宇高連絡船
青函連絡船より地味な存在であった宇高連絡船の思い出をどうぞ。 >>716
海外行けば現役であるやん
青函にはもう現役船無い ホーバーが珍しくて乗ったけど生憎指定された座席は補助席だった、あれは酷い。 >>719
乗船が遅かったからだよね。
ホーバーは定員制で、
船急行券であるホーバー券は便指定で船内は自由席だったから。 宇野駅から座席取りでダッシュ。座席取れたらうどん店にダッシュ。
高松着いたら、また座席取りにダッシュ。
ダッシュの思い出とぼけぼけのテレビ画面、はげ山が記憶に残ってる。
あと、出港時のドラの音、テープの束、涙の別れかな。 うどんの屋台周辺をうろつく鳥。
対岸なで行かない。
お腹いっぱいになったら戻る。 宇高連絡船には生涯で一度だけ乗船したことがある
1979年秋のこと
新居浜にいた知人を訪ねた帰りに高松から乗船した
船内でうどんを食したような気がするが記憶が曖昧だ
行きは乗らなかったのかという疑問があろうかと思うが
広島に用事があり東京に帰る途上で新居浜に行った関係で
片道だけの利用となった
当時もう少し鉄道に興味があれば呉線の仁方まで行き
仁掘連絡船に乗ったのにと思う
宇品から今治行きの水中翼船と仁掘航路では利便性が
全然違うので当時としては致し方ない
ちなみに現在は宇品←→今治の航路はしまなみ海道開通の
影響か廃止されているようだ 宇高連絡船に比べれば遥かにマイナーな存在ではありますが、
かつて関門海峡フェリーというものがありました。
彦島荒田港というところと小倉日明港というところをわずか13分で結んでいましたので、
下関市の南端である彦島から小倉まで通勤していた方々がいらっしゃいました。
フェリーの廃止により、その方々の通勤は困難になったわけです。
宇高連絡船もそうですが、航路の廃止は、人々の生活を一変させてしまうのですね。 大阪に住んでたオイラは高知には行きは大阪高知フェリー、帰りは宇高回りと決まってた 「衰退続く宇高航路 存続の行方」
7月15日(土) KSB 9:55 〜 10:50
玉野市の宇野港と高松港を結ぶ「宇高航路」。瀬戸大橋の通行料金が大幅に下がった影響で
現在も運航を続けるのは1社だけだ。「宇高航路」存続の可能性を探る。
1910年の宇高連絡船の就航後1世紀以上にわたって宇野と高松をつないできた宇高航路。
1988年に瀬戸大橋が開通し連絡船は廃止されたがフェリー会社3社が24時間運航を続けていた。
しかし橋の通行料金が大幅に下がった影響で1社が廃止1社が休止、現在は1社だけとなっている。
残る1社も赤字経営が続いて今年4月、1日5往復に減便した。
利用客、運航会社、地元自治体、地元住民の話を聞きながら宇高航路の役割を検証し
新たな活用方法や存続の可能性を探る 。
明石海峡大橋と関門橋の近くで運航を続ける高速船の取り組みも紹介。
出演者
堀川満弘(四国急行フェリー社長)
黒田 晋(玉野市長)
三村卓也(宇高連絡船愛好会会長)
中田捷太(玉野市出身・香川大学生)
萩原幹生(元宇高連絡船長)
尾坂金吾(元四国フェリー船長) ほか
ttp://www.ksb.co.jp/houdouryoku/index >>687
子供の頃のことなので、思い出せないんだけどね。
高松駅とか高松港あたりの立ち食いうどん店のメニューから類推すると、
素うどん(かけ)、きつね、月見、天ぷらくらいじゃないかな。
たぬき、というのは昔西日本にはなかったような気がする。
さぬきうどん、というメニューもなかったと思うよ。 >>732
へえーいまや5往復しかないのか、宇野の住民専用航路みたいなもんか? 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル株式会社)30代好評人気連載漫画「ヒカルの碁お前ら何や」
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員稲田籠池豊田
40代社会人集団ストーカー対策ーhondasouichirouー 横浜ロアナプラスペイン上西フライングファイアーウォーターサーバーダイビングドライブシュート川中
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース おーおー。
宇高連絡船下り便で高松港着岸の15分ほど前になれば
高松始発の各方面行きの列車に乗り継ぐ段取りになっている人々によって
乗降船口付近は埋め尽くされてくるんだけど、
彼等の顔つきや風貌で、どの方面に向かう人なのかがよく分かるところが面白かった。
それでもって高松で改札をくぐる人は乗降船口に我先に並んだりしていなくて、
さらに言えば徳島方面に向かう人はごく少数であり、四国に住む人で乗降船口で待ち構えているのは概ね、
予讃線の列車で松山・宇和島方面に向かう人々と土讃線の列車で高知・中村方面に向かう人々に二分され大別される。
「あの人は愛媛に向かうようだな」「こっちの人は高知に向かうようだな」といった風に、
顔つきと風貌を見れば特徴があるので、ある程度見分けが付くようになる。
山1つ越えただけでも、これほどまでに違いがあるのか・・・ そう思わしめるほどにこの両者には違いがある。
伊予人と土佐人、もしかして人種まで違うのかも!? >>739の補足。
今は岡山駅の四国方面行きの列車ターミナルでもって愛媛方面に向かう人々と
高知方面に向かう人々では、乗客の顔立ちに明らかな違いを見つけることが出来る。
「しおかぜ」と「南風」では、車内に乗り込んで見渡してみると、この両者では車内の乗客の雰囲気までもが全然違うことが分かる。
愛媛方面に向かう乗客のほうが、よりイモ臭いww 次は戸田小浜、戸田小浜に止まります。
お客さんにお知らせいたします。
4号車の進行方向左側に足を出している方、
あぶのうでございますから、足を車内にお入れください。 「連絡船うどん」とは かつて鉄道連絡船の名物、いま駅に 「思い出の味」は進化
https://trafficnews.jp/post/82519 >>744
ICOCA開始まで対応出来るのかね
今でも岡山からICで来る奴多いのに 青函連絡船は左側通行だが、宇高連絡船は本来の航海法に基づいた右側通行。
もし、左側通行に統一していたら、紫雲丸事故はフィルムを逆にして上映した時のような映像になる。
※フィルムを逆にして映写機にかけると、当然音は出ないが…。 【特集】止まらぬフェリー離れ…1日125往復が5往復に 衰退続く宇高航路の現状
KSB瀬戸内海放送 2019/06/08
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190608-00010000-ksbv-l37 高松・宇野間を往復して宿代わりにしたことが1度だけあります。
あと、宇野から高松まで気分転換にフェリーで渡ったことも1度だけ(初めて四国に
渡ったのは93年で、東京・宇野間を結んでいた「寝台特急・瀬戸」の時代は知らず)
宇野は寂れてしまっていて、物悲しい光景でしたが、フェリーで渡る四国も悪くないな、と
しみじみ思いました。1時間くらいという時間も程よい感じ。
「サンライズ瀬戸」には何度も乗っています。夜明けの車内から見える海が美しいこと。
急ぎ足で通り抜けてしまうのが、もったいないような気がします。 長らく宇野駅は寂れていたが、最近の直島ブームで観光客が目立つように。 徳島市生まれなんで、宇高連絡船は2.3回しか乗船経験無い。
徳島⇔阪神・和歌山の各航路と違う独特の船内は新鮮だったな。
船内がにぎやかだったイメージも
また南海とは比べものにならない、鉄道連絡船の雰囲気も・・・
当時、歌港・小港ともに鉄道連絡だったけど、
接続は盆正月以外は基本1本だけなんでね。
俺は当時の南海の船自体は好きだった。
小さいフェリーなのに、特等・1等・2指・2等とあって、
ぎっしり狭い独特の船内だったな。
今の南海の船は大きいのに、
空きスペースが多すぎで、なんかもったいない・・・・・・ ↑某ツイッターからパクった画像なのか?
ご本人なのか? ttps://youtu.be/p1TNZLGI2eg
土佐丸生存確認 宇野駅は淋しい様子になっていたが、瀬戸の終着駅だった歴史は忘れたくない。 瀬戸がなぜ終着駅だったかと考えれば「四国との玄関口だった駅」という記憶を忘れない、
というほうがよりふさわしい。 茶屋町〜宇野でクモハ84形が使われたのは児島暫定開業の時からですか。
それとも橋部分を含む全線開業時からですか。 クモハ84は1988年1月に幡生で改造された(改造直後の検査標記は「63-2 幡生車輌」)
だから、ハンドルを考慮しても1988年4月から本格運用された以外は少し難しいかと 宇高連絡船も青函連絡船みたいに戦時中全部沈められたの? >>771
エスカレーターを売りにしてましたね、バブルの頃。 連絡船ではないので脱線だが、
宇高国道フェリーのエスカレーターは1979年12月竣工・就航の「こくどう丸 (初代)」からであり、
バブルのずっと前からなので要注意
さらに噴水は昭和40年代(古すぎて調べられなかった)からあるので、こちらも注意 宇野港へ行く国道沿いにあった宇高国道フェリーの看板は数十人の女性アシスタントパーサーが横に並んでるのが今でも印象に残ってる 四国フェリーはテレビのCMでも流れてる四国フェリーテーマ曲が船内に流れてたな 宇野駅って連絡船廃止後に内陸部へ移転して今の場所になったから当時の面影はもうないね 茶屋町から宇野間を宇野みなと線に改名した理由がよく分からないな かつて四国から本州への玄関口だった宇野港ももはや直島や小豆島への船便しかなくなりさびれる一方だな。岡山市のベッドタウンを目指すしかないが遠過ぎるし。 国鉄からJRになってもまだやってる航路は広島宮島連絡船のみか 瀬戸内海の国鉄航路は宇高航路、宮島航路と仁堀航路なる謎の航路が存在したらしい したらしいもなにも宮脇翁の最長片道切符に出てくるし
ここなら乗ったことある人も結構いるのでは? 現在仁方駅には当時航路があったという面影は全くないただの無人駅 >>784
連絡船時代と比べて宇野と茶屋町との地位が逆転したな。 沖縄本島から,宮古島・石垣島に行くフェリーがなくなってしまったのはショックだった。
昔は島伝いに台湾まで行けたのになあ。 >>789
確かに茶屋町は所属は倉敷市だが岡山市のベッドタウン化で高層マンションが増えてきたな。瀬戸大橋線開通して今の高架駅になった頃は駅周辺には何もなかったからな >>792
スーツがインタビューされてたとは知らんかったが最後まで残ってた四国フェリーの廃止が決まってスーツ交通チャンネルで宇高連絡船企画としてやった時かな 瀬戸大橋線植松駅と宇野みなと線彦崎駅は近いがどちらも地獄ダイヤ 現在の宇野駅はだいぶ内陸部へ移転して頭端式ホーム一面で運用してるローカル線駅になってます >>797
主力産業だった造船業が良くないので儲かっていない。
人口も減っている 宇高連絡船は4隻で運行されていたが、土佐丸などの客貨船が定期検査などで
ドック入りするときは、一部の便は休航されていたのか、残りの3隻でフル運用
されていたのだろうか >>799
最繁忙期の臨時便がある時以外は、3隻で運用出来て
いたように思う。 1983.7宇野線・宇高航路時刻表
geo.d51498.com/silkroad_7152/tabi/198308-shikoku/8-30/jikokuhyo-unosen.jpg 宮島連絡船ってのもあったんだ。こちらはJR西日本所有。 船舶も鉄道と同じくらいダメージ受けてるだろうね
あまりニュースにならないけど >>676
午前午後の違いこそあるが日航機墜落も6時56分だったな 青函と宇高で船の構造思いっきり違うんだな
宇高は波が低いとあって平べったい構造だが青函は波が荒い海域を航行するのでクルーズ客船みたいな形状
宇高のやつを青函に持ってくると高波で転覆するが逆は何とか出来そう すべての船が青函みたいなのだったら
知床のような事故は起きてないかもね 本日は波が若干高くなっておりますが船の安全運行には支障はありません 瀬戸大橋が風で抑止だった時に乗船
した四国急行フェリーの宇高航路は結構揺れたな
外洋と比べりゃ屁みたいなものなんだろうけど 『笑点』メンバー全員、円楽カラーの紫の着物で登場!脳梗塞でリハビリ中の彼の回復祈願のため…ネット感動
2022.5.1(日) 18:32
https://s.rbbtoday.com/article/2022/05/01/198165.html
このスレ的には紫というのは不吉な色なんだよな 宇高連絡船は恐らくフィンスタビライザーがない
瀬戸内海は波が低いので割り切ったな
青函連絡船だと必須 客室に閉じ込められて沈没は悲惨だろう
逃げたくても逃げられない 紫雲丸事故の手記を見ていたらお金がなくて修学旅行に参加できなかった児童へのお土産を取りに一度脱出した船内に戻って帰ってこれなかった児童が居たという内容が多く印象に残った 急行鷲羽の提灯イベント
あの会は本当に企画作り下手 >>815
家族連れ一般民も多く参加し、和やかな雰囲気だったのに
船内で怒号を聞くことになるとは想定外でしたw
つまり、そもそも圧倒的に数が足りない「あなご弁当」を、
なかなか売り始めなかったためです。
おかげで、ドラを聴いたり、テープ投げなど
出航を見ることができませんでした。
実現させた点については大したことだし、
感謝こそすれ、言える立場にはないと思います。
でも、やはり段取りが悪かったことだけはひとこと言いたいです。
あと、片上から来てた開襟シャツのおっさんの態度が尊大
もとからそういう人だろうとはいえ、趣味的同業とは思えない
あんな人に仕切られて片上も大変だろうなと。