スレチだけど、東京北(高崎)と仙台の鉄道管理局界は何故黒磯ではなくて
白河だったのだろう?
交直流の分岐点の黒磯に局界を置いた方が機関車のやり繰りとか乗務員の交替
などに都合が良いような気がするけど、ただ単に非電化時代の名残なのかな?