草軽の電気機関車は硫黄鉱山で説明がつきそうな気がします。時代を遡れば遡るほどに硫黄の出荷は盛んであった様です。
交換設備も限られるので混合列車が多かった事でしょう。電車以外は全て混合列車だったのではないでしょうか。

そもそも、目的地とした草津温泉ですが、どう考えても沼田方面から入る方が合理的ですよね。
軽井沢から敷こうという目論見は、最初から硫黄も運ぶつもりではないか。後の電化でも貨物列車ありきであった筈。

その沼田方向から上流へと遡る吾妻軌道が興味深い。馬車鉄道から始まり草軽の後を追う様に電化しているが、草軽の成功が影響したのは確実でしょう。
ただ吾妻は762ミリでは珍しい路面電車スタイルの電車となった。
元馬車鉄道ですから、軌道状況は同時期の草軽よりも悪かった可能性が高い。草軽はそれまで蒸気機関車が走っていたのです。
この車両の差は、硫黄輸送の有無から来るものではないでしょうか。

そこから考えると、草軽機関車の低重心は結果的に良かったけど、電化時に意図して求めたかどうかは判りませんね。
電気機関車が欲しかったけど、当時は中古で買える機関車はトンネル工事用しかなかった。買ってみたら低過ぎる重心が思いのほか使い良かった。
元の軌道が悪かったからというより、低重心に甘えて悪い軌道が許された?
そういう流れではないかと思います。