標津線は防衛庁の抵抗で、廃止が長く決まらなかった。ソ連とことがあった時、
軍事基地(空軍基地)があるので、輸送路線として、標津線は廃止反対されていた。

しかし、軍事音痴の加藤紘一防衛大臣が廃止にOKしたので、廃止へと進んだ。