極限の気動車!181系 衝撃のターボサウンド Vol.1
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特急形気動車としてその快適性から好評を博していた、在来のキハ80系の設計コンセプトを踏襲しつつ、
キハ90系試作車における大出力エンジン開発の成果を踏まえ、国鉄の量産気動車としては初の500PS級
大出力エンジン搭載車となった、平成22年11月6日にラストランを迎えたキハ181系について語っていきましょう。
ネット巡回中にWikipediaに書いてあるキハ91組み込みは事実かって議論を見かけて気になったんだが
保育社カラーブックスに写真出てたのって知られてない?
746 ディーゼルカー(2)JRに出てるんだが…
登場時の「しなの」、って写真の5両目がキハ91 >>237
あれがついたときは、電源の引き通しをどうしてたのか気になる >>238
電源類は両車全く同じ。逆にキハ91が在来車と連結できるように変換用ジャンパを搭載していた。 キハ82とキハ181が混在していた列車ではキハ181だと早着してしまうのでノッチ制限が掛けられていたのでは? キハ181系で中間車が全部グリーン車の編成を組んだことはある?
理論上は可能であるが キハ181-キロハ180-キハ181でごく普通に存在しただろ? >>242
それって中間車が全部グリーン車といえるだろうか? 1両中1両の中間「車」がグリーン車だ
それは間違いない キハ181系の屋根上ラジエーターは雨の日なら気化熱で冷えるのでオーバーヒートを起こしにくかったのでは? 最長の利用は城崎→米子の快速かな。
なかなかの俊足だったけど、トイレが真ん中キハ180の1箇所だけというのはキツかった。
洗面所をツブして男子小用に改造すれば、トイレ不足も多少なり改善できたのではと思う。 >>248
3両中一カ所のトイレで何できついの?一般型よりずっと多いと思うけど。
おまけに定員の少ない181系3両だから、トイレを使う人自体、滅多にいない
ような気がするが。 長距離列車って主要駅が近くなるとWC行く人が多くなるんだよ。 くにびきのトイレで、ゲロをぶちまけた人がいて使用禁止になった時がある。
>>249
3両編成だと一ヶ所になっちまうと言いたかったんじゃね?
そりゃ特急はそれなりに距離走るし乗車時間も長めだから大変
そういや後にキハ120にトイレが無いとテレビで取り上げられ事あったな
山陰は老人が多いから、乗務員も客も色々と困っていた
>>242
時刻表の編成表上では、平成4年3月から平成5年3月の間に四国の181系のしまんと・あしずりで
キハ181-キロハ180-キハ181になっていたことになっているが、実際はキハ180が増結されて
4両編成になっていたから、その編成は存在していない。 キハ181-キロハ180-キハ180-キハ181の4両編成。 >>249
外国では通勤電車ですらトイレ付きがふつう、トイレが1両に2か所ある客車も多い
いったん降りれば1時間も列車が来ないようなローカル線でもトイレなしの車両がある日本は異常 お前山手線や埼京線に1両2箇所トイレ付いてもそんな戯言言えんの? >>258
違うわ。変速1段、直結1段で、トルクコンバータは3要素1段形のリスホルム・スミス式よ。
変速段において、高速域まで引っ張ることのできるタイプのトルコンで、
反面、起動トルクは弱くなるわ。
変直切替の目安速度は85km/hであるが、フルノッチなら50km/h程度で自動的に切り替わる。
回転数を検知して、自動的にギアを切り替えるからにゃ。 東京口界隈を5年ほど煙で賑わした伝説の車両なんだよね。
今の山手線なんか見てたら東京では全く考えられない。 >>260
別にそういう意味では伝説の車両ってことはないよ
準急日光の時代からディーゼルで東京駅まで乗り入れてたし
特急つばさだってキハ181系時代に始まったことじゃなく
キハ82の時から乗り入れてる 昔のディーゼルは煙がひどいからな。 鉄道に限らずトラック、バスもひどかった。 80年代半ばまでは常磐線にディーゼル急行あったしなぁ。 人の多い三ノ宮なんかで新快速待ってる人とかキハ181の煙を被ってたね
もう過去の話だけど >>263
東海道方面以外ディーゼル急行が走ってたけど
常磐線が最後まで残ったね (怒涛の十両編成!!) 唸るキハ181系金光臨 ラストラン!? (Full HD)
http://www.youtube.com/watch?v=cc0y3LC0H2s >>259
充排油式って買いてあるけど?
リスホルムは充排油しないよな
特急ひだにもキハ181系を投入すればよかったのに
山岳路線なのでキハ82では山登りが大変だったはず >>270
しなので散々苦労させられたからもう勘弁ってことだったんだよ 第3セクター鉄道がキハ181系を購入すればよかったのに
こうすれば観光資源になったはず ★JR酉が、いったん退役した181系をリメイクした寝台列車を検討中★
運行区間
始発駅 東淀川駅
経由 東海道・山陽線〜播但線〜山陰本線
終着駅 長門市駅
編成
・1号車 キクロハネロハシユニ181
エンジン撤去
運転席後方の機器室を郵便・荷物室に
その後ろにA寝台個室×1、B寝台個室(2人用)×1
さらに、グリーン車座席 1列 普通車座席 2列
電子レンジを装備した簡易ビュッフェ
・2号車 キサロネロ180
エンジン撤去
A寝台×4(上下段/プルマン式)
グリーン車座席×6列
・3号車 キハネハタ 180
エンジンを2000psに増強した直噴インジェクションターボ
B寝台×4(上中下段/プルマン式)
普通車座席 4列
後位側車内に石油運搬用タンク
・4号車
キクロシ181
グリーン座席×4
食堂車
運転台装備あり
・5号車
エンジン装備車
キハネ180
上下2段雑魚寝スタイル
・6号車
キクロネテ181
A寝台個室×8
車端側には展望室
2013.1月〜運行予定である。 国内にはもう181-1,12、180-1の3両しか残ってないのになぁ〜 せめて引退前のさよなら運転は国鉄色に戻してほしかった
津山駅に保存されているやつは搬入時に国鉄色に戻したが しなのでしんどいながらもノウハウ蓄積されたんだから投入すれば変わってたかも>ひだ
しかし国鉄労組はむちゃくちゃだな >>279 4.25、関西線鉄オタ立ち入りのおかげです >>282
60-70年代の国鉄といったら長距離輸送も通勤輸送も、旅客も貨物もパンクして、
おまけに赤字が嵩み始めて、無難なはずのMT54系電車やDMH17系気動車でさえ
長距離列車の平常運行確保に苦労してたんだから、国労じゃなくても拒否られて当然かと。
先の見えていた「やくも」以外のキハ181充転用先といったら
フルパワーの必要がない路線ばっかりだったし。 >>282
かなり懲りていた>DML30
実はキハ65もあまり使いたくなかったとのこと。
53.10での転入は、仕方なく受け取った。
労組関係なく、上部も拒否していた。 >>285
大事なところの主語省略するの止めた方がいいな 空いてる時に調子よくて混んでる時期に故障してたら嫌われる >>288 高松発着の時? それとも岡山発着に変更されてから? キハ181系は乗用車で例えるとスポーツカーみたいな車両か
国鉄バスでもスポーツカーみたいな性能のバスをメーカーに無理矢理発注してたし >>289
岡山発着のは
うるせえよって怒られて
ゆっくりのそのそと橋渡ってくイメージ 末期のはまかぜは車掌室確保のためだけにグリーン車を連結していた?
開店休業状態だった上にキハ189系では廃止になったが
しかも最後まで残っていた内装が国鉄時代のままのグリーン車だった カニの時期に必要なものを年中繋ぎっぱなしという感もある。 海外に送られて今どうなってるんだろうね
西色のまま走ってるんだろうかな >>293
国や兵庫県の出張規定でグリーン車が定められていたから年中必要ではあった
ただしグリーン料金をもらって普通車指定席に乗るので乗客はいなかった はまかぜのグリーン車は編成両数の割に定員48名と無駄に多かった
廃車発生品の2+1列シートに交換しても良かったのに >>294
DML30の整備に手を焼いて、エンジンを撤去されてしまい、ただの客車にならんことを祈ろう。 >>297
絶対そうなると確信してたんだが、先に行ったキハ183がヤンゴン〜新首都間の急行に投入されたんで
とりあえずはちゃんと気動車列車として走りそう 自分は、はまかぜが新型に置き換わって以降、ニ休になりました・・・ >>298
181は台車が特殊なので、改軌で苦労する可能性はある。 >>300
1067mm→1000mmの改軌は車輪のフランジを少し削るだけで良い キハ181系に限らず国鉄の特急型気動車は電車と比べて作りが安っぽかったような
原型のリクライニングなし座席は背面にモケットが貼ってなかったし、カーテンが横引きではなくロールカーテン(グリーン車は横引きカーテン)だし そもそも儲かる路線は電化
気動車は儲からん路線の代名詞 >>303
でもキハ181系は相当金かかってると思うぜ >>302
気動車が高すぎるからコストダウンしているのでは。 >>302
HOT7000は横引きカーテンをリニューアルでロールカーテンにしたぞ
揺れの問題で カーテンに関しては東車両に多い、一列毎に開閉できるロールカーテンが一番使い勝手はいいと思う。 エンジンにカネが掛かってカーテン代ケチったのかな? >>302
キハ80系の普通車座席の背面にはモケットが貼ってなかったが、
キハ181系の普通車座席の背面には貼ってあった。 >>289
高松発着の昭和62年3月改正で高松−松山間が110km/hになってから速くなった。
岡山発着になってからでは、茶屋町−児島−宇多津間が110km/hとか120km/hだったけど
茶屋町−児島間は普通列車の続行だったりして速いというイメージはない。 昭和50年代でもしおかぜは速い印象がある。当時もっと遅い電車特急があちこちにあったような その頃の四国は殆んどの区間で最高85km/hじゃったろ。 >>311
大分以南の単線区間ではにちりんがトロトロ走りだったな 単線区間は、行き違いに一線スルーがあるのとないのとでは、駅の通過スピードが大違いですね。 >>311
昭和61年11月までは、予讃線高松−多度津間95km/h、多度津−宇和島間85km/h。
昭和61年11月からは、予讃線高松−松山間95km/h。
昭和62年3月からは、予讃線高松−松山間110km/h。
平成2年11月からは、予讃線高松−宇和島間120km/h。
平成5年3月からは、予讃線坂出−松山間130km/h。
平成7年ごろからは、予讃線高松−松山間130km/h。
昔は電車のわかしおが表定速度60切るとか、鈍足なのが他にたくさんあったからな。
キハ181のしおかぜでも相対的にマシに思えた。 昭和50年代のみどりなんか電車特急と思えないほど遅かった。
>>316
しかし、昭和36年10月改正のキハ58/55による急行「四国」の
高松−松山3時間切り・表定66km/hから大して速くなってなかったからねえ。
改善されたのは乗り心地ぐらいか? >>昭和36年10月改正のキハ58/55による急行「四国」の
>>高松−松山3時間切り・表定66km/hから大して速くなってなかったからねえ。
昭和36年当時は3時間切れてなく(3時間5分)、3時間切れは昭和40年で、表定66km/h
は昭和43年じゃなかったっけ?
どうとるかだけど、昭和47年3月改正でのしおかぜの高松−松山間は
最速2時間41分。その後はしばらく停車駅が増えて遅くなっていったが、
昭和62年3月に最速2時間34分に。平成5年頃に2時間20分になって
いった。 昔特急やくもで伯備線が不通になって津山線を迂回したところトンネル内壁にラジエーターをこすってしまったってマジ? 【ミャンマー国鉄】元JR西日本キハ181系 まもなく再起
ttp://rail.hobidas.com/rmn/archives/2013/01/jr181_17.html
元の車番判る人いる? >>331
推測だが、トンネル径が小さくて電化できなかった北上線で定期運用持ってた車両だぞ?
津山線で走行不能になるとは考えづらい。 『鉄道伝説』
第2回「キハ181 〜高速鉄道網を全国に完備せよ〜」
BSフジ 2013年1月19日(土)23:30〜24:00
http://www.bsfuji.tv/top/pub/tetsudo_densetsu.html もしも北海道にもキハ181系が配備されていたらどうなっていたことやら
キハ183系0番台はキハ82と大して性能が変わらずしょぼすぎw >>336
折戸に雪が吹き込んであっという間に使用不能になって終了。
台車の構造上引戸への改造は困難なはず。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています