極限の気動車!181系 衝撃のターボサウンド Vol.1
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特急形気動車としてその快適性から好評を博していた、在来のキハ80系の設計コンセプトを踏襲しつつ、
キハ90系試作車における大出力エンジン開発の成果を踏まえ、国鉄の量産気動車としては初の500PS級
大出力エンジン搭載車となった、平成22年11月6日にラストランを迎えたキハ181系について語っていきましょう。
そもそも儲かる路線は電化
気動車は儲からん路線の代名詞 >>303
でもキハ181系は相当金かかってると思うぜ >>302
気動車が高すぎるからコストダウンしているのでは。 >>302
HOT7000は横引きカーテンをリニューアルでロールカーテンにしたぞ
揺れの問題で カーテンに関しては東車両に多い、一列毎に開閉できるロールカーテンが一番使い勝手はいいと思う。 エンジンにカネが掛かってカーテン代ケチったのかな? >>302
キハ80系の普通車座席の背面にはモケットが貼ってなかったが、
キハ181系の普通車座席の背面には貼ってあった。 >>289
高松発着の昭和62年3月改正で高松−松山間が110km/hになってから速くなった。
岡山発着になってからでは、茶屋町−児島−宇多津間が110km/hとか120km/hだったけど
茶屋町−児島間は普通列車の続行だったりして速いというイメージはない。 昭和50年代でもしおかぜは速い印象がある。当時もっと遅い電車特急があちこちにあったような その頃の四国は殆んどの区間で最高85km/hじゃったろ。 >>311
大分以南の単線区間ではにちりんがトロトロ走りだったな 単線区間は、行き違いに一線スルーがあるのとないのとでは、駅の通過スピードが大違いですね。 >>311
昭和61年11月までは、予讃線高松−多度津間95km/h、多度津−宇和島間85km/h。
昭和61年11月からは、予讃線高松−松山間95km/h。
昭和62年3月からは、予讃線高松−松山間110km/h。
平成2年11月からは、予讃線高松−宇和島間120km/h。
平成5年3月からは、予讃線坂出−松山間130km/h。
平成7年ごろからは、予讃線高松−松山間130km/h。
昔は電車のわかしおが表定速度60切るとか、鈍足なのが他にたくさんあったからな。
キハ181のしおかぜでも相対的にマシに思えた。 昭和50年代のみどりなんか電車特急と思えないほど遅かった。
>>316
しかし、昭和36年10月改正のキハ58/55による急行「四国」の
高松−松山3時間切り・表定66km/hから大して速くなってなかったからねえ。
改善されたのは乗り心地ぐらいか? >>昭和36年10月改正のキハ58/55による急行「四国」の
>>高松−松山3時間切り・表定66km/hから大して速くなってなかったからねえ。
昭和36年当時は3時間切れてなく(3時間5分)、3時間切れは昭和40年で、表定66km/h
は昭和43年じゃなかったっけ?
どうとるかだけど、昭和47年3月改正でのしおかぜの高松−松山間は
最速2時間41分。その後はしばらく停車駅が増えて遅くなっていったが、
昭和62年3月に最速2時間34分に。平成5年頃に2時間20分になって
いった。 昔特急やくもで伯備線が不通になって津山線を迂回したところトンネル内壁にラジエーターをこすってしまったってマジ? 【ミャンマー国鉄】元JR西日本キハ181系 まもなく再起
ttp://rail.hobidas.com/rmn/archives/2013/01/jr181_17.html
元の車番判る人いる? >>331
推測だが、トンネル径が小さくて電化できなかった北上線で定期運用持ってた車両だぞ?
津山線で走行不能になるとは考えづらい。 『鉄道伝説』
第2回「キハ181 〜高速鉄道網を全国に完備せよ〜」
BSフジ 2013年1月19日(土)23:30〜24:00
http://www.bsfuji.tv/top/pub/tetsudo_densetsu.html もしも北海道にもキハ181系が配備されていたらどうなっていたことやら
キハ183系0番台はキハ82と大して性能が変わらずしょぼすぎw >>336
折戸に雪が吹き込んであっという間に使用不能になって終了。
台車の構造上引戸への改造は困難なはず。 >>336
北海道への181系配備、しなのややくもが電車化された際に妄想していたな。
折り戸の問題をクリアーし、函館−札幌間の海線を120km/hで突っ走れば、
当時の国鉄最速特急になっていたかもしれない。 >>337
吹き込みは、同じく折戸の583系ゆうづるで経験したけど、
あれでも長年頑張っていたな。 >>337
北海道で折戸は711系試作車でやってた
しかも4枚折戸
戸袋に雪が詰まって開かなくなるのを懸念したらしいが隙間風が吹くため結局引き戸化された N183が事実上181の北海道仕様みたいなもんだろうな。
あまりに時が経ってるがw 日本だって北海道のバスは折戸だよ。
鉄道に限って問題が起こる特有の理由があるんだろうな。 ロシアの雪って日本の雪と違って乾いてなかったっけ?
『鉄道伝説』第2回「キハ181 〜高速鉄道網を全国に完備せよ〜」
bsフジ 2013年1月19日(土)23:30〜24:00
ttp://www.bsfuji.tv/top/pub/tetsudo_densetsu.html
ttp://www.bsfuji.tv/tetsudo_densetsu/
80系から歴史を辿るみたいね 特急がっかり事故ばっかりと貶したマスゴミ記事出るかな >>345
見たが貴重な映像は嬉しかったが、ずいぶんいい加減な内容。
キハ81系は各車に発電エンジンを積んでるから非力とか、
後にキシ80は走行用と発電用のエンジンを積んだとか。
それと例のはつかり火災は、床下機器に溜まった埃に
ブレーキの火花が引火した事故だが、なんかオーバーヒートが
原因と勝手に解釈されてるし。 >>348
>キハ81系は各車に発電エンジンを積んでるから非力とか、
これはそうは言ってないな。
「冷房や車内照明などのサービスに使う発電用エンジンが走行の大きな負担になった。
エンジンは各車両1機ずつしか積めなかったため、食堂車などには走行用エンジンを
搭載できなかったのだ。」 初期トラブルを無くすために日夜努力して改善対策練っているのに、
現場簿苦労も知らず特急がっかり事故ばっかりと貶す新聞屋。
努力改善もしないタイマンな行政や政治の方を叩くべきだろ。
マスゴミって奴は。 181が勾配線区用みたいな言い方だったな。
キハ80のトラブルは大きく扱っていたが、181のトラブルの件はスルー。
画像も「はまかぜ」ばかりで「やくも」や「いそかぜ」、快速運用がちらっと出ただけ。
一応「しなの」にも触れてはいたが、、、、 まあ、コメットの悪夢のような事態にならない限りは、気長に見てやる方がいいだろう、旅客機の場合。 >>350
現場も苦労してるみたいだし、しょうがないよね、みたいな書きようをするところがあったとしたら
それはそれでまずいとは思うけどね。 キハ181系というと、トラブルが多かったイメージしかない。 昔のディーゼルは無茶してるからなあ
キハ181系だけじゃない 参考資料
ttp://v.youku.com/v_show/id_XMzA1MjQyMzcy.html キハ181系は本来平坦線の高速走行向きのセッティングで山岳路線だとオーバーヒートが多発したとか
後期型からキハ66・67みたく強制風冷式小型ラジエータに変更すればよかったのに 500PSの大出力で変速直結の2段シフトってのが無茶ありすぎ
変速を低速高速に分けられなかったものか 美濃太田に留置されていた
国内最後のキハ180もついに解体されてしまったみたいだな。
歴代の列車の中で一番インパクトのある中間車だった。 2日に運び出されて、4日には解体終了という手際の良さ・・・なくなるときはこうもあっけないものか >>365
最近の軽快気動車だと変速段が2段付いてるのあるな(キハ40のJR西日本のエンジン交換車など)
直結段での変速は精密な制御が必要でキハ60でやろうとして失敗し実用化は1989年のキハ85まで待たなければいけなかった 鉄道車両での変速複数段は、エレキ仕掛けでエンジンの制御が
自由自在にできるようになってからの技術だわな。
昔はメカ仕掛けだからとてもじゃないがそんなデリケートな制御は無理。 思ったんだけど、書籍なんかで東京と上野間の走行写真はまずないね
走行期間が短かったというのもあるだろうけど 自動車用のオートマチックトランスミッションの技術を応用すれば直結段変速は可能だったかもしれないがロックアップが出来ないために伝達効率が悪くなってしまうな
DD51も充排油式変速3段で直結段がないが >>364
キハ90、91の頃から担当していた設計のトップが異動でいなくなり
後始末を押し付けられた新しいトップの人は少ない予算と短期での改修を強いられたので
理想的な改良は無理だった。 BS日テレ 3/28 23:30〜24:00
2nd Life Train ニッポン列車異国紀行〜ミャンマー編〜
◆第4回「新たなる旅立ち! ミャンマー編〜ティラワ支線の旅〜」
まずは、ミャンマー最大の都市ヤンゴンの中央駅で運転司令室を特別に見学できることに!
その後、車両工場を訪れると、そこには日本から輸入されたばかりの最新の車両が整備されていました!
翌日乗車したのは、キハ52と連結された平成筑豊鉄道の気動車。
様々な出会いや発見を繰り返しながら、ミャンマーの発展を握る特別経済特区へ。
その車窓に嬉しい光景が…。
輸入されたばかりの最新の車両がキハ181っぽい・・・予告映像にあったけどラジエターはなくなってた >>376
建築限界の関係で、屋根上ラジエータを撤去して低屋根化している。
床下に普通の冷却ファン付ラジエータもつけてあるはずなので問題ない。
ただし、使われるはずだった観光客向け列車が白紙になったとかで、運行開始は未定。 バス対抗のヤンゴン-首都間特急が結局こけて183ともども朽ちていきそうだな
レールバスも中国製DLもそうだが、結局ミャンマーの場合は
鉄道当局が長期ビジョンを持てないままに
格安で手に入る中古車を買っては場当たりに改造し、使い捨てているばかりで、
ノウハウ蓄積で日本の中古車両の体系的な運用に取り組んでいるインドネシアのようなレベルには
到底到達してないってことだな ミャンマー行った気動車って大抵すぐ自走できなくなって客車代用になるしな。 キハ58は苦労している(DMH17H車は全車撤退)が、LE-car・NDCの類は支線が無数にあるのでヤンゴンで見かけなくなったというだけで意外と生き延びている模様。 >374見たが、キハ181のラジエータファン部分はキハ82に近い
エアコン部分は屋根一部くり抜いて車内に下げてる改造だった
あの低さは頭ぶつけるぞ・・・バット状になってるから水溜まって腐食と雨漏りの可能性も。 >>380
異国の風土に馴染めずすぐに客車化というパターンだね
キハ181先頭車の保存は名古屋と津山にいるくらい?
ミャンマーに持って行き過ぎだな >>378
そういえばJKT48に対してYGN48も無いな >>384
国内にあるキハ181系自体その2両のみになってるよ
ミャンマーにもって行きすぎというより、その話がなければ早々に幡生で(ry
しかし台車の構造が災いして、客車化しても先は長くなさそうなのが・・・ 別スレでこんな質問があった。
100 :回想774列車:2012/02/18(土) 23:56:54.19 ID:jiMwjxxE
キハ181は「しなの」や「つばさ」も勿論だけど、
「かもめ」や「なは・日向」に投入するのもありだったんじゃない? ミャンマーでも、動力関係の保守整備は大変だろうから、
タイのキハ58みたいに動力系は全て下ろして客車化して使用する以外にないだろうな。 もしもJR東海もキハ181系を承継していたらどうなっていたことか
キハ82では高山本線や紀勢本線の急勾配が辛かったのでは?
JR東海は現在でも気動車は2桁形式に固執してるが
キハ181系は国鉄初の3桁形式の気動車である >>390
その急勾配よりもヘンテコな自然冷却ラジエター維持する方が辛かったらしい。
キハ65は維持してたからDML30系はそこまで嫌いではなかったんだろう。 >>391
冷却能力不足は凄かったみたいだね。
おまけにDML30系って水平対向の複雑なエンジンじゃなかったっけ(あやふや)?
それならば、当時は枯れて来たDMH17系で纏めたくなるのが道理かと。 >>390
DML30系のエンジンは、かなり問題含みだった様子。
Wikipedia「DML30系エンジン」参照あれ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/DML30H
ラジエータ以外にも機関の設計期間wの問題や、
燃焼室やシリンダヘッドや潤滑系から何から何まで極限の以下略・・ >>391
だからといって、好んで使っていた訳でもなかったそうな>名鉄局
分割民営化時に、天鉄局から4両引き取ったのには一寸以外だった。 181系の機関は投入当初はトラブルも多いと聞いた事があるけど、
なのに何故先頭車には屋根上の冷却器が付いて無かったんだろう。 >>395
電源エンジンも持ってるから、まとめて強制冷却にした。
こっちは大したトラブルもなかったので、最初の仕様のまま増備された。 >>396
あぁそうだったのか、納得w どうもありがとう。 >>398
うん。新性能配備ってより、ゴミ償却期限受け渡しだったんだね南風・・ 82系にせよ、181系にせよ、当時の特急機動車って、ゴミの新しいのと古いのしかなかったってこと?w 旧式で熱効率の悪い副燃焼室式ディーゼルをはじめ、旧弊な技術だけで大馬力を欲張った
更にはラムエアに頼ったラジエター冷却などという大博打に出た。保険も掛けずに
↓
熱力学の神様から当然の報いを受けた
という事か
空冷エンジンにとりつかれて失敗した本田宗一郎に似ているな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています