【冬がくれば】シュプール号【思い出す〜♪】
間もなく本格的な冬がやって来ます
冬のスポーツ言えばスキー
スキーと言えばゲレンデ一直線のやっぱりシュプール号ですね
そんなシュプール号&スキートレインの思い出を語りましょう >>70
シュプールでは抜かれていたけど、昼の特急でも使う為に
サロも一応フルフル塗装にしていたな。 >>74
しかしスキー場まで直接行けるという利点のあるバスにはどうあがいても勝てなかった 末期のころ。関西から北陸線の糸魚川を経由して非電化の大糸北線に入ってくる
白馬方面に行くシュプール号や夏の登山者向け列車って、ごった煮みたいに
いろんな車両を組み合わせていて、目を疑ったことあるな。 岡山発南小谷行き
こんな列車、二度と走らんだろうな シュプール号の先駆けみたいだったのが西武鉄道が企画した
「スキートレイン」かな。珍しい列車だな、と思い初日に
新宿駅へ行ってみたけどなんだかEF65かなんかと
12系の普通の編成(当時としては当たり前か)で
「つまんないな」と思いすぐ引き返してしまった。
国鉄の車両を借りた会員制列車だったんだな。 SMAP、福岡とかの西日本に活動拠点を移そうとしたが、逃げないように囲い込まれたか。ロンブーの淳は、その点、うまくやったと思う。
https://twitter.com/Fibrodysplasia/status/689457838297485313
マイトレーヤは原発の閉鎖を助言されます。
日本もさらに多くの原子力発電所を作ろうとしています。
多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。
マイトレーヤが公に話し始めるとき、彼はこのことについて話されるでしょう。
マイトレーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。
彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じである。
人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどたくさんの病気に抵抗することができなくなっています。
増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。
世界中で病気、主に皮膚、心臓、肺に関する病気の発生率が上昇しています。
免疫システムが弱体化し、この崩壊の結果がアレルギーです。
河川の汚染は社会に対する犯罪と見られなければなりません。
汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。
ずっと昔に征服された病気が今また復活しはじめています。
慢性疲労、癌、エイズなどの多くの病気を引き起こします。
あらゆる種類の癌の増大もまた核放射能によるものです。
認知樟の過程は放射能汚染によって加速します。 >>79
それってシュプール号の元祖じゃないかな?
専用の割安切符と組み合わせたスキー専用列車。 >>61
回送は北陸線でも豪快だった。
181系7連を2本併結14連とか。
自分が見たのは金沢から糸魚川の回送だったが、
もの凄いエンジン音と排気ガスだったな。 西は過半数、或いはほとんどを自社路線で走らせて、目的地側のわずかを他社路線を走らせる手法を
用いて、シュプール号を育てて行ったよね。
乗入れ先として具体的には東や地鉄なんだけど。 九州からやってくる大山スキー臨は
12系の裾にもう一本白ラインが追加されてたな 冬が来れば思い出すもの、それは転てつ機の火
(きのう見た) 向日町運転所で、方向幕が「シュプール白馬栂池」となってキハ181系7両編成を
DE10が推進して移動させているのを新快速の車内から見た。
キハ181系のドアはすべて開いたままで、開いているドアのところには黄ヘル姿の
操車担当員が立っていた 大糸線北部が不通の時は、復旧までの間、東海の「シュプール栂池八方」を神戸発にして、
酉も東海道・中央西線経由の381系「シュプール白馬アルプス」で繋いだな。
夏も同様に酉が381系で「リゾート白馬アルプス」を運転した。 >>89
この板に来る人にとっちゃ今さらな話だなぁ
ウィキで知ったから みんなにも教えれあげようってのは悪い気はしないが >>88
381系は日根野車でしたね。
一見違和感ないけど,中央西線への遠征。 スキー臨といえば大阪発江若鉄道乗り入れの
近江今津行夜行というのがあったな。
ハチ高原行のスキー臨夜行列車では夜中の1時や
2時到着というのもあったが、乗客は到着後
朝までどうしていたのだろう? 広島発着の快速「三井野原銀嶺」、福山発着の快速「三井野原スキー」など、
スキー客のための広島方面からの木次線直通列車が運転されていたこともあったが、
現在は木次線に並行する道路が整備されたこともあり、スキー客は観光バスや
マイカー利用に移り、現在の木次線ではこのようなスキー列車の運転は無くなった >>90
僕は単なるスキー人口の減少と思っていたから役に立ちましたよ。 名古屋と糸魚川の 二面作戦 で、臨時が多数、運転されたんだな(遠い目 むかしむかしの、この時期の岡山発米子行き鈍行〔ちなみにSL牽引〕、スキー客で大入り満員御礼。 14系シュプール&リゾート色「シュプール白馬・栂池号」の座席車で大阪→白馬 を2回と、381系「シュプール白馬アルプス号」で大阪→白馬を1回、583系「シュプール妙高・志賀号」の寝台で大阪→妙高高原を1回乗ったことあるわ。
当時は、「シュプール白馬・栂池」なら糸魚川、「シュプール妙高・志賀」なら直江津駅で長時間停車があり、いよいよここまで来たかと思ったものだ。 シュプール号には、スキーが出来ない自分は、1回だけ乗りました。95年頃だと思います。
当時、東日本のホリデーパスの拡大版スーパーホリデーパスを使おうとして、その範囲内に収まる「シュプール草津・万座号」で、大船から万座・鹿沢口までの最大区間を乗り通しました(品川、新宿経由)。
185系の1両に、中学生の自分と、通路を挟んでカップルのみという閑散状態でした。春休みという時期的なものもあると思います。冬だけは避けたかったので(確か)。
新前橋で前の「シュプール上越」を切り離している間、隣に、583系の「シュプール上越」が止まっていました。新前橋では、1時間近く停車したと思います。
万座・鹿沢口からは、渋川から「草津」となる快速で渋川まで行き、高崎から信越本線に入り、横川から「あさま」で小諸まで行きました。横川では、まだ、EF63との連結部分を規制などしていませんでした。
小諸から小海線、中央本線経由で帰りました。大月では、老夫婦っぽい駅弁の売り子さんがいました。
いずれにせよ、今ではできないことだらけで、貴重な体験だったと思います。 神戸→糸魚川→南小谷だっけ?
キハ180のエンジン換装は北陸トンネル対策でもあった訳だな? CMといえばトニー・ザイラーにたどたどしい日本語で「スキー行くならJRよ!」と言わせてたな
世界のトップスキーヤーにそんなことやらせるなよと思ったw はあ?CMなんてそんなもんだろw
高い金払ってんだからw 高岡から姫路までシュプール妙高・志賀8号に乗った。485+583の14両編成 >>104
トニー・ザイラーと行くスキーツアーもあった。最初の年の使用車両は「なにわ」「ゆうゆうサロン岡山」なぜか平岩で昼寝。スキーが上手い酉の社員がスキーを教えるのだがナンパしていた。 この頃のJR西は元気やったな〜。
商人の街、大阪の気質が鉄道にも大きく反映されてた。
新車の投入に限ればJR東に大きな遅れをとってたけど、
その他はアイディアなどなど、西の方が勝ってたし、色々な夢を与えてくれた。
今でも当時のJRに感謝している。 長野五輪1日前に白馬からの帰りに新幹線乗る長野駅で485+583シュプール信越雷鳥号大阪行き停まってたな〜。 山陰在住だった自分には、九州から来てたシュプール大山が懐かしい。レタリングとラインを増やしただけの塗装の12系が何気に好きだった。レタリングが多かったけど、水戸岡デザインだったのかな。 >>108
トニー・ザイラー シュプールで検索するとヒットするかも 仰せの通りにやったらヒットした
当時の世相反映したコマーシャルフィルムといえるね
楽しくなけりゃ○○じゃない、てフジテレビの決まり文句だw 懐かしすぎるそのフレーズ
社会のトレンドの中心にいつもフジテレビがいた >>107
社員もいたのかw知らなかった
当時よく聞いたのは、大学のスポーツサークルでスキーの上手いヤツが
インストラクターとしてついてきていた。
そいつらは、見るからにチャラくて、
そこそこのギャラをもらってカワイイ娘をナンパしてと、
美味しすぎるバイトとして有名だった >>120
ここをのぞいてるような連中はそんなことには興味ないし、羨ましくもないでしょう スキーバスにしてやられたな
スキー場直行の利便性とパックツアー企画の普及
特に後者でJR各社は遅れをとった
パック企画の立案は零細旅行会社だったらしい >>126
零細は生き残りに必死だからな
知恵を絞って大手がまだ始めてないサービスを売りにするしかない シュプールの思い出
たまたま隣の席の女子グループと仲良くなり
帰ってから、数回会った
発展はしなかったが >>129
快速シュプール大山号の開放式B寝台は結構発展していた模様w
エロいあえぎ声が筒抜け。 >>135
まあそう僻むなよ笑
鉄チャンがスキー含むスポーツ全般が苦手でこういうサービスに縁がないのはよく分かる >>126
スキーバス以外にも東日本がスキー輸送を新幹線中心に切り替えたことも大きい 社会人の最初の年にスキーに誘われ、はまってしまい、シュプール号のユーザーになってしまいました。
86-87シーズンからです。
最初は蔵王号で、大宮を出て空いていたら闇寝台車で使用してしまいました。
何回も友人を誘っていきましたが、すいている蔵王号が一番楽、こんな楽なスキーの行き方は初めてだといわれました。
ただ、混む時期はもちろん無理、しょうがないです(これが当然ですが)
当初は全部座席車のみと思いました。
蔵王号にいつか寝台車が設定されて、これが結構人気と記憶。
最後はシュプール号ではなく、ゲレンデ蔵王号に名前が変わっていました。
20年ほど前でしょうか? スキーができたら楽しい思い出の一つや二つ作れたのに
運動音痴だったらそれさえかなわずー 運動音痴には運動音痴なりの冬の過ごし方があっただろうに
今は幸せだな ネットがあるから ところがどっこい今はコロナでスキーも楽しめない時代
毎年こんな調子ならスキーは冬のレジャーではなくなるだろう 楽しいのはスキー場ではなく、
往復の車中なんだろ? >>144
両方楽しめた
蔵王号の例では、品川〜大宮までの貨物線走行に、目が離せなかったです
ちなみに、スキー場では、リフトに全部乗るとかコースを全部滑るとか
少し逸脱してしまいました
怪しいリフトもあって、結構奥が深いです >>147
そうですね、ですので結構あれば乗りたくなりました
1人用/2人用/3人用/4人用は良くありましたが(3人用は少なくなった?)、
6人用もあるそう、ただ6人用はさすがに乗ったことがないです
フード付きリフトや、速度可変の高速リフト、屈曲リフト
海外も含めば、横乗りリフトや複数区間リフト
滑走式がまた怪しい、初心者には厳しすぎるリフトも特に海外ではありました
ご参考 >>148
その気になればみんな鉄道の乗り物になるんじゃない。
路面気動車や無軌条電車もあるから・・・
例えば
バス→無軌条気動車
自転車→無軌条2輪人車鉄道パーソナル車両
航空機→無軌条空中飛行用気動車 人車鉄道、馬車鉄道は実際にあったそうですが、
自転車鉄道はあった?
見たのは、保線用の自転車軌道者ですね スノボも同じ。
スキーは複輪、スノボは単輪と区別する。 雪上車にスキー場で乗ったことがあるけど、凄い揺れ
発車前に、必ず揺れうからつかまって、と言われて多少は構えたけど、
想像以上に揺れて凄かった
岩木山スカイラインスキー場では、雪上車をリフト替わりにしてのツアーがあった。
もちろん1回****円(1500円くらいの記憶)
ということは、この雪上車は緑ナンバーの大型特殊自動車???
よくわかりません 道路ではないから免許は不要だと思う。
因みに日本国内には大型特殊二種免許を必要とする車は存在しないとのこと、 因みにナンバープレートが着いていたとしても「9○○」ではないかな? 牽引二種免許が必要な車両も現在は、東京五日市のつるつる温泉の送迎バスのみだとか。
連接バスは1車体の扱いなので不要とのこと。 空港で飛行機牽引する作業は、道路ではないので免許は不要だと思うけど、大特二種と牽引二種免許持っている人が、空港独自の試験にパスして採用されると聞いたことがあるけど、真相はどうなのかな? 試験場で、大型1種はトラック、大型2種はバスを使う。
大特2種と牽引2種はどんな車両を使うか調べたら、1種と同じ車両で、合格点が上がるだけだそうだ。 >>161
トレーラーバスは終戦直後は大都市で走っていたのが、放火事件が有ってから急速に減ったとか。
前後で完全に分離していたから、客車で何かあっても運転士が気づくまで時間がかかった。
連節バスはその心配がない。 >>164
車掌からの出発合図とかどうしてたんだろうな >>165
つるつる温泉のトレーラーバスの車掌に聞いてみるのが良いかも。 記憶が間違っていなければ、シュプール号がなくなって、ゲレンデ蔵王号、に乗った記憶があります
その時は寝台車でしたね、たまたまですが、パンタ下の特別中段寝台とその下の下段でした
池袋から乗った時は、1時間以上遅れ、しかし山形着はほぼ定時でした 昔の若い人は好んで冬にスキーに行ったもんじゃ。
ご苦労じゃあ。 ゲレンデ蔵王・・・それって、583だったっけ?
戸塚の大きな踏切んとこで撮った記憶があるな・・・