思い出の淡路交通電車
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
かつて、淡路島にも電車が走っていた…
洲本と福良間を結び、昭和40年代に消えていった淡路交通の鉄道線について
語って下さい。 保存車が全くないというのが、本当に残念ですね。
某サイトで、廃止後に車両が次々と解体されてゆく画像を見て悲しくなりました。 >>40 新幹線や新鋭車両ではなく、こういう鉄道車両にこの歳で熱心に興味関心を持つとは、将来楽しみな奴だな。 廃止後、淡路交通鉄道部品セールなんてやったのかな?? 水間に行った2両は、転入当初は淡路交通カラーのまま貝塚〜水間を走ったんだね。 >>42 何故に2008が最後まで・・・残そうとしたのかな・・・垂直カルダン?
1010.1011が売れたから 自社初の鋼改車(オリジナルと云う意味で)1002の方が普通残し気持ちになりそうなんだけど・・・。
神鋼が色気ほのめかしていたの?
個人的は、南海からきた最後の卵 1005あたりが好い気がしたが・・・。 >>38-39
俺は昔、淡路交通とその淡交会・淡交社に関係があるのかと思ってたよ。 昔は牛引っ張った農家の人が、牛引き連れて乗っていたらしいぞ?
牛の乗車賃っていくらなんかな? 路盤が残ってれば復活も不可能じゃないね。
須磨ー淡路ー鳴門の列車 淡路市に遅れること10数年
とうとう旧洲本地区にもeoがやってきました
郊外より順次市街地へeo光、拡大予定
6月より第1区間予約開始中! 今月のRMライブラリー144号、145号は淡路交通?? >56
ガセネタご苦労。
次号は大阪市電になりました。
床下吊り下げのモーターにプロペラシャフトつなげた
直角カルダンもどきの駆動音を聞きたかった。
似たのが栃尾電鉄にもあったとかなかったとか? >>58
乗り越しカルダンとかって一部で呼んでたヤツだっけ。
厳密に言えばカルダンジョイント使わないからカルダン駆動じゃない、
というモノだっけ。まあ後の主流派となったWN駆動もそうだけどw
乗り越しカルダン自体は、他にも事例あったんじゃなかった?
ガソリンカーのエンジンをモーターに載せ替えるだけとかで。
淡路と栃尾と言えば、垂直カルダンですわな。これについては
ナローでカルダン駆動が採用できる、唯一の方法だったんだっけ。
結局は大成しなかったけどね。 乗り越しカルダンは名古屋市電だけで、また別のもの。
車体中央のモーターからシャフトを伸ばし、
両側の台車にある中央寄り1軸を越して外側の軸を駆動するから乗り越しカルダンと呼ばれてた。
淡路のは気動車のエンジン部分がモーターに変わったやつだから、言ってみれば車体装荷式の直角カルダン。
モーターを車体床下に設置して直角方向に車軸を駆動する電車、というのだったら今もある。最近の超低床路面電車の一部。
これとは別の方式で、モーターを縦向きに配置したのが垂直カルダン。
>>59氏のおっしゃるように、マイナーすぎて現存車はない。 実は、土佐電鉄に在籍している、もとシュトゥットガルト市電がこの方式。
走ることはないがなあ・・・。
世界に目を転ずれば、
イタリアの高速特急電車 ETR460、ETR470がこの方式。 クモヤ790もその方式じゃなかったっけ?
床下の大型誘導電動機から推進軸伸ばしてトルコン介して伝達するの。 >>62
ポイントは、そのトルコンを挟むというところを、上記各例と同じと考えるかどうかだろうなあ・・・。 無理に呼称する必要あるのか?
シャフトドライブ→シャフト駆動?
余談だが、垂直カルダン駆動 と クイル駆動 は別モノ?
あと 電気式気動車で 元相模(キハ1000) のちの、日立電鉄ハシゴ電車なんか は機構的には電気式気動車時代から吊りかけ駆動だったの?
>垂直カルダンとクイル駆動
は、別物です。
>電気式気動車
は、戦前製のものはすべてツリカケ駆動です。 垂直カルダン車の走行音や乗り心地はどんな感じだったんだろう…?! >>68 アース刷子交換やアマチュアのバーケンの手間は、どうだったのかな?
客室内フロアに点検蓋があったのかな?
軸部分のグリス潤滑で苦労しそう。 実物が残っていれば、↑氏の疑問もすぐに解決するのに。
やはり、車両保存は大切だよな。
全車両保存しろとは言わないが、垂直カルダン車くらいは残しておくべきだったと思う。
垂直カルダン車の図面くらいは淡路交通に残ってるんだろうな。 鉄道車輌の駆動装置なんていう重要部品を製作していたのだから
事業撤退後も神鋼社内に記録とか残っているんじゃないかと思う。 重要部品というが、現在駆動装置は撤退してしまった分野である上に
30年以上前にユーザーはいなくなってるし、
その後の鉄道車両に大きな影響を与えたとか、志を継ぐような技術が発展したわけでもない。
両社とも、「かつて手掛けました」という以外大した記録が残ってなくても不思議はない。
とはいえ、2008の、せめて台車まわりぐらい保存していてもよかっただろうね。
「淡路島にも鉄道があって、このような試みもなされました。」と誇ってもいいだろう。 やはり、全車解体は暴挙だったな。
廃止当時、社内で車両保存の話は出なかったんだろうか。 古い書類は捨てまくる事を推奨するこのご時世、残ってるとは思えないな。 1005が引き取り手なしで廃車は惜しい気がする。
1010,11も含めて琴電に行ってれば、90年代までは確実に生き残れただろうに、 気動車を電車に改造したり、垂直カルダンを自社開発したり、近代的な車体への載せ替えなど、鉄道の現場サイドは色々と意欲的だったのに突然の廃止決定…
といったところか? >>77
淡路交通って、客が減って廃止になったわけじゃないですからねえ・・・ >>75
その水間も数年で南海1201に総替えだからね >>76 琴電は、その頃(厳密にはその少し前)阪神から小型は沢山買っていたかな〜
仮に引き合いがあっても(1010.1011) は、南海一派で関わりのソコソコありそうな水間を優先していたのではないかな?
もし琴電が引き取っていたら(1010.1011+1002等α)も考えられたよな。 >80
廃止が長尾線昇圧で車輌をかき集めてた時期だったら、琴電入り有り得たかも?
その代わり、東濃の東芝電車があそこまで生きながらえなかっただろうけど。 >>81
というか、東濃車が入らなかっただろう。
昭和43年というと、コトデンは名鉄3700を譲り受ける寸前だね。
阪神に続き、車両統一志向になった頃だね(そしてオイルショックでその計画が破綻するわけだが)。 水間に移籍した2両も結局短命に終わったが、淡路島から大阪への輸送シーンを撮影した写真は残っているのだろうか? >>82 そんな中、玉野市電が行ったのは、車輌そのものが極めて上物でそして至近の対岸だから? 玉野のやつは、対岸のコトデンに移籍して永年活躍し、引退後は再び海を渡って里帰りして保存されたという、非常に幸運な車両だよな。 >>85 でもない。
一両は予備で殆ど走らずで稼働率の低い同車は琴電のお家芸で台車交換されまくり。
最終的には、貴重な運転チャンスに不遇に踏み切り無視進入のダンプに衝突し玉砕! 電化の際 近隣の南海・山陽・琴平参宮 各社の電気技術者を招いて指南を受けたみたいだけど、
複数社だと各社技術者間で見解・基準で揉めなかったのかな?
・・・もっともマダ戦後混乱期だから 何処もベッタリ面倒見切れなかったのでこういいうコトになったのだろうか?
他社の事だが、三岐鉄道は電化で何処かに技術指導をうけたのだろうか・・・
近鉄や三重交通あたりだと当時はマダ競合関係や関わりも薄そうな感じで難しそうなのだが・・・。 三岐の電化は小野田セメントの意向だったらしいから、
どっかそっち系のつてで応援・ご指導を頼んでるかもよ。
あくまで「…って事もあるかも」程度の想像だけど。
妄想ついでだけど、南海と山陽は、ともに私鉄63型が投入されたんだよな。
その辺で「共通言語」的なものはあったかも知れない。
三岐は小野田と繋がりが深かった東洋電機が主導的役割を果たしていたかと。
地方私鉄の電化で、電機メーカが丸抱えというパターンは結構あった。
東濃駄知の東芝製電車も電化工事を東芝が一括受注した結果だったかと。 当時は地方都市近郊に私鉄敷設ブームが起こってたから(ほとんど実現してないが)、
それを当て込んで電機メーカーが「電気鉄道まるごとセット」みたなパッケージ商売で
色々と売り込んでたみたいね。弘前電鉄(現弘南大鰐線)は三菱のデモ路線ですな。 昔、鉄道ジャーナルに連載の「車輌と共に・・・大井工場OB・・・」で日立電鉄から 元院電のモハ1を
引き取り復元した際のエピソードで 復元部品調達に淡路交通も調査対象に挙げられたみたいだけど
もしかして 当線のモ二501についていた螺旋連結器が役立ったの?(淡路はガラパゴスのため貨物は最後まで螺旋連結器使用) 車両を1両も保存せず、全部叩き潰したのは暴挙だな。 >>93 当時国鉄が、淡路交通がマダ持っているか(持っていたとしても該当車両の復元に使えるか?)あたったのだあって
淡路の電車の連結器が使われたのは?真相は定かではない。
1966年昭和41年廃止ですか。
それから9年後に淡路島に行った時駅の跡がありました 南海の木造車(特にクハ104)に是非乗ってみたかった。
想い続けていた当時(昭和50年代半ば)でも なんと福井には卵形の残骸が待合室に残っていたのだな。
模型造りに明け暮れ地方巡業を怠ったツケだな。
輸送密度5000人ぐらいの時に廃止されたんだっけ
今そのぐらいのレベルの路線ってどこだ? 自動閉塞の導入、車体更新、垂直カルダンの開発など、意欲的な面も見せ、利用者も決して少なくない…
そんな中での、突然の廃止決定だったんだな。
本当に残念だ。
もし今でも存続してたら、南海から来た角ズームあたりが走ってたんだろうな。 戦後仕方なくの電化で設備の老朽化も進んでいたのでしょう >>99
輸送密度5000人ぐらいで廃止かあ・・・
本当の理由を知りたいものだ。
線路跡がずっと放置されて残っていたが
明石海峡大橋開通前後の整備で綺麗に消えたので
廃止して買い上げてもらう想定の廃線だったのかと思わなくもない
公的にそういう事実は確認できないんだが 設備・線路が老朽化しており、これ以上投資して更新するより、維持費がかからないバス路線に転換したほうが有利と考えたのも理由の一つらしい。
あと、廃止前年に広田〜長田間で発生した土砂崩れでバス代行している間に乗客がバスに馴染んでしまって、再開後も電車に乗客が戻って来なかったのも一因みたいです。 昭和41年じゃ、時代遅れの鉄道は全部なくして車に切り替えていこうって時代だしなあ
路面電車と森林鉄道拓殖軌道を殲滅した思想だが、通常の地方鉄道にも無縁じゃない 乗客数などがある程度いた、あるいは上向きなのに廃止したところは
だいたい、設備更新費用への投資で諦めたところが多い。
名鉄の起線とか仙北鉄道とか。 この頃だと江ノ電ですらバス転換が検討された位だからな。
大量高速輸送機関非ずは鉄道に非ずという風潮だった。 今でも残っている痕跡は広田付近と掃守の橋台ぐらいかな? >>108
当時廃止になったところって最高速度40〜60kmとか、木造車が残っていたりとか、ぶっちゃけバス並みなインフラだったところが多い。
で、貨物がトラックに持っていかれたり、バスが頻発運転しだすとそっちのほうがいいと廃止。
まあ元々の並行道路が砂利道1車線とか山奥で獣道だけとかだったから鉄道が作られたケースも多かったのだが。 じゃあ北勢線とか内部線なんか近鉄じゃなかったら(ry >>113
逆に淡路交通が南海や阪神になっていたら鉄道線を残した気もする。
ズームカーやジェットカーの老人ホームになっていただろうけど。 >>111
十数年前までは路盤残った線路跡辿れる状態だったのに
明石海峡大橋絡みの整備で本当徹底的に破壊されたな… 廃線跡もほとんど消え、保存車もない…
どんどん忘れ去られてゆくな。 >>99 >>105
当時輸送密度5000人もあったのは大阪−深日港−洲本−福良−鳴門という需要があったから。
>>118
鉄道を外したから5000億で済んだが
鉄道対応にすると1兆かかった 戦時統合で淡路交通になったんだけれど、兵庫県内の交通一元化目的で、阪神、阪急、
山陽のどれかと一緒になったり、深日港経由の関係で南海と戦時統合されていたり、
戦後に南海とか阪神とかが本気で淡路島をリゾート開発する気だったら、違った歴史に
なっていただろうな。 >>120
もし阪急・阪神・山陽のどれかと一緒になってたら、神戸高速鉄道開通後は
阪急・阪神の一部の列車が「淡路島連絡」のサボを付けて明石まで直通してたかもしれない。 忘れがちだが明石海峡大橋開通前の阪神淡路連絡船は西宮や垂水からも出ていた よく淡路交通を「珍しい島の鉄道」と書いている文を見るがが本州や四国も島だし、鉄道発祥の地イギリスの鉄道も島の鉄道。
ありふれたものということを忘れていないか? 本州も四国九州北海道も、通常の行政で島として扱ってないだろうが。
頓知のつもりか。屁理屈をこね回しても面白くない。
グリーンランドを基準として、それより小さい陸は全て島
中学校の地理で習わなかったか
常識だぞ? >>120、>>121
神鉄は合併の妄想対象外なのか。神鉄が可哀想過ぎる。
せっかく妄想するなら、徳島の阿波鉄道と一緒に国有化された妄想をしたいな。戦後の昭和30年代ぐらいに、関門トンネルの経験を生かして、青函トンネルの練習として鳴門海峡トンネルと明石海峡トンネルが単線で掘られていたかもね。 国有化されていたら岩屋〜洲本と福良〜鳴門が開業していたのだろうか。 >>129 買収形気動車が増えて戦後それらが、土佐・有田・紀州あたりに流れている。
南海と阪神の卵の再就職先が減る。
電化されてクモハ42や51→113系(N40)→125系あたりの流れになっていただろう。
鳴門大橋通って徳島乗り入れしていたら165系→183系で急行・特急も走っていたか。 >>131 非電化で買収 紀勢本線だって電化はずっとあとなんだし暫く放置じゃね?
戦後買収なら車両、施設引継ぎなしの立退き土地収用
汐見橋駅の鳥瞰路線図もこの鉄道の存在を当時のまま記録した立派な痕跡だな。 ↑
ところが汐見橋駅のあの路線図、最近は劣化が進んで破れてる部分もあるよね。
淡路交通電車線や、今とは異なる和歌山駅付近の鉄道路線、野上電鉄などが描かれている大変貴重な逸品だと思うので、是非修復して頂きたいものだ。 すれ地承知の書き込みだけど、汐見橋駅の余ったスペースに
貴志川線に居た1201を持ってきて欲しかったなあ。
淡路でモハ1001(後に電装を外してクハ101)になった南海電化時の車は、
廃車後浜寺公園駅に置くとか・・・(まあ廃車当時の昭和36年は未だ 南海にも木造の卵電車が虫の息で残っていたから そんな機運生まれるはずもないのだが・・・) 昭和35年放映の日活映画[くたばれ愚連隊]は、当時淡路島でロケをおこなっており
その中で 淡路交通の電車の走行シーンが、カラーで大々的にでてくるぞ!
走る電車を線路沿いの道で追いかけたり、登場人物が踏切に立ちはだかり電車を停めたり・・・
(淡路交通が撮影協力したのは間違いないな・・・)
CS放送チャンネルネコにリクエストして是非観てみよう! >>105
設備老朽化により、代替による設備投資を迫られた結果、同じ運営のバス効率の方が良いと、
投資余力があるうちに鉄道線に見切りを付け、バスを強化で将来に備える結論だったはず。
バス専業として運営したほうが効率が良いと言う結論。 >>136
で、それについての会社側の評価と利用者側の評価はどうだったんでしょうか。
鉄道を残すべきだったと言う声は無かったのか、バス専業にして良かった、と言う評価だったのか 利用者側は電車だろうが、バスだろうが、路線が残ってれば騒がないだろ。
ただし、それらの利用者も20年後の予測は誰も出来ないだろうけど。
20年後に道路網の発達と自動車の激増で慢性的な交通渋滞に陥り、
バスの定時運行が出来ないなんて、淡路島では無いだろうけど。 >>138
さすがに20年後の予測はできないだろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています