成田新幹線がつぶれたのは、国鉄(JR)自身が作る気(やる気)が最初から無かったからです。
本気(マジ)で作る気があった東北新幹線は、埼玉区間の反対運動は成田新幹線より激しかったにもかかわらず、粘りの交渉で通しました。
やる気が無かった理由は二つ。一つは採算性が少ないと判断したから。もう一つは労組問題。当時は千葉動労という最も過激な闘争をしていた組合が千葉で活動していた。
そもそも成田新幹線は運輸省が勝手に計画し、整備新幹線にしたもの。運輸省と国鉄首脳部との意見の不一致/対立は当時からよくあり、この計画もその一つ。
国鉄側は「真剣に付き合う」つもりは無かったようです。
計画された70年代初頭はまだ1ドル=360円時代で、海外旅行ブームのずっと前。成田の利用客は少なく、途中の千葉ニュータウンも無人の荒野。運行する国鉄側としては「採算性のとれない路線」と考えたことでしょう。
まあせめて「千葉市」を経由するルートにしておけば、もう少しやる気になったかもしれないのに。もともと東京ー空港間約20分だから、迂回&停車でプラス10分で30分台程度なら許容範囲でしょう。