■昔の秩父鉄道 東武熊谷線を語ろう■
上長瀞駅の壁式小便器
大便器はブラックホールの全穴ボットン 車体色は、絶対 茶&ベージュの頃が好かったと思う。
あの色は、もしかして 昔の東武快速色と同じ?
バナナチョコ最悪! >>4
仕方ないよ
西武(セゾン)グループだもの
でも、その割には西武秩父は御花畑駅と少し離れてるのは不思議
用地買収しそこなったとかなのだろうか?
東武熊谷線は、末期に何回となく、マジ用(妻沼の先、群馬県に入ってすぐの場所に親戚があり、もよりは西小泉や太田なのだが、意図的に熊谷からかよった)を含めて乗った
なぜかキハ2002ばかりに当たり、2001と2003にはあまり当たらなかった
今も時々車で妻沼を通るから、保存のキハをながめて思い出にひたることも…
実は、熊谷線の跡地の妻沼側半分が立派な道路に整備されていて、ほぼ並走する国道407号やその旧道にあたる県道の裏道にもなっている→たいして所要時間は変わらないが、跡地の道路が信号も交通量も少ないぶん、快適に走れる 乗ったのはS57夏が最初で最後だが、妻沼駅って結構残ってたね。
中免取ってバイク乗り始めた最初の冬だから、S61年初めだったかなぁ。
地図の空白に見当つけて行ってみたら、まだ駅舎と緑十字はあった。
ホームや基地などがどうだったかは、なぜか記憶が無い。 >>5
西武(セゾン)って・・・
流通系のセゾンは同じ西武を名のっても、西武鉄道とは、まったく別物だよ。鉄道事業なんかやってないよ
それに、だいたいセゾングループは解体されちゃったし、本体の百貨店はセブンアイ系列だし・・・ セゾン云々以前に、ちちてつは秩父セメント(現太平洋セメント)の子会社だろ? >>9 秩父セメントが株式を保有していても、堤が秩父セメントに株式譲受を働きかけたりとかだって出来た(していたかも?)と思う。
背後で東武の反対とか、 三菱セメントと秩父セメントの企業確執とか・・・。
三菱セメントを西武秩父付近より秩父鉄道経由で運び出し西武線の運転ダイヤを阻害しなようにとか考えたりもしていたのだろうか? 熊谷線との分岐跡はまだ残ってる?
秩父鉄道は、ベージュに紫みたいな色?だったな
あれ何色?
床が木の釣り掛けの100系がよく走っていて、一部分が郵便車になってる車両に乗った記憶があるよ。 熊谷線の沿線は宅地化されたらしいね
いまあったら、どうだったのかな?
一度も乗る事なく早々廃止されてしまった。
廃止記念乗車券だけ買ったよ。 途中から小田急1800系が転籍してきたけど
あまり釣り掛け音に迫力がなかった気がした。
同じく100系も釣り掛け音に迫力がなかった記憶がある。
爆音みたいな記憶がない。
秩父鉄道はなぜだったんだろうね? >>11
今は遠くにお住まいなのかな?
上熊谷(ほぼ当時のまま)を過ぎて高崎線から離れると、やがて右側に公園緑地帯が現われる。
そこが熊谷線跡。
あずき色と胡麻豆腐色の組み合わせは、デハ1000(元JR101)系の3両が復刻されて今走ってる。
半室が仕切られてるのはクハニ20ってやつで、三峰口に保存されてます。
中は全て入れるよ。
思い出を辿りにお出かけになったらいかがでしょうか。 >>14
詳細をどうもありがとう。
今は神奈川なのでなかなか行かれなくて。
熊谷と上熊谷駅間に100系だかの車体を利用した
お店があったけど、まだあるのかな?
急行用の300系や待っていたら普通に来た500系が無くなったのも寂しいね。
真ん中のアルミの車両も乗りたかったな。 >>16
Wiki見た。
ありゃー再塗装後は施錠だとぉ…。
>>15
迂闊だった。すんません。