなら無意味だな
乗客は線名に由来など求めない
解りやすさ第一 牟岐線
言い換えればJRと阿佐海岸鉄道の線路が切られたんだけど スレタイの「分断」ってすっかり政治用語になっちゃったね 初めの方に出ている富山地鉄射水線などは港の工事のために分断されたというが
海縁を走れないのなら迂回になるかもしれないが陸寄りに線路を付け替える選択肢はなかったのかな >>233
今の万葉線で言えば中新湊-越ノ潟が廃線になっちまうぞ >>235
岩倉からひがし(一宮)およびにして(小牧)への両方向に分岐してる線形なので、一宮と小牧が一本の鉄路で結ばれてるわけではないよ 一宮線と岩倉線の廃線理由が『道路との交差のため』というのがひどすぎる。 15年ほど前、名鉄小牧線を乗り鉄したときに衝撃を受けた光景が
新たに建設している幹線道路を避けるために鉄道の高架化工事をしていたこと。
新設道路なら、道路が線路を避けるのが普通だろうに。
愛知県ってトヨタのお膝元だからか、何でもかんでも道路最優先なのかな、って思った。
そう考えると、>>239-240みたいな廃止の理由もなんとなく理解出来る。 本線や犬山線と比べりゃ「二線級」だしな
後年の上飯田よりマシとはいえ、東一宮は中途半端だったし
22号や41号の建設を名目に、名鉄としても上手く「処分」できた
立体化の費用負担ルールが確立したのは、
堀田や津島辺りの頃?
いや、もっと後だったか? 阪急千里線だってよく淡路で分断されずに済んだなあと。 名鉄三河線も、敷設者である三河鉄道は今のような使い方を想定してなかったのでは? 知立の構造をあんな風に変えてしまったのは名鉄になってからだな >>249
あまつさえ末端区間を廃止してしまってよ
三河線は西中金~吉良吉田だからこそ意味がある 256(σ・∀・)σゲッツ!!
256キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
256(・∀・)イイ!! こっちか、予讃スレにも書いたんだが
予讃ー内子ー予讃 この可能性が出て来たぞ! >>261
なるなら全通した時にしてるだろ
どのみち赤字なんだから運賃下げたくないだろ 全通した頃は予讃線の区間廃止なんて夢にも思わなかったんだからするわけないだろ
今の知見で当時を語ろうとするなよ 相手に意図を伝える気のない文章だな
独り言なら部屋の壁にでも書いとけよ なるほど。まともに会話をしたこともない奴にはこの程度のこともわからないのか >>258
近鉄時代は桑名~大垣を養老線、大垣~揖斐を揖斐線と呼ぶこともあったらしい 箱根登山、湯本で完全分断
東急世田谷線、玉電時代は乗り換えなしで渋谷へ出れたのに、三軒茶屋駅がどんどん
後退して今乗り換えるのにかなり歩く。 >>271
サッカーとかで無くはないんだが武蔵野線使った方が圧倒的に速い 駅を少しずつ後退(移動)させてその間に商業施設を置いて買い物させようとするのは鉄道会社の常套手段
なっ?阪急。心当たりあるだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています