極限の気動車!181系 衝撃のターボサウンド Vol.1
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特急形気動車としてその快適性から好評を博していた、在来のキハ80系の設計コンセプトを踏襲しつつ、
キハ90系試作車における大出力エンジン開発の成果を踏まえ、国鉄の量産気動車としては初の500PS級
大出力エンジン搭載車となった、平成22年11月6日にラストランを迎えたキハ181系について語っていきましょう。
>>779
かもめが大阪朝8時台発であるのに対し、おきは11時台出発。ダイヤの込み具合が違うこともあるんでは?
新幹線岡山開業前の大阪午前11時頃は、新幹線接続で中国・九州方面に向かう特急、急行がたくさん出ていた時間帯だろ。 1971年、特急かもめ、上り
http://blog.livedoor.jp/railart/archives/cat_133009.html
1971年、特急おき、上り、下り
https://inacafe.exblog.jp/iv/detail/?s=2124989&i=200605%2F11%2F55%2Ff0027355_20225814.jpg
岡山・大阪間上りだと、かもめが2時間13分、おきが2時間6分。姫路での停車時間は共に1分。ただし、かもめが21時台大阪着なのに対し、おきは17時台着。ダイヤの過密度の違いではないかと。
ちなみに、この区間、電車特急も気動車特急も所要時間はほとんど差がない。平行ダイヤで走ってるんだろう。 向日町運転所担当のキハ181系特急「まつかぜ1・4」号は1〜4号車が
特急「おき5・2」号と共通運用されていたが、新大阪・大阪〜米子〜小郡間を
東海道本線、福知山線、山陰本線、山口線経由で長距離運用されることもあってか、
ときおり車両故障も起きて遅延することもあり、特急「おき」2号が遅延して米子に到着すると、
その遅れが「まつかぜ4号」にまで及ぶこともしばしあった。 >>776
キハ66.67は筑豊で乗ったけどうるさかったな。
車内がゴミで散らかってたのもあってカオスだった。 尾久客車区時代のキハ181系の方向幕の内容って御存じの方居られます?
聞いた話では、「平」とか「越後湯沢」とか、臨時列車を想定した通常の運用以外の駅のコマも入っていたとか?? >>777
それよりキハ181単行の本線回送でしょ
>>783
4VK電暖だったのも大きいかと
なお筑豊の客層についてはお察し >785
全般検査で後藤車両所を出場したキハ181が1両だけで鳥取または出雲市まで
試運転してから、DD51牽引の客車列車の最後尾に連結されて米子まで戻ってきたあと、
米子機関区に入区、しばらく留置ののち運用復帰していたな んでキロ180の場合は定期「あさしお」の通路扱いと言うw >787
日中の米子機関区構内には予備車のキハ180、キロ180が数両、または
構内の外れに1両、ときには洗浄線などにキハ58などと連結されて留置されていたが、同機関区では車両の移動開始時間や入換開始時間などがあるらしく、
検車係や操車係もその時間まで誰も車両に近づいたりしていなかったな。
日中でもときおり、編成組み替え作業などに備えて、キハ180などの前にキハ58などが連結されることはあったが。
夕方以降、「おき」や「はまかぜ」などが入区してきて、減車、増結作業などが
開始されるとそれまで分散留置されていたキハ180やキロ180などが、
キハ58やDD51などに連結されて移動開始されて、米子駅ホームからその作業見ているとホームから離れられなくなったな。 >790
中央西線電化後も、大阪発着の「しなの」1往復だけはしばらくの間、キハ181系で運転されていたな >>791
大阪発着の「しなの」1往復だけじゃなくて、名古屋発着のも1往復だけキハ181系で運転されてたよ >792
キハ181系「しなの」は夏場、先頭車故障などが多発して、DD51牽引で
名古屋に到着したりしてたけど、名古屋着後、名古屋で運転が打ち切られたか、
または名古屋からは正常な先頭車が改めて連結されて、大阪に向かったりしてたんだろうね >>793
キハ181系のトラブルってキハ181じゃなくて中間車のキハ180とキロ180で発生してた訳だが >794
キハ181系「はまかぜ」などでは、キハ180のドア横の故障を示すランプの白ランプが
灯いたまま走行していることがあったが、キハ180が1両不調でも走行に問題なかったのだろうか。
それともその不調車両だけエンジンカットされていたのだろうか キハ181+キサシ180+キハ181で製作されたロットが1つだけ有った筈だが
落成試運転は成績良好…だったんだろうなw 796
キサシ180は床下にエンジンを積んでいなかったから >>795
それこそ区の前を通る「つばさ」で白ランプの点いたやつが何両出たかを毎日見る羽目になったのが尾久や秋田の担当者 その気になれば先頭車だらけで組成も可能だったがトイレが無く問題になりそう
山陰のキハ181は片っぽの先頭車の発電エンジンを撤去してトイレ設置と客室拡大工事してもよかったのに
3両編成だとトイレが編成中に1か所しかなかった >>795
その書き込みの前に
>キハ181系「しなの」は夏場、先頭車故障などが多発して、DD51牽引で名古屋に到着したりしてたけど
の件について反論したんだから
それについて書き込んでくれ 宇都宮の富士重工の構内に、ボロボロの尾久のキハ180が1両放置されていたが、あれは何だったんだろう?
http://www.asahi-net.or.jp/~se1t-imi/tw_fhi.htm >800
昭和46年頃の鉄道ファンにキハ181系「しなの」が車両故障で走行不能となり、
DD51牽引で高蔵寺を通過する写真やD51牽引で木曽川鉄橋を渡る写真が掲載されていた >>802
それは先頭車の故障なのか?
あなたは
>キハ181系「しなの」は夏場、先頭車故障などが多発して
と書いてるわけだが >803
それらの写真の解説には、名古屋方先頭車故障によりDD51に牽引される
キハ181系しなの2号などとあった 805
古本屋でその古い「鉄道ファン」を立ち読みしてる時にその写真見て、
その解説読んだだけだからうpは無理
ただ、キハ181系しなのDD51牽引で検索したら、車両故障によりDD51牽引で
中央西線落合川鉄橋を渡っているキハ181系しなのの画像見れるよ >>806
大事なのは先頭車故障かどうかだから
こりゃ当てにならんな >>792
その「しなの」も末期の「つばさ」同様キサシを外して10両編成になっていたよね。 >>808
電化直前の脱線事故でキハ減車は出たがつばさ・あおばは最終日まで食堂車連結
仙台到着後尾久へ回送された最終あおばの編成(付属編成も送り返す都合10両編成で秋田→仙台を走った)までもがキサシあり キハ181系「しなの」は運転開始当初、エンジントラブルによる車両不足か、故障対策のためか、
キハ180の代車として、キハ91系の中間車が編成に組み込まれている事があったが、
キハ91系のシートはボックスシートだったため、この車両に乗車する客はこの車両が
指定席なら特急料金が100円でも引かれたか、自由席として使用されるなら料金はそのままだったのだろうか セルフラップ式電磁自動空気ブレーキは後継車種に波及しなかったな
キハ183系でオーソドックスな自動空気ブレーキに逆戻りしてる
縦軸式マスコンも画期的だったが201系や205系は「引いて力行」だがキハ181系は「押して力行」である
「引いて力行」の方が万が一急病で運転士が倒れた時にマスコンが押されてノッチオフになるので安全なはずだが「押して力行」だと力行しっぱなしになって危険な事態になりそう >>810
羽後四ツ屋だか四ツ小屋で廃車が出たんだっけ? 814
この事故では脱線したキハ181-13、35、キハ180-11は修理したら使えそうな損傷だったが、「つばさ」の485系電車化も近いとあって、修理されることなく廃車となった。 >>815
75年9月5日の上りつばさ2号のことだね。
あの周辺はロングレール化工事中だったが
前日の残暑でレールがたわんだために、車両が脱線した。
181系気動車も尾久から名古屋に転属して「ひだ」に投入される予定だったみたいだったが、前述「しなの」のトラブル頻発に懲りたからか、見送られた。
結局、高松と米子の増備となった。
「つばさ」も485系電車化を急ぐあまり、1000番台の落成が間に合わず
暫定的に青森区の「いなほ」用車両を借りて75年11月26日から運転開始した。
181系気動車も、尾久から名古屋へ転属して、「ひだ」に投入される予定だった >>816
>暫定的に青森区の「いなほ」用車両を借りて
スレチになるのですまんが、一時的に青森車が入ったんか?
長崎佐世保電化用の門ミフ車を一時的に秋田に入れたのは知っているが。 >>812
キハ183はCLE方式な点は181と同じだが、北海道の機関士はずっとキハ82を運転してきたこともあってマスコンは左右に動かす旧式なものに戻された。
クラッチもキハ181はフルシンクロ接続型だが、183は半マニュアル接続型になってる。
ディスクブレーキは82系にも標準装備だったが、制動時にピッチングやロックを起こしやすいので、183系では旧式なシューブレーキに戻した。 >>817
南福岡区が中心だったの?
盛アオ車も見たけど..
青森は485系はいろんな区の車両が出入りしてたからな..
「白鳥」は大ムコだけじゃなく「雷鳥」と同じ金サワ車だったり。 >>816
電車化を急ぐんじゃなく、本格的に雪が降る前に電化工事を終わらせたから、電車を走らせようってことで、とりあえず使用予定のない、かもめ・みどり用の南福岡の485を使ったってことじゃなかった?
485の1000番代は、元々、翌年の3月改正に合わせて製造してたのでは? >>771
山陰・四国では国鉄時代はあえてキハ80系の性能に合わせてダイヤを設定してたからな。
以前のしなのやつばさみたいにキハ181系本来の性能で運行するようになったのはJR化直前の1986年11月以降。 821
キハ181系化された当初の米子発京都行き特急「あさしお」2号は、キハ80系時代と同じ米子7時発、倉吉7時47分着、同47分発、京都12時21分着だったが、
京都着がキハ80系時代より、1分早い、
昭和60年3月改正で列車番号が「あさしお」4号に変更されてから、
米子7時発、倉吉7時43分着、倉吉同44分発、京都12時18分着と、
キハ181系の性能によるスピードアップもわずかながら行われていたな。 「ひだ」の件は名古屋局が全力で拒否したんだよな
東北新幹線の名称を巡って盛岡局が「はやて」を避けるよう国鉄本社へ陳情した話と似ている 然しクーラーの真横に放熱器って…
同じ路線にキハ66/67使用の急行を走らせたら特急の面目丸潰れだったろうな… >824
キハ181系「しなの」の車両トラブルに悩まされた名古屋機関区は、これ以上、
扱いづらいキハ181系の整備や修理はしたくないという理由だったな。
そのため、「ひだ」には「おき」のキハ181系化で余剰となったキハ80系が転用されたな >>826
そのエピソード有名だよね
余程恨まれていたんだな 名古屋機関区も急行用のキハ65はスンナリ受け入れてたけどな。
キハ65は機関や変速機、台車はキハ91系やキハ181系とほぼ同じなのに不思議な気もする。 エンジンや変速機の機械的なことじゃなくて、変直自動とか制御系の面倒を見るのが大変なんでしょ 当時は国鉄の労使関係の対立などの問題もあって、名古屋機関区での受け入れを
断られたキハ181系を米子、高松などへ転配しようとしても、車両数が足りているなどの
理由でどこの機関区や運転所でも受け入れを拒否された。 寧ろ東日本の山岳路線でキハ65は渇望されてたりして… がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! キハ65は特急用に改造されて「エーデル鳥取」などに投入されたが、最高速度は
95キロ、「エーデル鳥取」と「エーデル北近畿」用は窓配置は種車時代のまま、
中間車は運転台が残され、中間車の前面はキハ65のままで、展望車キハ65が
入場したときなどは、ときおりその中間車が先頭に出ることがあった。 >>828
すんなりでもなかった。
最初(46.4改正)に長野からもらった2両は気動車「きそ」の指定席冷房化で仕方なく(配置2両使用1両)、
つぎ(48.7改正)にもらった1両は「きそ」全車冷房化のため(配置3両使用2両)。
50.3改正で更に2両松本からもらうが、これは「のりくら」のハロハ編成の冷房化のため。
53.10で長野の余剰車3両をもらうが、これはキハ57転入を断った代償(当時の中の人の談)。
そのためキハ57の一部は冷房が生かせない小海線へ左遷。
名古屋のキハ65はこれで8両になったが、正直持て余し気味だったとおもう。
だからJR化の際、関西配置車4両を引き取ったのはちょっと意外だった。 極限のハゲ!181系 衝撃のターボサウンド Vol.1 JR西日本で試験的にエンジン換装したのあったな
結局没になって1両で中止された 特急「ひだ」のキハ181系投入は見送られたが、臨時特急「おわら」号として、
京キトのキハ181系が湖西線・北陸本線経由で富山から高山本線に越中八尾まで入線し、
キハ85系特急「ひだ」との交換も見られたな。 JRグループのTVCMで模型のキハ181の2両編成を使ってる
趣味的にはいいとしても、客としては遠慮したい
>>818
北海道の踏面制動は雪対策の意味が大きいね 幻に終わったキサシ180の道内転用計画
もし実現していたらT車には無用の変態台車が嫌われまくっただろうな… >>842
キサシ80-1だけは渡道してそのまま運用を続けたけど後にエンジン2基を搭載し、客室を1区画つぶして水タンク室を置いてキシの903に改造されてたけど
結局5年ほどで廃車となった。
181系と80系は断面や車高が違うから混結不可だと思うよ。 じゃなくてキロ182を簡易売店にとどめた理由なんだが… 世が世なら「秋田リレー」に「あさしお」で使った車を転用したのだろうか ずっとぐるぐる回ってるスレだな
・「スポーツカーみたいな」
・「山陽線特急の『かもめ』に投入されれば・・・」
・「(長文)〜のだろうか」
・「津山線のトンネルでラジエーターこすった」
・「反力軸によって振動少なかった」
・「漁船用エンジンは海水を無尽蔵に冷却に」
・あとはギンコの痛い書き込みの跋扈
こいつが名無しで書いているっぽい部分もある がろんがろんがろんがろん、、、、、
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きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! >>848
オーバーヒート起こしてエンジンカット白色灯点灯で無音。 キハ80系もそうだが日除けが大型のロールカーテンで2列分まとめて閉まっちゃうので前後の人に声をかける必要があった
特急気動車はあれこれケチってるよな
キハ80もモケットが背面に張ってない >850
キハ80系のシートは背ずりが直角に近い角度に設定されていたため、
長時間腰掛けているとだんだん疲れてきた
キハ181系のシートは改良されてキハ80系のシートより掛け心地が良くなり、
長時間腰掛けていても疲労が少なくなり、背ずりの裏側にもモケットが張り付けられて、暖かみを感じさせてくれたな いずれにせよ走行系に電車より金がかかるから
接客設備にしわ寄せが行くのは仕方がないよ
製造費的にはキハ80とかキハ181>181系電車じゃないの? BotWのリンク、ゼノブレのシュルクでは…。
水平直列6気筒・総排気量14リットルの小型エンジンになったが、走りはかなり逆転している。
これも、軽量車体と、直結多段化のおかげですな…。
例え話ですが、戦場ヶ原 ひたぎ、黒神 めだかにおけるDML30HSEエンジンに
ベストマッチする最近の直結多段式の変速機を開発すれば、吉都走行性能は向上するでしょう。
しかし、12気筒もあるエンジン自体が省エネルギーの推進化の時代にはそぐわなくなっていますね。 小海線を走行したら標高が高くて空気が薄いのでターボの回転数が上昇して凄い音を発してただろうな
DMH17HとかNAエンジンは標高が高いと出力低下を起こすがターボエンジンは出力が低下しない代わりにタービンの回転数が上昇するので高精度が求められる
屋根上ラジエーターも空気が薄いと効きが低下して夏場にオーバーヒートが多発しそう >>854 標高が高くなれば空気密度が低下するために外気温も低下、1300mならば海抜0に比べて理論上、9度位低下することも考えないとね。 >>850 >>851 >>852 気動車は電車より格下扱いされていたから
内装も安っぽい。
急行も電車は空気バネ。気動車はコイルバネ。グリーン車の台車も
コイルバネ。酷い。
冷房に関しては言わずもがな。
急行おがなんて最後まで普通車に冷房がつかなかった。 >>850>>851>>852
1960年当時、冷房化の難易度
←簡単 難しい→
電車<<<客車<<<<<<<<<<<<<<<<<気動車 特殊なマスコンハンドルは他に591系やキハ391系での採用例があるのみで営業用では唯一だな
通常の横軸式マスコンが「引いて力行」であるのに対しキハ181系だけ「押して力行」になってるので万が一運転士が前方に倒れこむように失神したらマスコンとブレーキが両方ONになってしまう危険性があったのでは?
東急とかの両手ワンハンドルマスコンはフェイルセーフに優れてて前方に倒れこむように失神したら自然と非常ブレーキが掛かる 佐久間レールパークにあったキハ181‐1は運転台の圧力計が1個だけ外付けになってたな
JR西日本は全てパネルに埋め込んでる
キックダウンプッシュスイッチは初期車には付いてなかった 特急「あさしお」のキハ181系化は昭和57年7月1日のはずだが、7月1日からあさしお2・5号の1往復をキハ181系化という記述もある。
その記述が正しければ、57年7月1日の特急あさしお2号は京都到着後、キハ80系に車両が交換されて折り返しあさしお5号城崎行となったのか、
倉吉あさしおと城崎あさしおはキハ80系、舞鶴線・宮津線経由城崎行のあさしおはキハ80系で城崎到着後、折り返して京都到着後、キハ181系に車両交換されて、
折り返しあさしお7号米子行となったのだろうか 861訂正
7月1日からあさしお2・5号→7月1日からあさしお2・7号の1往復をキハ181系化 これか
http://www.railstation.net/duke/ressha/ltdexp_asasio.html
>1982(昭和57)年には伯備線の電化により捻出されたキハ181系に全列車が置き換えられた。
>ちなみに同年7月1日から置き換えられたのは2・7号の1往復のみだったようだ。 >>863
キハ82系による「はまかぜ」と「まつかぜ3・2」号は昭和57年6月30日限りで姿を消し、
「はまかぜ」2往復と「まつかぜ3・2」号は7月1日からキハ181系で運転されるようになった。 >>859
キハ181系のマスコンは、横軸だから211系電車と同様なものかと思ったら、
押して力行、引いてノッチオフといった逆配置だった…。
おまけに、マスコンにはばねが入っていないので、ノッチを入れたら手を離してもノッチが戻らない。
211系電車、キハ110系気動車のマスコンはばねが入っている(鉄道博物館で実物に触れて確認済み)。 >>868
キハ82の運転台はキハ58や電車などと同様、右がブレーキハンドル、左がマスコンの
通常タイプだった。
キハ181の運転操作は自動車でいうとAT車の運転に相当する
向日町運転所のキハ82系特急「はまかぜ」などがキハ181系に置き換えられる2ヶ月ほど前から、
山陽本線や舞鶴線などでキハ181系の乗務員訓練が行われていた。 どっかでキハ181系の運転台を客が操作可能な形で展示したらいいのに
京都鉄道博物館でシミュレータにするとか 新快速電車に乗って、京都総合運転所を車窓から眺めていると、キハ181系の
予備車のキハ180が数両、洗浄線に留置されていたり、ときおり洗浄線近くの
留置線にキハ181が1両ポツンと留置されているのが見れたりもした。
最近の京都総合運転所は24系、14系、485系、583系、キハ181系、キハ65系の配置が無くなってから、昔に比べ活気は無くなっている。 >>859
レバー式カランも全て上吐水になったのは結構時代が下がってからだからな。 >>872
阪神大震災で上から物が落ちてきて出っ放しになる事例が多かったとか説があるがどうなんだろ キハ181系気動車は、アニメキャラに例えるなら、めだかボックスの黒神 めだかだな…。
黒髪ファントムは、キハ181系がエンジン全開で時速95キロほどで走るのに近いからな。 特急「まつかぜ」1号で13時43分に米子に到着後、切り離されて特急おき5号として小郡へ向かう
キハ181系と小郡から「おき」2号で米子に14時08分に到着後、特急「まつかぜ4号」となるキハ181系は米子で30分〜1時間近く小休止していたが、
やはり長距離運用とあって、エンジンも少し休めないとエンジンに負担がかかったり故障につながる恐れもあったのだろう。
米子駅停車中や、小郡機関区などでもキハ181系特急「おき」の車両点検、仕業検査は行われていた。 じゃ博多まで足を伸ばしてた頃のまつかぜ1号/4号(キハ82だが)はどうなるんだよ。 がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
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きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! 国鉄時代の四国は最高85キロで幾ら何でもオーバースペックだった感あるよな
変速段しか使わなかった?
かといってキハ82を四国転用したら今度は土讃線の急勾配がきつい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています