宇高連絡船
青函連絡船より地味な存在であった宇高連絡船の思い出をどうぞ。 新居浜に青函連絡船来るんだ。アッケシソウつながりなのかな。 曳航する時はやっぱ「ヴォルガの舟歌」歌うんですかね? これから海が荒れるのに早くやらないと
ありあけと同じになるぞ タモリ倶楽部で羊蹄丸の中を探索?してたけど
車両甲板に車止めやレールは無かった これはどのルート?
明石海峡〜瀬戸大橋の下をくぐるルートかな?
もしこのルートなら瀬戸大橋をくぐるところを撮影したい。
青函連絡船の船体が瀬戸大橋をくぐるのは最初で最後だろうから。
日程が知りたいな〜。 素人の疑問なんだけど、鳴門海峡みたいな潮の速いとこを、
曳航された無動力の大型船って通れるのかなぁ?
航行距離は長くなっても、明石の方が無難だろうと思うのだけれど。
瀬戸大橋周辺で撮影なら与島からが無難かな。
それか番の洲からか。
通過が暗い時間だったら泣くしかないけど。 番の州か…。
宇高の最終日翌日(つか、瀬戸大橋の開業日と言うべきなのかw)に、
あそこで4隻単縦陣を待ち構えたのも懐かしい…。 宇野港銀座なんて過去の栄光。
連絡船廃止後の宇野の寂れ方はハンパない。 >>222
そんなに酷いのか?
今月、青春18キップで行ってみようかな >>224
ついでに玉野市営電車の保存車も見てきてくれ。 子供の頃、広島から高松への里帰りで、年に2回、往復4回は乗ってたなあ。
宇野駅から連絡線へ、席取りのためのダッシュ。
席の確保が出来たら、デッキのうどん屋めがけて、2回目のダッシュ。
高松駅構内のうどん屋も美味かったけど、女木島とかに向かう小さな桟橋の
ところのうどん屋も美味かった。
当時の高松の繁華街の賑わいぶりは、今からは想像もできないでしょうねえ。
瓦煎餅も大きくて、もっと真っ黒で固かったしなあ。
白鳥のぶどう餅なんて、絶品でしょ。
全国的には、無名ですけど。
上京する直前は、玉野市に住んでて、
宇高国道フェリーはバスみたいな感覚で乗ってましたねえ。
玉電廃止の頃ですね、住んでたの。 >>222
80年代前半でも既にかなり寂れてた印象 26年ぶりに宇野駅に行った。駅のショボさと周辺の閑散さを見て涙が出そうになった 今の宇野はほんとうに寂れた印象しかないな。
宇野駅も小さな駅に変わってしまい連絡船時代の面影も全くない。
かつて宇野駅は四国への入り口で、終点という印象は無かったけど今は完全に終着駅。
自分は24年ぶりの訪問だったけどあまりの寂れ具合に言葉もなくただ涙が滲んだ。 あそこは客来ない方がいいの。
退去後がメインだから。 玉野は大金持ちがいない代わりに大貧乏人もいない土地柄。
ちなみに玉野署は岡山の警察官憧れの職場。 玉野(宇野?)っていまだにバブルの幻影を追っているようなイメージしかない町だね
数年前までスペイン村だっけ?
夕張みたいにハコモノ建てりゃ人が来るって妄想に憑りつかれてる人が多いんだろうな。
今度は温泉だっけ?
観光というイメージが全くない町なのに観光開発に必死なのが笑えるよね。
直島の成功を見て焦ってる感がありありで・・・
そのうち財政破綻して他の市町村に泣きついてきても知らねえぞ。 先日、宇野→高松の四国フェリーに乗った。390円で1時間もあの景色を楽しめて、いい気分転換になったなぁ。老後は瀬戸内海沿いの町にぜひ住みたい >>234
チンピラ多いけど苦情無視すればいいしな。
交通取り締まりだけやればいいし。 >>234
マル暴関係部署は県内随一の充実度。
笠岡なんかもそうだけど。 >>238
いいよね〜。
宇高航路は特に夕方に乗って夕日を眺めながらの航海は最高ですよ。 青函でもマラソンあったのかな?
はつかりに座れるかどうかは宇野線快速の比でない重大問題だよね あった、どころか、どっちかと言えば、
青函のマラソンの方が有名だったと思う。 サンポール高松と聞いて何の違和感もなかったwww
やっぱネーミングセンス悪いね。 高松駅横に激安スーパーが進出した結果、大量の無断駐輪が日常化していて見た目が悪いです。 真剣に「サンポール高松」と間違えてる人が多くて笑うな
これの12月1日のところとか、
ttp://www.u-canent.jp/masashi/yokan/concert_info.html 船窓から見える、直島の禿山と、煙突だけしかないのに煙が朦々と出ていた光景が
幼心にはあまりにも不気味でおそろしかった。
宇高連絡船の話題ではないのでスレチですが・・・・
青函連絡船の新居浜への曳航は3月25日お台場を離岸、3月29日新居浜着岸だそうです。
ルートまでは公表されてませんが、曳航という点を考えると明石海峡ルートが有力
かと思います。
いっそのことサンポートとサンポールで何かコラボしたら?w 青函新居浜曳航は豊後水道ルート、来島海峡より四国入り
スレチ失礼 瀬戸内海東部沿岸住民としては残念ながら、そのようです。
ソースは新居浜高専HPの航路予定図。
曳航のデッドシップとは言え、青函連絡船が宇高航路を横切る、という夢の一瞬が、
最後の最後に来るかと思いましたが、まさに「夢」の彼方で終わりました…。 明石ルートなら与島から撮影するつもりだったけど、来島海峡は行った事も
ないし、撮影ポイントも分からないから大人しく新居浜で撮るわ。
>>256
青函航路の船が宇高航路を横切るって想像しただけで胸熱だったけど残念だね。
青函航路80年の函館発定期最終船の最後が愛媛県というのも予想できなかった。 鯖エラーに付き、羊蹄丸ネタだけど宇高スレで失礼。
昨日(24日)14時半ごろ、船の科学館現地に、作業船が到着。明朝岸壁と船をつないでいる最後の鎖切断するための準備のようです。
http://pc.gban.jp/?p=39259.jpg
関係者らしき人の話だと、明朝6時くらいから作業開始、終了後8時過ぎころ出航の予定とのこと。
ちなみに船首よりの岸壁は何か工事をやっているようで直近には入れなく、また岸壁と地上をつなぐ配管等はすでに切断済みでした。
http://pc.gban.jp/?p=39258.jpg わざわざ遠回りしてまで潮の速い来島通るのは意味がわからんな。
よっぽど備讃瀬戸通りたくなくなかったのか? 鉄ヲタにはわからんやろが、
大阪湾通る方がじゃまくさいんや。 新居浜で羊蹄丸見てきた。
伊予丸型に比してやっぱり青函の船はデカイわ。
船首を切り落とした歪な形の宇高とは違い青函の船は美しい。
でも馴染みが深い不恰好な宇高の方が愛着がある。 >>263
そういや瀬戸内海の短距離航路では船首がない形の船が多いね。
瀬戸内海独特の前と後ろがよく分からない船ってなんかいい味出してるわ。 >瀬戸内海独特の前と後ろがよく分からない船
尾道水道の渡船ぐらいだと、まああれが効率的なんだろうなと理解出来るが、
直島航路であの船形(で尾道のより船もずっと大きい)だと、
少々びっくりしたです(ずいぶん昔のはなしですが)。
今は宇高航路っぽいタイプになったみたいですね。
そういえば、大昔買ったレゴの鉄道連絡船が、
まさにあの船形だった事を、今ふっと思い起こしました。 宇高連絡船は運行本数がそこそこ多かったから素早く着岸して貨車の入れ替えを
するって意味では車両甲板の開口部を船首側にするのは効率的な設計だと思うな。
尻から着ける紫雲丸型よりも伊予丸型のほうが好きだ。 宇高の船は、平水区域の設計だったのか、それとも沿海区域? 間違ってたら申し訳ないけど、土佐丸が新製されて高松へ回航する際に浅瀬
付近で車両甲板に海水が入ってきたらしい。
原因は車両甲板の扉を上げた状態で航行していた事が原因。
だから伊予丸型は外海で航行するには改造が必要な船で内海専用の船。
インドネシアに行った伊予丸型も確かインドネシアへ回航中に浸水があったと
ある書籍に書かれてた。車両甲板の扉を溶接密閉せずに外海を航行した事が原因。
土佐丸は船首を改造したから問題なく外海へ出れる。
未改造のままだとあの船首の形状では波の高いエリアや台風をくらうと浸水しやすい。
だから波の穏やかなエリア専用だな。 <<267
平水だよ。
あの形で沿海OKでるわけないじゃん。
さらに、船足も遅いから、防波板で通ってたんだよ。
現存する宇高連絡船ってないの?青函連絡船は3隻もあるのに(まもなく2隻になるけど)。 >>274
日本に現存するものは無いね。
伊予丸は遠くパナマの地でもう解体されて存在しないという噂は聞いたけど、阿波・土佐・讃岐丸は
インドネシアでカーフェリーや貨物船として今もまだ現役で活躍してると思う。
何年か前にインドネシアに元宇高連絡船を訪ねるという旅行ツアーもあったし。
日本国内に保存されなかったのは残念。
でも海外でまだ現役で活躍してる事を考えると嬉しい。 4〜5年ぐらい前に、青函の檜山丸を訪ねていった人が、
その会社のパンフにどう見てもサウンズオブセト(土佐丸)っぽい船が
僚船として載っている、みたいな情報を書いてた事があったような…
記憶違いだったらゴメソ。 >>276
そうですね、間違いなくあのパンフの写真はサウンズオブセトです。
ところで元檜山丸ですが、ウィキペディアで確認する限り炎上して沈没したと書かれてますね。
引き上げられて修理されたのか、そのまま放置か、解体されてしまったのか不明ですね。 何度も沈んだ紫雲丸(瀬戸丸)が国内で浮き桟橋として残っていたのを考えると残念至極 雑記帳:「宇高連絡船」懐かしみ「伸びたうどん」販売
香川、岡山両県を結んだ「宇高連絡船」を懐かしむイベントが16日、高松港旅客ターミナルであり、
かつて船内で売られた「伸びたうどん」が販売された。
同船では調理ができず、ゆでたうどんを高松港で載せていたため、伸びたうどんしか提供できなかった。
88年の瀬戸大橋開通で、並行する他社便は残ったが、JR四国の宇高連絡船は廃止。イベントでは、
当時の懐かしいうどんを再現した。
ゆでたてより味は落ちるが、「学生時代、帰省の際によく食べた味を思い出す」と来場者。味覚だけでなく、
思い出をたっぷり味わっていた。
http://mainichi.jp/select/news/20120618k0000m040046000c.html 懐かしい「連絡船うどん」人気 高松で記念イベント
瀬戸大橋開通まで本州−四国間の“大動脈”として活躍した宇高連絡船の開設日(明治43年6月12日)を記念したイベント
「まんでがん宇高連絡船2012」(同実行委主催)が12日、高松市サンポートの高松港旅客ターミナルビルで始まった。
再現された「連絡船うどん」が人気を集めている。
同ビル1〜3階を宇高連絡船に見立てて1階を車両甲板、2階を客室甲板、3階を遊歩甲板に想定。
出港を知らせる銅鑼(どら)の音でオープンした。3階の「連絡船うどん」コーナーは、当時をよりリアルに再現するために、
打ってから時間が経過した“のびたうどん”を用意したという。
高松市の男性(60)は「名古屋の大学に進学して、帰郷のたびに連絡船を利用した。宇野駅で列車から連絡船に
乗り換えると必ず甲板でうどんを食べた。青春時代の思い出が詰まった懐かしい味です」と話していた。
同イベントは16、17の両日(連絡船うどんは売り切れ次第終了)も開かれ、1階で模型で貨車を連絡船に
積み込むシーンの再現、2階でパネル展が開かれる。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120613/kgw12061302100003-n1.htm 記事だけを読んだであろう伊集院がラジオで喋ってたけど
そんなに伸びて不味かったかなぁ?
夜風にあたりながらデッキで食べるうどんは格別だった
不味いと思った事は一度も無い! うどんで打ちたてとかのびたのがちょっととか言い出したのは、ここ10数年
の話で、昔は家で食べるうどんは、蒸篭のゆでうどんを製麺所か近所の商店で
買って、家でだしを作って食べるのが普通だった。また麺も今より太い所が
多く、またのびてもプチプチ切れるものは少なかった。 >>282
今の四国フェリーの船内で食べれるうどんが当時の連絡船のうどんに近い食感だよ。
注文したら、袋入りのうどん(スーパーで3袋100円くらいで売ってそうなうどん)を
ゆがいて出してくれる。
コシとかそんなものを期待してはいけない。
一方、国道フェリーはカトキチの冷凍うどんをゆがいて出す。
こちらは冷凍だがコシがある。
生にこだわるなら四国フェリー。
コシにこだわるなら国道フェリー。
どっちも求めたいなら、フェリーを降りてから高松市内で食え。 >>284
加ト吉じゃなくて、日清冷凍食品株式会社→四国日清食品株式会社
の冷凍うどんだったかと・・・・。 冷凍うどんが開発されたのは1990年代だったような気がする 船で喰ううどんといえば宇高を離れるがジャンボフェリーだな。生もコシもダシも全て確立。
HPにも「うどん県高松市」とか表記してやがるぐらいだし。
冷凍うどんといえば旧加ト吉現テーブルマークだな。あの内村航平(男子体操)も「美味い!」と絶賛。
偏食が激しい(しかしよくあんないい身体に運動神経が保てるな…)内村が言うんだから間違いない。 >>280-282
連絡船うどんとは、あれその物を味わうものではない。
潮風を浴び、島影を眺めながら麺をすする、その風情を楽しむものなのだ。 連絡船うどんっていう店が駅の中にあるよね。
「ごちそうさん」って言っても知らん顔されたよ。
えらい高飛車な商売してると思った。
連絡船でうどん売っていた業者でもないしらしいし、なんでも「連絡船」を名乗ればいいってもんじゃない。 駅中のうどん屋は愛想悪いな。
何十回と食ったけど毎回毎回無愛想。話にならん。
しかも大して美味しくもない。
そもそも連絡船うどんとは別物だし、連絡船うどんと名乗る意味も分らん。
なんぼ香川県民は愛想無しいうても、香川県の玄関口である高松駅内にある店が無愛想では
他都道府県から来たビジネスマンとか観光客は気分悪いで。
同じ高松駅内でもキオスクの方が愛想ええわ。ちっとは見習え。 俺も似た経験あるわ。
あのうどん屋はおっさんもおばはんも愛想悪いよ。
店に入っても「いらっしゃいませ」さえ言わないし、「何にしますか」とも聞いてこないんだよな。
初めて行った時は、さすがに面食らったわ。
たぶん、こっちが黙っていると、何十分も注文できないままなんだろうな。
「連絡船」という名前に惹かれて、ノスタルジーで入ってみたけど、大失敗だった。
美味いとかまずいとか以前に、あんな接客してたら、どんなにうまいうどんを出されても美味く感じないと思うわ。
「うどん県」のイメージダウン。そんな店が玄関口のターミナルの中にあるんやから。
経営元のJR四国は何とも思わないのかね。 あれが四国の接客スタンダードだから仕方ないよ。
嫌なら全国展開のチェーン店に行けばいい。 いやいや、高松駅の中にある以上はJR四国社員と同レベルの接客はしてくれってだけの事や。
実際会社の同僚とか友人知人から、あのうどん屋の苦情は毎回聞くのよ。
せめて高松駅って香川県の代表駅内に店舗を構えてる以上は、よそから来た人間の印象も大事にしとけって事。
駅の外のうどん屋は別に愛想悪くてもかまへんの。
香川県民は平気でタメ口きく県民性やし、駅の外の普通のうどん屋は無愛想でかまへん。 あのうどん屋、やっぱりそうなんじゃな。
JRが経営してんの?
市内のセルフうどんなら別にタメ口の接客でもいいわ。
客は店員にサービスなんか求めとらん。
しかし、駅のあのうどん屋はひどいよな。
態度の悪い店員が一人いるとかそういうレベルじゃなくて、
店員がみんな接客さえまともにできていないと思う。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」とか最低限のかけ声さえないとは驚きじゃ。
それでいて、値段は明らかに立ち食いの水準じゃない。
俺は岡山の人間だけど、
高松行って、電車の待ち時間にあのうどん屋入って、かなり不快な思いをしたわ。
それ以降は、少々遠くても、駅前のめりけん屋か、兵庫町あたりのうどん屋(はなまるじゃないぞ)で食うことにしている。 高松駅地下で100円レンタサイクル借りて街中の有名店へ行くのが通
最近、南新町に有名店の支店が進出してるのでオススメ
1時間もあれば2〜3店まわれるやろ
1店舗しか行かなくても、うどん+オプション+自転車レンタル代で500円程度か
あそこのうどん屋、旧駅舎の頃は接客態度はふつうだったと思う。
いつから変ったんだろう。 うどん県の玄関口として、意識低すぎるね。
JRより、県庁か四国新聞に苦情いれた方が効果あるよ。
丸亀製麺のほうがましだ。 ああ、あそこか。
店員のおっさんが職人風だから仕方ないのかと思ってたけど、
それにしてもちょっと酷いかも。
他の店員も態度悪いところを見ると、接客をきちんと教えていないんだろうな。
経営者の責任だな。 どのうどん屋でも、連絡船のうどんと似たものはないね。
駅にあるうどん屋でも連絡船のうどんとは違う。
連絡船うどんって、家で普通に作ったうどんが一番近いな。
普通の家庭うどんだけど、海を見ながら食うから最高に美味かった。 高松駅はかな泉がよかった。
それも天ぷらが車エビではなく
小エビの掻揚げがよかった。 >>301
1玉ずつ袋入りになったゆでうどんでなく、蒸篭にゆでうどんを25玉並べて
売っていただけの話だろう。
>>302
かな泉が高松駅にあった頃は実は3・4番線の高松駅弁のほうがはまった時はおいしかった。
当時は、源芳のうどん玉を使っていたからね。 >>296
台数少ない
昼過ぎに行くとたいてい全部貸し出し中 確かにホームにもあったよなぁ〜。
でも早朝深夜には営業していなかったと思う。
食べた記憶はあるが、印象に残ってない・・。 0番ホームの並びにあったのが、今のうどん屋になった? 0番ホームの並びにあったのが、かな泉。
3・4番ホームにあったのが、高松駅弁で源芳の麺だった。
今のうどん屋は、めりけんやのゆでうどんなので、まったく
系統が違う。 >>307
ありがと。
あのうどん食べてから、隣で天ぷらとビール買って急行に乗ってました。 夜行の出発前とか、
鷲羽からの乗り継ぎや夜行で到着した時に食べた
かな泉のうどんの方が最高に懐かしい。
連絡船は座れなかった時の時間つぶしといった印象。 あの駅のうどん屋の接客はあまりにひどいわ。
入店してから退店するまで、店員が値段を言う以外は一言も言葉を発しないとか、あの店以外ではあり得ない。
その値段を言う時でさえ「520円です」とかじゃなく
「520円(怒)!!」って感じだったよ。
店員たち、店に来る前に夫婦喧嘩でもして来たのか?
マクドナルドなんかのチェーン店なら、即座にお客様相談窓口にクレーム入れるレベル。
うどん県の玄関口が泣くぞ。