【神辺、笠岡】井笠鉄道を語るスレ【井原、矢掛】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>1 乙。
新山の記念館の番犬はもうだいぶ大きくなったかな? 乗ったこと無いけど、笠岡駅に止まっているのをよく山陽線の電車の
中から見かけたな。 矢掛線と神辺線の生まれ変わりの井原線で走っている
「夢やすらぎ号」だが、あの塗装を初めて見た時、
白のラインを入れて形式もIRTじゃなくてホジにしたらいいのにと思った。 蒸気機関車は、現役離脱後も後年まで長期に亘り多数温存してたのに
同鉄道フークエントサービスの立役者で、最後迄ほぼ原型での生き残れた
ジ5が保存されなかったのは非常に遺憾だ。 客車を一両ぶら下げる編成の列車に一度乗ってみたかった。
軽便によくあるスタイルだよね。
駿遠、尾小屋、越後、三重交通。あちこちにあったけど色彩の美しさや客車の筋のよさでは井笠は素晴らしい。
>>6
廃止後も8両が西武山口線で使用され、更にそのうちの数両が今も丸瀬布で
使用されているんだから大したものだね。 自分はなぜか長島スパーランドで放置状態の客車の内外をうろついたことがあります。
遠足で訪れて発見してしまい、それからはジェットコースターなど無視して張り付いてました。
内外ともにかなり状態は悪かったのですけど、オリジナルの塗装色の客車をこの目で見れた幸運には感謝してます。
井笠の木造ボギー客車ってデッキ妻が、木製の板張りの奴や 金属手摺りのもの
(デザインで何通りかあった)みたいだけどその辺のバラエィに興味がある。
屋根や窓構造の違い(1両だけマイナーメーカーに作らせた類似があった)は、
私鉄車両めぐりに記述があるんだけどね。
この客車たちも(基本設計は、日車?)・・・・って事は、頚城が開業時用意したボギー客車も同系かな? >>8
ホハ4だね。
>>9
ホハ10が内田鉄工所製で他が日車製だったと記憶している。
元両備→神高鉄道の客車もあったからバラエティーに富んでいるわけだよね。 キハ1〜3の旧塗装は客車とおそろいだけど、新塗装のほうが編成として美しく見える。
様式があまりにも違いすぎるからなのか。
洋装の孫が着物のおじいちゃんを引っ張って走っているように感じる。
これが他にはない井笠の魅力なのだろうか。
>>11 ホジ101,102は、当初から新塗装で出たのですか?
正直、小生 私鉄車両めぐり時点の概要しか知識が無いので、
前述2両の諸元、ホジ1、2、3との相違も解りません。
また 下津井の店じまいに里子に出されたホジ2は、調子が悪かった(コレだけ富士産業製)
だけど メーカーの違いに起因する問題、仕様の相違でもあったのですか? >>12
ホジ101、102は当初から新塗装(赤に白のライン)だった。
ホジ1,2,3とホジ101,102の外観的な違いは、ホジ1の方が前面のガラスが
傾斜している点ぐらい?。
性能的な違いもあると思われる。自重、定員は同じ。
下津井に行ったのはホジ2ではなくホジ3。確かにこれだけ
富士重工製だが、詳しいことは解らない。 有難うございます。
小生現行鉄道に関心なく資料も実家に永年保管したままなので
記憶風化やうる覚えで、鉄分低下気味です。
もう1つ ついでの疑問というか憶測もあるのですが西武山口線で
井笠の客車が、赤に白ライン(さすがに構造上タレは、無理だが)
になったのは、西武が井笠動車色の影響受けたのですか?(逆 蒲原現象というか)
それとも単なる偶然?
下津井ホジ3の件は、急勾配に耐えられなくて使い物にならなかったそうな。
頚城も木曽森林も車両が再集結してますし、井笠もどこか旧営業エリア内にそういった施設は設けられないものですかね。
井原鉄道、三線軌道にしちゃえよ。高規格立体化線路で性能の限界までぶっ飛ばすホジ3が見たい。ホジ9も。そうやって集客すればいいのに。
スレチになるのですが、 >>15 それにしても、廃業の為に一般的に考えて高額の設備投資として考えられる鉄道車両を買い込むとは、理解に苦しみます。
余程、トラック使用が困難とか軌道撤去を急がなくては、いけない理由でもあったのですか?
ひょっとして、営業で使う事も考えていたとか・・・
それとも湯口さんが、長門鉄道が、江若鉄道に一矢報いたはなしみたいに、井笠と下津井の友好関係みたいなもの(戦前ガソリンカー導入で井笠は指南うけてるみたいだし)で二束三文で差し出したのですか? 買い手のないものですからタダ同然で輸送費が問題になるぐらいでは?1970年代なら機関車の入手も限られ、もしあっても県外になると思うし。
出力の大きなホジ101にしなかったのは予想が甘かったんでしょう。レールが重過ぎたか。
ホジ101,102はパワーアップ量産型。軽便のディーゼルカーとしては仙北のキハ2406と並ぶ最も完成された姿じゃないかな。台東線には及びませんが。
戦後色(金太郎塗車両や湘南タイプ)軽便気動車が好きな俺には、井笠・仙北・静鉄駿遠は、外せないな。
遠鉄奥山線も悪くないが、暗い単色はどうも映えない。
、戦後昭和30年代の混沌とした中にも、つかの間の繁栄時代を象徴した姿の様で俺にとって最良のデザインだ。(3/6非電化も然り)
国鉄(敢えて そう書き込む)185系の踊り子カラーや上信1000系に端を発する第3セクターカラーや、
東武30000系みたいな顔は、後世の鉄達に当時流行したデザインとして懐かしがられるのだろうか・・・? カラーネガの変色を気にしなくては。
アメリカ人の残したカラー写真はけっこう自然な雰囲気で印刷されているのが腹立つ。
デザイナーという肩書きの人がまだいない時代。色の決め方は限られた数の既成色の中からの組み合わせだったと思う。
当時のカンペ等の色見本帳って残ってないのかな。今の日塗工色見本帖に引き継がれているのかな。
そろそろワーゲンのホジ12の試作品がUPされてもよい頃合いだが。
みんな買えた?
ホハ18型も出さないかな。
ホハ7型もトラス棒の収まりが違うから面白いんだけどな。 井笠鉄道の笠岡営業所にはまだ大量の廃車体が現存するの? >>23
くじ場車庫のこと?。
昭和55年に浮浪者に放火され貨車1両が全焼。
ホジ3両が半焼しました。
焼け残った車輌はその後新山や経ケ丸に搬出され
今は病院になってる。 井原鉄道の開業初期の会社案内を見ると、
井笠や中バスやトモテツも株主になっているな。 西武山口線時代の客車色は、ホジ1〜3等と同じなの? 羅須地人鉄道協会まきば線に旧井笠の客車が入線
http://t.co/EXEY5Yf
http://rass-rail.blog.so-net.ne.jp/2011-06-17
西武園で一緒に保存されていた残り2両と台湾のSL。
一緒に搬出されたようだが、
保存車、放置車スレによると福島県に向かったとのこと。 井笠のHP見たら今年100周年とかで記念行事やるみたいだが、
記念ツアーとかあまり鉄道とは関連が薄いものばかりだった。
両備や下電も今年100周年でPRしてるが井笠のPRはイマイチ
だね。
今回の西武園の客車の動きが100周年に関する一環だったら盛り上がるのだが。
>>32
栃木県内の観光施設と保存車、放置車スレにある。
下津井に行ってホジ3と一緒に展示だとよかったのに。
羅須地人に行った2両は井笠色に戻されるのか気がかりだな。
>>31
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/1036/news/2310.htm
↑
★西武遊園地の車両移動
西武山口線で活躍た元台糖527号蒸機と井笠鉄道のダブルルーフ軽便客車4輌が
保存されていたが、全車が新たな保存場所へ向けて6月16日に搬出された。
速報:初代西武山口線の保存場所移動につきまして
-----------------------------------------------------------
西武園ゆうえんち内「レストランポッポ」という施設には、初代西武山口線(おと
ぎ電車)で活躍しておりました、元台糖SL527号と元井笠鉄道のダブルルーフ軽
便客車4輌が保存されていました。 今回、この車両全ての譲渡が決定され、その保
存行き先について、西武鉄道及び西武園ゆうえんち殿の深いご理解のもとせんろ商会
が、コーディネートさせて頂きました。
その結果、車両たちはそれぞれ、新たな保存場所へと移動することになりました。
元台糖SL527号は、台湾の台湾糖業文化協会を通じて、「財団法人陳中和慈善
基金会」の高雄の博物館に行く予定となりました。
客車4両のうち2両は、羅須地人鉄道協会・成田ゆめ牧場で引き取り、保存される
ことになりました。
http://rass-rail.blog.so-net.ne.jp/
(1)客車車体表記32号(本当は西武31号) 元井笠鉄道ホハ2 日本車輌製
(2)客車車体表記34号(本当は西武33号) 元井笠鉄道ホハ5 日本車輌製
残りの2両ですが、けいてつ協会が引き取り、同会メンバーであります栃木県・塩
谷町の「風だより・風の高原鉄道」にて保存することになりました。
http://kazedayori.moo.jp/
(3)客車車体表記31号(本当は西武32号) 元井笠鉄道ホハ6 日本車輌製
(4)客車車体表記33号(本当は西武34号) 元井笠鉄道ホハ10 内田鉄工所製
となります。 井笠鉄道100周年で新山で何かイベントとかやらないのだろうか?。
西武園の客車を持ってきて欲しかったとまでは言わないが、
もう少し新山を小奇麗に整備してほしい。
田中さんもご高齢だしもしもののことがあった後が心配。 以前95周年で「井笠鉄道 旅物語」1st
と言うタイトルの1号機関車とホハ1のポリストーン製
模型出したことがあった。
100周年で続き(ホジ1とか)出ないのかな?。 3000円だったか随分高いな。
乗工社やワールドのHOナロー1号機関車だと5万円近くしたから
それを思えば安いが。 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201107020021.html
井笠鉄道創立100年祝い催し
井笠地域を拠点に路線バス事業などを展開する井笠鉄道は1日、
創立100周年記念式典を笠岡市笠岡の本社で開いた。
商業施設では主催の油彩画展でテープカットを実施し、
バスによる記念の日本縦断ツアーも出発。
1世紀に及ぶ歴史を祝うとともに、新たな時代へ向けてスタートを切った。
式典には従業員たち46人が出席。関藤篤志社長は「人の交流、
地域産業の発展に貢献してきた。厳しいが、地域唯一の公共交通機関として
努力を重ねていかなければならない」と式辞。社員代表の大野仁観光課長が
「100年の歴史を基盤とし、新たな挑戦が始まる」と決意を示した。
笠岡シーサイドモールのふるさと交流館では油彩画「懐かしの井笠鉄道展」
を主催し、この日はオープニングセレモニーを開催。関藤社長やアマチュア画家
三笠博通さん(69)=大井南=たちがテープカットして祝った。早朝には記念企画の
日本縦断ツアーがJR福山駅から出発した。
レールカーを改造したハ15、16は駅に留置されている写真は見たことあるが、
実際に走っている写真を見たこと無い。
恐らく矢掛線や神辺線のラッシュ時専用だと思うが、いつ頃まで使用されていた
のだろう。 そろそろ百周年だったな、と思ってスレを覗いてみたが、社内イベントか・・・
>>46
矢掛線、神辺線廃止までと思われる。
確かに画像はないね。検索しても留置中の画像とワールド工芸の模型ばかり。 笠岡シーサイドモールのふるさと交流館の油彩画「懐かしの井笠鉄道展」
見に行った。
新山の記念館からかなり展示品が持ち込まれてた。
絵は古い写真を参考に描かれていて素晴らしかったが、西武山口線の写真を参考に
描かれた絵で、現在の笠岡インターチェンジ付近を走る列車と説明があったのはワロタ。
笠岡駅裏のホジ7だが、塗りなおされていた。
毎回何で窓枠の黄色を退色したクリーム色に塗るんだろ。
当時の色を知っている人いないのか。 井笠鉄道って優等が走ってたの。
詳しい人がいたら教えて。 新山の記念館にヘッドマークとか保存されてなかったけ?。 井笠本線に急行が設定されてたんじゃなかったかな?
バスとの対抗策で、少しでも早く走らせたいとのことで、
頑張ってはみたもののバスには勝てず… >>33
このような話で良ければ
ttp://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link230-10.html >>54、55、56
ありがとうございます。
>>57
見えません。 軽便鉄道って原付に毛が生えた程度の速度だったからなあ。
井笠も1435mmと言わなくても1067mm・国鉄サイズに改軌しておけば85km/h程度は出せて今でも残っていただろうね。 >>58
「N駿遠線の優等列車」で探してください。
>>59
どの時点で国鉄サイズにしていたかによるが、戦前なら国鉄線に
買収されたかもしれんね。 >>59
今の技術をもってしても、最高速度は精々65キロが限界みたいだね。
早めの改軌が必要だったんだろうけど、当時としては大型化が進んでた
バス化の方が魅力的だったんだろうな。 下津井電鉄では改軌、倉敷への延長が計画されていたが、
結局実現せず。実現していれば、瀬戸大橋線開業後も存続していたかも?。 井笠は井原線の話もあったから廃止に応じたのだろう。
ただ土電安芸線や北丹鉄道などもだが、国鉄の新線建設が遅すぎる。 >>64
神辺線と矢掛線はそうだが、井笠線(本線)は関係ないのでは。 >>66
この手のローカル線にありがちだが、路線の大半を廃止となると思い切って全線バスにとなってしまう。
北川〜笠岡だけで軽便やってもあまりペイしないし。 >>68
別ルートだけど、短距離だけ残しても無駄と判断されるケースが結構あったの。
実際には鬮場に車庫があったから本線だけでもかなり遅くまで残ったけど北川〜井原は廃線後、井原線建設に使ったしね。 >>69
井原線の工事で真っ先に路盤が完成したのは小田ー早雲の里荏原間。
まだ井笠鉄道井笠線は走っていた。
井笠鉄道の北川ー井原間の線路は、現在の井原線より小田川の対岸を
通っていた。 朗報です RMライブラリーで近いうちに井笠鉄道を紹介するみたい! >>71
情報ありがとう。いのうえ・こーいち氏が書くのかな?。
おととい朝のNHK思い出の鉄路本周編3に井笠鉄道。
当時のニュース映像だろうが、NHKも凄いの持っているな。 >>72
71は、ガセネタをあちこちに書き倒している馬鹿なので、相手にしては駄目ですよ。
ただ、井笠鉄道はそのうち出ても良さそうな気もします。 88号の「戦後生まれの私鉄機械式気動車」(下)の表紙が、
井笠鉄道ホジ1から3のいずれかだった。
それを見て思わず買ってしまった。 ホハのデッキに自転車積んでる写真見たんだけど、無料で持ち込めたの? 西大寺は自転車券みたいな券があったから井笠もあったと思われ。 >>76
それは面白いですね! どうもありがとう。 9月24日、100周年ありがとうフェスティバル 開催。
しかし鉄道やバスは無縁みたい・・・。
http://www4.ocn.ne.jp/~ikasa/pdf/100fes.pdf 廃止時の最終列車に1号機関車も繋いで走らせたらしいけど、1号機関車は、これは火を落としてからも最後まで除籍されなかったと云う事?
経費を考えるとよく最後まで除籍されずに維持できたと思う。
当時はそれだけマダ衰退したとはいえ井笠社内では、鉄道の力が有ったと云う事? 1号機は煙だけだよ。
でも営業線を走ったと言うことは除籍されてなかったんだね。 >>64
そうだね。廃止→国鉄で復活だと、短い期間でできたのは日南線、湖西線、岡多線ぐらいだね。戦前みたいに買収してもそのまま路線を使ってあげてたほうがよかったよね。そしてナローも改軌だけで済ませておくとかしておいたほうが利用者のためだったよね。 >>82 戦後私鉄買収にあたり そういう事を全くしなかった事が、当時の国鉄の親方日の丸意識、馬鹿な政治屋や土建屋の利権、を端的に物語っているよな。
無論 車両とした設備については、標準でないため使いにくい等問題のあるだろうが、
そういう諸問題は、買収会社のスタッフを継続雇用(国鉄職員の更なる増大は、定年近いベテラン職員や被買収会社の会社自体がバス事業等で温存するなら暫く出向してもらう形などやり方は、幾らでもあると思うし、
地元の人間なら地元の意向を反映した出来たと思うし第一 民間時代の苦労を知っている人間なら善い働きを、してくれたと思う)
徐々に改修してゆけば善いことだし・・・むやみな全面改修による休止・改修後の駅削減は鉄道離れの促進の愚策だな。
少なくとも江若や宮崎交通(バッテリー電車や青島以南は要改修だが・・・)は、ある程度当初は、既存設備を継続使用すべきだったと思う。 >>83
戦時買収と戦前の軽便線改築で懲りたんだと思う。
鉄道というのは規格がちょっと違うだけでも支障を来すし、橋梁などでの軸重差は致命的。
あと人事面でも国労動労どころか鉄労のような本部より組合でさえ被買収組を見下していたし、悶着を避けたかったのだろう。 >>84 スレ地承知で・・・昔 鉄ピクで可部線(広浜)だか飯田線の買収直後に乗車した時の古参マニアの
乗車記録に 「買収元の職員は、殆ど辞めてしまった・・・」とあったがそう云う事?
みなし公務員になれるにも関わらずウマミを放棄したとは、人間関係的に余程居心地悪いものだったのか?
規模の大きな阪和や飯田線買収線区でも中間に挟まれた三信あたりは、なかなか中央の同化政策が浸透しなかった思うのだが・・・・。 俺の祖父は南武鉄道の運転士だったが、国有化時に辞めてしまった。
なんでも、通勤距離が長くなったら困ると思ったらしい。
で、近所の親戚の洗い張り屋を手伝うようになった。
もう40年も前に他界したので、詳しいことはわからない。スレチ失礼。 中国鉄道(中鉄バス)が買収後職員の多くが片上に流れたと言う話を
聞いたことが、納得できました。 関西の国鉄路線は東海道線と国有化後の延伸を除けば買収私鉄ばかりなんだよな。
山陽すら私鉄だったのだから。
島安次郎ももとは関西鉄道の社員。
それでも一斉に辞めたとか聞かないのはエリアごと冷遇されたから団結していたのかね。 >>88
北陸線も滋賀県部分は関西の仲間に入れてくれ。 バスマニアですが、
現在でも、井笠鉄道バスって、古い大型短尺車が多くて、
軽便鉄道的だと思いませんか?
9mサイズのバスって、軽便鉄道を彷彿させる、というのは、
バスマニアの戯言でしょうか?
こういう感覚は、鉄+バスマニアだけなのかな・・・。
両備バスを見て「両備バス西大寺鉄道」の面影を感じ、
下電バスを見て「下津井電鉄」の面影を感じる・・・。
前者は現役時代を知らないから、妄想的だけど、
下津井電鉄は乗車体験はあって、電車の色が「赤」だったから、
現在の下電バスの「赤」と共通のものを感じる。 >>93
田中さんがご健在じゃなかったら誰が鉄道資料館管理するんだよ。
先日、会社設立100周年で表彰受けたばかり。 僕が昭和61年に鉄道記念館を訪問したときは、
田中さん、まだ愛想が良くてね〜。
「よくぞここまで来てくれました」と歓待してくれました。
その後、いろいろとあっようで・・・。
趣味の熱意が過度の人と、軋轢があったのかな・・・。 井原鉄道の基地喜知祭り行ったついでに井原駅でやっていた公共交通まつり
ものぞいて見た。
100周年で展示されていた井笠鉄道の絵が数点展示されていた。
と言うかそれだけ・・・。 下電では鉄コレ出すって大騒ぎなのに、井笠は鉄道絵画展だけ?。 井笠の社紋を手に入れてしまった。たぶんホジなどについていた奴。
正体不明の銘板として二束三文でヤフオクに。みな気づかなかったらしくそのまま最低価格で落札。 >>98
たぶんバスの前面に付いていたやつじゃねぇ。
折れも持ってる。 ひけらかしに来なければ真実を指摘されることもなくほくそ笑んでいられただろうに…(´・ω・)カワイソス
まあ、バスの銘板でも二束三文なら良いものでござるよ 下電に刺激されてホジ1+ホハ1とかの鉄コレ発売しないかな?。 「カブトガニ号」
現代に走る井笠鉄道のロマンスカー。
井笠鉄道井原駅(井原バスセンター)を出発、鉄道跡の道路を走り、
新山駅に停車、
終点は近鉄上本町駅地上ホーム(の上)。
こんな感覚を楽しめるバスマニアの僕は単にオメデタイだけなのでしょうか?
でも、こんなに「鉄系」の高速バスも珍しいから、
このスレの訪問者の方には一度乗車をお勧めします。
自由席だから、予約も電話一本で可。
きっぷを買うのが建前だけど、予約さえ済ませれば、
現金で乗車してもとがめられません。 ワールド工芸からNナロー ジ14が発売されるわけだが、ここに来るやつは
模型好きはいないのかな?。 下電の鉄コレみたいなのと違って、鉄道「模型」自体を趣味にしてないと食指が動くもんじゃなし
鉄道模型板行ってるんじゃないの
手ブレーキだけのキハは、どの様な手加減でクラッチを切りブレーキ操作をしていたのだろう?
どれ位の制動距離とかも気になる。 制動なんかはハンドブレーキのチンチン電車とだいたい同様じゃないのかな
駆動力が電気か内燃かの違いだけだし。 笠岡を出たすぐの辺りは線路際まで民家が建て込んでいたんだね。 >>107 笠岡の次の駅名が漢字で書けない。
ホジ101,102から始まった新塗装 朱色に白帯・・・・って、もしかしたら北海道の簡易軌道の影響?
・・・どちらかが、意識しパクッたような・・・・。
更にその後流山の流馬号が・・・湘南に朱色ボデイ白帯って何かヒトを惹きつけるデザインなのかね?
・・・俺は好かない色だと思うが。 >>115
井原鉄道の夢やすらぎにたのむ。
ついでに形式もIRTからホジに。 何のことかと思ったが、NGワードかIDで予め消えてるから
きっと誤爆じゃなくて荒らし 横浜線スレを荒らしてるのはどこのどいつだ?
井笠鉄道と直通とか言って >>121 そんなクズ野郎相手ににするな。
井笠の動車と云ったら 日車!のイメージが強いのだが、ホジ7〜9は、何故 梅鉢製なのだろう?
日車が、単端より少し大きめのこのクラスを未だ造れなかったからだろうか?
これだけ多数 日車製の動車を抱え込んでいたのに、セールス熱心でユーザーの希望があれば他社(この場合 当然日車)
の製品をコピーしてでも納品する加藤が食い込んでいないのが不可解。(下津井には食い込んでいた)
>>127
中国バスが引き継ぐ予定。
ttp://www4.ocn.ne.jp/~ikasa/pdf/203X_121011final.pdf 車体がウンコカラーのイカサマバス。
無くなっちゃうとちょっと寂しい。 井笠鉄道ホジらしき車両が映っている動画
http://www.youtube.com/watch?v=8RqlhEwz7GA
8分46秒くらいから。コメントにも書き込みあり。 軽便車両などがどういう所有権になってるのかしらないが
井笠鉄道の資産として持ってるなら管財人次第で鉄クズだな >>135
これは井笠のホジではなく北海道の簡易軌道だと思う。 【旅客】中国地方の井笠鉄道、10月末でバス事業廃止 自主再建を断念[12/10/12]
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1350053727/
岡山県と広島県で路線バスや高速バス路線を運行している井笠鉄道(岡山県笠岡市)は12日、10月末でバス事業を全て廃止すると発表した。
記者会見した代理人弁護士によると、自主再建は断念し、会社を清算する方針。
井笠鉄道が運営する路線バスの一部と、高速バス路線、貸し切りバスは他のバス会社が事業を引き継ぐという。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/121012/bsd1210121834013-n1.htm
倒産した3つのバス会社の経営再建に携わってきたみちのりホールディングスは「地域住民の足を守るため、事業廃止となる井笠鉄道の事業を引き継ぐ受け皿の新会社設立準備は整っている」と語っている。
これは、中国バスを率いる両備グループに対抗する狙いがある。 バス事業廃止&運行路線廃止になると困るのは浅口市寄島町や玉島黒崎地域の人たちだな。
寄島町は2年前までは寄島鴨方循環+里庄線で何とか使える状態だったけどふれあい号(週2日のみ)運転開始で
市からの補助が無くなった(少なくなった)せいで鴨方循環が両方向各朝夕1本のみになり、
実質使える路線は里庄線のみだったがこれが廃止されたら寄島地域は完全に陸の孤島化するな。
玉島黒崎地域も現在は寄島新倉敷線が通っているが廃止されたら何も路線が無くなってしまう。
以前は黒崎までは両備バスが来ていたみたいだからこれを復活の上南浦まででも運行できれば何とかなりそう。 政権交代したら少しは公共交通に優しくなるかと期待していたのに。 この前井原市駅に行ったけど、井笠鉄道の井原駅とは少し離れてるみたいだね。
徒歩30時間ぐらいかかるみたい。 >>146
愛知の井原なんかその4倍近くかかりそうだね。 井原鉄道の経営は大丈夫なのかね?
社名が似てるから風評被害を被りそうだ
(井笠も出資してたが) >>152
矢掛-小田の途中から神辺はほぼ井笠鉄道の路盤跡を流用している関係で出資していたと思う。
確かに今後どうなるんだろう。 みちのりホールディングス、井笠鉄道バス事業全面引き受け断念か!?
中国バスを持つ両備グループの圧力に耐えられず!? >>152-153
開業時の会社案内を見たら、中バスやトモテツも出資していた。 中国地方か…むかしは中部と並んで、第2組合が多かったな…
まだ「総評」「同盟」なんてのがあった時代… 全線引き継ぎ維持を主張し、両備との熾烈な争いを繰り広げたみちのりホールディングス社長は『諦めない!』との見解を出している。
一方で『両備の案では路線削減・減便といった内容であり、通学客や通院などの利用客側が奪われる結果だ。両備が勝利なら、我々はTOBによる買収を目指す!。両備側が買収防衛策提示なら強硬措置を採るであろう。』と語った。 中国バスHPに井笠鉄道バス路線廃止代替運行路線キタ
ttp://www.chugokubus.jp/10inf/pdf/ikasarosen.pdf
昨日付けで井笠鉄道事業引受を正式に断念したみちのりホールディングスの社長は会見で、
「井笠鉄道事業引き受けはならなかったが、わが社は今後も全国の破綻されたバス事業者の再建に全力で続ける」
と誓った。 今日、井原バスステーションに井笠バスを撮りに行ったんだが、
知らないうちにバスステーション裏に有ったスーパーが
マンションになっていた。 両備財閥は北振バスを井笠鉄道の受け皿会社として株式交換・両備財閥の完全子会社化して、「井笠バス」にするつもりと見られる。
新たな会社立ち上げするよりも、既存のバスを受け皿として引き受けることが最良だ。
しかし、強力なライバルも居る。
以下の事業者がこれに該当する。
★みちのりホールディングス
★第一交通産業グループ
★広島電鉄グループ
★ウィラーグループ
なお、関東を中心にバスを運営している国際興業グループは現在経営立て直し中のため、見送る方針。
さらに、某バス事業者の消極筋によれば、明日にも裁判所に井笠鉄道を破産申請すると見られる。 昨日をもって廃業した井笠鉄道、今日にも岡山地裁に破産を申し立てる方針。 新山の記念館を始めその他の保存車両はどうなるのだろう?。 168
新山は岡山大学の鉄道サークル管理でなかった? 鉄道どころか、バスすら地方交通(比較的過疎化の進んでいない山陽地方で)の存続が難しい実に厳しい時代だな。 倒産速報の続報。
帝国データバンク
ttp://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/3690.html
東京商工リサーチ
ttp://www.tsr-net.co.jp/news/flash/1222950_1588.html 昔、笠岡駅前に木造2階建てのミルクホールがあってなぁ・・
夏休みの間すごした岡山から東京に帰る日は、毎年ミルクセーキ
飲んでたな・・
赤い小さな客車、ナツカシス。 >>174
>>赤い小さな客車、ナツカシス。
それは西武山口線時代だろ。
昭和30年代までは茶色、その後は黄色と緑のツートン。 よよ?
えと、昭和45年頃の話なのだが・・・
ボケたか・・・スマヌ ホジだな
ちょいググったらホジ1〜3の愛称がトランジスタ・グラマーという記述が出てきたが
本当なのかね
ちなみにC57が現役時代に貴婦人と呼び習わされたことは一切ないらしい 赤い車体に白のラインだったような気がするから、これなのかな・
あと、前にカゴのついた木造のもっと小さいのも留置してあった気がしますな。
残念ながら乗車経験は無いんだけど、記憶の片隅に残ってるもんでナツカシス >>174
当時、どうやって東京まで帰っていたの?山陽新幹線も未開通だったし。。
ミルクセーキといったら「グリル」のことだね。あそこのサンドイッチは年に数度の御馳走だった。 >>183 ありありw
ただのぼやきに絡んでくれるとは、随分やさしいスレだねw
これまたぼんやりした記憶なんだけど、帰路は、幼い頃は
寝台列車、新大阪まで何かに乗っていた記憶もあり。
行きは、朝方笠岡か鴨方あたりに止まる寝台列車でしたな・・
東京発の やはりそうなるか
運営自体は協力しようがしまいがOB住人鉄オタでなんとかできるだろうが、金はな
ヒャッハー鉄屑と更地にして販売だぜーって言い出されたらどうしようもないしな 逆にこれを機に尾小屋や頚城みたいな方向に進んでくれると嬉しいのだが。 ボウル井原ってマダあるの?
廃業?
その跡地は何に? >>190-191
ボウリング場の後、スーパー「主婦の店」に改装されたが、自己破産であぼ〜ん。
その後「フレッシュマート」というスーパーが入ったけど長続きせず。
それからマンション建設のためにボウリング場〜スーパーだった部分が減築された。 >>191>>192 有難うございます。
湯口徹さんの、瀬戸の駅から に掲載されたボーリング場下の井原駅に留める車両の写真観て
激動の昭和を痛感しました。(これら車両の大半が製造された戦前このような時代の変動が、よもや起こるとは・・・想像できなかったかと)
鉄道廃止後から現代までの時間は、ボーリング場が駅に設けられたときから戦前まで遡る以上の時間が経過しているのに、
社会情勢の変化があまり然程ないのは不思議に感じます。
戦後西日本の軽便鉄道雄だった井笠鉄道が会社破産という悲しい結末を迎えたのは本当に残念と云うか地方交通事業の存続が深刻なことを痛感しました。 井笠鉄道が車両の引き取り手を探しています、というニュースがあった
ttp://blog.livedoor.jp/portepublishing/archives/51880787.html
バスだったが、さて http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/news/20130121-OYT8T01513.htm
井笠鉄道記念館ピンチ 所有権が破産管財人に
レトロな木造駅舎を利用した井笠鉄道記念館(笠岡市山口で)
路線バスなどを運行していた井笠鉄道が昨年10月末に事業廃止したのに伴い、同社の軽便鉄道時代の備品や車両を展示する「井笠鉄道記念館」(笠岡市山口)の存続が危ぶまれている。
破産手続きの開始で所有権が破産管財人に移り、資産が処分対象となっているためだ。
破産管財人は「どうなるかわからない」としており、地元住民や鉄道愛好家らは、笠岡市などに存続を求めている。
以下略 ラクかどうかは知らんし、趣味と仕事が一緒であるゆえの逃げ場のなさもあるだろうが
SLブームから雑誌に入って鉄道趣味誌人生か
羨ましい人生だなとは思う それだけでもアレなのに、
にやけた顔出しがまたウザいんだわw
道楽でメシ食ってるんだろ?
逃げ場とか超越しててラクだろうよ。 西武山口線の光景…
発車の時刻が近づくと、車掌はハンドブレーキのピンを外して緩める…
機関車の蒸気ブレーキだけでは辛いだろうので、短急汽笛数声を聞いたら
車掌は直ちにハンドブレーキを巻かなければならない。
客車の椅子のモケットは末期には西武電車と同色の茶色のものに替えられていた… 下津井って一般変換されないのな。
あそこのホジは相当前から保存車両と書かれていたな。 で、旧井原駅(井原バスセンター)解体です。井笠の遺構がまたひとつ消えます。 笠岡のホジは何とからなないのかね?
昭和30年代 静鉄駿遠線と並び非電化ナローの雄だったのに会社自体の破綻とは寂しい限り。 バス会社の破綻を聞くたびに思うが(会社自体は破綻しないローカル私鉄や神鉄粟生線のニュースでも)
雄であったからこそ、「オラ独占して儲かってやがんだろ?金払ってやってるんだからきりきり働けや」という姿勢を
破綻のニュースを聞くまで行政や住民が貫いてしまう印象を受けるな
行政の担当者は自動車しか乗らないから重要性を感じてないんだよね…
赤字路線を公益に資するものとして支える体制がほしいわ
私企業の支援が困難だから潰して市営や三セクに衣替えって割り切ってるならもう何も言わんが 赤坂遊園地の元薬師駅舎が懐かしい・・・。壊さなきゃ良かったのに。 >>213
井笠バスカンパニーになってから、
一旦跡地にあるバス停の名前を笠岡中央病院に改名したけど、
いつの間にか鬮場に戻っていた。
>>215
裁判や役所の機能があった「公事場」が転じたらしい。 それにしても難しい字をあてたね。
ここでしか見た事ないでしよ? 日車バス形単端で最後まで原型に近い姿だったジ5が残っていればなあ・・・・。
申し訳ないがコッペルよりジ5の方に残って欲しかった。 ジ5っていつまであったんだ?
車体延長・エンジン強化の対象から外れて1960年頃には引退済み保存車みたいな感じだったが
67年か68年に二軸車全車勇退した時には既に無くなってたような 地元で保存の動きがあるでもなし、保存してくれるのなら関東でも贅沢言えないんじゃない? 牽制しあってると木くず鉄くずになるぞ
下津井あたりに…ってそういやホジはあそこにあったな ホハだけなら欲しいぐらいだが全部引き取って搬出か解体するなんて一体いくら掛かるんだ
無理だわ 静態保存するだけでも経費かかるからね
神社仏閣みたいに拝観料を徴収せねばペイしないかもな 美の浜バスターミナルで保存されてないの?
両備バスが、
「もと両備バス西大寺鉄道です!
鉄道ファンの方々、ぜひとも、
西大寺バスターミナルへお越し下さい!」
なので、
実質、同一資本になってしまった、
井笠バスカンパニーでも、同じこと、やるのでは? ネットで調べたら、
記念館は新山のまま維持なんだな。
それならそれで、良い結果。
実は、井笠鉄道の債務を、
バス利用者が放棄させられる結末だった
(定期券・回数券・井笠鉄道バスカードが
そのまま紙切れになってしまった)ので、
「メモリアルなど論外!」と、
切り捨てられても不思議でなかった。 廃止事業者が使っていた車両の保存経費を誰が(どこが)負担するかは
なかなか難しい課題だね
決まらないうちに行き場を失った車両が解体されていく… 爆の方でも矢掛町の掲示板できたみたいだけど、全然スレないなw 旧新山駅の記念館、
記念館入口は旧プラットホーム側ですよね。
ネット画像でどれだけ探しても、
旧/駅入口側から撮影した写真がないんですが、
物理的に撮れない状態なんですか? >>240
http://blogs.yahoo.co.jp/uraken98/17661655.html
ここに写真がある。
入り口埋められていてなにもない。段差があって道路があるので
写真は撮れるけどね。
資料館になるときに埋めた模様。 >>239
ひと昔前までなら、最後は行政に泣きつくという道もあったようだけど
今は無理だよね。 だと思う。
他に思い付かない。
リアルに泣き付いてもどうしようもないでしょ笑 ファンの皆さんの胸に思い出として
しまっておきましょう きれいごと言ってんじゃねーぞ
どんな些細なことでも若い世代に伝えていく
それがジジババに課せられた指命だ 新山の記念館、知らない間に地元役所の管理になってたんだね セブンイレブン神辺上御領店がパトカーで封鎖されてたけど、何があったん? 今回の豪雨で氾濫河川として名前の出てた小田川を見て
矢掛線を思い出した 確か小田駅があったはず ツーリングついでに井原駅立ち寄ってるけど、この時期に暖房ガンガン効いてるのはめっちゃ有り難い >>235
井原鉄道が井笠を救済合併とかできなかったのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています