極限の気動車!181系 衝撃のターボサウンド Vol.1
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特急形気動車としてその快適性から好評を博していた、在来のキハ80系の設計コンセプトを踏襲しつつ、
キハ90系試作車における大出力エンジン開発の成果を踏まえ、国鉄の量産気動車としては初の500PS級
大出力エンジン搭載車となった、平成22年11月6日にラストランを迎えたキハ181系について語っていきましょう。
予讃線はそんなもん。
それでも多度津〜松山間は国鉄時代から一線スルー化が進んでたからな。 そんなことはないよ。
大体の駅は、100km/hだったし。海岸寺、詫間、高瀬、本山、豊浜、箕浦、川之江、伊予寒川、伊予土居、関川、中萩、石鎚山、伊予小松、伊予三芳、伊予富田、大西、粟井、伊予和気、三津浜、後に波方、菊間、浅海、大浦、伊予北条 じゃあ、伊予亀岡が80km/h制限なのは構内配線が変則的だから?
確かにあの駅は通過線の両側に退避線があるけど。
―→―←―
←高松 / \ 宇和島→
――――――→―←―――――――――
\ /
――←――
伊予亀岡駅
―→―←―
←高松 / \ 宇和島→
―――――――→―←――――――――
予讃線多度津以西の一般的な特急通過駅(側線などは省略)
(原田勝正・宮脇俊三『山陽・四国920駅』小学館、1993年) >>384
その昔、ドイツが戦時賠償でイスラエルにあげたディーゼルカーもすぐ客車になったそうだ。 >>428
ちがう。
伊予亀岡の今治方1番線・2番線の分岐がYポイントになっているから。
駅の形や前後の速度制限の関係(松山方もポイントを交換したけど90km/hの制限)
で。 >>430
/つ_∧
/つ_,∧ 〈( ゚д゚)
|( ゚д゚) ヽ ⊂ニ) まじっすか!
ヽ__と/ ̄ ̄ ̄/ |
 ̄\/___/ はまかぜ最終日の「お別れ」の扱いの極端な偏りは何だかなと思ったわ。
下りだけで、しかも山陰区間まで乗り進めないと引退演出やら記念物配布を扱わないってさ・・
上り6号なんて大阪終着前の放送でも一切触れずにそのまま終了w
乗り込んでも車掌も巡回しないまま大阪に着いたし、どんだけw
せめて記念&証拠に車内改札印をもらおうと、大阪到着後に客出し→閉扉までの僅かな間に
必死に車掌を捜し当てて即依頼したら、スタンパーだけ手に持ってたのは
唯一レチGJだったけどw 補足
車掌室じゃなくてドア付近に立っててそんな姿だったんだよw
俺が声掛ける前にも貰ってた人が居た。最後の最後に空気読んでくれて有難うレチさん 車両更新なだけで、「はまかぜ」という列車自体は存続するんだから
そんな大げさなイベントを期待するのが甚だしく勘違いだ。 キハ181系のスレなんだから181系好き目線での語りになるのはごく自然なのにね 最終はやぶさの熊本到着前の車内放送も何も無かったよ。
そのごくいつも通りが良かったのかな・・・ 東京オリンピックまでに女性専用車の廃止させよう
<女のわがままを満たすために、男性が混雑や改札/階段から遠くなる不便さを押し付けられています>
この映像で混雑差の具合が分かりますよ
http://www.youtube.com/watch?v=cPWYZ0qm6FU&feature=channel&list=UL
オリンピックで来日した海外の男性にまでも及ぶ男性への侮辱
女のわがままを許容してしまった日本の恥
男性を差別した悪質な女のわがままである女性専用車両をを廃止させよう 復活
www3.nhk.or.jp/news/html/20130907/k10014366821000.html がろんがろんがろんがろん、、、、、
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グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! >>447
もうあのエンジン音は聞けないんだよなぁ・・・。 キハ110系気動車のエンジン音もすごいぞ。
共通して言える点は、ギアが上がるとき、一瞬だけエンジン音が途切れること。
この点を覚えておけば、変速段、直結1段、直結2段の違いがわかる。
速度計を見ながらの方がどの速度域でギアが上がるのがわかる。
まずは、5ノッチでめいっぱい引っ張る運転士さんを見つけましょう。
そうしないと、気動車は元気よく加速してくれませんから。
変速段=0〜50km/h
直結1段=50〜70km/h
直結2段=70〜120km/h
車種に拠って、直結2段は75km/h以降で入るものもあります。 架線の分岐箇所がどうとかで
電車特急が110km/hしか出せない区間で
120km/hが認められていたケースがある
ってホント? キハ40の場合、概ね60km/hほどまで変速運転で引っ張るよな。
※実際には70km/h付近まで変速段で引っ張れる。
このため、1段3要素型のやつは常用速度域の大半が効率の悪い変速段で占められる。 運用実態はともかく、設計思想として高速巡行向けの
キハ181系が80km/h台で変直切替なのはわかるんだけど、
主にローカル線鈍行向けのキハ40系列は何でそうなんだろ。
このタイプの変速機は伝達効率自体も低速タイプより悪いよね。
4,50km/hで切替ならだいぶ経済運転が出来そうなもんだけど。 つばさ時代のキハ181系に乗ってみたかった。
東北本線を120km/hで駆け抜けるキハ181・・・嗚呼魅惑のターボサウンド。 はまかぜが最後までJR神戸線で120キロ運転やってたがパワーを下げてたせいか迫力に欠けてたような 晩年に智頭急行でかつてを思わせる走りを見せてくれた
全盛期をとうにすぎた「はくと」が表定速度の最高じゃなかったかな でも、瀬戸大橋線では最大の騒音源と言われてなかったっけ? >>457
そうだと思ってたら、実はキハ185でも大差なかったはず。 >>456
「スーパーはくと」は智頭急行では最高運転速度が130km/hだった。
「はくと」は智頭急行では最高運転速度が110km/hだったんだが。
「はくと」は東海道本線・山陽本線では最高運転速度が120km/hだったけどね。 速度計の歯車が動輪に直結しているタイプの車両では、空転を起こした場合、当然速度計の針が上がる。
これでは空転を起こした時に一時的に速度がわからなくなるので、EF63とかは遊輪に速度計の歯車が付いている。 181初見参は197x年、上井(現・倉吉)駅であった。
58/28の急行で交換待ちのとき、あの轟音がやってきた。 >>460
新幹線0系で問題になったような
滑走するとATCが誤作動するとかで問題になり速度検知軸だけブレーキ力を50%にする細工を施してた
最近の車両は中間車に速度検知軸を設けるようになった >>462
E233に至っては、先頭車両ながら速度検知用の車輪にはブレーキが装備されていない。 スポーツカーみたいな気動車だったよな
大出力だけが売りだった 大出力なしでは、東北線福島まで電車特急並みのスピードで飛ばせない。 がろんがろんがろんがろん、、、、、
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コンコンコンコンコンコン
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! キハ181はトンネル内壁にラジエーターを擦るために津山線入線禁止ってマジ?
やくもで津山線迂回運転やったら擦ってしまったらしい 国鉄時代、向日町運転所ではキハ80系「まつかぜ」用のキシ80やキハ80などの
予備車とキハ181系「あさしお」「はまかぜ」に連結予定のキハ180が連結されて
留置されているのをよく見かけた。 >>464
外観は平凡なのにあの運転台デザインも当時としては大胆すぎるよな
その後縦型マスコンは201系までなかったし、その後の203系も従来型だった
運転台だけみると黒基調・ブラックライト採用などとても1970年代の車とは思えない
運転台の斬新さだけを見ると国鉄ではEF66とともに双璧だと思う
(でも俺がウテシなら絶対運転したいとは思わないし組合からも難癖つけられたと思う) 新大阪〜出雲市間を山陽・伯備線経由で結んでいた特急「おき」は、
中間車にサービス電源用のキハ181が入らない10両編成だったが、
両端先頭車からの給電の問題はなかったのだろうか
キハ181系は8両編成以上の編成を組むときは中間にキハ181を連結しなければ
ならないはずだったが 給電区分は自車含めて5両(キサシ含むと4両)だと思うが >>470
「しなの」が10両の時も電源車は両端2両だった(47.10の国鉄の運用図表で確認)。
10両まではセーフじゃなかったかな。 向日町運転所所属のキハ181系と米子運転所のキハ181系は、
ドアの位置が向日町車は米子寄り、米子車は大阪寄りとなっていたが、
なぜ車両の向きとドア位置が異なっていたのだろうか
キハ80系の「あさしお」などの置き換えのためにキハ181系が米子から向日町に
転属したときに、ドアの位置と車両の向きを向日町運転所のキハ80系と揃えたためだろうか >>472
初期車は発電エンジンの容量が小さく8両貫通が限界 古い鉄ピクに載ってたけど、長野発大阪行きのキハ181系「しなの」2号が
名古屋方先頭車が故障で切り離されたため、DD51の重連にけん引されている写真が載っていた。
同列車は名古屋駅に53分遅れで到着したという。
同列車は名古屋で運転を打ち切ったか、名古屋から予備のキハ181が連結されて、大阪へ向かったかは
不明だが >>474
「しなの」登場時は9両だったはず。
鉄道ジャーナル1968年(昭和43年)10月号によると、キハ181の給電能力は5両、
但し食堂車を含む場合は4両とある。
また、キハ181系の紹介記事は9両セットで図面が載っている。
この記事の著者は谷雅夫氏(国鉄車両設計事務所) 「しなの」や「つばさ」のキハ181系は夏場になるとよくオーバーヒートや車両故障が
多発したというが、「やくも」や「南風」などではそういうことが少なかったのは、
所要時間が少し長くなってもエンジンに負担をかけないような走行や、過酷な運用をしなかった
からではないか キハ181系は平坦線での120キロ運転を想定していたので山岳路線への投入は想定外だったはず 「あさしお」、「はまかぜ」などもキハ181系化当初は、
キハ80系時代のダイヤと速度で運転されていたようだ 山陰みたいなカーブばっかりで巡行速度が遅く、
特別急勾配でもない路線が最も181系の性能を発揮しにくい。
そんでも所要時間延ばさずに停車駅増やせたのは181のおかげかと。 境線大篠津駅構内に留置されていたキサシ180の車内はイスが散乱したりしていて、
車内はかなり荒れていたような感じだった >>478
昭和62年3月改正で高松−松山間が110km/hになった後は、しおかぜで
エンジンカットが続出したんだけどね。
それ以上にキハ185系のほうが車両故障がひどくて大変だったらしいけど。 米子市内のスクラップ工場に引き取られたキサシ180はもうすでに
解体されて鉄クズになって現存していないと思うが キハ80からキハ181への変わり目の頃はフルノッチ運転すると速度が出過ぎるのでノッチ制限していたのでは?
キハ126が落成当初高速化工事が未完成だったのでノッチストッパーでノッチ制限してフルパワーを出せないようにしていたが キハ181-101は電源装置がキハ183系からの発生品だったようだ 米子運転所のキハ181系は西は小倉・博多、東は京都、大阪まで
広範囲にわたって運用されることもあって、エンジンもかなり酷使されて
いるように思えた 特急形車両で、回転クロスシートに乗ったのはキハ181系が始めて。
あのシートなら185系の転換クロスシートと大差ないと感じたもんだ。 >>478
山陰や四国では仮にキハ80系で運行しても余裕のあるダイヤで運転されてたから。
もし土讃線をフルノッチなんかで走ってたら中央西線や奥羽線と同じようなトラブルが発生してただろう。
それに四国にはキハ65が既に投入されてたからDML30系エンジンの扱いに慣れてたしな。 キハ181系のブルーの回転クロスシートは背ズリの裏側にもモケットが貼り付けられ、
キハ80系のシートよりも掛け心地が良く、温かみを感じた >>490
国鉄時代の四国特急は最高速度85キロとかとてつもなく遅かった
高速化されたのはJR化以降 向日町運転所に夜間、キハ181系の「あさしお」・「はまかぜ」・「まつかぜ」が
回送されてくると、給油、清掃、点検、編成減車、増結などの作業が行われていたが、
各列車に使用されるキハ181系は翌日以降も同じ編成が「あさしお」などで運用されて
いたのだろうか。 キハ181系は平坦路線を120キロで走るのに特化した設計だったので屋根上の巨大ラジエータは山岳路線ではあまり効果が無く設計ミスだったとしか思えない
キハ65みたいに強制風冷式を床下に設置すればオーバーヒート多発は無かったのに
先頭車のキハ181だけは滅多に故障しなかったとか 米子運転所に夜間留置中のキハ181系のヘッドマークの盗難が相次いだ時、
盗難防止のために米子車はマークの止めネジが南京錠に交換されたが、向日町車は
マーク取付け部にロック式の重厚な金属枠を取り付けてマークをその中に収納して
容易に外せないように改造されていた >>495
HM交換に貫通扉を開けないといけない構造になって一見防犯性が高まったように見えたが
夜間留置中に結局盗難にあうという・・・盗まれてもお値段的に高い枠まで持っていかれるのを避けるための対応だったか? >>492
重箱の隅のようだが、
高松−多度津間は95km/hだった。
昭和61年11月改正で多度津−松山間も95km/hになった。
昭和62年3月改正で高松−松山間が110km/hになった。
一応の高速化はJR発足直前だよ。 >>498
名目は補助冷却装置だったが強制冷却式がメインになってて主従逆転してた キハ181系の「はまかぜ」は播但線から山陰本線に入ると、
数分遅れることが多かった。単線区間での対向列車の遅れや、
キハ181系の性能面や山陰本線の線形の悪さもあったのだろうが 「あさしお」、「はまかぜ」がキハ181系化される2か月ほど前から、
米子機関区のキハ181系の一部が一足早く向日町運転所へ転属し、
山陽本線や山陰本線、舞鶴線などで乗務員訓練が行われていた。 北海道にも導入されていたらどうなっていたか
北斗で120キロ運転とか石北本線の常紋峠を高速で越えるとか大迫力になってたはず
しかし折戸から雪が入り込む懸念があるような
711系試作車も最初4枚折戸だったが隙間から雪が入り込むために結局引き戸になった 特急あさしお6・7号、はまかぜ2往復を米子運転所が担当していたころ、
多客時の増結時は同所のキハ180の両数が向日町運転所に比べて少ないこともあって、
キハ181が米子寄り先頭車の次位に1、2両連結されることがあったが、この編成は見た目が
決して良い編成とは言い難かった。キハ181を中間に組み込んでいれば見た目は良かったが 昭和60年3月改正で博多「まつかぜ1.4号」がキハ181系化された時、
それまで8両編成で運転されていた向日町運転所担当の「あさしお」全列車と倉吉「はまかぜ」1往復が
基本7両に減車されたが、「まつかぜ1・4号」用のためのキハ180を捻出するための減車だったのだろうか
またこの時点で、向日町運転所ではキハ181が不足したためにキハ180を先頭車化したキハ181-101が向日町運転所に配置されたが、
この車両は同所のキハ181が検査入場時や臨時列車に使用されたときの予備先頭車を確保するために配置されたのだろうか ミャンマーに売る時も、グリーン車入れるより先頭車をもっと多めにした方が良かった。 あんなお頭ばっかりで身の少ない車両は最小限しかいらんだろ。 舞鶴線を走行中の特急「あさしお」は最後尾のキハ181のテールライトが片方しか
点灯していないことがよくあったが、(キハ58系の急行「丹後」も同様)
球切れか、整備不良だったのだろうか >>511
国鉄時代はよく片側点灯見かけたけど単線区間のためだったのか
何で入れ替え標識なんだと思ったけどやっとナゾが解けた 今でも好かん。
正式な列車じゃないみたいで。
ムシャクシャしたから和田岬線のオハ64系で
片点灯なのを両点灯にしたったら
車掌が気づいて片点灯へ戻しやがったw
さらにむかついた 目視で先行列車の検知をする可能性がある場合は、
尾灯2個以上必須ということか。
単線でも閉塞信号があると駄目なんだな。
山陰本線は閉塞信号あったような気がするけど、
>>510の例は綾部で切り替えてたんだろうか? そういえば、昔の車両は電車を含めて左側にしか後部標識ないよね。流電ことモハ52あたりまでかな? 「いなば」や「はまかぜ」では、ヘッドマークの代わりにときおり貫通扉のヘッドマーク取付け部の
蛍光灯の入った小窓に「はまかぜ」などと書かれたステッカーが内側から貼られていることがあり、
マークが小さくなって見えにくいことがあった >>518
それって、ヘッドマークが盗難にあって所要数が足りなくなった為の処置じゃないの? ヘッドマークって運用表作って厳密に管理してたんで
結構予備が少なかったらしいね
盗難や破損があると大変だったみたいだ キハ181系の特急「まつかぜ1・4」号は1〜4号車が「おき5・2」号と共通運用だったが、
「まつかぜ」1号か「おき」2号が遅延して米子に到着する場合は、どうしていたのだろうか
「おき」5号や「まつかぜ」4号が遅れて米子を出発したか、米子機関区の予備のキハ181系で「おき」5号を仕立てたり、
または予備のキハ181系を「まつかぜ」1号の米子回転車に連結したりして上り「まつかぜ」4号を仕立てたりしていたのだろうか >>515
実体験例では、少なくとも国鉄時代の因美線(通票区間)の単行列車は片点灯だった。 キハ181系の特急「はまかぜ」5号は鳥取行きだったが、方向幕が、
「特急はまかぜ 浜坂⇔大阪」となったまま、東海道、山陽本線を走行していることが
よくあったが乗客は戸惑わなかったのだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています