〜住民、1000億円争奪戦〜
炭鉱夫はもともと危険な職業であるため給料が高かった。
一般市民の2倍から3倍だったとされる。そして、彼らは明日死ぬかもしれないという意識もあって、「宵越しの金は持たない」という傾向が強かった。つまり貯金など全くしない浪費家ぞろいだった。
その後、技術革新などにより危険度が減少しても炭鉱労働組合は給料の減額を受け入れなかった。
そして気がつけば日本の石炭は世界一高くなっていた。
夕張の末期のころ、夕張炭の値段はオーストリア炭の10倍ほどになっていたと記憶している。この高値の原点は条件の悪い坑道などもあるが大半は人件費である。
国は国策として、この高い石炭を電力会社(北海道電力)や各地の製鉄会社に買い取らせていた。
しかし、こんなことは続かない。
国と製鉄会社は夕張炭の買い取り量を次第に減らすことで合意した。
当然、炭鉱会社の経営は苦しくなった。
炭鉱の労働組合はこれを認めなかった。彼らは当時の社会党の国会議員と共に、国策として高い夕張の石炭を企業に買い取らせるべきだと運動した。高い石炭を使用したら製品である鉄も高くなって
しまい国際競争に勝てないと指摘されると、高い値段の鉄を国策として自動車会社などに引き受けさせるべきだと主張した。
資本主義、国際競争、その他を全く考慮していない共産主義者の主張である。
ちなみに先日も北海道新聞で、夕張の破綻に付いて、当時の社会党系の活動家の人が、国策として石炭の買取を続けていれば夕張の破綻はなかったと主張していた。未だに判っていないようである。
当時の政府は幸いにも自民党であり、こんな馬鹿な主張は通らなかった。夕張の石炭を高値で買い続けるのは、炭鉱夫に浪費させるためでしかなかったのだから。
そして、炭鉱会社は破産した。
この時、よくある話になった。破産した会社は従業員に退職金を払えなかったのだ。
ここで、労働組合と社会党がまたとんでもない主張をした。
破産した炭鉱会社の炭鉱労働者の退職金を国が払うべきだというものであった。
また、無茶苦茶な話であるが、なんとこれが通ってしまったのである。
当時の炭鉱労働組合は社会党系でも最有力の組合であり、国会議員も抱えていた。
恐ろしい話であるが、夕張市は破産した炭鉱会社が所有していた社員住宅や病院を、資金を退職金に当てるという約束で高値で買い取ったのである。
実はこれが、夕張市の破綻の第1歩であった。
老朽化した施設を高値で買い取りそれの維持コストまで支払うことになったのである。
夕張市はその後も「国の金」に頼って市の維持を図った。
実を言うと夕張地区の賃金は高い。
現在はそうでもないが、昔はすごかった。
これは、高額な炭鉱労働者に引きずられたためである。
従って、市職員の給与も高額だった。炭鉱が無くなって、市の財政が悪化しても、市職員の給料は下がらなかった。
もっと問題だったのは炭鉱夫の再就職である。
彼らは高額の賃金に慣れていた。更に炭鉱夫としての知識と技能しかなかった。
閉山後、札幌や苫小牧に移住したもと炭鉱マンが再就職斡旋で提示された給料を見ると3分の一から5分の一になったそうである。
夕張市は、市自ら無理な観光事業を展開し、元炭鉱マンが納得するような給料を出していたという。
破綻したのは当然の結果である。
夕張に住む親戚から聞いているが、
夕張の山と市は炭鉱労働組合に食い尽くされたというのが事実である。