軽便鉄道2
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数少ない現役路線、消えた路線、想い出話や保存されている車輛の話題などなど 豆相人車鉄道が多分こんな路線だったと思う。
グネグネのアップダウン。
歩いてくる人と衝突すると駄目だなら口笛吹いてるのかな?
昔の日本の人車鉄道はどうしてたんだろ?
鐘や鈴が鳴るようになってたのか?
それとも口笛やったんかな? 模型とラジオ 1956年6月号の表紙は西武園のおとぎ列車 別スレで簡易軌道のことを今で言うコミュニティバスという表現してたけど、言い得て妙だなと思います。 希望をもってつくられた簡易軌道
希望を消すまいとつくられたコミュバス 戦前、既に各地の軽便軌道はバスとの競争に押されて廃止されてたりしたんだけどな。
朝倉軌道とか。戦争で燃料の供給が厳しくなることがなければ、多くの軽便がもっと早く廃止されていた。 NHKの地方の放送局にNHKの古い映像を無料で見れるコーナーがあるよ。
そこに貴重な簡易軌道の映像やら馬車軌道のもあったよ。
暇なときに行ってみたらどうかな? 小出しにするなら著作権切れてるんだしちゃんとスキャンして公開してくれ
デジタル万引きじゃないんだから 最近デジカメの使い方をやっと覚えたジジイに高度なお願いは無理 シーケンシャルに全部スキャンして公開しろって言うなら
国会図書館にでも頼めよw 小出しと言われるのが良く解らないが
どれだけ出せば良いの? フラッシュが壊れたとか苦しい言い訳する小出し爺のことですね>鉄屑
本人さん必死だな >>832
定山渓鉄道も石山越えで列車の分割をしてたようだ。
頂上付近に先行貨車用の留置線があったとか。
この鉄道も軽便法による開業のはず。 >>858
簡易軌道が北海道の植民軌道を指すなら大半は貨物輸送が主目的だから
こじつけるとしたら宅配便だろ >>892
高校社会科(地理)教師だった俺の父親(故人)には通じたよ。
父親は別に鉄オタでも何でもない。 >>887
正しく確かに「けいべん」だが、一般庶民が「けいびん」と呼んでいた地域もあるんだよ。
元々、郵便が「ゆうびん」なので、そう連想したというのも頷ける。
歴史的な経緯も知らずに、強ち誤読と片づけない方がいい。 一般の人でも理解できる名称がいい
例えば軽便から大便小便の便を取って軽鉄道とか
で、軽便は軽便法に絡む場合のみに限定して使用する このスレタイでは人来ないな。
ナローゲージとか語句混ぜとかないと。 >>886
遅まきながら、それ行ってきたわ。
話しとしては、鉄道路線が建設された経緯あたりがメインで車両面といったところの話しは無かったね。
RMライブラリとかだとは違った切り口なんで鉄としてはちと肩透かしかな? >>895
沖縄以外では知らんが
「言葉は変化するもの」「方言だ」理論でただの誤りを擁護して定着させていくとろくなことにならんぞ >>903
誤りを定着させるとは言っていない。
地元と中央で、地名の読み方の実際が異なる例とか、枚挙にいとまがないじゃないか。
地元での実際の例を示して、記録として抹殺されないようにしただけだ。 同じ山や川でこちらとあちらで名前が違うとか、結構あるものな。
明治初めに地名を採録したときの、無知が原因の偶然で、正解と間違いが出来てしまった。
物品の名前なんて、たーくさんあるわけだが、「ただの誤り」なんだろうか。
俺には豊かさの象徴のように見えるんだが。 開渠と暗渠の違いがよくわからん
あと、アーチ橋と暗渠の違いもよくわからん 釧路本の新編集版の内容は
旧版を所有してても入手しておく感じ? 末期だけね。
その時点でも並行する道路は未舗装のガタガタ道であり、小さな沿線社会からは必要とされていました。
ただ、仕手筋が仕掛けてくるとは誰も思わなかっただけで。
仕手筋に追われた旧経営陣、倒産後も姿を見せませんがどうしたんでしょうね。
今更合わせる顔が無かったのかな。 単に仕手筋に狙われ支配された、というだけなら他にも鉄道会社の実例がありますよ。
豊川鉄道の仕手戦は資料も残って様子がよくわかります。
近くは村上ファンドが有名。阪神も怪しい会社になるところだった。
これらは抵抗し失敗したから有名なだけで、経営権が移動した企業はほかにも沢山あります。 どこの軽便、軌道でも似たようなものだが
開業時の社員は超エリート、ことに運転手の制服姿は女子学生あこがれの的
てな話が語られないのは残念だな >>920
ちょっと大袈裟だ。
確かに花形だが、現在と違って就職は縁故採用が当たり前の時代で、
学歴のない人でも社員、運転士になった。 昨年磐梯吾妻スカイラインを通る前に五色沼とか行った途中に東電の水力発電所見つけた。沼尻鉄道の写真によく出てくる施設だなーと思って付近散策してみたら、駅の跡などが史跡風にのこされているんですね。のんびりしたいいところで、鉄道で訪れてみたかったな。 磐梯山の噴火で村がいくつか呑まれるほどの被害を受けて十数年。
よくもまぁ、軽便とはいえ鉄道敷けたな。 NHKBSの火野正平の自転車の番組で
沼尻の一部廃線ルートを辿り
木地駅跡とか例のトイレとか出てきた
機関車と客車の保存場所の雰囲気は
20年前とは変わったような 坂を登れないとき
三等客は降りて押す
二等客は降りて歩く
一等客は乗ったまま 貨物列車が登れないとき
重量が軽ければ下まで戻って勢いをつけ直す
重量が重ければ下まで戻って若干数の貨車を切り離す
定山渓鉄道では坂の上に先行貨車を留置する側線があり、機関車単機で戻って切り離した貨車を引き上げたそうだ
旅客列車と違い、なかなか逸話が表に出てこない >>910
あと、アーチ橋と暗渠の違いもよくわからん
現状の地形に覆いかぶせて作るのが(アーチ)橋
現状の地形を掘削してつくるのが暗渠=トンネル アーチは橋梁の構造のことだろ。
暗渠は構造を規定しない。
同列に並べてる時点で出口はないと思う。 >>929
洒落でつけたのか、まじめに考えたのか
当時を思い浮かべるだけでもおもしろい 登り勾配の編成分割、森林鉄道であればよく行われたというが、1067mmの鉄道でやるかなぁ?
流石に鉄道管理局が黙っちゃいないと思うけどなあ。 >>935
>>928の話はいつの話かわからないけど、
戦前だったらありえると思う
「バレなきゃいい」で無認可休止や無認可車両が跋扈していた時代だから…… >>930
軽便鉄道ではないけど隣の秩父鉄道も気になる
保存しました >>937
この時期の時刻表なら結構あるよ
ほしい情報があればアップします てかさ、自分でこのくらい検索することも出来ないの?
ガイジ? >>936
文明開化間もないころ、もぐりの人車や馬車軌道とかが横行したくらい
中には地元行政(県や郡など)が黙認してたのもあったとか
花巻電鉄鉛線の前身、大沢温泉以西の馬車軌道は?
特許以前から存在してて(県黙認)
たまたま、志戸平温泉に立ち寄った鉄道院のえらいさん(喜安健次郎)に見つかちゃって・・・
(そこに存在しないはずの軌道が!?) >>939
<こたえ>
「鉄道管理局」は鉄道院時代の名称、鉄道省以降(→運輸通信省→運輸省)は「鉄道局」
※戦後、運輸省「陸運局」と、外郭団体の日本国有鉄道「鉄道管理局」に分離
所管省庁における、運輸行政の地方支分部局でもあり
国有鉄道の地方機関(JRの支社・支店相当)でもある
現場に近いところで「監督行政」と「運営管理」双方が一体化!?
【沿革】
1908.12. 鉄道管理局(帝国鉄道庁組織再編、鉄道院発足、逓信省から監督行政の鉄道局を移管)
1920.05. 鉄道局 (組織再編、鉄道省発足)
1943.11. | (省庁再編[鉄道省+逓信省]、運輸通信省発足)
1945.05. | (逓信省再分離、運輸省発足)
1949.06. 陸運局 (組織再編、国鉄事業分離に伴う)
1984.07. 運輸局 (組織再編、陸運局と海運局を統合)
2001.01. | (中央省庁再編、国土交通省発足) >>944 陸運局ってバス、トラックからマイカーに至るまでの自動車も所管しているんだが。自動車の増加に伴い、そちらの方が主体になってきたわけで。
各地域の陸運局と国鉄の鉄道管理局との関係って、その地域の私鉄会社と同様、前者が監督官庁であるわけなんだが。 しばらく考え続けていた。列車分割について否定する材料もないが、肯定できる要素もない。
まず列車分割だが、ダイヤに臨時列車として組み込まれているものは当然対象外。
例えば三岐鉄道も伊勢山田駅での調整を予め考慮したダイヤ設定になっている。
実行の判断を現場任せにしたりせず、貨物の量に応じて臨時列車を走らせる。そこに、特に緊張感はないと思う。
列車の加減を、機関士など現場責任者の権限で分割する、というのは日本では極めて特殊な扱い。
アメリカでは一般化したが、日本では今まで聞いた事が無い。
管理局をわざわざ持ち出したのは、官営幌内鉄道の時代であれば外国人直接指導のもとで記録されざる行為があったかもしれないが、イギリス流の教本に統一されてからは重大事故扱いではないか、という考えがあっての事。
しかも、[下まで戻って]という表現は極めて危険な状況な訳ですよ。言葉のあや、揚げ足取りかもしれないが。
前進不能になって斜面を下るわけでしょ。制御を失っており、完全に事故じゃないですか。
そんな状況が常態化してたの?と疑う訳です。
定山渓鉄道は需要増を踏まえ、戦後電化ブームに乗って電化してますよね。
現場にはちゃんとした判断力があったと言う事ではないでしょうか。
だから、時に大きな量の貨物が押し寄せたとしても、ヤードに溜めて臨時列車を往復させる当たり前のことぐらいは出来たんじゃないでしょうか。
草軽のほうは、機関車がコッペルで選定ミスですからね。
そりゃ、あったろうなとは思います。あったからこその電化です。
全般的に軽便鉄道では列車単位に対し機関車出力が小さいんですよ。だから客車貨車にローラーベアリングが必要だった。
それでも斜面で停止というのは、誰よりもまず会社が青覚める様な重大事故扱いだと思いますよ。無認可運行とは本質が違う、事故ですよ。
対策として電化した草軽を含め、バレなければ大丈夫で運行を続けるという思考はないと思います。
続く もうひとつ見逃せない要素が運行本数で、現場で編成分割まで認めるアメリカは一日に東行きと西行きがそれぞれ一本づつ、みたいな真似を好んでするんですよ。
当時のアメリカでは通信手段が足りないので、大平原の中で上下列車の交換は極限まで減らしたかった。
だからありっったけの貨車をつないで一日一往復にして閉塞の懸念を追い払ってしまう。
難所を越えるのに何時間かかろうが他に迷惑は及ぼさない。
どんな手段を使っても良いので、機関士の権限でその日のうちに拠点駅に入ればいい。現場の裁量範囲は非常に大きい。
また線路も、開通を急ぐあまり土木工事をしないから、無名の局所的な難所が多い。
幹線も複線だったり拠点駅が多かったりするだけで基本は守る事で、権限についていちいち考える無駄を省いた。
現在でも制度的には何らかの形で残されている筈です。これが列車分割です。
最近カナダで原油輸送列車が斜面を下って大事故を起してましたよね。それから現場裁量権などの面で扱いも変わった可能性がありますが。
定山渓鉄道、戦前とは言え、運行本数はそれほど少ないの?
難所を越えるのに行ったり来たりで、現場の判断で線路を長時間塞いでよいのか。日本の国鉄が採用しなかった原因が、これじゃないかと思うんですが。
日米の間では鉄道運行のポリシーと言いますが、かなり基本的な所から制度が違う訳です。
定山渓鉄道はどこからこの、列車分割を知ったのか?そこから無理がある。
現場任せにせず、事故も避け、上下列車交換まで考慮し計画的に臨時列車を仕立てた方がいい。定山渓鉄道もそう考える筈だと思うんですよね。
そうなったら、目撃者も特に記憶に残らないんじゃないでしょうか?
話の出所はどこ??<それ>は当事者には面白おかしくとも、会社にとっては単発の、繰り返してはいけない、重大事故だったのでは? 伊勢山田とは?
三岐鉄道の伊勢治田の事なら、東藤原駅の留置線が充分では無いから補完する意味合いで造られた物だと思うが。
あそこのメインはセメントで下ってく一方だから、あそこまで辿り着けるのなら東藤原までは余裕で登れるよ。 特定の勾配がどうとかいう話じゃない。
線路容量に対し過大な需要があった時に、一時的に滞留させておける側線ということです。
その役目を果たす側線を用意して計画的に運ぶことが当たり前という事。 三岐の例で言えば、需要が一時的に増大した時に滞留できないと貨物列車を長くせざるを得ませんよね。
途中駅の待避線長さを超えたりとか、そもそも待避線の数が足りなかっりとか、運行に支障が出るわけです。
勾配から始まった話ですが、勾配だけが難所ではありません。
勾配を含めたボトルネックに過大な入力があった時に、滞留場所が必要と言う事です。
急勾配区間もボトルネックな訳ですから、滞留場所を設けて計画的に編成を分割するのが当然ですよね。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。