極限の気動車!181系 衝撃のターボサウンド Vol.1
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特急形気動車としてその快適性から好評を博していた、在来のキハ80系の設計コンセプトを踏襲しつつ、
キハ90系試作車における大出力エンジン開発の成果を踏まえ、国鉄の量産気動車としては初の500PS級
大出力エンジン搭載車となった、平成22年11月6日にラストランを迎えたキハ181系について語っていきましょう。
ところで、「つばさ」に使われていた時代、東北本線内での485系との所要時間差はどの程度だったの? みんなこのスレに来てくれて
ありがろうね
キシサという食堂車を研究しています >>1乙
そして>>5は鉄懐板恒例の荒らしにつきスルー推奨 >>6
なにを根拠に
そんな言いモノがかり付けるの? >>6
ちょっとあなた
何を根拠にそんな言いモノがかり付けるの? >>4
時刻表上では2分差。
ただし、停車駅が少ない。
ギアが2速ゆえに加速するまで時間がかかるから仕方ない。 >>4 >>9
福島以南の停車駅がひばり・やまばとだと郡山+2〜3駅前後なのに対し
つばさは郡山+宇都宮か黒磯のどちらか、またはその両方だったな >>9
2分差というのは小さくはないんだろうけど、485系と比べても遜色ない走りだったと言えそうだね。
ぶっちゃけ583系だって、曲線通過速度の問題で485系よりは遅かったしね。 末期のはまかぜでは、キハ181系らしいターボサウンドは聴くことが出来なかったってホント? 山陰線の中距離快速に3連が多用された時期あったね。
城崎→米子を乗り通したけど、58系だったら尻が痛くなっていたかもw 上りつばさに乗ってみたかったなぁ。
奥羽南線は単線区間も多くて特に冬期は遅れがち。
そんな中ようやく板谷を降りてきた上りつばさの回復運転はそりゃーもう・・・。 気動車特急(といっても80系、181系だけど)のグリーン車のマークって、他のより小さいよね。 珍しくキハ181系では国鉄色を復活させなかったね。
撮り鉄に懲り懲りしているからだろうか・・・。 全盛期を知らない世代に取って、キハ181系というと加速が鈍いという印象の方が強かったり。
このリンクを貼らないとはどういう事かと小一(ry
ttp://kiha181.com/ >>14
上りの東海道山陽線内は新快速の後追いになるのでまったり走りだったよ。
かにはまの帰りなら新快速に追い立てられるからかなり飛ばしてたよ
国鉄式でスーパーチャージャーってあったっけ?
DML30はターボチャージャーだけどインタークーラー無かった。
インタークーラーつけたらもっと出力上がってたよね。
当時で4バルブターボって画期的機構だと思うけど。
キハ181系で餘部鉄橋を渡ったのも、今となっては古い想い出だ・・・。 そういやキハ181系って回転クロスシートばかりで、簡易リクライニングシートで落成した車両はないんだっけ? >>35
当時は特急用でも普通車にリクライニングシートはゼロの時代だから 「やくも」でキハ181の全盛期は終わった。
その後は長すぎる余生だった。 がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! やくもは食堂車があったけど、走りといえば山陽線以外は、あまり速度出ませんでした。
その点では、後年のはくとや白馬アルプス、おわらやしおかぜ、いしづちのほうが速度が速いのではないかと。
四国に引き継がれた、改造車のキハ181-102 103は、14系座席車発生(一説では、みやびとも)の座席だった。 がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! いまどきの気動車と比較すると、加速の鈍さが目立ってしまっていたな。
発車して3キロメートルくらいいかないと、120KM/Hにならなかった。 キハ183系も、キハ181系の改良型に過ぎないんだよね。 しなのも末期は120km/h出してたみたいだね
千種とか神領付近とか局所的にだけど 引退後に国鉄色にはなってくれましたが・・・
国鉄色が走っている姿を撮れなかったのが残念。 @Reply:>>46
キハ187系なら、僅か1.8km程度で120km/hほどまで十分に加速できるぞ。 おっちゃんはガスタービン車の試験運転を見たことがあるで。 そりゃスゴイね。どんな音だった?
それにしても、181系以降のキハ65、66、47ってエンジン音が
やかましかったなぁ。大出力の見返り? まあキハ40、キハ47、キハ48、キハ183、キハ184は大出力じゃないけど。 おっきいツチノコやなとおもったら
ガスタービン車やった >>55
キハ40は発電用のエンジンを使うとか、ぶっちゃけ有り得ない・・・。 DMF15HSAは、DML30HSHの片バンクだけを取り出した形の走行用エンジン。
エンジンの乾燥重量(2,720kg)の割には、出力は220馬力だった。
おまけに、40トン近くの過大な車重と、低速域では非効率な変速機設定が
災いし、動力性能はキハ20と比較してほとんど向上していない。
キハ40の液体変速機は旧型車の3段6要素型の変速機と比較して
起動直後は非常に不利な特性の1段3要素型であるため、
エンジンの回転数が高い割には、発進は非常にゆっくりといった感じだった。 220馬力・・・初代レガシィと同じ馬力かよwww
まぁ、トルクは段違いなんだろうが、それでもなぁ・・・。 繁忙期で満員のとき、やくもの中間運転台助士席によく乗った。
エアコン効かないが窓が開くのでよかった。
キハ82に比べて機械室の通路が長くて暗かったので枠付きの蛍光灯と
相まって船底のような雰囲気だった。
>>59
ぶっちゃけトルクの大小自体はどうでもいい。 まぁキハ40のアレもデチューンせずに燃調も初期キハ181並の調整で走らせてやれば最高295PSだな!
排気管から火を噴いたりオーバーヒート頻発するだろうがw >>63
『すでに既存エンジンを直噴改造して、300馬力に向上させた例もあります。』
『原付バイクのボアアップと同様、エンジンのシリンダーが直噴の圧力の耐えられるかを考える必要があるね。』 『キハ181系は条件さえ良ければ、キュォーンというエンジン音と、キーンというターボ音が聞けた。』
『変速段で高速域まで引っ張る特性上、80km/h以上の速度で走れる区間の方が楽だった。』
『70〜85km/h程度でやっと直結段に入るような気動車は、速度制限がきつく、加減速の多い運転が強いられる区間は
使い物になりません。例を挙げると、会津鉄道の特急形気動車もそうです。終減速比が低すぎて、ほとんど直結段には
入らず、やや効率の悪い変速段で占められる運転が圧倒的に多く、燃費もよろしくなかったでしょう。』 加速だけならキハ120の方が鋭くてキビキビ走るよな。 ttp://shinano7gou.at.webry.info/201012/article_16.html
キハ181系「しなの」最後の戦い
>>47
確かに。
結構写真残ってるもんね 『キハ181系だって、留置線で走行点検を行うときには、15〜20キロ程度でゆっくり走る。』
『同時に、ブレーキがかかりっぱなしになっていないかの点検を行う。』
『万が一、ブレーキが1か2の段でかかりっぱなしになっていれば、
惰行走行時に急激に速度が落ちるので分かるという。』 昨日、下関で久々御目にかかって興奮しちまったよ!
しかし、あの色どうにかならないの?
>>53.>>56
オイル・ショックの産物キハ391系、トラブル続きで実用化せず... キハ391は騒音&高速一定回転数で減速が大変、異物混入の問題(ジェット機でバードストライクが問題になるようなもの)
などの技術的問題が大きかったみたいですね。
バスみたいにCNGとか今なら他に色々できそうだが…
てか、まだ下関に解体待ちで残ってるの? >>71
>てか、まだ下関に解体待ちで残ってるの?
キハ391じゃなくて、下関にいたのはキハ181系って事。
キハ391は、鉄博入りする話聞いたけど... 10月15日の時点でもまだいましたよ。>181系@下関
キハ181って運転最高速度120キロなのに速度計の目盛りが120キロまでしか刻まれておらず国鉄型で唯一?速度計を目一杯使ってたんだな。
通常はある程度余裕を持たせて特急型電車の場合160キロまで刻まれているが。 >>73
特急型電車の最高許容速度は160km/hでしょ
実際には出すことはないけど キハ181って言わば直線番長なんだな、車で言えばアメ車みたいな感じ? >>76
何で山岳急曲線の中央西線に181系何だかよく分からん部分はあるな >>77
開発当時は振り子式以前の時代であって、
上り勾配をDMH搭載の急行形気動車より高速で登坂できるパワーをひたすら求めただけ >>78
その割には山岳仕様でも無いような気がするんだが このスレの最初の方で散々言われた、機関の過熱について
改めてWikipediaを見て、参考になった。
名古屋工場と名古屋第一機関区が、高山線や紀勢線への運用を
拒絶した、というくだりに苦笑した。
変速機が変直切り替えが自動のままだと不都合が生じたため、
のちに手動で切り替えられるように改造された、とどこかで読んだ
ような気がするが、忘れた。 >>79
予算と時間をいくらでも積み上げていいならパーフェクトな機械にも出来ただろうがね。 登場後まだ数年の「100年の国鉄車両」編集の段階では、
評価が定まっていなかったのか、不具合が多いとは書いてなかった。
後に、出力が過大にならないようにうまく調整されるようになって
安定して運用できるようになったように 、Wikipedia には書いてある。 >>83
大出力エンジンとそれに組み合わせ可能な変速機に合わせて車両を作っちゃったから
結果として後から見れば平坦高速適性になっちゃったので、
91系でのテストもそこそこにヨンサントウに間に合わせようと大急ぎで作って「しなの」に突っ込んじゃった時点では
近藤恭三、内村守男といった当時の国鉄設計事務所の幹部連は、そこまで深い思慮なんか念頭になかったと思われ
後に九州社長になった石井幸孝氏は当時設計事務所で開発に当たった一人の筈だが、
この辺りのグダグダに至った詳しい事情については口をつぐんでいる >>85
上の方というか、営業畑からかなりの圧力があったんじゃないか。
何とか43.10に間に合わせてほしいと。
キハ91で試験しながら、片方でキハ181系の図面を引くような状況だったんだろう。
技術屋からすれば、「正直、勘弁してくれ」と言いたかったのだろうな。 >>83
意味がわからない。
当時の技術力と史実通りの予算と時間で、山岳線用の気動車を国鉄が開発したら何ができていたというんだ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています