そんな私は900番台スレッド
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
機関車・電車・気動車・客車・貨車・新幹線・リニヤモーターカーの試作車について
語るスレです。
貴方の一番心に残った試作車について語って下さい。
短命や数量しか作られなかった車輛の話題でもOKです。
例 DD54 EF54・55等
不思議な事に何故か4の付く数字の車輌は短命ですね。
では大いに語りましょう。 私は90系列が一番印象深いですね、のちの101系900番台や
151系153系、151系の900番台が何故無いのか不思議でした。
153系はサロで900番台がありましたね。
ステンレス車体の当時憎いやつでしたな。 207系 JR西日本はトップナンバー編成=現役
JR東日本は900番台=廃車 通勤型の900番台で保存されてるのって101系と209系(旧901系)だけか
103系・201系・207系は廃車になったけど、どちらもトップナンバーは残存してるし(207系は作り自体が違うけど)
900番台って結構冷遇されてる? 量産型とは異なる部分も多いなら鬼っ子扱いされるんだろうな >>6
しかし103系 クハ103−1がダイヤ改正で引退するみたいです ヨーロピアンスタイルのEF901→EF66901も量産型とほとんど同じなのに
保存せず解体orz
EF661号機より保存する価値はEF901の方があったような気がしますね。
EF6611入れないで、このEF901を保存し、広島に現在あるEF661は西日本鉄道
博物館(仮称)に保存して(゚д゚)ホスィ… 900番台 そうそう重複しない番号に追いやられた時点で異端のモルモット君は、
当初の役目を果たし第一線を退き2軍扱いなんじゃない? 試作車じゃない、900代のナンバーがある形式って、D51だけかな?
貨車は別として 72・73系の920番台とか970番台とかかな。
もっとも900番台は全金試作車だが。 ED77901いいねえ、あの屋根のドームがたまらんw スレチだけど、仕事で、試作のサンプルやプランなどの作業番号なんかを「900番台」にしている人…
自分も含め鉄なら結構いるんじゃないかな。
得意先から回ってきた請求書の作業番号がそれで、この事が縁で鉄仲間となったことがあった。 キハ183−900
冷房故障時のためにスイング窓が設置されていたりしたけど、業務用室の窓が横スライドで開くというのも特徴でした
0番台は固定窓だったんですよね
キロ182−900
客用ドアが車端にあって、車販準備室のカウンターの側廊下通って、車掌室の前通って車内へ
0番台はご存じのとおり、車販準備室が車端になりましたが
キロ184−901
1両だけ存在した、キハ184から改造のグリーン車ですが、キロ182−900よりも車販準備室が小さくて確か休憩室が
なかった記憶が
これがなぜ900番台を名乗ったのか不思議ですが 一系列(クモハ、モハ、サハ一緒にカウント)で一番仲間の多い900番代は、何系かな?
201系?
「TRY―Z」って、「991系」と呼ばれていたんじゃなかったかな?
番台区分でなく、形式系列から“試作型”だったのは、901系とこれくらいか? >>20
単に900番台なら72系。ただ>>13の言うとおりほとんど量産車だから、
試作車というカテゴリなら209系(900・910・920・950番台が10両1本ずつ)じゃない?
>>22
新幹線に951形や961形、955形(300X)等結構いる。
在来線ならE993系(AC-Train)やE995系(キヤE991形)とか 新幹線は9000番台を与えられてるけど、このスレの仲間に入れてもらえるのかな? 私鉄の900番台東急だと9000系のクハ9000系列〜かな117両製造されたけど
試作的要素が強い車両とか少数派車両で言えば、キハ1形とかモワ1形とか
デキ1形とかかな? 私鉄の試作車では、東武9101Fに萌える。
車端の行き先表示器、現在となっては8000系以上に8000系テイストなドア回りなどが印象的。
自社の広報誌ですら存在を忘れられていた不遇な過去もある。 事業用車では、1形式1両のクモヤ93000が一番かっこいい!
レコードホルダー車だしな。
あれが保存されなかったのは誠におしいorz クハ411-901ってのがいたな、すぐに101に改番されたけど。 >>28
百の位を仕様識別に使うためでは?
9000番台 トイレ・洗面所なし
9100番台 トイレ・洗面所付
9200番台 バリアフリー設備付
のような感じで。 新幹線の試作車はリニア・鉄道館にも無いんだよなorz >>37
平成2年製造のやつだね、まだ20年しか経って無いのに博物館入りかよw
美濃太田にはもっと古くて保存しなきゃいけない車輌沢山あるのになぁ
キハ35とかオハ35とかオハ35なんて東に売却すればいいのに、
後トラとかもいるな。 リニア・鉄道館のMLX‐01や300Xは、試作車というよりは試験車だろうか? MM'103-910番代に未改造のうちに乗りたかった… E331系が上がっていないような…。どう見てもアレは量産されぬ気が
してならんのです。ただ何度かメーカー修理を受けているから、そう
そう廃車にはしないと楽観視してますが。 >>12
80系DCにもあった。
キハ80−901、キシ80−901〜903、
キハ82−901.902
いずれも「はつかり」撤退時に初期車から改造された。 EF500-901
製造されたは良いが6000Kwを走らせる路線が無く、
結局廃車。
これ一度でもJR営業線を走行したのか? >>44
東海道や東北で試運転してるが(誘導障害が凄まじかった) ED500-901って言うのもあったよね?
日立で製作されたがこれも廃車? >>47
今でも日立製作所に居るのですか?、もしかして解体? >>12
新幹線0系
増備しすぎてナンバー溢れて飛んだだけだが >>36
100系の食堂車は実は試作車のですが
車番・168-9001
>>12
飯田線や吾妻線を走っていたクハニ67900もそうだった。
普通ならクハニ67010か67100程度で良いのに、
なぜか900まで飛んでいた。 クモハ169-900番台モハ168‐900番台、
量産車とほとんど変わらないよ。 20フィートコンテナ積み試作車コキ19000、
性能試験用改造車コキフ10900… >>53
元は165系900台、クハの900台もあった。
量産車と違いMc,TcはAU-12クーラーだった。
>>1
特に私鉄の方が9より4を嫌っている気がするね。
9000系は数多にあれど、4000系ってOERぐらいしか使ってないような。
(過去には営団3000の中間車っていうイレギュラーもあったが)
あっ、西武の急行型も4000か。
>>16
自分はむしろ列車番号からの発想で作業番号には9000番台をつけるな。
予定臨は8000番台で、時期ものが6000番台で・・・
ただ枝番を2ケタないし3ケタコードで、となると、やはり試作やプランだけが
90か900番台で、マイナーチェンジで大きなのが50か500番台、
小規模試作的なのは、80か800番台で、、とやってしまうorz
>>22
キハ391やキワ90、591系をお忘れでわ?
あと、まだ出てきていない900番台は、781系、クハ415-1901、713系ぐらいか? 純粋な900番台とは異なるが、新幹線で思い出すのは…
0系15・16形式の(格下げ)先頭車化した珍車21&22−3901
0系の先頭車化改造には、25・26形式がタネ車の21&22−7951もあり、こちらは0系引退時の最後の3編成にも残っていたが、個人的には3901の方が強烈に印象に残っている >>55
169系900番台は量産車とは異質なグループだったな。
モハも含めてAU12S冷房準備仕様の急行形普通車自体唯一の存在。
169系で低屋根なのもこのグループのみ。
量産化改造されるも長野運転所には移る事なく169系量産車と生き別れ、横軽協調から離脱し終始新前橋で165系と共に関東急行で活躍。
後に特殊さが災いして全車電装解除、先頭はクハ455-300、400に、モハはサハ165-100に編入された。
仙台に転用された中には車両更新工事を受け角形ライトになった車両もいた。 103系は、なぜ一番最初の車は、900番代にならなかったの?(基本101系踏襲?・十分準備し開発・それとも時間余裕なしぶっけ・たまたま完成度が高かったから900番台に改番せず?)
大量生産車両の第一号車で、他の後輩が引退するなか今日まで大都市通勤幹線で第一線なのは偉大だが、
まあ何でも保存してたら(通勤形なら 国鉄初のカルダンとしての意味でも101ー901)があるし、キリないしなあー・・・
東急の8001みたいに静かにひっり消えてゆくのも良いかもな・・・ >>59
量産先行車が900番台に改番されているよ。
末期は青梅線や埼京線で走っていた。 スレチ気味でスマヌが、800番台ってもう低屋根車って言う分類なくなったんだよね? >>63
国鉄末期の頃、RFがクハ181→(改造)→クハ481のことを『クハ481−800番台』なんて揶揄してたな(車高が低いから)。 クハ401や237の900番台は他形式からの改造車だったけど
あっという間に100番台に変更されたな ED500-901も、
あれどうして量産化しないの? >>63
E231だと800番台は狭幅車の意だね。 901系っていう電車があったよな?
あれは確か後の走るんですの原型になった。
デビュー当時の鉄道図鑑には「東京の新しい世代の通勤電車です云々」という説明書きがあったのを覚えているが。 誰も>>56に突っ込まないので(超亀スマソ)
> 4000系
つ【名鉄瀬戸線】 201系の試作車のうち、先頭車絡みのユニットは何で「クモハ200+モハ201」
の構成になったのか?当時の国鉄の動向からすれば、奇数形式をMcにするのが
一般的だった筈(「900番代」とは離れるけど、301系や103系1200にもMc'+Mのユニット有)…。
1つの推測は、営団5000系に合わせたってことだけど、201系にその必然性があるとも思えんし…。
当初モハ201は2個パンタだったから、「クモハ201」にして運転台の真上にパンタグラフが来る、
ってのを回避しようとした!? ねえ素朴な疑問なんだけど、試作車の901の事をどうしてクマイチって呼ぶの?
クは9で1はイチだけど0がマってイミフ。 新幹線の0系(25・26)は、901〜も試作車に非ず。
それで100系以後、試作車は9000番代になった? >>81
嗚呼ゼロじゃなくてマルねw
思い付かなかった、
dクス 「夢空間」を忘れていた。
オロネ25-901
オハフ25-901
オシ25-901
それぞれが保存されている筈。 900番台(試作車)の造られた形式で、基本番台1〜が、大変更や別仕様でインフレ1000番台設定とかでなくて
〜899・90X〜若しくは91X〜で試作番台車号に追いつき飛び越した事例ってないの?
貨車でも?
クハ481みたいに200〜や300〜みたいな基本番台のマイナーチェンジを含めても・・・?
スレ違いで悪いけど、103系の電動車ユニットの場合、もしクモハ103がなかったら、
当然モハ103の両数はモハ102と同じになるから、797+155(Mcの両数)=952両(地下乗り入れ用は別にして)という計算。
となると、799の次は何番になっていたのか?「800」に行っちゃうと、パンタグラフ取付部の屋根が低いと誤解される元だし…。
こっちは、「1〜799,2001〜」って感じ…?
或いは、その種の面倒が予測されたから、奇数(パンタグラフ搭載)側をモハとクモハの2本立てにした!?
失礼、実際のモハ103-1〜は、793両だったか。従ってクモハ103と合わせた両数は948両ってことで…。 >>90
偶数向き専用のクハ103もなかったら500・600あたりはATC車の番号になっただろうな。
あとモハ102が事故廃車の都合(169廃車・445代替)で1両多くなる。 「900番代が試作車」ってのは、まさか103系みたいな大所帯の形式が現れるとは
想像してなかった時代の発想なんだろうな…。
もし考えてたとしたら、東海道山陽新幹線張りに、試作車は「9000番代」になってたと思われる。 現場で関わっていた俺から言うと
試作車って見た目が同じように見えても、電気部品の仕様やら取付方法
だとかのメンテ部分で試験要素が強くて、扱いにくいということがあっ
たよな
結局は償却終われば嫌われて捨てられる運命なんだろ
自動車のテストボディみたいなもんだな そういや、どっかの雑誌のコラムで、ヤテ5編成だか超多段制御の103-910番台編成での扱いの苦労を書いたのがあったっけ。
見た目はただの103て゛も扱いは全然違うのね EB10なんていうのは試作的要素が大きかったんだろうね。
最初はバッテリーロコで、後にPS14搭載して電気機関車になったけど、
蓄電池機関車は決局実用化にならず、現在では「スマート電池くん」に
引き継がれてるけど、技術面での引継ぎはされたのかな?
現在の電池はリチウム電池だろうから、役に立ったのかな? 国鉄やJRは、900番台として区分けされているから整備する側にしてみれば良心的。
某社は、やたら新しいことを試したがるで、新造まもないのに編成替え、増結、改番、異端部品のくせにリンク・・・カオスで整備部品の材料調達(税金対策で余分に部品を用意できない!)を任された(やらされた!)頃は本当苦痛だった。 (量産車)
方向幕の機械が壊れる→報告入る→入庫時に予備品差替→30分掛からずに
作業終了!
(900番台)
方向幕の機械が壊れる→報告入る→検修陣みんなの嫌な顔→入庫時に表示
器外してくる→電気部品担当者時間外でハンダ付けとかの面倒な作業を行
なう→とりあえず直ったのを車両に戻す→すでに運用担当が車両運用変更
してあったりするが、運用距離計算の関係で再び運用担当に言って再度運
用を戻す→運用担当者の嫌な顔
結局はこんな感じだなw >>95
EB10は元々火薬工場での入れ換えという特殊用途の為のスペシャルロコで、異色ではあるけどバッテリーロコ量産の為の試作要素は無いのでは? 100番台突入!
そういえば72系920番台って量産ながら微妙な付番だよな。
ジュラ電の全金更新試作の900番台の意匠を告いだからの付番だろうが、それならそれ以前の新造グループ
に近似の大きな数字番台から始めて(意匠的にはそれ以前の車にもより近い)よさそうな気がするし、900番台を尊重したにしても 910番代は飛ばしているし・・・
(まだ試作用に数字を確保したかったのか?)
1000番代に進むことは、旧型の時点では桁数の問題でタブーなのは解るが・・・。 72系970番台、武蔵野線への投入が実現していたらモハ721001が誕生したのかな? >>85
2両は越谷レイクタウン傍のイベント会場へ、もう1両は木場のレストランとして再利用。 いくら考えても理解不能に近い、「酉」の「207」系…。
何で、先に出てた常磐線用の同900番代と到底相容れん代物に、あんな命名したんだか…。
まさか国鉄の家に決まってた話とも思えんし…。 まさか国鉄の家に
↓
まさか国鉄のうちに
余計な変換してた…。 >>103 レイクタウンではなくて新三郷
駅から近いほうは中にも入れる
もう1両のほうは外からチラッと見ただけだからわからない 781系ECと183系DCの、900番代だけにある開閉可能な客窓はアクセントだったと思う。
189系ECのそれと違って一目瞭然だったし…。 >>108
長年里帰りで信越本線を利用してきたが、489系で開閉可能な窓はみたことがなかったが。
189系では各車両の車端から二枚目の窓が、非常時の換気用として開閉可能だったが、
489系ではどの窓が開閉可能だったんだろうか? >>110
それなら最初からそうと分かるように言わなきゃ…。
当方が言ったのと全然趣旨の違う話だろ。
415-1901まだ出てないかな。1500番台の試作車。
座って通勤を目指したけど量産は無かったね。あ、似た奴は四国にいるけど。 415-1901まだ出てないかな。1500番台の試作車。
座って通勤を目指したけど量産は無かったね。あ、似た奴は四国にいるけど。 クハ415-1901は、サロE531に引き継がれたような…。
JR「束」は「運賃だけで乗ろうって野郎共にゃクロスシートは提供せん」て発想だし。
ま、実際は、サロE531はサロE231の交直流版なんだけど。 >>115
クハ415-1901は215系に反映されて量産されているんジャマイカ?
>>116
まあ、それもそうか…。
尤も215系も、量産というほど多数製造されたか、と思えなくはないが、
クハ415-1901の思想が引き継がれた節はあったのかも知れないな。 クハニ67901、903、905 飯田線にあったこの3両
何故に900番台を名乗っていたのだろうか? 旧型国電の謎「クハ79904」被災事故車両を廃車にしなかった当時の国鉄も凄いね。
これもどうして900番台を名乗ってたのか謎だな。 207系なんて、どうして西と東で同じ系列番号を宛てたんだろうね。
混乱の元なのに。 >>120
重複系列、重複番号があっても所詮別会社だから
混乱は無いよ
東西の207系がどこかで出会うなんてまず有り得ないから。
東のサロ125と西のクモハ125も同様。
西が207系を製作した時も東は何も言わなかった筈。 でも、東は205を増やすときに番号飛ばして重複避けたんだよな それは全く同一設計の205系なんだから避けるだろ
長距離運用や譲渡で出会うことを考えなくても
メーカーの台帳で混同するようなことは考えられるんだし
なんか西が身勝手で東は配慮したと持って行きたそうだなあ 205と言えば阪和線専用車の1000番台は前面まで逆に変えていたよな。
あれとで221系が作られよう時期なのに方向幕位置は真ん中にはしなかったが。 101系900番台は量産車と何もかも違っていたね。
押し込み型ベンチレータがたまらなくいいね。 >>126
E233はE231まででさんざんデータとれたからもういい、
ってことなんじゃないの?
試作車は今だってあるじゃん、EF210もEH500も、HD300だって。 E231系も試作車 無いんじゃなかったけ?
E531系はあったっけ? JRになってから「試作車両」って貨物機関車以外ほとんどないと思う。
思い浮かぶのはJR東日本の901系(209系900)、JR西日本の681系にJR東日本のE331系くらいか。
681系、E331系は試作車とはいえ、トップナンバーで量産車両は続番になっている。
まあE331系は「量産車両が出てくるの?」という感じだけれどな。 681と同様なのが383か
209-950→231-900という例もあるな
255や351は、もっと造るつもりだったのか? >>129
681は続番になっとらんですよ
試作車は1000番台に再付番して量産車が1〜
まあ、純然たる試験車でも量産先行試作車でもない「試作車両」、という半端なポジションは
稀になっているのかもしれない >>122
それは西日本の分の番号を飛ばした方が、ヤテ区で編成番号と各車両の編成内での位置がわかりやすかったからじゃなかったか?
クハ=編成番号
サハ=編成番号*2と、*2-1
モハユニット=編成番号*3と、*3-1、*3-2
になる。 209系って901系だったんだねえ。
現在大井工場の正門前にいるね 最近近車で製造された「Smart Best」
だが、車両番号を付けられないまま
山陰線を試験走行。
JRの所有じゃないから番号も無いのか?
国鉄時代だったら「キヤ591」とか付けられていたかも。 >>136
その名前自体が現在では形式化っていう所もあるんじゃないのかな?
Mue trainみたいに。 今のところ一番新しい900番台車両
つ ttp://rail.hobidas.com/blog/natori/121130n010.jpg 100系9000番台がX編成に編入された際、
平屋のグリーン個室は無くなったの?あれ憧れたんだが。 >>143
量産化改造の際に個室は撤去されて普通の座席に変わった。 >>129
キハ281系、キハ283系
>>142
当たり前だと思っていた知識(というかリアルタイムで経験した事象)が>>134の様に書かれるとギョっとするよね。
先日上司の息子さん(高1)を海峡線へ撮影に連れてったんだけど「カモレはワムハチやワキが連なってさー」てな話をしたら
『青函トンネルにもワムハチが走ってたんですか!』なんてかなり驚いてて、こっちはその反応に驚いたよw
まぁ若い彼や新参君もいつかはそんな経験をするんだろうな、と。 1995年11月ころ、新幹線300系のぞみが主力になったときの、JR東海新幹線100系のX,G編成の中間に100系9000番台が混結していた夢を見た 100系新幹線は試作車と量産車でライトの角度が違うらしいが、ほとんどわからなかった 100系9000番台は0系とともに行き先表示機も100系後期車や300系と同じものに取り替えられた。 781系900番台は早々と廃車となってしまったのが残念、
北海道では唯一の900番台だったのになorz 北海道の“900番台”って、711系電車や183系、281系気動車、古くはキハ82にもあった。 >>153
キハ82にあったっけ?
キハ81は試作要素が強いのに本線投入するから、あんなことに・・・ >>147
207系900番台が北長野に廃車回送されてから3両だけ解体線から離れたとこに取り込まれてたっけ? キハ82 900はキロ80からの改造車ね。窓がキロ当時のままなのが特徴で、札幌と鹿児島に配置されていた。
同様の中間車のキハ80 900も鹿児島に存在した。 キシ80にも900番台あったね。キサシ80にエンジン搭載したやつ。
たしか函館に配置されてた車がいたはず。 桃の901とかサンダー901って形態は同じ?
金太郎は違うのわかるけど。 >>160
桃901は桃太郎ロゴマークが無い
EF200-901は屋根上機器の大きさが量産車より大きい
EH200-901は見たことないのですみませんがわからないです >>152>>154
80系気動車の900番台を知らない奴がいるとはな…平成生まれか?
キハ82 900番台のうち1両は石北で脱線して廃車だから経年車でも勿体なかったな。軌道会社のバカタレ。
っていうか少しまえの書き込みを見ればキハ281、283系も書いてるだろうに。 幻となった寝台夜行新幹線921系、せっかく試作車まで完成し、
ブルマン式寝台まであったのに,実現しなかったねorz JR東日本は、形式番号重複が嫌だから形式にE付けたんでしょ。
電車のスタイルも毒創的になってしまったのが非常に残念だが・・・。 HD300の500番台は試作車ですか?
0番台との違いが良く分からない。 >>157-158
「一次車(キハ81の編成)由来」であることが肝心だろう
このスレ的にも、900番台のナンバリングの意味合い的にも >>166
HD300にはちゃんと試作車の901号機がある。
500番台は寒冷地(北海道)向けの車両で、国鉄時代にさんざん付けられた付番方式。 モハ168-900はサハ165-100として165系に出戻りになった稀有な事例 165系900番台→169系900番台→455系300番台だっけ? 60-3の改造車は、複雑でワケワカラン
特急も普通も あれ、サロ455もクハに改造した変なのが居たよね?クハ451だっけ?
クハなのにバランサー窓があり、異様で違和感があって良く覚えてるよ。
あれも60/3改造車だったよね? スレチだけど晩年の近郊化改造を受け、心なしか他の車より長めのロングシートが伸びる中央に
ポツンと数ボックスだけグリーン車時代の座席が残っている車内が印象的だった>クハ455-600 17年にダイヤ情報別冊で出た「プロトタイプの世界」は神本 試作機でたまたま試験結果か良かったところだけ見て本採用したらドツボだったのって
DD91→DD54
キハ91系→キハ181
ED45 1のクイル式→初期の交流機と新系列直流機
他に何かあったかな? >>181
水銀整流器の交流機関車もそうかもしれない。取り扱いは大変だし性能も試験の時ほど良くはなく、
保守の容易なシリコン整流器にしたら性能が更にガタ落ちするという始末。
最終的には交流電化そのものすらドツボとも言える。常磐線とか新幹線とか必要不可欠な路線もあるけど。
あとは、E993→E331もかな。 >>182
水銀整流器はシリコン整流器が10年以内に機関車用の大容量の物が出来るって予想はしていたみたい。実際には5年で全出力の交流機が出てきた訳だが。
なので地上設備を整備しつつエリアを拡張するためのつなぎという意味合いもあったかと >>174
クハ169-901〜904→クハ455-321〜324
モハ168-901〜904→サハ165-102〜105
クモハ169-901〜904→クハ455-402〜405 日蔭の存在だからこそ価値があるが、
稀少価値が出てしまったが為に有名になることもあるね 試作区分としての900番台のはしりって何になるんだろう?
単独の試作形式→量産形式の900番台に改番
ってのと
最初から量産形式の900番台として落成ってのもあるかと思うけど 量産形式の試作要素を持つものとしては63のジュラ電とそれを改造した73系の全金属試作車あたりかな。
続くのがサロ153、キハ35、101-910、103-910といったところ。あとDE10やDE11-1901も
量産の先行製作分を改番したのが101、103
純粋に量産に先行して登場したのは711、781、201
量産の試作要素として登場後新形式に改番したのが165-900→169-900、209-950→E231-900
最初から900番台として登場したけど後が続かなかったのが713、207
試作形式から改番したのはED93→ED77、ED94→ED78、EF90→EF66、901→209 逆に次世代機の試作的ポジションなのに既存形式の続番で出てきたのって何があったっけ?
EF52のラスト2台→EF54に改番→EF14に改造
EH10 15→標準機に合わせるべく改造
ED70 19→早い時期に引退
これくらいは思いついたが… そもそも例があまりないでしょう
たとえば東急5200とか? 私鉄も試験的要素ぐらいは独自に考えて取り入れるが、
試作車とまで言うほどのものは実質的にメーカーの試作車であることが多いんじゃないか?
Wikipediaだとテストベッドという言葉が大好きな執筆者がいる
地方私鉄だと1系列1両2両でバラバラなのが珍しくないから試作とも何とも言わないが
技術の系譜的には明らかに試作車にあたる、ってのもある
北陸鉄道のしらさぎ号とか >>192
私鉄だと阪急C#2842C#5863C#7310C#8001 文字化けかと思ったぞ…
その中でこのスレに該当するのは試験的なVVVF車として落成した7310だけだな
2842は転用の結果の異端だし、他は既存車に新型機器搭載した試験だろ 民鉄の試作車といったら営団6000と都営10-000でしょ。 25-901〜
試作車でも何でもなく、ただ番号があふれただけだ 交流試作機とかメーカー借り入れDLとか「特殊機関車」の括りで40番台に押し込んでたのを、わざわざ改番して90番台に編入したのってなんでだろう?
特に空番か逼迫してたようには思えないけど 「9」という響きが異質というか異端というか
そういう語感で決まったんじゃないですかね 俺が知っている試作要素が強い車両
西武2097F(唯一のVVVF車、6000系の試作車要素が強い)
京急1701F(VVVF先行試作車との説があり、座席がチョッパ車と同じ非バケットシート)
京急608F(4次車唯一の8連、2100形の試作的な意味合いもあり?)
小田急1081F(唯一の8両固定編成、2000形の試作的な意味合いがあり、自動放送・IGBT-SIV試験採用)
東武11480F(VVVF試験車、現在は50000系列と同じVVVFに換装)
東急8642F(中間車4両が2000系の試作的な意味合いでVVVF)
メトロ9101F(量産先行車で細かいところが量産車とは異なる)
西武2097と京急1701はあっさり廃車になっちゃったが・・ >>206
京急1701って相鉄3050と同じことをやらかしたから廃車になったんじゃないの
元々廃車予定にはなかったとかで 05系ワイドドア試作編成05-114F
東西線初のVVVF編成(南北線以外の営団でも初)
。
営団では数少ないGTOインバーターだから、とにかく発車音がうるさい。
VVVFの試作の意味もあってか、後に量産されたワイドドア車は他の05系と同じチョッパに戻る。
2年後に、満を持して、うるさくないIGBTインバーターの06系&07系が出る。 うるさかったけど、今までに聞いたとこのない音だったもので
インパクトも強かった 415-1900は6ドアの近郊型版みたいなものだったのか? >>187
貨車ならば、
95キロにダウングレードした
ワキ50000じゃないだろうか?
ワキ10000からの改造車は59000〜で割り当て、
新製車両を50000〜の予定だったが、
結局新規は出ることはなかった。 それは形式として存在してることになるのか
マニアが勝手に呼称してるだけでは? 気動貨車というらしい
小学館の図鑑で読んだ「あまりに力が弱いので使えなかった」の解説がいまだに脳裏に残る
試作品でももう少しマシな造りにできなかったのかと 900番台じゃないけど試作車的存在、それはDE50のことでしょう。
子どもの頃、雑誌で存在を知りワクワクしたものです。
岡山で放置プレーが長かったけど津山で余生を過ごせてよかったですね。 試作車が「ヤ」になるのか「ハ」になるのかの差異はどう決まるのかな?
591系やキハ391は「ハ」で普通にクロスシートの座席があった791系は「ヤ」。もっとややこしいのは491系で改造で落成当初は「ヤ」だったのにのちに「ハ」に改称してたり(コレは実際に客乗せる運用についたのはあるが) >>228
電動貨車もバリバリ強力モーターなんてつけた例はない
貨車を牽く想定ないならほどほどのパワーで良いはず
その解説はかなり悪意が感じられる >>215
亀レスだが
2000の仮称だから違うと思う
それだと叡電のきららもこの中に入ってしまう キロ182-900みたいな先行試作ではなく、純粋な試作車で営業に供した一等車ってキロ60、キサロ90くらいか? あとサロ153-900があったか
ところでキロ60あげてみたけど、実際どの列車に使われたんだ? >>238
初代ビスタとかステンレスボディーの3000とか? 1450とか8069とか1250(→1251→1421)とか、それなりに有るな ステンレス3000系は量産前提だったのでは?
京都市地下鉄烏丸線乗入れ専用車との触れ込みでもあった
結局その役割は後年に登場した3200系に譲られるが、
両形式の間にそれほどの相関関係は無い ナコ座
スロフ12−915、916
基本的にお座敷列車は800番台でしたが
展望室を設定したから+100されましたね。 雑誌鉄道ファンにはそのように紹介されていました(キリリッ たしかにキワ901が使い物にならなかったというのはどこかで読んだなあ‥‥ 性能が悪いからではなくて、非電化線で単行を前提とした小ロットの手荷物輸送の需要が想定より少なかったためでしょう もう1965年には小口軽トラ運送業者が国内に1000以上あったようだ 近鉄3000系は無塗装で走らせる案もあった
結果としては部分的着色で見映えも良かったと思う 試作車なの?
量産するつもりが諸事情で1編成だけになったわけではないの? 2説あるね
自分も試作車説を信じてたが鉄研の出版物などで量産説を複数見かけてからは気になりだしている やっと着いたぜ…はぁ…はぁ…何でお前は平気なんだよぉー! 湯たんぽのあだ名をもらった東急5200系も試作品の仲間? 256(σ・∀・)σゲッツ!!
256キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
256(・∀・)イイ!! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています