>>101
ただ、77年の体質改善の前後で両数較べてみると、同じだったりする。
(77年以前)5181×6、5251×2、5201×2と5361で、計11両。
(77年以後)モ7両、ク4両で、計11両。

早朝深夜に単行があったり、77年までは朝ラッシュ3連だった列車もあったが、
基本はほぼ終日2連だから、「2連5組と予備1両」が車両計画のベースなのかなと思う。
としたら、全部単行にならすと6両でも足りるっちゃあ足りる。

>増備があって現在に繋がる日中一時間2本体制に出来たのなら
>旧伊賀鉄道時代はかなり本数が少なかった事になる
もちろん、電化当時には神戸〜西名張は参急開業後みたいな重複路線じゃないので、
上野町〜神戸と同じ程度の本数があっただろうから、2本/時は無理だろうね。
単行基本で1本/時ぐらいだったら、6両でもそんなに無理ないんじゃね?

参急開業後は、神戸〜西名張は旅客路線としてはもう半分死んでるので
(戦時中、不要不急路線として運休していた←おもに貨物のために戦後復活)
車両の運用的には、もっと楽になるはず。
そこで吉野のお古の木造車が投入されてるのは、純粋に増発増結目的だろう。

以上、両数の話以外は、あくまで推測と想像って事で。