【神辺、笠岡】井笠鉄道を語るスレ【井原、矢掛】
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>>1 乙。
新山の記念館の番犬はもうだいぶ大きくなったかな? 乗ったこと無いけど、笠岡駅に止まっているのをよく山陽線の電車の
中から見かけたな。 矢掛線と神辺線の生まれ変わりの井原線で走っている
「夢やすらぎ号」だが、あの塗装を初めて見た時、
白のラインを入れて形式もIRTじゃなくてホジにしたらいいのにと思った。 蒸気機関車は、現役離脱後も後年まで長期に亘り多数温存してたのに
同鉄道フークエントサービスの立役者で、最後迄ほぼ原型での生き残れた
ジ5が保存されなかったのは非常に遺憾だ。 客車を一両ぶら下げる編成の列車に一度乗ってみたかった。
軽便によくあるスタイルだよね。
駿遠、尾小屋、越後、三重交通。あちこちにあったけど色彩の美しさや客車の筋のよさでは井笠は素晴らしい。
>>6
廃止後も8両が西武山口線で使用され、更にそのうちの数両が今も丸瀬布で
使用されているんだから大したものだね。 自分はなぜか長島スパーランドで放置状態の客車の内外をうろついたことがあります。
遠足で訪れて発見してしまい、それからはジェットコースターなど無視して張り付いてました。
内外ともにかなり状態は悪かったのですけど、オリジナルの塗装色の客車をこの目で見れた幸運には感謝してます。
井笠の木造ボギー客車ってデッキ妻が、木製の板張りの奴や 金属手摺りのもの
(デザインで何通りかあった)みたいだけどその辺のバラエィに興味がある。
屋根や窓構造の違い(1両だけマイナーメーカーに作らせた類似があった)は、
私鉄車両めぐりに記述があるんだけどね。
この客車たちも(基本設計は、日車?)・・・・って事は、頚城が開業時用意したボギー客車も同系かな? >>8
ホハ4だね。
>>9
ホハ10が内田鉄工所製で他が日車製だったと記憶している。
元両備→神高鉄道の客車もあったからバラエティーに富んでいるわけだよね。 キハ1〜3の旧塗装は客車とおそろいだけど、新塗装のほうが編成として美しく見える。
様式があまりにも違いすぎるからなのか。
洋装の孫が着物のおじいちゃんを引っ張って走っているように感じる。
これが他にはない井笠の魅力なのだろうか。
>>11 ホジ101,102は、当初から新塗装で出たのですか?
正直、小生 私鉄車両めぐり時点の概要しか知識が無いので、
前述2両の諸元、ホジ1、2、3との相違も解りません。
また 下津井の店じまいに里子に出されたホジ2は、調子が悪かった(コレだけ富士産業製)
だけど メーカーの違いに起因する問題、仕様の相違でもあったのですか? >>12
ホジ101、102は当初から新塗装(赤に白のライン)だった。
ホジ1,2,3とホジ101,102の外観的な違いは、ホジ1の方が前面のガラスが
傾斜している点ぐらい?。
性能的な違いもあると思われる。自重、定員は同じ。
下津井に行ったのはホジ2ではなくホジ3。確かにこれだけ
富士重工製だが、詳しいことは解らない。 有難うございます。
小生現行鉄道に関心なく資料も実家に永年保管したままなので
記憶風化やうる覚えで、鉄分低下気味です。
もう1つ ついでの疑問というか憶測もあるのですが西武山口線で
井笠の客車が、赤に白ライン(さすがに構造上タレは、無理だが)
になったのは、西武が井笠動車色の影響受けたのですか?(逆 蒲原現象というか)
それとも単なる偶然?
下津井ホジ3の件は、急勾配に耐えられなくて使い物にならなかったそうな。
頚城も木曽森林も車両が再集結してますし、井笠もどこか旧営業エリア内にそういった施設は設けられないものですかね。
井原鉄道、三線軌道にしちゃえよ。高規格立体化線路で性能の限界までぶっ飛ばすホジ3が見たい。ホジ9も。そうやって集客すればいいのに。
スレチになるのですが、 >>15 それにしても、廃業の為に一般的に考えて高額の設備投資として考えられる鉄道車両を買い込むとは、理解に苦しみます。
余程、トラック使用が困難とか軌道撤去を急がなくては、いけない理由でもあったのですか?
ひょっとして、営業で使う事も考えていたとか・・・
それとも湯口さんが、長門鉄道が、江若鉄道に一矢報いたはなしみたいに、井笠と下津井の友好関係みたいなもの(戦前ガソリンカー導入で井笠は指南うけてるみたいだし)で二束三文で差し出したのですか? 買い手のないものですからタダ同然で輸送費が問題になるぐらいでは?1970年代なら機関車の入手も限られ、もしあっても県外になると思うし。
出力の大きなホジ101にしなかったのは予想が甘かったんでしょう。レールが重過ぎたか。
ホジ101,102はパワーアップ量産型。軽便のディーゼルカーとしては仙北のキハ2406と並ぶ最も完成された姿じゃないかな。台東線には及びませんが。
戦後色(金太郎塗車両や湘南タイプ)軽便気動車が好きな俺には、井笠・仙北・静鉄駿遠は、外せないな。
遠鉄奥山線も悪くないが、暗い単色はどうも映えない。
、戦後昭和30年代の混沌とした中にも、つかの間の繁栄時代を象徴した姿の様で俺にとって最良のデザインだ。(3/6非電化も然り)
国鉄(敢えて そう書き込む)185系の踊り子カラーや上信1000系に端を発する第3セクターカラーや、
東武30000系みたいな顔は、後世の鉄達に当時流行したデザインとして懐かしがられるのだろうか・・・? カラーネガの変色を気にしなくては。
アメリカ人の残したカラー写真はけっこう自然な雰囲気で印刷されているのが腹立つ。
デザイナーという肩書きの人がまだいない時代。色の決め方は限られた数の既成色の中からの組み合わせだったと思う。
当時のカンペ等の色見本帳って残ってないのかな。今の日塗工色見本帖に引き継がれているのかな。
そろそろワーゲンのホジ12の試作品がUPされてもよい頃合いだが。
みんな買えた?
ホハ18型も出さないかな。
ホハ7型もトラス棒の収まりが違うから面白いんだけどな。 井笠鉄道の笠岡営業所にはまだ大量の廃車体が現存するの? >>23
くじ場車庫のこと?。
昭和55年に浮浪者に放火され貨車1両が全焼。
ホジ3両が半焼しました。
焼け残った車輌はその後新山や経ケ丸に搬出され
今は病院になってる。 井原鉄道の開業初期の会社案内を見ると、
井笠や中バスやトモテツも株主になっているな。 西武山口線時代の客車色は、ホジ1〜3等と同じなの? 羅須地人鉄道協会まきば線に旧井笠の客車が入線
http://t.co/EXEY5Yf
http://rass-rail.blog.so-net.ne.jp/2011-06-17
西武園で一緒に保存されていた残り2両と台湾のSL。
一緒に搬出されたようだが、
保存車、放置車スレによると福島県に向かったとのこと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています