軽便鉄道2
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数少ない現役路線、消えた路線、想い出話や保存されている車輛の話題などなど >>886
遅まきながら、それ行ってきたわ。
話しとしては、鉄道路線が建設された経緯あたりがメインで車両面といったところの話しは無かったね。
RMライブラリとかだとは違った切り口なんで鉄としてはちと肩透かしかな? >>895
沖縄以外では知らんが
「言葉は変化するもの」「方言だ」理論でただの誤りを擁護して定着させていくとろくなことにならんぞ >>903
誤りを定着させるとは言っていない。
地元と中央で、地名の読み方の実際が異なる例とか、枚挙にいとまがないじゃないか。
地元での実際の例を示して、記録として抹殺されないようにしただけだ。 同じ山や川でこちらとあちらで名前が違うとか、結構あるものな。
明治初めに地名を採録したときの、無知が原因の偶然で、正解と間違いが出来てしまった。
物品の名前なんて、たーくさんあるわけだが、「ただの誤り」なんだろうか。
俺には豊かさの象徴のように見えるんだが。 開渠と暗渠の違いがよくわからん
あと、アーチ橋と暗渠の違いもよくわからん 釧路本の新編集版の内容は
旧版を所有してても入手しておく感じ? 末期だけね。
その時点でも並行する道路は未舗装のガタガタ道であり、小さな沿線社会からは必要とされていました。
ただ、仕手筋が仕掛けてくるとは誰も思わなかっただけで。
仕手筋に追われた旧経営陣、倒産後も姿を見せませんがどうしたんでしょうね。
今更合わせる顔が無かったのかな。 単に仕手筋に狙われ支配された、というだけなら他にも鉄道会社の実例がありますよ。
豊川鉄道の仕手戦は資料も残って様子がよくわかります。
近くは村上ファンドが有名。阪神も怪しい会社になるところだった。
これらは抵抗し失敗したから有名なだけで、経営権が移動した企業はほかにも沢山あります。 どこの軽便、軌道でも似たようなものだが
開業時の社員は超エリート、ことに運転手の制服姿は女子学生あこがれの的
てな話が語られないのは残念だな >>920
ちょっと大袈裟だ。
確かに花形だが、現在と違って就職は縁故採用が当たり前の時代で、
学歴のない人でも社員、運転士になった。 昨年磐梯吾妻スカイラインを通る前に五色沼とか行った途中に東電の水力発電所見つけた。沼尻鉄道の写真によく出てくる施設だなーと思って付近散策してみたら、駅の跡などが史跡風にのこされているんですね。のんびりしたいいところで、鉄道で訪れてみたかったな。 磐梯山の噴火で村がいくつか呑まれるほどの被害を受けて十数年。
よくもまぁ、軽便とはいえ鉄道敷けたな。 NHKBSの火野正平の自転車の番組で
沼尻の一部廃線ルートを辿り
木地駅跡とか例のトイレとか出てきた
機関車と客車の保存場所の雰囲気は
20年前とは変わったような 坂を登れないとき
三等客は降りて押す
二等客は降りて歩く
一等客は乗ったまま 貨物列車が登れないとき
重量が軽ければ下まで戻って勢いをつけ直す
重量が重ければ下まで戻って若干数の貨車を切り離す
定山渓鉄道では坂の上に先行貨車を留置する側線があり、機関車単機で戻って切り離した貨車を引き上げたそうだ
旅客列車と違い、なかなか逸話が表に出てこない >>910
あと、アーチ橋と暗渠の違いもよくわからん
現状の地形に覆いかぶせて作るのが(アーチ)橋
現状の地形を掘削してつくるのが暗渠=トンネル アーチは橋梁の構造のことだろ。
暗渠は構造を規定しない。
同列に並べてる時点で出口はないと思う。 >>929
洒落でつけたのか、まじめに考えたのか
当時を思い浮かべるだけでもおもしろい 登り勾配の編成分割、森林鉄道であればよく行われたというが、1067mmの鉄道でやるかなぁ?
流石に鉄道管理局が黙っちゃいないと思うけどなあ。 >>935
>>928の話はいつの話かわからないけど、
戦前だったらありえると思う
「バレなきゃいい」で無認可休止や無認可車両が跋扈していた時代だから…… >>930
軽便鉄道ではないけど隣の秩父鉄道も気になる
保存しました >>937
この時期の時刻表なら結構あるよ
ほしい情報があればアップします てかさ、自分でこのくらい検索することも出来ないの?
ガイジ? >>936
文明開化間もないころ、もぐりの人車や馬車軌道とかが横行したくらい
中には地元行政(県や郡など)が黙認してたのもあったとか
花巻電鉄鉛線の前身、大沢温泉以西の馬車軌道は?
特許以前から存在してて(県黙認)
たまたま、志戸平温泉に立ち寄った鉄道院のえらいさん(喜安健次郎)に見つかちゃって・・・
(そこに存在しないはずの軌道が!?) >>939
<こたえ>
「鉄道管理局」は鉄道院時代の名称、鉄道省以降(→運輸通信省→運輸省)は「鉄道局」
※戦後、運輸省「陸運局」と、外郭団体の日本国有鉄道「鉄道管理局」に分離
所管省庁における、運輸行政の地方支分部局でもあり
国有鉄道の地方機関(JRの支社・支店相当)でもある
現場に近いところで「監督行政」と「運営管理」双方が一体化!?
【沿革】
1908.12. 鉄道管理局(帝国鉄道庁組織再編、鉄道院発足、逓信省から監督行政の鉄道局を移管)
1920.05. 鉄道局 (組織再編、鉄道省発足)
1943.11. | (省庁再編[鉄道省+逓信省]、運輸通信省発足)
1945.05. | (逓信省再分離、運輸省発足)
1949.06. 陸運局 (組織再編、国鉄事業分離に伴う)
1984.07. 運輸局 (組織再編、陸運局と海運局を統合)
2001.01. | (中央省庁再編、国土交通省発足) >>944 陸運局ってバス、トラックからマイカーに至るまでの自動車も所管しているんだが。自動車の増加に伴い、そちらの方が主体になってきたわけで。
各地域の陸運局と国鉄の鉄道管理局との関係って、その地域の私鉄会社と同様、前者が監督官庁であるわけなんだが。 しばらく考え続けていた。列車分割について否定する材料もないが、肯定できる要素もない。
まず列車分割だが、ダイヤに臨時列車として組み込まれているものは当然対象外。
例えば三岐鉄道も伊勢山田駅での調整を予め考慮したダイヤ設定になっている。
実行の判断を現場任せにしたりせず、貨物の量に応じて臨時列車を走らせる。そこに、特に緊張感はないと思う。
列車の加減を、機関士など現場責任者の権限で分割する、というのは日本では極めて特殊な扱い。
アメリカでは一般化したが、日本では今まで聞いた事が無い。
管理局をわざわざ持ち出したのは、官営幌内鉄道の時代であれば外国人直接指導のもとで記録されざる行為があったかもしれないが、イギリス流の教本に統一されてからは重大事故扱いではないか、という考えがあっての事。
しかも、[下まで戻って]という表現は極めて危険な状況な訳ですよ。言葉のあや、揚げ足取りかもしれないが。
前進不能になって斜面を下るわけでしょ。制御を失っており、完全に事故じゃないですか。
そんな状況が常態化してたの?と疑う訳です。
定山渓鉄道は需要増を踏まえ、戦後電化ブームに乗って電化してますよね。
現場にはちゃんとした判断力があったと言う事ではないでしょうか。
だから、時に大きな量の貨物が押し寄せたとしても、ヤードに溜めて臨時列車を往復させる当たり前のことぐらいは出来たんじゃないでしょうか。
草軽のほうは、機関車がコッペルで選定ミスですからね。
そりゃ、あったろうなとは思います。あったからこその電化です。
全般的に軽便鉄道では列車単位に対し機関車出力が小さいんですよ。だから客車貨車にローラーベアリングが必要だった。
それでも斜面で停止というのは、誰よりもまず会社が青覚める様な重大事故扱いだと思いますよ。無認可運行とは本質が違う、事故ですよ。
対策として電化した草軽を含め、バレなければ大丈夫で運行を続けるという思考はないと思います。
続く もうひとつ見逃せない要素が運行本数で、現場で編成分割まで認めるアメリカは一日に東行きと西行きがそれぞれ一本づつ、みたいな真似を好んでするんですよ。
当時のアメリカでは通信手段が足りないので、大平原の中で上下列車の交換は極限まで減らしたかった。
だからありっったけの貨車をつないで一日一往復にして閉塞の懸念を追い払ってしまう。
難所を越えるのに何時間かかろうが他に迷惑は及ぼさない。
どんな手段を使っても良いので、機関士の権限でその日のうちに拠点駅に入ればいい。現場の裁量範囲は非常に大きい。
また線路も、開通を急ぐあまり土木工事をしないから、無名の局所的な難所が多い。
幹線も複線だったり拠点駅が多かったりするだけで基本は守る事で、権限についていちいち考える無駄を省いた。
現在でも制度的には何らかの形で残されている筈です。これが列車分割です。
最近カナダで原油輸送列車が斜面を下って大事故を起してましたよね。それから現場裁量権などの面で扱いも変わった可能性がありますが。
定山渓鉄道、戦前とは言え、運行本数はそれほど少ないの?
難所を越えるのに行ったり来たりで、現場の判断で線路を長時間塞いでよいのか。日本の国鉄が採用しなかった原因が、これじゃないかと思うんですが。
日米の間では鉄道運行のポリシーと言いますが、かなり基本的な所から制度が違う訳です。
定山渓鉄道はどこからこの、列車分割を知ったのか?そこから無理がある。
現場任せにせず、事故も避け、上下列車交換まで考慮し計画的に臨時列車を仕立てた方がいい。定山渓鉄道もそう考える筈だと思うんですよね。
そうなったら、目撃者も特に記憶に残らないんじゃないでしょうか?
話の出所はどこ??<それ>は当事者には面白おかしくとも、会社にとっては単発の、繰り返してはいけない、重大事故だったのでは? 伊勢山田とは?
三岐鉄道の伊勢治田の事なら、東藤原駅の留置線が充分では無いから補完する意味合いで造られた物だと思うが。
あそこのメインはセメントで下ってく一方だから、あそこまで辿り着けるのなら東藤原までは余裕で登れるよ。 特定の勾配がどうとかいう話じゃない。
線路容量に対し過大な需要があった時に、一時的に滞留させておける側線ということです。
その役目を果たす側線を用意して計画的に運ぶことが当たり前という事。 三岐の例で言えば、需要が一時的に増大した時に滞留できないと貨物列車を長くせざるを得ませんよね。
途中駅の待避線長さを超えたりとか、そもそも待避線の数が足りなかっりとか、運行に支障が出るわけです。
勾配から始まった話ですが、勾配だけが難所ではありません。
勾配を含めたボトルネックに過大な入力があった時に、滞留場所が必要と言う事です。
急勾配区間もボトルネックな訳ですから、滞留場所を設けて計画的に編成を分割するのが当然ですよね。 三岐の場合は年末年始で輸送がストップした時のセメント貨車の滞留場所が内から伊勢治田がある訳で、近年では取り扱い量が激減したから空っぽだわ。
長文書いて何言いたいのかさっぱり分からんなぁw
例えるなら真っ先に横軽の例を上げて説明しな。 >>944
草軽電気鉄道の前身、草津軽便鉄道が開業した時に、なぜ鉄道管理局がでてくるのか?
それが謎で質問したのだが。その当時は、監督局だ。
沿革がおかしい。どうやって、でっちあげたんだ?7
鉄道院の監督行政は総務部に始まり、監理部が行った。
その後監督局になり、鉄道省に引き継がれた。戦時下に地方組織を作ったが、中央集権に変わりはなかった。
だいたい、戦前と戦後の地方組織は直接繋がっていない。
なぜなら、戦前は中央集権で地方に権限がなかったのを、GHQの民間輸送局(Civil Transportation Section)が、
強制的に中央集権をやめさせて地方局を作ったのが、今の組織の始まりで、国鉄発足時に陸運局を設置した。
しかし、日本の中央官僚は地方分権を骨抜きにするために、本省には鉄道監督局を設置した。
地方の運輸局で事業開始や事業廃止などの許認可を扱うようになり、地方局に権限が委譲されたのは、近年の事だ。
>>944
出鱈目を書くな。監督行政を知らないなら、知ったかぶりするな。 あ、別に戻らなくてもいいや。1067mmの話だ。
あったと強力に訴える資料があれば別だけど。 >>946
定山渓鉄道が電化したのは戦前(昭和4年)
ただし貨物はずっと蒸気機関車のままで電機が投入されたのは昭和32年 >>946
>>定山渓鉄道は需要増を踏まえ、戦後電化ブームに乗って電化
ブームだけで電化するのか?
石炭事情の悪化が大きな要因。 小学生の作文読んで、一生懸命添削する皆さんには頭が下がる >>960
非電化私鉄が燃料事情からやむにやまれず電化する動きが続出したのを
後年の鉄道マニアが「ブーム」と総括したわけだからな。 >>965
代燃車、読んで字の如く石油不足で、ガソリンの代わり。 >>966
ディーゼルエンジンだと代燃使えないとか
湯口氏の著書読むまで考えたことなかった
点火構造考えると当たり前なんだけどね >>969 外燃は燃費が悪い。小型車両には向かない。 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
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色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 >>928氏の定鉄の編成分割話、
北海道新聞社から出版された「定山渓鉄道」に載ってたわ
「石山坂」での話らしいね
資金難で開通当初は軽便鉄道並みの規格(簡易線なみ?)で急勾配・急曲線があり、
さらに非力な1100形機関車では
・満員列車が満足に引けない(蒸気が足りなくて途中で止まる)
・雪中運転に難あり(非力で排雪できない)
こんな有様だったので「窮余の一策」として枝線を設け、貨物列車の分割をした
と、ざっくりこんな感じに書いてあった
末期の立派な電化私鉄の姿は苦心して改良された後の姿らしい 九十九里鉄道の記事を鉄道フアンで読んで東金行った。
客車はすでにバラバラで、キハのv8エンジン転がってた。今思えばあんな小さいエンジンで頑張っていたんだなと思った。ケワの朝顔連結器、結構デカイんで、持ち帰り不可能だと諦めて、キハの遮光幕の切れ端持ち帰った、50年前。 >>983
その当時、俺3歳くらい。
廃線跡廃車体をリアルで見れたあんたの世代が浦山。
俺がある程度自由に動けるようになって見に行った新黒井も東金も鬮場も、なにもなかった。
せいぜい下津井や尾小屋くらい。
遅かったよ、俺の世代じゃ。 当時小学生だったおれの軽便興味を目覚めさせてくれた鉄道フアンの こっそり ひっそりめだたずに がデジタル図書館で見られることに感謝です。 >>984 西武山口線の頸城などから来たSLを見る機会はなかったのか?
子どものころ、東京近辺に住んでないと難しいか? >>983
九十九里の場合、V8でも1953年フォード用のサイドバルブ最終型で
SAE基準110馬力あったんだから、戦前のフォードソン時代よりはだいぶ余裕はあったな。
(それでも伝え聞く運用からフル稼働させてたとは思うが) >>986
いや、俺そこのけっこう地元で、消防時代に遠足で行って乗ったんだが、俺的にはあそこは遊覧施設でしかない。
頸城のSLも井笠の客車も見たり乗ったりしたが、あくまで保存されてるだけにすぎず、大きな感動はなかった。
廃線跡でも廃車体でも、その場所に残っている状態で見てみたかったわけだ。 >>985
図書館と言えば、消防の頃に利用してた地元の図書館にあった、毎日新聞社刊の「軽便鉄道」は俺を軽便の世界に引き込んだ。
それからは、鉄道フアン誌の新刊案内で湯口徹師の私鉄紀行シリーズや高井薫平師の写真集が出るとすぐに図書館にリクエストを出したものだ。
当時は地元も財政に余裕があったのか、こんなマイナージャンルの高価な書籍を、俺のリクエスト全てに応えて入れてくれた。
それこそ毎回のように借りるの延長しまくって毎日読んでた。
後年蔵書検索で調べたが、湯口氏のあのシリーズが全巻揃ってるのは県内で俺の地元の館しかないことがわかってる。
自分で購入したかったが、小厨房の俺に1冊3千円もする書籍を何冊も買えるはずもなく。 >>990
みんな知ってるから反応しなかったんだろけど、笠岡の陸橋下。
今は綺麗になった。 >>979
同じ場所かな。
陸橋の下には見えないね? レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。