国鉄日中線
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廃止が昭和60年〜62年ごろだったら、全列車気動車化されていたかも。 >>11
途中会津加納のみ有人駅で貨物も扱っていた。
停車中にC11が側線との入換をしていたのが懐かしい 「きょうだいきかんしゃ たろうとじろう」と「トマトせんせいのじどうしゃ」
この2冊の幼年童話に登場するC11型牽引の混合列車の走る路線は日中線で、
「トマトせんせい」とは自動車運転免許取得まで列車を利用して、沿線民の往診に
回っていた医師。
小学生の頃、教科書に「きかんしゃ やえもん」なんていうSLのものがたりあったなあ >>13
加納から喜多方なんて8.2kmしかないじゃない
何を運んでいたか知らないけど、国鉄でトラック1台借りれば充分運べるでないの 失礼。訂正です。
>>17
昭和47年までは近隣の鉱山からの石膏。閉山後は発送殆ど無かったらしい。
到着は肥料が時々といった程度。
こう考えると確かに貨物扱い続けていたのは不可解。
>>19
自分が乗った時もワムが1両のみ。
何積んでるかは不明だったが。 多分貨物廃止と気動車化は国鉄末期特有の労使問題が絡んで
当局も手出しできなかったんでないかな 熱塩駅でのんびりしてたらSLが動き出してしまい、あわててホームを追いかけて
列車を止めたことがある。気づいてくれた車掌さんごめんなさい。そしてありがとう。
喜多方に着いたら熱塩に忘れ物(落とし物)をしたことに気づき、また熱塩に戻る
羽目になったw
懐かしい思い出だな。 今も田んぼの中に踏み切りがポツンと残っててシュールな風景だよ。 シュールと言えば16年前の「旅と鉄道」誌の中で「日中線の廃線跡を辿る」
という記事があったんだけど会津村松駅跡近くのゴミ捨て場(?)に
何故か梅宮辰夫の等身大の看板が放置されていたという記述と写真が掲載
されていたね。
あれもシュールだった。 自分が乗ったのは、朝の一往復
オハフ61とオハ61に2両と記憶、ワムはなし
秋で寒い記憶
ただし、磐越再選の車掌さんに聞いたら暖房は次週からだといわれたので、日中線も暖房は無理と勝手に納得
混合はいつ頃まであったのでしょうかね 熱塩駅前の県道は大峠道路のアクセス道路として車の通行量が多かったけど、先月に大峠道路が全通したので
ローカル県道に戻ってしまいました。バスも日曜運休になってどのぐらいになるだろうか。
日中温泉は泊まったことないけど、熱塩は2度ほど泊まった。静かで熱くて塩辛くて、良い温泉だったよ。 国鉄時代の青春18きっぷポスターに
ここの保存客車が使われたんだっけ? その昔、蒸気機関車が廃止と聞いて、今は亡き父と乗りに。
途中の、いや熱塩かな、駅にNHKが来ていたな。
放送見たけど、俺は映つていなかつたよ。 乗車中に車掌と仲良くなった。
機関士も了解の上で熱塩駅のポイントてこを操作させてくれた。
トングレールが動いた時には感動した。 テコって硬いの?
電動転轍機の手動手回しならやった(軽いけど何回も廻すので面倒!)ことあるけど・・・ レバーをどっこらしょって感じで動かした。
硬いというより重量感があったよ。使用後はてこを施錠してた。
車掌と機関士に「楽しいかい?」って聞かれたな。 高校のとき初めて乗りました。夜行「ばんだい」から621レに乗車。まず塩川で下車。
(入場券購入)ついで後続の新潟行に乗車。喜多方で再度621レに乗車。終着駅に近づくにつれて
車掌さん以下なぜか「仲良し」になる。出した切符はほぼ全員「周遊券」!!
東北ワイドの者もいれば福島会津磐梯ミニの者もいたりした。(青春18は
まだなかった)終着の熱塩駅では皆で記念撮影。帰りも列車ではつまらないと
折り返す皆を見送り早朝の散歩。熱塩温泉にいくと早朝から開いている50円の
風呂があり入ってみる。(なんと混浴であった)
帰りは会津バスで喜多方へ。喜多方までは近道ルートと加納経由と2系統のバスが
続行運転。あえて遠回りの加納ルートを選んだ。加納あたりから混みだして
終点の喜多方駅前には立客もいるほどだった。当時は夏休みなので通学客はいなかったが
いまと違って田舎の路線バスもそれなりに需要はあったわけだね。 私が訪れたのは昭和57年の夏だった。
夕方の列車で熱塩へ行き折り返しの列車で戻った。
この折り返し列車は会津加納でしばらく停車するので下車印貰いの列が出来た。
もっとも通常の下車印は無いらしく「会津加納駅」という普通のゴム印を各自自分の切符に押しては次の人に渡していった。
ほぼ全員東北ワイド周遊券を持っており「耳なしほういち」状態の切符を自慢しあってました。
あれから30年近い時が過ぎました。
国鉄も日中線も混合列車も周遊券も会津加納駅のような有人駅もみんななくなってしまいました。
廃止になる少し前、実物大レプリカの[熱塩行][喜多方行][熱塩⇔喜多方]サボを持参してみた。
その頃実際に使用されていたサボは、不要のサボの文字をペンキで塗りつぶして駅名を殴り書きした酷いシロモノ。
車掌に許可を貰ってレプリカサボをサボ差しに装着させて貰ったら、わらわらと人が集まり撮影会が始まった。 改札口の横の柱に「私製スタンプ(「私の旅」風)がさがっていたこともあったな。
フレーズは「ロマンあふれる奥会津の終着駅」だったっけか。 街のラーメン店から3人前のラーメンとかつ丼(これも有名)を列車に出前をしてもらったことがある。
丼だけあっても扱いに困るので、大きなトレーに薬味一式、お茶入りの小ぶりな薬缶、湯のみも借りた。
発車の5分前位に喜多方駅改札口まで届けてもらい代金を支払い。列車が戻る時刻に器類を下げに来てもらった。
車内でいただく喜多方ラーメンとかつ丼の味は格別だった。
他の客や車掌は不思議そうな顔をしていた。 >>40
私が訪問した時は、ローマ字の部分に青い帯が入った新しいのを使ってた。
2枚吊下げてあって、若松へ戻す時のサボが下に重ねてあった。
始発は「熱塩」で、熱塩に到着すると車掌さんが「喜多方⇔熱塩」に差替えた… 数十年ぶりに行ってみた。
いまだに熱塩駅は当時のままに残っていた。
展示車両もあり感激した。 ttp://www9.plala.or.jp/omohansha/b4/b401.htm
この時代に戻りたいな… 上三宮駅は無人化後にボヤで焼けて駅舎を再建築したんだよね。
会津村松駅はほとんど柱だけだったんだが、よく駅舎が倒壊しなかったもんだ。
県境の大峠にながあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いトンネル掘って米沢に繋がってたら現存していただろうか?
もし繋がっていたとしたら、熱塩駅の先に福島県側の駅が一つか二つあって
山形県側最初の駅は「八谷」になっていたのかな。 県境の流動が只見線以上に無いだろうが、豪雪地帯で平行道路なしという条件で現存の可能性は高いな。
田中角栄が会津生まれなら実現してたろうに。 今となっては日中線米沢延長話は「たら、れば」世界のコトだけど
なんかちっちゃな夢があるな。 日中に運転しない日中戦とは・・
朝夕線じゃねえかw なんか勘違いしてる香具師が多いが
日中線は日中走ってるから名づけられたわけじゃないぞ? 米沢まで開通していたら「岩羽線」か「会羽線」「喜米線」とかになっていたかもね。 >>43
それ、連休中は記念館の保存車両に掛けてありましたよ。
盗られないようにハリガネが巻いてありましたけどw >>55
そっかー。
確かに野岩羽線計画ってのがあったよね。
列車だと本数は少ないけど、
沿線にバスの本数は結構あったんだよなぁ。
今は減ってるかも知れんけど。 国道の大峠が改良されて
「喜多方⇔米沢」のバス路線が出来るかと思ったけど
今のところその気配は無いね。
もしあれば会津バスと山形交通の共同運行かな? >>59
県境越えのバス路線はどこも少ないからなあ 日中線があるころの会津バスの熱塩日中方面の下り一番バスには
乗客輸送というよりも新聞やら給食のパンやらを輸送する使命があった。
>>61
新聞輸送は他所でも聞いたことがあるけど
給食のパンとは初耳じゃ。 レス番がさよなら列車牽引C11
無理だが今も沿線に残るこのカマにかつて走った石巻線の「復興
列車」を牽引させたい。 >>63
こちらも会津で過ごした動態保存(一応)機。 今日から6日間はかつてのおなじみ列車番号になるね。
621レ ファン御用達 実際は若松からの機関車&客車回送と
上りの通学客お迎え列車。
上野からの夜行からC11に会いにくる。少し遅れた人は後続の
DCで喜多方で追いついた。 >>64
64号機は動態ではないよ。動態にすれば、酉も出張運転しやすいと思う
んだがね。静態のままなら、青梅の1号機と交換して、会津で動態に
して欲しい気はする。 ブラタモリで「あいづむらまつ」の駅名板が映ってた。
紺地に白い筆文字が懐かしい… 最後までディーゼルカーレースは走らなかったんだっけ? 平日の熱塩発朝の列車と喜多方発夕方の列車は
日中線も高校生で満杯だったよ。なんせ2両か3両くらい
だったからね。
でも定期券は喜多方など他線の駅での発売がほぼすべてだったから
日中線の営業収入には1円もならなかったけどね。
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| ノ\ ヽ |
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彡、 |∪| | J
/ ∩ノ ⊃ ヽ >>74
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営業していたころより
営業終了したあとのほうがきれいな熱塩駅 野岩羽線と言えば福島・山形県境の大峠の旧道も通れなくなって久しいなあ。八谷側なんて崩壊しまくりでグシャグシャ。
日中線が存命だった時代(末期)のロードマップの一部には大峠越え(旧道・根古屋〜八谷)の区間に
「初心者危険」だの「夜間走行危険」だのの文字がおどっているものがあったような気が… >>51
もし米沢まで開通してたら鬼怒川温泉(もしくは下今市)−米沢に
今は無きキハ8500を使った観光特急も走ってたかもしれない。
東武でも熱塩温泉や米沢のPRも行われてただろう。 1983年春に行った。
熱塩駅の駅名標の隣駅のところに「あつざとう」とかいたずら書きされてたな。 ついに会津バスの喜多方〜熱塩方面も廃止されたな。
喜多方市による「デマンド交通」になるらしいが・・・詳細不明。
もし熱塩加納村が喜多方市に合併されていなかったら
こうはならなかったかもしれない。
なお広田タクシーの会津若松〜喜多方〜米沢の予約レトロバスは
喜多方側からの乗車で日中線記念館での下車は不可。
喜多方側へ便への日中線記念館での乗車は不可。
熱塩温泉の旅館ホテルに宿泊するならば無料送迎があるが
フラっと訪れるにはレンタカー借りるかタクシーでいくしか
詳細不明の「デマンド交通」を使うか米沢側から広田タクシー
の予約レトロバスに乗るか・・・。 DCは一度も入線したことはなく、最後まで客車列車だった たしか設定上は混合列車で、会津加納で荷扱いしてたはず
だからDLになった後も客レ そうなんだ。俺の記憶違いだな。最後まで客車列車しか来なかったのって、ここと清水港線と尼崎線くらい? 乗り鉄の中のほとんどの人は夜行ばんだいから乗り継いで乗っていたみたいですね。 >>88
勝田線 室木線 宇品線 ほかいろいろありそう 軌道検測等で、マヤ34とかキヤ191が日中線に入線したことはあるの? 日中線が誇れること。
「スト権スト」のとき運休列車は1本もなく運転されていたこと。 鉄道ファンからすれば思い出のローカル線だったんだろうけど
やむを得ず使っていた学生からすれば、酷い鉄道以外何物でもなかっただろうな
本数は最小限で乗り遅れたらアウトだし
汚らしい旧型客車を排気ガスを出しながらディーゼル機関車がチンタラ引いて走っていたわけだし
熱塩駅は全く保守がされていなく、お化け屋敷みたいな荒廃ぶりだったし(それこそ建物の崩壊事故とか起こしかねないレベル) >>96
東北・北陸は鉄労の強い地域だったのでスト権ストの時でも
必要最小限の列車の運転は行われてたらしい。 C11を撮りに行ったら、荒廃した熱塩駅の待合室にはがれかけた時刻表が
貼ってあって、それが「昭和36年○月改正」だかの古いものの
ままだったのに唖然としたっけ。(36年かどうかは忘れたけどとにかく
古いもの) 熱塩駅の元貨物ホーム跡もなんとなく覚えている。
「世界の鉄道」62か67だったかにこのホームに荷物がいっぱい積んで
あってその横でC12が発車を待っている写真が掲載さfれていたっけ。 C11を追いかけたころからずっと日中線の舞台は
「福島県耶麻郡熱塩加納村」だったなあ。 撮影ガイドの決まり文句
「さて日中線を撮影する場合、喜多方駅におりたら『熱塩温泉方面へは駅前からバスが出ております。』という
案内がある・・・云々」
そのバスももはや 野晒しのC11 63を熱塩駅に移設して欲しわ。
折角屋根付きで旧客1両が残っているのに、ラッセル車との組み合わせは有り得へん。 日中線沿線には熱塩温泉があるし それに高森山か梨木平牧場にスキー場を建設
すれば将来観光需要が見込めたのに残念。 日中線は最後までディーゼルカーは走らなかったのですか? >>110
俺は東北線123レから「あいづ」、磐越線乗り継ぎで最終下り→上り
帰りが夜行ばんだい 「喜多方市の温泉で水害」ってニュースで「市内の温泉?」と思ったが
熱塩温泉だった。熱塩加納村だったよなあ、昔は。
記念館は大丈夫だったんだろうか? >>108
当の国鉄がヤル気ないから
かりに「東北熱塩ゴールデンイーグルス」なんてチームができて
熱塩球場ができたとしても
1日3往復のままだったろうな。 バスが廃止になって、クルマかタクシー以外ではイケない場所。
それが旧熱塩駅。 >>117
そんな不便な所なんですか?
いつか訪問してみたいと思っているのですが。 こういう絶対的本数の少ない路線の通勤定期乗車券って乗車機会を考えてみたらかなり割高だよな。 一般人の乗車機会なんて
一日300往復でも
一日1往復でも
普通かわらないよ。
地方だと稀に「片道定期券」ってのもあるけどな。 >>124
例えばこんなの
ttp://www.aizutetsudo.jp/info/?p=726 会津加納駅の西側に奇妙な木造の建物があったね、後で調べたら与内畑鉱山の積卸場らしかったけど、昭和40年代後半に残っていたのは貴重だった。C11えを撮りに行った時はまだあったけど
すでに閉山したあとで遺構になっていたようだが、昭和49年頃には解体されたのかな。
あの積卸場の一番上から索道があって日中線をまたいで鉱山へつながっていたような記憶があるが間違いかなあ。 朝1本とかしかない路線の沿線の女子高生って、お腹痛くても漏らすの覚悟で列車に乗るのかな?
乗り過ごしたら次がないわけだし。 日中線があった頃は
国電型電車以外はトイレがあるのが当たり前だった。
兵庫〜和田岬間の客車はなかったかも・・・。 熱塩駅と旧客保存車を見に行きたいけど、横浜から18きっぷで日帰りは無理かな? 横浜から喜多方まで普通列車乗り継ぎで7時間弱ってとこだな。
喜多方から旧熱塩駅までタクシーで20分ぐらいか。
現地に一時間滞在したとして、16時間あればイケる。
朝五時出発で夜九時に帰投だな。 >>132
そんなあなたに
824列車
門司 5:22 発
福知山 23:51着 >>90
室木線は廃止直前・最後の一年はディーゼルカーだったぞ 尼崎線は都会地を走る不思議な路線だった。
やり方しだいで残せたような。 >>133
824レなら1ボックス占領して棲み家をつくった上で
途中のバカ停で息抜きができるが,
いまの時代の乗継旅行だとそれが許されない。 >>136
やってるヤツは今もいる。
オールロングの場合は目一杯シートに寝そべって、お菓子食べて
ジュース飲んでる。
地方線区は2両編成で混んでいる場合が多いけど、それでもお構いなし。
見たところ池沼では無さそうだが、社会性が全然備わっていない感じ。 旧熱塩駅の周辺に日中温泉や熱塩温泉があると思うのですが、それでも喜多方からのバスがないんですね。 もはやバスすらも贅沢な公共交通と化している。
というわけで喜多方市のデマンドタクシーをどうぞ。
運賃は固定で一般のタクシーよりはずっと安いです。 利用日の前日(平日のみ)午後4時までに電話で予約してください。
受付センター電話番号 0241-27-4455
予約受付時間 午前9時から午後4時まで
運賃は1回片道400円です。
バスはないけどこういうものがあれば充分だろ。 >>140
1日3往復の列車よりはるかに便利そうだが、希望した時間に予約とれるのだろうか? 営業係数が2000近くあったっけ?
北九州と北海道除けば,全国レベルでの最強赤字線。 昭和55年で1640だね
地元ではSL復活、C11使って誘致とかいう話もあったみたいだけど >>140-141
以前自転車で喜多方から廃線跡を走ったことあるけど、あっけないくらい早く
熱塩駅に着いたな
この近さでは、なるほど鉄道は不要なわけだと納得したもんだった 野岩羽南線も国鉄時代まで日光まで開通していて
宇都宮〜会津若松〜米沢という奥羽線経由の特急ルート(今の智頭急行のような)
でも既成事実として確立していればあるいは・・・ってのはあるかもしれない。
実際問題上野〜日光〜会津若松の国鉄ルートがあったとすれば
特急「あいづ」の経路が変わったかもしれない。 まともな都市ないのに、磐越西線に特急が走ったこと自体奇跡的なのに、
そんな田舎経由に特急ルートだと >>149
急行を特急に置きかえたのは収入を上げるためだな。
野岩線が国鉄時代にできてたら、当然特急が走って
いただろう。
特急=特別な急行ではなくなったからね。 秋田新幹線があえて距離の遠い田沢湖線経由にしたように、郡山=盛岡、田沢湖=猪苗代の存在は大きいんでないかな
北上線にも一時は特急「あおば」というのも運転されていたけど、あくまでも間合い。わざわざこの区間のためにディーゼル特急を
新設しないでしょう。 智頭急行にしろほくほく線にしろ今でこそ誰もが認める大幹線だが
日中線が走っていた当時は「また赤字線増やすの?」レベルだったよなあ。
日光から高規格路線を会津滝ノ原まで通して,会津線を電化して
熱潮から米沢まで一直線にトンネルをブチぬけば,
意外とすごいことになったかもよ。そのまま秋田まで新幹線になったかもだ。 JR化まで残ってたらどんな車両が走っていたのかな?レッドトレイン? 只見か磐西の間合いのワンマンのキハ40でしょ
機回し、車掌さんがポイント切替してたな 熱塩駅記念館行きたいのに交通手段がない。
喜多方駅から歩けますか? >>157
自転車で行けば意外なほど近いよ。廃線跡を通って行くこともできる。
レンタサイクル
○佐藤自転車店 TEL : 0241-23-2769
○渡辺貸自転車 TEL : 0241-22-2526
○民芸あくた川 TEL : 0241-22-0388
ttp://www.kitakata-kanko.jp/access/nijikotu.php 高校生の頃は東京ミニ片手に「あづま」「まつしま」で,東京遊び(といっても土曜昼すぎ〜日曜夜)
したいい年したオレだが,久々に普通列車だけで会津若松方面まで行ってみたよ。
(といっても帰りは会津鉄道〜経由だが)
面白いもんで,新宿から湘新ラインに乗って,大宮駅に着く前は新幹線に乗り換えようかずいぶんと悩み,
大宮を出てからしばらくの間かなり後悔していたのが・・・
これが面白いもんで,小山を過ぎたあたりから各駅停車の新幹線では味わえない
心地いい振動に快感を覚え,黒磯駅で乗り換えるときは九尾釜めしを思い出し
ことの他面白くなってきた。いくつになってもマニアはマニアなんだなーー・・・と実感。
乗る列車も車両もかわっても電車から見える風景にはあまり変わりばえがない。
実際かわったなーと思うのは,磐梯熱海にしろ猪苗代にしろ会津若松にしろ
あったはずの路線バスが軒並みなくなっている(あるいは大幅減便されている)こと。
早朝東京を出て,あれこれ道草を食っていたので,喜多方に着いたのは夕方。
山都まで乗車券は買っておいたので切符を残すことはできた。
予め予約しておいた山形屋に1泊し,翌朝記念館を見た。
駅として営業されていた頃はどこぞのバケモノ屋敷の様相だったのがわりときれいに
なっていたのは皮肉なもん。ホーム跡に立つと初めて列車できたときのことを
思い出した。あのころはこうだったなーなんてのはこの年齢にして初めて味わえる贅沢
なんだろうな。帰りは会津若松から会津鉄道,野岩鉄道経由で帰ってみた。 清水港線、尼崎港線と並んで最後まで旧型客車しか来なかった路線の一つ ガキの頃、日中は喜多方駅に留置されてるオハ60系2両に忍び込んで遊んでた頃が懐かしい。
国鉄時代は何かと良かったと思う今日この頃…。 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q 拾い記事
>1984年の廃線後も日中線記念館として駅舎が保存されている日中線の終着駅・熱塩駅を訪ねたいと思った。しかし日中線代替バスさえも2012年に廃止され、今では喜多方市が運営する予約制乗り合いタクシー、デマンドタクシーが代替となっている。
そうだったのか…
この筆者もレンタサイクルで訪問したようだ 清水港線もそうだが、正直日中線にディーゼルカーなどとても想像つかない。
あと、当初は6往復もあり、文字通り日中にも走っていた事から湯治客にそれなりに利用されていたと思われる。
しかし朝・夕・夜の各1往復ずつの合計3往復しか走らず、日中臨時列車すら走らない日中線を湯治客はどう利用しろと?
そのせいか日中線は通勤・通学客輸送のみに特化したと言っても過言ではなく、湯治客はバスしか利用しないのも無理からぬ話である。 >>168
×あと、当初は6往復もあり、〜
○あと、当初の日中線は6往復もあり、〜 ミニ周遊券で福島駅から急行いなわしろ
会津若松⇔郡山急行ばんだい
始発熱塩と宿代わりに3泊とかした事あったな。 >>171
コンビニも携帯もない時代にそんな中途半端な乗り継ぎしんどすぎる 夜行列車が走る駅では駅寝ができたからなあ。
15日の旅行で宿に泊まったのは3回だけとか
やったなあw カネはなかったが体力だけはあった
からな。 >>170
いつの時代?国鉄は固定資産税という名目では払ってなかった。 日中線記念館は喜多方からレンタサイクルで行ける距離ですか? 熱塩駅はじめ日中線各駅は、昭和39年10月1日無人化とのこと。
東海道新幹線の開業と同じ日。華々しい高速鉄道開業の一方で地方のローカル線は・・
当時のもと勤務員だった駅員さんがいたら、お話聞いてみたい・・! 熱塩駅は一度行ってみたかったが、果たせずに廃止になってしまった 熱塩よかったよ。廃止前で客が鉄ヲタだらけで線路に降りて好き勝手に撮ってる中、機回しする機関士さんと
誘導とポイント転換する車掌さんがかっこよかった >>172
急行「いなわしろ」があった時代の郡山駅は
「みどりの窓口」を含めて切符売り場は24時間営業。
室内待合室も24時間開放。
コンビニはなくとも,福豆屋食堂が24時間営業。
ついでにいえば,セブンイレブンの24時間営業の第一号店は
郡山市内の店舗。 機回しや連結作業は構内掛という専門職がやるのが普通だった時代
熱塩で車掌が機回しをする光景が新鮮だった >>185
路線バスがなくなり,
喜多方市のデマンドタクシーがある。
普通のタクシーよりは低廉料金で利用できるが,
事前予約が必要。
日中線が廃止された頃は並行路線バスは,賑わっていたのだが,
現時点では鉄道はおろか,コミバス程度すらいらないということなのだろう。 山形屋には10代の頃の夏に泊まった事があります。
少々古い作りでしたが、小奇麗な、感じの良い旅館でした。
日中線はまだかろうじてC11が走っており、夕方の列車を見に熱塩駅にも行きました。
山や田んぼに囲まれた、のどかで雰囲気の良い、小さな温泉町での一泊でした。
で、懐かしさにつられてストリートビューで探してみたら愕然。
温泉ホテルになってるなんて思いもしませんでしたわ。 熱塩温泉には混浴の共同浴場があったな。
いまでもあるのだろうか。 たしか村松駅周辺はキリンビールのホップ畑だった記憶が もの凄い遅レスですまない
>>32のポスターって
行商帰り風のおばあさんが居眠りしている横で
若い女性が唇に人差し指を当てて「しーっ」てしてるやつだろうか?
この若い女性がとんでもなく可愛かったんだよなぁ〜 次の18シーズンに喜多方からレンタサイクルで熱塩に行こうかな?
東京からだとちょっと遠いけど 日本と中国を結ぶ線ではありませんぞ
なぜ熱塩線にしなかったんだろ 日中戦争遂行のための物資(金属・セッコウ)供出が目的で、
野岩羽線を部分開業させたのが日中線(実話) オンボロ木造跨線橋があり,
駅舎と反対側には昭和電工専用口に伝わっていた喜多方駅。
いまはどうなっているのだろう。 もし東北新幹線計画がなかったら野岩羽線は全通してたかもしれない 山形屋に泊まったので近くの見所探してたらここがあったのでいってきたよ
自分の部屋からも駅舎が見えた
一泊一万ぐらいだから送迎もあるし温泉がてら行ってみるのもいいかも 歩いてすぐだったし >>32>>192
あれ昭和61年か62年頃だよね? 熱塩温泉好きで馴染みの宿に汽車の写真とか飾ってあるので
駅に立ち寄ってみたらなかなか広かった
今や代替の会津バスすらなくなり
というか日曜運休だから旅行には使いづらい 過疎の現実だな
鉄道が消え、クルマもなかったら人間らしい生活さえできない 温泉に来たかったらクルマで来い、ということだね
たしかにドアtoドアが便利だしお年寄りにも優しいけどね、
それだけというのもどうかな wikiには昭和23年から3往復と書いてあるけど間違い? 喜多方から熱塩まで歩いたらどのくらい時間かかるかな? >>211
単純に線路跡はたどれないけど、当時の路線長はたしか11.6キロだったよね。普通に一キロ15分程度で歩ければ勾配もほとんどないし3時間もかからないかな。 >>206
田舎ではクルマが生活必需品だからな。近くの温泉にバスで行くという発想はない。
昭和60年頃までは田舎でもバス路線がたくさんあったが
少子化でどんどん廃止になってる いい加減、公共交通の限界にきているのだろう。
緑ナンバーの敷居が高すぎるのだろう。
乗ろうが乗るまいが路線と時刻に縛られるバスにするか
乗ろうが乗るまいが常に一定台数を営業させなければならないタクシーにするか
どちらもムダのでる業種だからな。
中間みたいな「乗り合いタクシー」なんていうのもあるが、
結局は赤字がでると誰かが(たいがいは地方自治体)埋めるしかない。
といって白タク行為を解禁すれば、
今度は安全性という別の問題が生じる。 >>214
タイのソンテウのようなものか、ワゴン車バスを認める段階かもな。
海外ではそのような交通機関で小回りが利いている。 ……………………
佐貫駅を出発する上野東京ライン東海道線直通常磐線E531系
https://www.youtube.com/watch?v=8EEPyZ9Tf7s
…………………… 高齢者の運転事故がこれほど多く起きれば
交通機関への公費投入も致し方なし え?
高齢者事故はペダルの踏み間違いが主要因でしょ
ならば車の構造を変えてブレーキとアクセルを別の足で踏むように改造すればいいだけのはなし 盲腸線ということで何かと興味が惹かれるが
ついに乗ることなく廃止されてしまった。。。 >ローカル線乗り潰しはカネとヒマがないと出来ない
両方とも持ち合わせていない僕はどうしたらいいの 老後の楽しみに残しておいて、資産を残せるよう頑張って働こう 熱塩を熱海と間違えてとんでもない高額の切符を買ってしまったことがある 日中線が現役当時、喜多方ラーメンの存在は既に有名だったのかな? >>231
喜多方ラーメンというものが、ここまで有名になったのは、それほど古い話ではないです。
少なくとも七十〜八十年代はまだでした。 まち興しの為に食べ物をセールスするのってどうかと思う
喜多方ラーメンはまだいいけど
最近のB級グルメ?なにアレ? リニア沿線自治体、早期整備の要望書を提出
https://www.chunichi.co.jp/article/75173
>要望書では「特に、未着工区間については協議を
迅速に進め、早期着手を図ること」と強調。
沿線全域の総意になったね。静岡県知事は
どう答える。 >>235
グルメもコロナでほぼアウトじゃん
もう田舎で客商売出来なくなる時代になった 頑張って日中線を復活させよう。
ルートは少し別ルートで。 オハ61+オハフ61って言うのが基本編成だったな オハ35が連結されるのは超稀な日だった
日中線沿いに親戚がいるので小学生時代はC11に牽引されたこの編成、よく見に線路沿いまで出かけてたなぁ
貨車との混成編成も良く見かけた...
懐かしいなぁ...
米沢まで計画通りに繋がってたら... 今も廃線されずに運用されていたのかなぁ... >>248
終着駅って旅客ホーム1面1線は結構多いよ 機回し線ないとプッシュプル必須
背もたれのモケットがないから記憶に残るね
米沢行ってたら、野岩みたいに三セクで残ってたか
会津鉄道と一体経営あたりで 米沢出身だが
県境を越えて喜多方まで繋がる交通機関とか
全く想像できない。
開通したらしたで、人の流れができ・・・るわけがない。 米沢から喜多方の121号線は快適だけどね。
他府県ナンバーの大型トラックも結構見かける。 熱塩温泉は今はでも営業してるけど、日中温泉は存在しないそうだ。 >>261
一度は廃業したのに不死鳥のごとくよみがえったんだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています