国鉄日中線
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最後までディーゼルカーレースは走らなかったんだっけ? 平日の熱塩発朝の列車と喜多方発夕方の列車は
日中線も高校生で満杯だったよ。なんせ2両か3両くらい
だったからね。
でも定期券は喜多方など他線の駅での発売がほぼすべてだったから
日中線の営業収入には1円もならなかったけどね。
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営業していたころより
営業終了したあとのほうがきれいな熱塩駅 野岩羽線と言えば福島・山形県境の大峠の旧道も通れなくなって久しいなあ。八谷側なんて崩壊しまくりでグシャグシャ。
日中線が存命だった時代(末期)のロードマップの一部には大峠越え(旧道・根古屋〜八谷)の区間に
「初心者危険」だの「夜間走行危険」だのの文字がおどっているものがあったような気が… >>51
もし米沢まで開通してたら鬼怒川温泉(もしくは下今市)−米沢に
今は無きキハ8500を使った観光特急も走ってたかもしれない。
東武でも熱塩温泉や米沢のPRも行われてただろう。 1983年春に行った。
熱塩駅の駅名標の隣駅のところに「あつざとう」とかいたずら書きされてたな。 ついに会津バスの喜多方〜熱塩方面も廃止されたな。
喜多方市による「デマンド交通」になるらしいが・・・詳細不明。
もし熱塩加納村が喜多方市に合併されていなかったら
こうはならなかったかもしれない。
なお広田タクシーの会津若松〜喜多方〜米沢の予約レトロバスは
喜多方側からの乗車で日中線記念館での下車は不可。
喜多方側へ便への日中線記念館での乗車は不可。
熱塩温泉の旅館ホテルに宿泊するならば無料送迎があるが
フラっと訪れるにはレンタカー借りるかタクシーでいくしか
詳細不明の「デマンド交通」を使うか米沢側から広田タクシー
の予約レトロバスに乗るか・・・。 DCは一度も入線したことはなく、最後まで客車列車だった たしか設定上は混合列車で、会津加納で荷扱いしてたはず
だからDLになった後も客レ そうなんだ。俺の記憶違いだな。最後まで客車列車しか来なかったのって、ここと清水港線と尼崎線くらい? 乗り鉄の中のほとんどの人は夜行ばんだいから乗り継いで乗っていたみたいですね。 >>88
勝田線 室木線 宇品線 ほかいろいろありそう 軌道検測等で、マヤ34とかキヤ191が日中線に入線したことはあるの? 日中線が誇れること。
「スト権スト」のとき運休列車は1本もなく運転されていたこと。 鉄道ファンからすれば思い出のローカル線だったんだろうけど
やむを得ず使っていた学生からすれば、酷い鉄道以外何物でもなかっただろうな
本数は最小限で乗り遅れたらアウトだし
汚らしい旧型客車を排気ガスを出しながらディーゼル機関車がチンタラ引いて走っていたわけだし
熱塩駅は全く保守がされていなく、お化け屋敷みたいな荒廃ぶりだったし(それこそ建物の崩壊事故とか起こしかねないレベル) >>96
東北・北陸は鉄労の強い地域だったのでスト権ストの時でも
必要最小限の列車の運転は行われてたらしい。 C11を撮りに行ったら、荒廃した熱塩駅の待合室にはがれかけた時刻表が
貼ってあって、それが「昭和36年○月改正」だかの古いものの
ままだったのに唖然としたっけ。(36年かどうかは忘れたけどとにかく
古いもの) 熱塩駅の元貨物ホーム跡もなんとなく覚えている。
「世界の鉄道」62か67だったかにこのホームに荷物がいっぱい積んで
あってその横でC12が発車を待っている写真が掲載さfれていたっけ。 C11を追いかけたころからずっと日中線の舞台は
「福島県耶麻郡熱塩加納村」だったなあ。 撮影ガイドの決まり文句
「さて日中線を撮影する場合、喜多方駅におりたら『熱塩温泉方面へは駅前からバスが出ております。』という
案内がある・・・云々」
そのバスももはや 野晒しのC11 63を熱塩駅に移設して欲しわ。
折角屋根付きで旧客1両が残っているのに、ラッセル車との組み合わせは有り得へん。 日中線沿線には熱塩温泉があるし それに高森山か梨木平牧場にスキー場を建設
すれば将来観光需要が見込めたのに残念。 日中線は最後までディーゼルカーは走らなかったのですか? >>110
俺は東北線123レから「あいづ」、磐越線乗り継ぎで最終下り→上り
帰りが夜行ばんだい 「喜多方市の温泉で水害」ってニュースで「市内の温泉?」と思ったが
熱塩温泉だった。熱塩加納村だったよなあ、昔は。
記念館は大丈夫だったんだろうか? >>108
当の国鉄がヤル気ないから
かりに「東北熱塩ゴールデンイーグルス」なんてチームができて
熱塩球場ができたとしても
1日3往復のままだったろうな。 バスが廃止になって、クルマかタクシー以外ではイケない場所。
それが旧熱塩駅。 >>117
そんな不便な所なんですか?
いつか訪問してみたいと思っているのですが。 こういう絶対的本数の少ない路線の通勤定期乗車券って乗車機会を考えてみたらかなり割高だよな。 一般人の乗車機会なんて
一日300往復でも
一日1往復でも
普通かわらないよ。
地方だと稀に「片道定期券」ってのもあるけどな。 >>124
例えばこんなの
ttp://www.aizutetsudo.jp/info/?p=726 会津加納駅の西側に奇妙な木造の建物があったね、後で調べたら与内畑鉱山の積卸場らしかったけど、昭和40年代後半に残っていたのは貴重だった。C11えを撮りに行った時はまだあったけど
すでに閉山したあとで遺構になっていたようだが、昭和49年頃には解体されたのかな。
あの積卸場の一番上から索道があって日中線をまたいで鉱山へつながっていたような記憶があるが間違いかなあ。 朝1本とかしかない路線の沿線の女子高生って、お腹痛くても漏らすの覚悟で列車に乗るのかな?
乗り過ごしたら次がないわけだし。 日中線があった頃は
国電型電車以外はトイレがあるのが当たり前だった。
兵庫〜和田岬間の客車はなかったかも・・・。 熱塩駅と旧客保存車を見に行きたいけど、横浜から18きっぷで日帰りは無理かな? 横浜から喜多方まで普通列車乗り継ぎで7時間弱ってとこだな。
喜多方から旧熱塩駅までタクシーで20分ぐらいか。
現地に一時間滞在したとして、16時間あればイケる。
朝五時出発で夜九時に帰投だな。 >>132
そんなあなたに
824列車
門司 5:22 発
福知山 23:51着 >>90
室木線は廃止直前・最後の一年はディーゼルカーだったぞ 尼崎線は都会地を走る不思議な路線だった。
やり方しだいで残せたような。 >>133
824レなら1ボックス占領して棲み家をつくった上で
途中のバカ停で息抜きができるが,
いまの時代の乗継旅行だとそれが許されない。 >>136
やってるヤツは今もいる。
オールロングの場合は目一杯シートに寝そべって、お菓子食べて
ジュース飲んでる。
地方線区は2両編成で混んでいる場合が多いけど、それでもお構いなし。
見たところ池沼では無さそうだが、社会性が全然備わっていない感じ。 旧熱塩駅の周辺に日中温泉や熱塩温泉があると思うのですが、それでも喜多方からのバスがないんですね。 もはやバスすらも贅沢な公共交通と化している。
というわけで喜多方市のデマンドタクシーをどうぞ。
運賃は固定で一般のタクシーよりはずっと安いです。 利用日の前日(平日のみ)午後4時までに電話で予約してください。
受付センター電話番号 0241-27-4455
予約受付時間 午前9時から午後4時まで
運賃は1回片道400円です。
バスはないけどこういうものがあれば充分だろ。 >>140
1日3往復の列車よりはるかに便利そうだが、希望した時間に予約とれるのだろうか? 営業係数が2000近くあったっけ?
北九州と北海道除けば,全国レベルでの最強赤字線。 昭和55年で1640だね
地元ではSL復活、C11使って誘致とかいう話もあったみたいだけど >>140-141
以前自転車で喜多方から廃線跡を走ったことあるけど、あっけないくらい早く
熱塩駅に着いたな
この近さでは、なるほど鉄道は不要なわけだと納得したもんだった 野岩羽南線も国鉄時代まで日光まで開通していて
宇都宮〜会津若松〜米沢という奥羽線経由の特急ルート(今の智頭急行のような)
でも既成事実として確立していればあるいは・・・ってのはあるかもしれない。
実際問題上野〜日光〜会津若松の国鉄ルートがあったとすれば
特急「あいづ」の経路が変わったかもしれない。 まともな都市ないのに、磐越西線に特急が走ったこと自体奇跡的なのに、
そんな田舎経由に特急ルートだと >>149
急行を特急に置きかえたのは収入を上げるためだな。
野岩線が国鉄時代にできてたら、当然特急が走って
いただろう。
特急=特別な急行ではなくなったからね。 秋田新幹線があえて距離の遠い田沢湖線経由にしたように、郡山=盛岡、田沢湖=猪苗代の存在は大きいんでないかな
北上線にも一時は特急「あおば」というのも運転されていたけど、あくまでも間合い。わざわざこの区間のためにディーゼル特急を
新設しないでしょう。 智頭急行にしろほくほく線にしろ今でこそ誰もが認める大幹線だが
日中線が走っていた当時は「また赤字線増やすの?」レベルだったよなあ。
日光から高規格路線を会津滝ノ原まで通して,会津線を電化して
熱潮から米沢まで一直線にトンネルをブチぬけば,
意外とすごいことになったかもよ。そのまま秋田まで新幹線になったかもだ。 JR化まで残ってたらどんな車両が走っていたのかな?レッドトレイン? 只見か磐西の間合いのワンマンのキハ40でしょ
機回し、車掌さんがポイント切替してたな 熱塩駅記念館行きたいのに交通手段がない。
喜多方駅から歩けますか? >>157
自転車で行けば意外なほど近いよ。廃線跡を通って行くこともできる。
レンタサイクル
○佐藤自転車店 TEL : 0241-23-2769
○渡辺貸自転車 TEL : 0241-22-2526
○民芸あくた川 TEL : 0241-22-0388
ttp://www.kitakata-kanko.jp/access/nijikotu.php 高校生の頃は東京ミニ片手に「あづま」「まつしま」で,東京遊び(といっても土曜昼すぎ〜日曜夜)
したいい年したオレだが,久々に普通列車だけで会津若松方面まで行ってみたよ。
(といっても帰りは会津鉄道〜経由だが)
面白いもんで,新宿から湘新ラインに乗って,大宮駅に着く前は新幹線に乗り換えようかずいぶんと悩み,
大宮を出てからしばらくの間かなり後悔していたのが・・・
これが面白いもんで,小山を過ぎたあたりから各駅停車の新幹線では味わえない
心地いい振動に快感を覚え,黒磯駅で乗り換えるときは九尾釜めしを思い出し
ことの他面白くなってきた。いくつになってもマニアはマニアなんだなーー・・・と実感。
乗る列車も車両もかわっても電車から見える風景にはあまり変わりばえがない。
実際かわったなーと思うのは,磐梯熱海にしろ猪苗代にしろ会津若松にしろ
あったはずの路線バスが軒並みなくなっている(あるいは大幅減便されている)こと。
早朝東京を出て,あれこれ道草を食っていたので,喜多方に着いたのは夕方。
山都まで乗車券は買っておいたので切符を残すことはできた。
予め予約しておいた山形屋に1泊し,翌朝記念館を見た。
駅として営業されていた頃はどこぞのバケモノ屋敷の様相だったのがわりときれいに
なっていたのは皮肉なもん。ホーム跡に立つと初めて列車できたときのことを
思い出した。あのころはこうだったなーなんてのはこの年齢にして初めて味わえる贅沢
なんだろうな。帰りは会津若松から会津鉄道,野岩鉄道経由で帰ってみた。 清水港線、尼崎港線と並んで最後まで旧型客車しか来なかった路線の一つ ガキの頃、日中は喜多方駅に留置されてるオハ60系2両に忍び込んで遊んでた頃が懐かしい。
国鉄時代は何かと良かったと思う今日この頃…。 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q 拾い記事
>1984年の廃線後も日中線記念館として駅舎が保存されている日中線の終着駅・熱塩駅を訪ねたいと思った。しかし日中線代替バスさえも2012年に廃止され、今では喜多方市が運営する予約制乗り合いタクシー、デマンドタクシーが代替となっている。
そうだったのか…
この筆者もレンタサイクルで訪問したようだ 清水港線もそうだが、正直日中線にディーゼルカーなどとても想像つかない。
あと、当初は6往復もあり、文字通り日中にも走っていた事から湯治客にそれなりに利用されていたと思われる。
しかし朝・夕・夜の各1往復ずつの合計3往復しか走らず、日中臨時列車すら走らない日中線を湯治客はどう利用しろと?
そのせいか日中線は通勤・通学客輸送のみに特化したと言っても過言ではなく、湯治客はバスしか利用しないのも無理からぬ話である。 >>168
×あと、当初は6往復もあり、〜
○あと、当初の日中線は6往復もあり、〜 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています