宇高連絡船
青函連絡船より地味な存在であった宇高連絡船の思い出をどうぞ。 今思えば、ホーバー料金1100円は結構なぼったくり価格ですね。 ホーバーなんだから列車の横まで来てくれたら良かったのにな >>592
さあ、どうなんだろうねぇ。
海技職・船長代理である一航が、ウィーリーウィンキー配属を前提に
パン焼きの修業させられてたぐらいだから(ソース:NNNドキュメント)、
鉄道の部署に行けた人なんてごく少数だったのじゃないかねぇ?
>>594
とは言え、頸椎捻挫になるかと思うようなあの乗り心地は…w >>592
憶えてる限りだけど・・・
讃岐丸船長→そのまま元讃岐丸観光船(サウンズオブセト)船長
土佐丸船長→退職?(あるいは本社の管理職?)→切り絵作家(連絡船関係の著作でも有名)
阿波丸船長→徳島駅長(新聞で読んだ)
伊予丸船長→退職?? >>592
少なかった。
船の人たちは、陸上と比べると職位が高すぎて鉄道の現場にはポストがなかったと聞いた。
国鉄をやめてほかに行った人が多かったはず。 一等航海士に、全然畑違いのパン屋させるとか、つまり
「船乗りの誇りを維持出来る職場は社内にないから、そういう考えなら辞めろ。
社内に残りたければ、文句言わずに辛酸舐める覚悟をしろ」って意味でしょう。
まあ、当時のJR各社とも「民間会社とはそういうものだ」と決め付けてる空気だったから、
四国だけが厳しかったわけじゃないと思うが…。 >>597 讃岐丸は讃岐丸でそのまま残って
サウンズオブセトは元土佐丸だよ >>597
船長ったって、原則は各船2人(欠員となっていた船もあった)で、1船1人じゃないよ。 たしか連絡船の船長って予備の船長と本船長とで地位に差がなかったっけ?
どっちも欠勤の時は一等航海士が船長職を代行するとか。
紫雲丸が沈んだ時の船長は予備の方で。 青函は、むかしはダブルハンド、途中からトリプルハンドになったけど、
宇高ってどうだったんですか?
船長が2人っていうんだから、A組B組のダブルだったのかな?
>>603
乗組船長と専属船長の事ですかね?
乗組船長は、船全体の責任を負って、人事権も持ってる船長。
専属船長は、自分の乗り組む運航に対してだけ責任を負う、
いわば航海限定責任の船長。
予備船長は、乗組・専属どっちの船長も休むようなタイミングで
シフトに入る船長で、「予備」と言われていても実は
全船に通じていなくては出来ないベテランのやる仕事。
紫雲丸沈没時の船長の立場がどうだったかは、残念ながら知らないですが、
青函の洞爺丸の近藤平市船長は、その「予備船長」でしたね。 紫雲丸の三宅船長は専属船長だったと、元土佐丸船長が書いた本で読んだことある。 >>604
宇高でも青函でも、「予備船長」なんて呼び方はしなかったよ。
「乗組」「専属」とは言ったけど。
強いて言えば「船員区」か「代務」?
宇高は、最後は2組制。 でも、ずっぽり青函の中の人である坂本幸四郎氏も
近藤船長について「予備船長」って言い方してなかった?
とりあえず、手元にある上前淳一郎の「なぜ沈んだか」では
「予備船長」と書いてるけど。これは一般向けの言い換えなのかな? >>604
上前淳一郎のコピー! www
新人船長でも、専属の船がドックに入れば各船をまわっていた。
ドックには乗組の船長が行くから。
休暇者のかわりに乗るのは別にベテランに限ったことじゃなかった。 客車に乗ったまま船に乗る列車ありましたか?
例えば岡山〜松山の急行とか >>609
4隻中3隻の運航だったから、ドックとかでなければ高松3バースに1隻
泊まってたけど、その泊まっていた船の人たちも代務で他船の休暇者の代
りに乗ってた。
乗組船長は必ずドック番だから、ドック中に代務で他船に乗ってたのは専
属船長。
ほかに、船員区所属の船長もいた。
代務で乗る船長がベテランだけという認識だったら、それは明らかな間違
い。 スレチの青函ネタを引っ張って、申し訳ない。
実際どうなんだろ?と気になったので、調べ直してみた。
坂本幸四郎著「青函連絡船ものがたり」の洞爺丸台風の項では、
近藤船長を「予備船長であった」と書いた上で、当時の乗務制度を
その他に(引用者注:A組B組船長の他に、の意)、予備船長がいる。
A組・B組船長が休暇を取った時などに、代わりに乗務して航海責任を果たす役目である。
一ヵ月前に全船の船長から休暇申請を受け付け、休暇日が重ならないよう調整する。
予備船長は、したがって、ほぼ一ヵ月前に、代務として乗船する船を指定される。
予備船長は、毎回異なる船に乗る。熟練した技術がなければ、務まらない。
と書いている。
上前淳一郎は新聞記者だから、取材不足や取材ネタの人が勘違いした事も考えられるが、
坂本幸四郎は、事故当時すでに10年目の中堅船員。近藤船長とも同じ町内住まいで、面識があった。
船長の乗務制度に暗かったとか無知だったとかは考えにくく、
当時の事情とまったく異なるトンチンカンな事を書いているとは思えない。
ついでに、こんなのも出てきた。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0488/main.html
クソ長いので、「予備船長」で検索かけてみて。
運輸省の事務官が、近藤船長について「予備船長」という言い方をして、かつ
予備船長といいますと、何か通常陸の関係で駅長よりも下とお考えになつておるかも
しれないのでありますが、一般的に船の船長といたしましては、たとえば
あるラインの旅客船の船長というものは相当数ございまして、その中で予備船長といいまして
どの船にも乗らせるという船長は、一応どの船の経験をも経て来ました船長がなるのが
通例でございまして、この点鉄道とかあるいは陸の方の関係と違います。
ですから、会社によりましては、一つのラインの船の中に船長団というものがありまして、
そういうところでその団長として全部を統べるのは大体予備船長というようなことになつておりますので、
この点あるいはこの問題と直接関係ないわけでございますが、予備船長というのは一応そういうふうに
船の方では運用いたしてりおます。
と答弁している。
ここでは「乗組」「専属」という言い方をしていない(わかりやすく言い換えている?)ので、
「予備」というのも正規の呼称なのかどうかは断言出来ないが、少なくとも
予備船長というのが、言葉の印象から受ける「二線級の」「サブの」という存在ではなく、
ベテランが務めるのが船の世界の常識である、という事を言いたいのだと思われる。
(もちろん、事故の責任追及の場なので、それを回避するために言ってる可能性も
否定は出来ない、と言っておくけど)
宇高や、>>613にあるような70年代あたりの青函に、「予備船長」と呼ばれる人はなかったとして、
洞爺丸の当時の事情はまた違ってたのじゃないか?というのが、素直な感想なんだけどなー。 青函に行ってやっとくれ。
一般論、しかも終航の頃の船長の話題に、洞爺丸当時どうこういう話を持ち出すのもおかしい。
自論に固執するにもほどがある。 いや、「青函にもそう呼ばれる船長はいなかった」(606)とか
「代務の船長はベテランだけというのは明らかな間違い」(611)って断定したから、
それは事実として違うんじゃね?って疑問が出ただけだろ。
最初から「洞爺丸の頃の青函はともかく、末期は青函も宇高も違う」
みたいな書き方だったら、こういう反論の仕方はしなくて済んだ。 >>616
スレ違い、筋違いの洞爺丸の話してるの、あんただけだよ。 好きでやってるスレ違いじゃないんだよ、ここまで来ると。
話の流れをよく読み込んでよ。
この話題になったのは、>>603氏が、「二種類の船長」の事に触れてから。
ここで話はすでに紫雲丸事故当時の事になっている。
>>603氏が言いたかったのは、専属船長の事だったと思うが、
「予備の船長の方」という言い方をしたので、
「予備船長」という名称は別の意味になる、って話になった。
(それを受けて>>603氏は、>>605で「専属船長」と言い直している)
そこへ>>606氏が「宇高でも青函でも(←これ大事)“予備船長”という呼称はない」と言った。
>>608氏が「休暇者の代わりに乗るのはベテランとは限らない」と言った。
じゃあ、あちこちのサイトでも引用されてる坂本や上前の記述内容は間違いなの?と確認したら、
>>611氏が、はい、それは明確に間違いですよ、と答えたわけでしょ?
(上前という名前が>>608氏からも出てる以上、この段階で、青函も含めた
昭和30年前後の国鉄連絡船全体の話になってるのは自明ですよね?)
けど調べたら、「予備船長」という言い方についても、その位置づけについても、
>>611氏の言ってる内容とは矛盾するものがいろいろ出てきた。
だから、宇高や、末期の青函は>>611氏の言う通りだとして、
でも、それがすなわち、坂本・上前が間違った事を書いてるという事ではないんじゃない?
っていう事を言いたいわけ、こっちは。
そこを全否定されてなければ、こっちだってこんなに食い下がりたくないよ。 すまない。
再後段の「>>611氏の言ってる内容とは矛盾するものがいろいろ出てきた。 」については
「>>606氏、>>608氏の…」に訂正した方が正確だな。 あんたら、もうどうでもいいわ。
連絡船には二種類の船長があって、すべての権限を持った船長とそうじゃない船長とがいた。
素人の俺にはそれくらいの説明で十分。
何をごちゃごちゃ言い争ってるんだ? ぶっちゃけ>>612が全ての原因じゃねーかw
青函というレスさえしなければこんな事にはならなかった^^ ホバークラフトの上り便(高松→宇野)
高松出航後、女木島と男木島の間を抜けて
直島の東を航行して宇野に入港していた記憶があるのだが、間違いない? >>623
資料を見ると航路がA・B1・B2とあったようで、その航路は予備航路B1と思われ。
基準航路Aが女木島西・直島東(向島・井島の間)、予備航路B2が男木島東・直島東(向島・井島の間)
もっと詳しい人がいたら補足ヨロ。 >>624
どうもありがとう。
直島の東を航行するというのは合っていたんだ。
直島の宮浦と荒神島の間の海峡を通らなかったのは騒音問題が原因かな? >>625
細かく言えば騒音問題もあるだろけど、単純に危ないからだと思うよ。
今でこそ直島水道はガラガラだけど、当時は連絡船・便数の多い民間フェリーで混雑してたし。
混雑した狭い水道に高速移動するホーバーはやっぱり危ないと思うしね。 日通フェリーで脚の遅いやつがいて、それに直島水道で前に入られると連絡船は遅れた。 日通フェリーって、どの船も遅いイメージしか残ってないな。
国道と四国は過剰な競争状態、連絡船は接続列車に間に合わすために必死。
あの頃の宇高航路はこんなイメージだなぁ。 青函連絡船は両岸に保存船あるのに、宇高連絡船の保存船っないんですね 保存といえば聞こえがいいけど、要するに買い取り手がつかなかっただけのことだからな 宇高はほかにかわりになるフェリーなんかもたくさんいて、地元に青函ほど連絡船への思い入れがなかったということじゃないの? 保存できるとしたら、玉野じゃなくて高松だろうけど
(宇野駅はJR西でもあるし、都市規模的にも)
その高松市は、その後の激しい埋め立ての具合とか見てると、
連絡船に対する思い入れよりは、
「都市機能的には、連絡船設備は迷惑施設だった」
って感覚の方が強い気がする。
>>630
それは事実経過として違うでしょ。
なくなる前から保存の要望は出ていて、その前提で、
売却リストから外す船を地元に選ばせて、その結果があの2隻だった筈。
青森は、津軽丸が残っていれば津軽にしたかったけど、
もうなかったので八甲田にしたと聞いた。
買い手が付かなかった船が仕方なく保存されてるわけじゃないよ。 紫雲丸事件がきっかけでしょ、直島水道の一方通行化。
宇野+玉+日比=玉野って、日比はどうなったんだろう?
連絡船無くなって寂れた宇野港に行ってみたい。
アーケード街があったよね。 宇野周辺の寂れ方半端ない
競輪場にも行ったけど、まさしく昭和のバクチ場、じいさんしか居ない 宇野銀座通りのアーケード無くなったな。
肉屋のコロッケ、かどの大判焼き屋が懐かしい >>637
競輪場はそこに限らずたいていのところはそうじゃないかな。
首都圏だけは多少違うかもしれないが。 首都圏でも競輪場が閑古鳥の住処なのは同じ
かつては1万人以上を収容したスタンドも今や500人以上入ることは皆無 韓国での沈没事故
横倒しになった船体から救助される人の映像を見て
紫雲丸のことを思い浮かべた方も多いはず うん、我が家でも80代の母親が言ってた。
母にしたら、横倒しになった船体から云々よりも、
修学旅行の生徒が遭難、っていうのがより大きいようだが。 “紫雲丸”事故の経験者が語る05月07日 18:30 ttp://setonaikai.co.jp/newsweb/index/1287
韓国の旅客船の沈没事故から7日で3週間です。http://www.youtube.com/watch?v=jwQW6ST1KGI
修学旅行生が犠牲になった痛ましい事故ですが、瀬戸内海で起きたこの事故を思い起こした方もいらっしゃるかもしれません。
59年前、修学旅行中の小中学生ら168人が犠牲になった「紫雲丸」の沈没事故です。
中学生のときにこの事故を経験した女性2人が7日母校で講演し、事故の悲惨さと命の大切さを訴えました。
高知市長浜の南海中学校を訪れた 卒業生山本さん74歳と武島さん73歳
59年前に起きた事故の記憶を後輩たちに語り継ぐため母校にやってきました
1955年5月11日 宇野と高松を結んでいた旧国鉄の宇高連絡船 紫雲丸は午前6時40分乗客781人を乗せて高松港を出発
濃霧の中女木島の近くで貨物船と衝突しわずか3分で沈没 →修学旅行で京都に向かっていた南海中の生徒28人を含む
168人が犠牲に 武島さんは紫雲丸から海に落ちたが運良く救出 同級生の遺体を目の当たりにし
今もその記憶に悩まされています あれからずっと忘れたことはない 一度も紫雲丸のことは
でも余計に思い出して胸がしめつけられるんです 韓国で沈没した旅客船 ”セウォル号”についても---
セウォル号は傾いて だいぶ時間があったでしょ 随分助かる時間はあったはず 悔しい あれを見たら何で将来のある子をね
一方同級生の山本さんは 九州方面の修学旅行で紫雲丸には乗船せず→九州からの帰りの船で 事故直後の瀬戸内海を渡る
海面は重油でいっぱい 黒々として 板切れなどいっぱい浮いてました 列車で帰ることになったんですけど
その列車は先に揚がった友だちの遺体も 一緒に帰ることになった たくさんの方の出迎えとなっていうか泣き声が
頭の中から離れることはありません 武島さんは最後に後輩たちへこう訴えました 先生が動いたらいかんと言っても
身の危険を感じた時は すぐ陸であろうと海であろうと 逃げてください そうしないと自分の命を守ることはできません
話を聞いた中学生は--- 男子 あんなことがあってはならない 事故だとは思いました
女子 いつ何が起こるか分からんきい 心構えや準備--- 自分の身を守ることをしておかないと いけないと思いました
南海中学校では事故を風化させてはいけないと 去年教室の1つを 吾子たちの部屋-紫雲丸遭難事故資料室-として作り変えました
教室には事故直後の写真や経験者の証言など まさに教訓とも言える資料が数多く展示されています 扉の向こうには28人の遺影も---
山本さん きょうも話ができてよかった 自分が元気でいることも感謝しながら みんなが見守ってくれると思いながら
武島さん 私が元気な、命のある限りは 後世に伝えていかないといけないと思っております 紫雲丸のとき、「来れなかった友達に買ったおみやげを取ってこよう」と
沈みゆく船内に戻ってしまった子供が多かったそうで・・・ 弁護教京サーバ府警無戸籍交際薬剤消毒介護職利権ローション帝国上層部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災チェック問題ヤーフォー確定申告ラーメンスーパーポイントdビデオデッキ破壊タイピングGTX860MIGOZ
弁護教京サーバ府警無戸籍交際薬剤消毒介護職利権ローション帝国上層部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災グリーにんにくラーメン
弁護教京サーバ府警無戸籍交際薬剤消毒介護職利権ローション帝国上昇部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災グリーにんにくラーメン
築地TPP偏食中国人勧誘マナー北京オリンピックWHO経済制裁代協議会飲み食い代官僚日テレ漏洩ボーリングITC問題調査福岡駐車近代道廃人画税幕張銀行ググール無断決裁広告料寒孫ゼリー失調栄養士指的フィルムハンバーグラーメン
糞箱弐個弐個沖縄ランド近年ペット原発難民100万円コミックコラムシフト廃品鉄工業プラチナ小スモ再販問題WHO光金アナ雪エネルギー決裁ソーシャル不動産読売ニッカン奮闘鬼記者サービス露店キセルストア会長自動車工場検閲息子 >>648
そこでスーパー玉出が玉野に進出!!
…な〜んていう厭な展開が夜勤明け脳内を走った…疲れてるなorz
だいたいスーパー玉出みたいなドベタなもんなんざ大阪の人間しか知らんがな 今さらですが、読みは『ウタカ』or『ウコー』?
両方が適宜に使われていたように思うが… 国鉄連絡船は「うこう」
国道フェリーは「うたか」
近鉄のピッチャーは「うだか」 もう終わっちゃったね
ttp://www.city.tamano.lg.jp/docs/2014091800027/ 担当記者主席辛味噌チャーハン
紅茶キャスターチャーハン
辛味噌yo-fo-泡吹チャーハン
事故獣羊なメッセージ
ETFアングル賃金逆オイル値付けタンバリンインサイド天ぷら丼タイピング ホバークラフト乗っても高徳線の急行阿波に乗るの連絡船と変わらない便がほとんどだったけど
あれで1本早い列車に乗れる路線ってあったんかな どうしても座りたいときは500円出してグリーン席に行ってたけど
500円って実質ただの指定席みたいな扱いだな すっかり忘れてたけど
あの韓国の沈没事故はその後どうなったのかな
船体は沈んだままなのか? 最初に宇高連絡に乗ったのは高3になる春休みの小豆島合宿を切り上げて帰神の時だった。
土庄から焼玉も関西汽船「第三浦島丸」が大揺れで高松着でホッ、確か11.00の「紫雲丸」駅弁を持ち込んで食べていると
ボーイがお茶を持ってきた。
大揺れを予期したが、ブルワークが少し上下するだけでヤレヤレ。
その後は鷲羽丸と眉山丸を利用したが、眉山丸が宇野到着時にガスタンが効き過ぎて
可動桟橋にドカーンで船客総倒れ。俺は柱近くだったから咄嗟につかまって無事だったが、
社会人になってからは専ら高松17.40発の関西汽船の観光船で神戸迄帰った
ものだった。丁度宇野行き連絡船と同時出航。
古い思い出で御免。 >>668
「紫雲丸は事故後「瀬戸丸」に改名しました? 紫雲丸沈没事故の日に偶然大阪駅に居たが、何時も超満員の宇野発の快速がガラガラ
で到着。「はと」連絡だからロX2両の列車なのだが。
帰宅してラジオで沈没事故を知ってびっくりした記憶がある。 >>668
最悪の場合、可動橋と船尾が破損することになるな…。
ガスタンって、アスタン=後進運転の事ではないのか?
眉山丸が宇野港到着時に後進運転に切り替えたが、エンジンの回転数が高すぎて、
可動橋にごっちんこ(衝突)したという意味でよろしいでしょうか? >>646
>>「来れなかった友達に買ったおみやげを取ってこよう]----???沈没した紫雲丸は
「宇野行」だから、高知の中学生はこれから本州方面へ行く途中だったのでは? 直島は剥げてる記憶しか無いけど
当時の住民に健康被害とかあったんだろうね 本日2015年5月11日午前6時56分で紫雲丸事故から60年
犠牲者の方のご冥福をお祈りします 何気に深夜便があったんだな
夜中の2時に宇野駅に着く急行「鷲羽」とかあった
但し青函連絡船が3時間50分を要してて寝台もあったのに対し宇高連絡船は1時間と短く睡眠時間が十分に取れないという問題もあったのでは? 宇高航路は気象・海象が穏やかで、かつ航海時間が短いので、
貨車緊締具の使用回数は少なかったという。 >>677
利用客は鷲羽で先に仮眠を取る。
もしくは接続の予讃快速または後続の急行の車内で寝るのがほとんど。
深夜便に限った事ではないが
連絡船内は高松からの座席確保の為にのんびりしてられない…
船内でのんびりしているのは高松で下車する人ぐらい。 深夜便は乗ったことないですが、売店とか開いていたんですか? >>680
普通船室2階の売店は開いてた記憶がある。
夜中に起こされてどくれている小学生の私に
母親がお菓子を買ってくれた記憶があるので。 うどんのメニューが思い出せないのだが
きつねとか、てんぷらみたいに独立した扱いで「さぬき」うどんがなかったか
具は入っていたので「かけ」の扱いではないはず 一般の客室にゲロ受け用の洗面器が据え付けられてた
ご自由にお使いください、みたいにw NHK四国のローカルでちらっと出ていた
瀬戸大橋の番組で 洞爺丸はどうして車両甲板後部開口部に海水が侵入したのか
これまでの翔鳳丸の経験では、比較的荒れた状態でも、後ろを濡らす程度にしか過ぎなかった。
ごく一部の大荒れで海水が侵入することは有ったが、ほんの2、3回しか過ぎない。
予想以上の大荒れで船が大幅に揺られて、高波が打ち込み続けたのが災いしている。
宇高航路では、比較的穏やかで、航海時間が短いので、車両甲板は開放状態でも問題はなかった。