だいこん・ダルマストーブ「三菱大夕張鉄道」
石炭産業の衰退による経営合理化の一環として、
昭和62年7月21日に廃止された、
三菱大夕張鉄道を語るスレです。
>>349
ライブラリーは絶版にしない方針だから、近いうちに増刷するんじゃない?
保存会の制作したCDはお薦め!!素人の録音だが3軸ボギー客車の走行音や、
国鉄最後の蒸気列車貨6788列車の発車シーン等、人々の息遣いが聞こえてくる
くる時代の記録となっている。
banbi8830 さん のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
動画がすばらしい。供養の思いをこめて みています
ありがとうございました JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=RJDXzoXs490&feature=channel&list=UL
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&feature=channel&list=UL 12月15日をもって南大夕張・大夕張炭山間を廃止します。長年ありがとうございました。 今年も
ttp://userimg.teacup.com/userimg/8120.teacup.com/imaisogo/img/bbs/0000739_2.jpg 三菱大夕張の混合列車に乗った。カーブの際に石炭車のはるか前方に見える
蒸気機関車の力闘を思い出す。 さよなら大夕張ダム感謝の集い 太鼓演奏「北の灘」
ttp://www.youtube.com/watch?v=L5vJ5xQDgJI 上のほうで夕鉄資料(夕張本町駅)の件で伺った者です。
数日前に渡道(旅)の機会があり大麻へ行きやっと閲覧してきました。
複写の冊子のほうには載っていませんでしたが
DVDには確かにホーム側から撮った改札の様子が映されていました。
階段を昇りきったらすぐ改札とホームだったんですね。
資料館時代はホームに保存車両が据え置かれていたそうですが
資料館当時に訪問した方の画像はネットに無いですね。
80年代の移転ですから旅行ブーム以降なのでありそうなものですが・・ 377です。帰宅後改めて調べたのですが、
一昨年のシンポジウムで夕張本町駅時代の遺構探索があったそうですが
その際に大夕張保存会長などと共に案内?があった遺構というのは
具体的に会館内のどの部分だったのですか?
自分が知りたいのは改札部分です。
会館は柱間7スパンあります(会館平面図でも確認できます)が、
前述映像を確認したところ、北から3スパンめが改札口でした。
よくシネサロンの入口階段部分の写真と共に改札&ホーム跡だと紹介されていますが
たしかにシネサロン部分含む会館端の長手方向がホーム遺構には違いないですが、
改札の位置を現在の平面図で探るとシネサロン北隣の「和室」あたりとなりますが
改札口の位置はその認識で合ってますか? 航空写真 昭和51年 鉱業所〜千年町のあたり
ttp://kuromax.web.fc2.com/ruin/hokkaido/aero/yubari/yubari4.htm >>378
見学したのは待合室部分。ホームへは階段を上がり改札口があった。レンガの
外壁部分は駅務室だった。シネサロンの入口階段部分は後に改装されたもの。
STVの廃線ビデオ「スイッチバック」にも夕張本町駅が出ていたと思う。 平面図では厨房が駅務室。ホールが待合室。ホール左上端(階段裏面)に夕鉄
共栄社の売店。右から2番目の和室部分辺りが階段・改札です。
ところで、何の資料を所持しているのでしょうか?
保存会では大夕張以外の資料も広く集めているようです。 どうもです。てっきり特別にどっかの部屋の中へでも入ったのかと思ってました。
待合室部分での見学の様子ならどこかのブログにも画像がありました。
改札へは階段で上がるのは承知しています(映像を見たことで位置関係がよくわかりました)
そのビデオもどこかで見てみます。恐縮です。
しかし、明確に待合室側(内部)から撮影した駅内部の写真ってどこにも無いんですね。 >>381
駅内部の様子、小生が推察していたとおりで、よかったです。
資料の件ですが、一応当方のコレクションなので、
自分が死ぬ前まではずっと持っているつもりでおりますが、
出改札関係の部品の現物です。
一昨年のようなシンポジウムのようなことが今後あれば、
参加して持ち寄って、ご覧頂けるのですが。 ともかく、お詳しくありがとうございました。感謝です。
これだけ書いていて、まだ夕張には一度も訪問できていないので
今後南幌の夕鉄コーナー、そして夕張の街へと伺うことを
大変楽しみにしています。 南幌の他、栗山の資料館にも夕鉄資料があります。また、今年は6日に催行
されましたが、保存会企画のバスツアーがあり閉鎖中のSL館等が公開され
ました。 三軸ボギーって異端だけど保守とか面倒でなかったのだろうか?
途中でTR11や14に振り返るとか
車体の重量バランスや台枠構造の都合でソレが無理なら鋼体化計画の時点で
台枠も含めて新規に作り直すとか種車を別のモノにしておくとか国鉄からもっと標準形車種の払い下げ受けるとか・・・ 3軸ボギー車は国鉄でも救援車など、結構末期まで残っていました。
保守で特別な技術も必要無かったのではないでしょうか? 9237+タキ5249+セキ×5+ワフ5+ナハ3+ナハ5+ナハ1 読売 > 北海道
夕張を走ったSLカレンダー…石炭採掘最盛期の8点 2013年10月24日
1960年代に石炭や旅客の輸送で夕張市内を走った蒸気機関車(SL)など鉄道車両の写真を
使った2014年版カレンダー「Memory of the 60's 汽笛の響いた街」を、三菱大夕張鉄道保存会
(奥山道紀会長)が製作した。
同保存会は、同市南部でSLなど鉄道車両の展示と保存維持活動などに取り組んでいる。同市の
JR清水沢駅で11月中旬まで鉄道写真展を開いており、出展作品から8点を選んでカレンダーを
作った。いずれも石炭採掘の最盛期で、同市の人口が11万人を超えた1960年代の写真で、
道内外の写真家ら7人が撮影した。
国鉄夕張線、夕張鉄道、三菱鉱業大夕張鉄道、北炭真谷地炭鉱専用鉄道を走る雄姿を捉えている。
明治時代に米国から輸入され、60年代半ばまで石炭を運んだ古い機関車の写真もある。
同市出身で釧路市在住の奥山会長(54)は「カレンダーを見て繁栄した頃の古里を思い出す人も
多いと思う」と話した。
カレンダーはA4判大で、500部製作。1部500円で、郵送で販売している。申し込みは代金
500円分の定額小為替と送料として200円分の切手を同封し、〒069・0855 江別市大麻宮町
4の6の502 三菱大夕張鉄道保存会事務局へ。問い合わせは、奥山会長(090・8635・5207)へ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20131024-OYT8T00052.htm
http://www.asahi.com/articles/HOK201310230003.html 手広くやってるんだったら「三菱大夕張鉄道」保存会じゃなくて
夕張の総合的みたいな名前にすればいいのにな。
かといって夕鉄があるから夕張鉄道保存会ではだめだし(笑)、困ったね。 >>392
「夕張」「鉄道保存会」
「夕張鉄道」「保存会」
どっちの意味にも見えてしまうもんなw
かといって「夕張の鉄道保存会」にしてみたところで、
「夕張の鉄道」「保存会」なら渋いけど、
「夕張の」「鉄道保存会」のほうへ取られたら間抜けだよねw 北海道新聞
【夕張】夕張市で鉄道車両の保存に取り組む三菱大夕張鉄道保存会は、夕張が最盛期だった1960年代に同会メンバーや市内の写真家らが撮影したSLなどの写真を使い、2014年のカレンダーを制作した。希望者に販売している。
カレンダーはA4判(見開きA3判)16ページで、写真は表紙を含め計8点。
石炭列車を牽引(けんいん)する旧国鉄のSLや、旧夕張鉄道の鹿ノ谷駅に到着する臨時列車など、炭都・夕張を支えた鉄道の姿を活写している。
価格は500円で500部制作。JR清水沢駅前の書店「文化堂」(夕張市清水沢町)で購入できるほか、送料200円で郵送もする。
詳細はホームページ(http://www.geocities.jp/ooyubari_rps/index.html)で。(町田誠)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/500343.html?rss 検見川の須直功光じゃね。
定山渓ヲタ。
元日本交通趣味教会。
金無いに苛められ西島にからかわれ尻尾捲いて逃げた負け犬 今日、浅草線のイベントで大夕張鉄道のカレンダーとキーホルダー売ってた。
ついつい全て買ってしまった。 こないだの浅草線のイベントで大夕張鉄道(?)のグッズを都営の職員が売っていましたが、東京都と夕張の鉄道会社は何かつながりがあるのでしょうか? 三菱鉱業→三菱石炭鉱業は東京本社
夕鉄も戦前は東京本社だった チャイニーズ首脳サッカー 沖縄海中華焼きそば
チャイニーズ首脳サッカー外交 沖縄海中華焼きそば
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チャイニーズ首脳サッカー外交 沖縄海中華焼きそば チャイニーズ強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海マー君博多焼きそば
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チャイニーズ光金強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海マー君博多焼きそば
チャイニーズ光金気オレオレプレン 沖縄海マー君焼きそば 宝沢(岳富町)以北は遊水地だった筈だけどどこまで水入れるやら ttp://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2014/03/19_12.html ・シューパロトンネル水没寸前
・常磐町一部水没
・白銀橋の路面近くまで水が来てる
・旭沢に水が入った
はぁ… 三弦橋だいぶ沈んできたな。あと数日で完全に沈みそう 旭沢橋梁の橋脚も半分程水に浸かったか、白銀橋も見えなくなりそうだし 常用水位で旭沢橋梁が実際に沈むかどうかは微妙そうに見えるけど
下部トラスが水に浸かるまであと2〜3メートル前後ってとこか ちょうど旭沢橋梁と明石橋が沈んだあたりで常用水位になるとかなんとか 旭沢橋梁も沈んでいよいよGoogle Mapの地形に近づいてきたな 大夕張鉄道の三号機四号機の給水ポンプについて。
通常、蒸気機関車の給水ポンプや空気圧縮機等の重量物は剛性のあるボイラー本体に大がかりな取付座を設け、付近のランボードとは無関係として振動その他の不具合の発生を抑えています。
その関係からか、国鉄制式機では火室の真横に重量物は見られません。ところが大夕張鉄道の三号機四号機は給水ポンプが非公式側の火室の真横、しかもかなり低い位置についています。
メインロッドやリターンクランクが隠される事を嫌いつつ国鉄制式の給水ポンプの収まる場所を探せば、大夕張鉄道の様な事になるのでしょう。あのような低い位置で、ボイラーに取付けていたのでしょうか?
その大がかりな枠から察するに、ランボードから給水ポンプを吊り下げるという無茶をしていたのではないかと思ったのです。
日本の蒸気機関車のランボードは数人が乗る以上の荷重を想定していない筈で、エアータンクのような中空の容器はともかく給水ポンプは無理でしょう。
ポンプの下まで囲う大がかりな枠は、走行中に給水ポンプが外れんばかりに揺れたからでは?末期に取り外されてしまった原因も取付位置にあるのではないでしょうか。
実車が保存されていますが、火室の側面には何の痕跡もないようです。これは修繕次第で綺麗に埋める事も切り継ぐ事も可能でしょうから、あまり参考にはなりません。
今は無い給水ポンプは、どこにどうやって取り付けられていたのでしょうか? 1960年当時の9237にも給水ポンプは装着されている。 >>428
台枠からステーが出てるんだよ。
ランボードステーをもう少し強固なものとして、ポンプ受けを構成してる。
探せば画像でもなんとなくわかると思う。 夕張鉄道保存会の皆様
おつかれさまでした。
日曜日に見学させていただきました。
いつもは幌がかかっていたりで姿を拝見することができない車両の数々を見学できたこと。
そして未だ実働に耐える状態での保存に対して感謝したいと思っています。
それゆえに一言だけ言わせてください。
鉄道模型の走行展示に関してですが、見ていて少しだけ「もったいない」と思いました。
それは個人的な感想でしかないかもしれませんが「ただ走らせているだけ」と言う印象でした。
テーマが「汽車フェスタ」で「南大夕張鉄道」のイベントなら
模型の走行を清水沢−大夕張炭山間を再現したものにしてみてはいかがかと思います。
しかし、本来ならジオラマで再現がいいのでしょうが、時間や予算がかかり、現実的ではないと思います。
しかし、過去の写真を用い、現状あるだけの模型パースの利用で、路線を再現し
その再現された鉄路で走行展示を行ってみてはいかがかと思いますが
いかがでしょう? >>428
美唄鉄道の6号機にも給水ポンプが装着されていた。 夕張とか雄別みたいにDC投入してたら多少は好転してたかな もともと旅客は添え物。並行して路線バスも結構走っていた。 >>436
新車投入と経営の好転がどう繋がるのか理解できない
新車を買えば償却しないといけないんですけどね 事業の本業は石炭採掘。そもそも地方鉄道業は兼業。設備投資は最低限。 大夕張と同系の三菱鉱業美唄鉄道の客車に社紋のスリーダイヤモンドとは別に
◇マークが表記されているが、どういう意味?