だいこん・ダルマストーブ「三菱大夕張鉄道」
石炭産業の衰退による経営合理化の一環として、
昭和62年7月21日に廃止された、
三菱大夕張鉄道を語るスレです。
ショーパロ湖畔を走る混合列車は「炭鉱」とは思えない光景だった SL甲組「三菱大夕張鉄道」に書いてあったけど、大夕張で4110が走ったて本当かな ショーパロ湖わろた
10まで何か書かないとまた落ちるぞ DD13(DL55)は廃線後どこへも引き取られずにスクラップになったのね。
何だか勿体無いような気もする。 大夕張で撮影された志垣太郎のグリコアーモンドチョコのCM。誰かyoutubeにアップしてくれ〜
http://www.asahi-net.or.jp/~bx5m-iid/oyubari/geisiga.jpg
尾西市 開明 CDショップセブン 常連客が困るので
移転しないで下さい 今まで何年も通い続けたのに
ゲオが出来てもセブンで買っていたのに 大夕張は最後まで混合列車で客貨分離はなかった。
同じ三菱系の美唄鉄道も昭和40年に国鉄払い下げのキハ05を導入したものの
最後は混合1往復に逆戻り。
比較的長距離を運行する雄別がキハ21を導入したが、経済合理性に徹したと
見るか、「三菱・ケチビシ」と見るか判断は分かれる。 5:08〜5:53のあたりに大夕張鉄道 明石町駅も出てくるね
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6848228
動画はあと、ふるさと大夕張にいくつかあるか 最盛期でも混合6往復に、会社公休日運転の不定期列車+区間の
通勤・通学列車。「正に炭山の鉄道」 大夕張名物・C56テンダのキューロク
4はSL館に3は個人所有。どちらも見学できないなんて〜 ここの廃止の発表って急だったよね
廃止の4〜5日前に初乗り(というか北海道が初めてだった)に行ったんだけど、
そこで初めて7月21日に廃止という貼紙を見てビックリしたのを覚えてる
この時もマニアはいたが、その数はせいぜい十人程度で、むしろ廃止と聞いた
地元の親子連れの乗車が目立ったくらいだった
廃止は7月だが、炭鉱の合理化案のひとつとして「鉄道廃止」が3月頃には決まっていたと思う でもJR分割、貨物の合理化も急速に進んでDLの引取り手がなく、
もったいなかった 廃線跡の最大の遺構は旭沢橋梁と南大夕張の車両か〜。
余り知られていないが南部の街には、ダルマとなった有蓋貨車も残っている。 大夕張といえば「走れケー100」も、ここでロケした。 皇帝のいない八月の「さくら」爆破シーンもここでロケじゃなかったけ?。 http://www.asahi-net.or.jp/~bx5m-iid/oyubari/geioku.jpg
奥村チヨ 「終着駅」 30代なので、この鉄道の最盛期は知る由もありませんが、
大夕張廃村時の美鉄バス「ありがとう大夕張」「さようなら大夕張」も泣かせるものがありました。
集落の外れに古ーい車庫と古ーいバスがあって・・・。 そういえば、美鉄バス自体が既に消えていたんですね(´・ω・`) 「大脱獄」でも清水沢の跨線橋や、大夕張の客車がちょこっと映っている。 見たことないけど、この事か?
http://www.asahi-net.or.jp/~bx5m-iid/oyubari/syuki09.htm#番外編・「CM」 夕張市立夕張高等校は1学年50人ぐらいしかいないのに
存続する意味あるのか?
誰がどう見ても税金の無駄だろ >37
昭和48年といえば、大夕張炭鉱が閉山してSLが廃止された年。
テロップに三菱大夕張炭鉱株式会社と入っていたのだろうか? >>38
おいらは型式はわかりませぬ
>>39
映像は見てないので何とも・・・
おいらは掘っただけなので。 T氏のブログの写真で申し訳ないけど
ttp://blog.auone.jp/service/attach/?BP=759240&FP=010000005174727
スレ違いだけど、三弦橋現役時代。GLかDLかわからないけど >40
掘るのは石炭。
リポビタンDの夕張鉄道機関士編もあったな〜 SL廃止時、2〜8の7両の9600形が在籍。そのうち3〜4、7〜8の4両
が現存して、残存率は50%を超えるが、すべて見学不可とは残念。 せめて4だけでも、夕張市石炭博物館横か客車などがある南大夕張に移設して欲しい >45
今の夕張にそんな金は無いだろう。
南大夕張の車両は昨日から公開開始、保存会に感謝。 >41
三弦橋は昭和33年の架設。車両はDLでしょう。
湯口さんの「北線路」では、何故か石勝線と勘違いしていたが、大夕張
鉄道線を清水沢から南大夕張までいき、下夕張森林鉄道沿いに占冠に
抜けるルートも石勝線建設時の構想にはあったらしい。
そうなると大夕張鉄道線も一部は残り、夕張市内の特急停車駅は清水沢か?
シューパロ湖を横断するSおおぞらなんかも見れた訳だ 鉄道ピクトリアルの記事によると夕鉄の札幌乗入れに関連して
大夕張からも車両を連結して〜という構想もあったらしいが、
一気にバスの時代になった。 夕鉄と三菱=美唄鉄道のバスだったが、当初は大夕張鉄道でもバス免許を取得
するつもりだったらしい。 ネコ、国鉄時代付録に登場する大夕張の9237、清水沢とあるが大夕張炭山でしょ 夕張鉄道の11形同様、大夕張でも96で重油併燃の試験を行ったというが、何処に
タンクを積んでいたのだろう。 >58
結局試験は、停車中に火を吹いて中止になったというが〜 こんなに寒かったら、まだダルマストーブが必要だな〜 >>65
廃止の1年前の話。しかもその時は廃止になることは決まってなかった。
乗車した列車は貸切状態だったよ。 >>60
模型の話でスマンが、1969年の青梅鉄道公園のジオラマに1/80のダイコンがいた記憶がある。
因みに屋外には食堂車(スシ38)が営業中であった。
私が大夕張に訪れた1972年、清水沢駅前でタブー(ちょっとだけよの曲)が商店街のBGMにかかっていた。
当時鹿島は斜陽化していたが、南部は活気があった頃… C56タイプテンダの96。4は歴史村SL館、3は個人所有。どちらも見学出来ないなんて 関係ないけど、R452上大夕張地区ってGoogleストリートビュー圏内なのね ttp://www.47news.jp/blog/OUT_NAME/%E5%B1%B1%E5%BD%B1%E9%9D%99%E5%AD%90-%E5%B1%B1%E5%BD%B1%E9%9D%99%E5%AD%90.html
先月22日の話か
話は違うけど、高橋商店とか岳たかはしとか、
ひょっとして大夕張にあった高橋電器店ゆかりの方々ですか?
張張のご主人が池田屋食堂の2代目で、岳たかはしが甥っ子ですしね。 驚いた。保存会のDVDを買いに行ったが、マッチ箱の客車に乗り女学校に
通った話など、色々とお話を聞いた。回復されたのだろうか〜 >>76
沈みます。ダムの高さの差がこれだけあります。
大夕張ダム堤高 : 67.5m
シューパロダム堤高:110.6m
また、Googleストリートビューで、座標が若干北にズレてますが、
43.064772,142.103391
これのやや南側が旭沢なのですが、
現道路橋上から旭沢橋梁と新道の橋(栄橋?)との高低差がわかります。 >>77
ありがとうございます。過去の写真に結構登場する鉄道名所だけに残念です S61年3月に行きました。
客は我々一行だけだった気がします。
片道は路線バスに乗らないといけないダイヤでしたね。
バスの中でつっぱり風の地元の高校生に話しかけられて
どきどきした記憶が。
わたしも最後に行ったのが86/03ですから、79さんと同じ時期です。
朝一往復、午後から夕方に二往復、計三往復でした。
三軸ボギー客車、達磨ストーブで本当に地元の人がスルメを焼いていた(信じられなかったです)。
今思うと、夢のようでした。