国鉄日中線
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
私が訪れたのは昭和57年の夏だった。
夕方の列車で熱塩へ行き折り返しの列車で戻った。
この折り返し列車は会津加納でしばらく停車するので下車印貰いの列が出来た。
もっとも通常の下車印は無いらしく「会津加納駅」という普通のゴム印を各自自分の切符に押しては次の人に渡していった。
ほぼ全員東北ワイド周遊券を持っており「耳なしほういち」状態の切符を自慢しあってました。
あれから30年近い時が過ぎました。
国鉄も日中線も混合列車も周遊券も会津加納駅のような有人駅もみんななくなってしまいました。
廃止になる少し前、実物大レプリカの[熱塩行][喜多方行][熱塩⇔喜多方]サボを持参してみた。
その頃実際に使用されていたサボは、不要のサボの文字をペンキで塗りつぶして駅名を殴り書きした酷いシロモノ。
車掌に許可を貰ってレプリカサボをサボ差しに装着させて貰ったら、わらわらと人が集まり撮影会が始まった。 改札口の横の柱に「私製スタンプ(「私の旅」風)がさがっていたこともあったな。
フレーズは「ロマンあふれる奥会津の終着駅」だったっけか。 街のラーメン店から3人前のラーメンとかつ丼(これも有名)を列車に出前をしてもらったことがある。
丼だけあっても扱いに困るので、大きなトレーに薬味一式、お茶入りの小ぶりな薬缶、湯のみも借りた。
発車の5分前位に喜多方駅改札口まで届けてもらい代金を支払い。列車が戻る時刻に器類を下げに来てもらった。
車内でいただく喜多方ラーメンとかつ丼の味は格別だった。
他の客や車掌は不思議そうな顔をしていた。 >>40
私が訪問した時は、ローマ字の部分に青い帯が入った新しいのを使ってた。
2枚吊下げてあって、若松へ戻す時のサボが下に重ねてあった。
始発は「熱塩」で、熱塩に到着すると車掌さんが「喜多方⇔熱塩」に差替えた… 数十年ぶりに行ってみた。
いまだに熱塩駅は当時のままに残っていた。
展示車両もあり感激した。 ttp://www9.plala.or.jp/omohansha/b4/b401.htm
この時代に戻りたいな… 上三宮駅は無人化後にボヤで焼けて駅舎を再建築したんだよね。
会津村松駅はほとんど柱だけだったんだが、よく駅舎が倒壊しなかったもんだ。
県境の大峠にながあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いトンネル掘って米沢に繋がってたら現存していただろうか?
もし繋がっていたとしたら、熱塩駅の先に福島県側の駅が一つか二つあって
山形県側最初の駅は「八谷」になっていたのかな。 県境の流動が只見線以上に無いだろうが、豪雪地帯で平行道路なしという条件で現存の可能性は高いな。
田中角栄が会津生まれなら実現してたろうに。 今となっては日中線米沢延長話は「たら、れば」世界のコトだけど
なんかちっちゃな夢があるな。 日中に運転しない日中戦とは・・
朝夕線じゃねえかw なんか勘違いしてる香具師が多いが
日中線は日中走ってるから名づけられたわけじゃないぞ? 米沢まで開通していたら「岩羽線」か「会羽線」「喜米線」とかになっていたかもね。 >>43
それ、連休中は記念館の保存車両に掛けてありましたよ。
盗られないようにハリガネが巻いてありましたけどw >>55
そっかー。
確かに野岩羽線計画ってのがあったよね。
列車だと本数は少ないけど、
沿線にバスの本数は結構あったんだよなぁ。
今は減ってるかも知れんけど。 国道の大峠が改良されて
「喜多方⇔米沢」のバス路線が出来るかと思ったけど
今のところその気配は無いね。
もしあれば会津バスと山形交通の共同運行かな? >>59
県境越えのバス路線はどこも少ないからなあ 日中線があるころの会津バスの熱塩日中方面の下り一番バスには
乗客輸送というよりも新聞やら給食のパンやらを輸送する使命があった。
>>61
新聞輸送は他所でも聞いたことがあるけど
給食のパンとは初耳じゃ。 レス番がさよなら列車牽引C11
無理だが今も沿線に残るこのカマにかつて走った石巻線の「復興
列車」を牽引させたい。 >>63
こちらも会津で過ごした動態保存(一応)機。 今日から6日間はかつてのおなじみ列車番号になるね。
621レ ファン御用達 実際は若松からの機関車&客車回送と
上りの通学客お迎え列車。
上野からの夜行からC11に会いにくる。少し遅れた人は後続の
DCで喜多方で追いついた。 >>64
64号機は動態ではないよ。動態にすれば、酉も出張運転しやすいと思う
んだがね。静態のままなら、青梅の1号機と交換して、会津で動態に
して欲しい気はする。 ブラタモリで「あいづむらまつ」の駅名板が映ってた。
紺地に白い筆文字が懐かしい… 最後までディーゼルカーレースは走らなかったんだっけ? 平日の熱塩発朝の列車と喜多方発夕方の列車は
日中線も高校生で満杯だったよ。なんせ2両か3両くらい
だったからね。
でも定期券は喜多方など他線の駅での発売がほぼすべてだったから
日中線の営業収入には1円もならなかったけどね。
∩___∩ |
| ノ\ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| | J
/ ∩ノ ⊃ ヽ >>74
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
営業していたころより
営業終了したあとのほうがきれいな熱塩駅 野岩羽線と言えば福島・山形県境の大峠の旧道も通れなくなって久しいなあ。八谷側なんて崩壊しまくりでグシャグシャ。
日中線が存命だった時代(末期)のロードマップの一部には大峠越え(旧道・根古屋〜八谷)の区間に
「初心者危険」だの「夜間走行危険」だのの文字がおどっているものがあったような気が… >>51
もし米沢まで開通してたら鬼怒川温泉(もしくは下今市)−米沢に
今は無きキハ8500を使った観光特急も走ってたかもしれない。
東武でも熱塩温泉や米沢のPRも行われてただろう。 1983年春に行った。
熱塩駅の駅名標の隣駅のところに「あつざとう」とかいたずら書きされてたな。 ついに会津バスの喜多方〜熱塩方面も廃止されたな。
喜多方市による「デマンド交通」になるらしいが・・・詳細不明。
もし熱塩加納村が喜多方市に合併されていなかったら
こうはならなかったかもしれない。
なお広田タクシーの会津若松〜喜多方〜米沢の予約レトロバスは
喜多方側からの乗車で日中線記念館での下車は不可。
喜多方側へ便への日中線記念館での乗車は不可。
熱塩温泉の旅館ホテルに宿泊するならば無料送迎があるが
フラっと訪れるにはレンタカー借りるかタクシーでいくしか
詳細不明の「デマンド交通」を使うか米沢側から広田タクシー
の予約レトロバスに乗るか・・・。 DCは一度も入線したことはなく、最後まで客車列車だった たしか設定上は混合列車で、会津加納で荷扱いしてたはず
だからDLになった後も客レ そうなんだ。俺の記憶違いだな。最後まで客車列車しか来なかったのって、ここと清水港線と尼崎線くらい? 乗り鉄の中のほとんどの人は夜行ばんだいから乗り継いで乗っていたみたいですね。 >>88
勝田線 室木線 宇品線 ほかいろいろありそう 軌道検測等で、マヤ34とかキヤ191が日中線に入線したことはあるの? 日中線が誇れること。
「スト権スト」のとき運休列車は1本もなく運転されていたこと。 鉄道ファンからすれば思い出のローカル線だったんだろうけど
やむを得ず使っていた学生からすれば、酷い鉄道以外何物でもなかっただろうな
本数は最小限で乗り遅れたらアウトだし
汚らしい旧型客車を排気ガスを出しながらディーゼル機関車がチンタラ引いて走っていたわけだし
熱塩駅は全く保守がされていなく、お化け屋敷みたいな荒廃ぶりだったし(それこそ建物の崩壊事故とか起こしかねないレベル) >>96
東北・北陸は鉄労の強い地域だったのでスト権ストの時でも
必要最小限の列車の運転は行われてたらしい。 C11を撮りに行ったら、荒廃した熱塩駅の待合室にはがれかけた時刻表が
貼ってあって、それが「昭和36年○月改正」だかの古いものの
ままだったのに唖然としたっけ。(36年かどうかは忘れたけどとにかく
古いもの) 熱塩駅の元貨物ホーム跡もなんとなく覚えている。
「世界の鉄道」62か67だったかにこのホームに荷物がいっぱい積んで
あってその横でC12が発車を待っている写真が掲載さfれていたっけ。 C11を追いかけたころからずっと日中線の舞台は
「福島県耶麻郡熱塩加納村」だったなあ。 撮影ガイドの決まり文句
「さて日中線を撮影する場合、喜多方駅におりたら『熱塩温泉方面へは駅前からバスが出ております。』という
案内がある・・・云々」
そのバスももはや 野晒しのC11 63を熱塩駅に移設して欲しわ。
折角屋根付きで旧客1両が残っているのに、ラッセル車との組み合わせは有り得へん。 日中線沿線には熱塩温泉があるし それに高森山か梨木平牧場にスキー場を建設
すれば将来観光需要が見込めたのに残念。 日中線は最後までディーゼルカーは走らなかったのですか? >>110
俺は東北線123レから「あいづ」、磐越線乗り継ぎで最終下り→上り
帰りが夜行ばんだい 「喜多方市の温泉で水害」ってニュースで「市内の温泉?」と思ったが
熱塩温泉だった。熱塩加納村だったよなあ、昔は。
記念館は大丈夫だったんだろうか? >>108
当の国鉄がヤル気ないから
かりに「東北熱塩ゴールデンイーグルス」なんてチームができて
熱塩球場ができたとしても
1日3往復のままだったろうな。 バスが廃止になって、クルマかタクシー以外ではイケない場所。
それが旧熱塩駅。 >>117
そんな不便な所なんですか?
いつか訪問してみたいと思っているのですが。 こういう絶対的本数の少ない路線の通勤定期乗車券って乗車機会を考えてみたらかなり割高だよな。 一般人の乗車機会なんて
一日300往復でも
一日1往復でも
普通かわらないよ。
地方だと稀に「片道定期券」ってのもあるけどな。 >>124
例えばこんなの
ttp://www.aizutetsudo.jp/info/?p=726 会津加納駅の西側に奇妙な木造の建物があったね、後で調べたら与内畑鉱山の積卸場らしかったけど、昭和40年代後半に残っていたのは貴重だった。C11えを撮りに行った時はまだあったけど
すでに閉山したあとで遺構になっていたようだが、昭和49年頃には解体されたのかな。
あの積卸場の一番上から索道があって日中線をまたいで鉱山へつながっていたような記憶があるが間違いかなあ。 朝1本とかしかない路線の沿線の女子高生って、お腹痛くても漏らすの覚悟で列車に乗るのかな?
乗り過ごしたら次がないわけだし。 日中線があった頃は
国電型電車以外はトイレがあるのが当たり前だった。
兵庫〜和田岬間の客車はなかったかも・・・。 熱塩駅と旧客保存車を見に行きたいけど、横浜から18きっぷで日帰りは無理かな? 横浜から喜多方まで普通列車乗り継ぎで7時間弱ってとこだな。
喜多方から旧熱塩駅までタクシーで20分ぐらいか。
現地に一時間滞在したとして、16時間あればイケる。
朝五時出発で夜九時に帰投だな。 >>132
そんなあなたに
824列車
門司 5:22 発
福知山 23:51着 >>90
室木線は廃止直前・最後の一年はディーゼルカーだったぞ 尼崎線は都会地を走る不思議な路線だった。
やり方しだいで残せたような。 >>133
824レなら1ボックス占領して棲み家をつくった上で
途中のバカ停で息抜きができるが,
いまの時代の乗継旅行だとそれが許されない。 >>136
やってるヤツは今もいる。
オールロングの場合は目一杯シートに寝そべって、お菓子食べて
ジュース飲んでる。
地方線区は2両編成で混んでいる場合が多いけど、それでもお構いなし。
見たところ池沼では無さそうだが、社会性が全然備わっていない感じ。 旧熱塩駅の周辺に日中温泉や熱塩温泉があると思うのですが、それでも喜多方からのバスがないんですね。 もはやバスすらも贅沢な公共交通と化している。
というわけで喜多方市のデマンドタクシーをどうぞ。
運賃は固定で一般のタクシーよりはずっと安いです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています