宇高連絡船
青函連絡船より地味な存在であった宇高連絡船の思い出をどうぞ。 >>182
もっとも、旧3・4番ホームの高松駅弁の立ち食いうどんは源芳の麺を使っていた。
そっちのほうが、旨かったんだけど、かな泉のほうが圧倒的に売れていた。
>>187-188
でも、今は店舗が3つのみになっている。最盛期には、愛媛県にも店舗があったりで
12〜3店舗くらいはあったんじゃないか。 安価のセルフ式うどん屋が主流の現在、
昼飯食っただけで1000円超えるようなかな泉みたいな店は、
うどんブームの隙間に埋没するだけだろ。 宇高ホーバーのコールサインが「おかてつ××←(伏せ字は数字)」だった。
対する固定局は「おかてつおかやま」だった。
無線機で傍受、したわけではなく、ホーバーに乗ると、
操縦室がオープンなので、否応なしに聞けてしまったのだ。 バブルの頃は、岡山香川でかな泉のテレビCMをやってましたな。 宇高には関係ないが海の博物館で一般公開されていた青函連絡船が愛媛に来るそう。必ず見に行くで〜 >>195 え〜いついつ?見に行く!
昔々愛媛の松山からも国鉄の連絡船出てたんやでぇー。 仁堀な。
まあ、純粋な連絡船と言うよりは国鉄経営の一般航路みたいなもんだが… 宇高の讃岐うどんもさることながら小松島港の前で手押し車のおばちゃんからチクワを買って
船上での味わいは格別だった。和歌山港に上陸したら1000形「四国号」で一路ナンバへ。
小松島港停車場もキハ58も南海四国号も遠い彼方に消えてもたなあ。 連絡船から見える高松港のナショナルのネオンサインデカい字でN
昭和末期は主要都市に行けばいたるところにありましたね。
それも殆どが線路から見える所に
青森、盛岡、千葉、福井、姫路、岡山、高松、広島、静岡などなど 宇野の桟橋にあった、芝生でできたうのの文字。高松での熾烈な競争前の静かな時間が流れる中、ゆっくり桟橋を離れる風景が思い出される。 宇野の桟橋に宮島航路の安芸丸が係留されてて奇しくも宇高連絡船とのツーショットが実現しませんでしたっけ? >>195
羊蹄丸が愛媛に来るのか。
津軽丸型は遠目にしか見たこと無いから公開されたら見に行こ。
伊予丸型と津軽丸型が高松港で並べば最高だったんだけどな。
青函の船は宇高に比べてかなり巨大な船だろうな〜。
四車線の車両甲板とか、中も見学してみたい。 連絡船とうどんが結びついている人も多いようだけど
四国の大鉄道展に行ってきたが、うどんの船内販売は最後の18年間なんだってな
連絡船黎明期からずっとやっていると思ってた 来年度、本当に新居浜に羊蹄丸来るらしいな。
ずっとガセかと思ってた。
解体するのも決まっているらしいが。
ttp://www.funenokagakukan.or.jp/pdf/youteimaru.pdf ヒ てどっかで保存してませんか?前に多度津工場(DF50が保存されていた時期)で見たことあるんですけど。 >>207
ヒって控え車のヒ600形の事?
ヒ600形なら多度津工場に保存されてるはずだけど。 新居浜に青函連絡船来るんだ。アッケシソウつながりなのかな。 曳航する時はやっぱ「ヴォルガの舟歌」歌うんですかね? これから海が荒れるのに早くやらないと
ありあけと同じになるぞ タモリ倶楽部で羊蹄丸の中を探索?してたけど
車両甲板に車止めやレールは無かった これはどのルート?
明石海峡〜瀬戸大橋の下をくぐるルートかな?
もしこのルートなら瀬戸大橋をくぐるところを撮影したい。
青函連絡船の船体が瀬戸大橋をくぐるのは最初で最後だろうから。
日程が知りたいな〜。 素人の疑問なんだけど、鳴門海峡みたいな潮の速いとこを、
曳航された無動力の大型船って通れるのかなぁ?
航行距離は長くなっても、明石の方が無難だろうと思うのだけれど。
瀬戸大橋周辺で撮影なら与島からが無難かな。
それか番の洲からか。
通過が暗い時間だったら泣くしかないけど。 番の州か…。
宇高の最終日翌日(つか、瀬戸大橋の開業日と言うべきなのかw)に、
あそこで4隻単縦陣を待ち構えたのも懐かしい…。 宇野港銀座なんて過去の栄光。
連絡船廃止後の宇野の寂れ方はハンパない。 >>222
そんなに酷いのか?
今月、青春18キップで行ってみようかな >>224
ついでに玉野市営電車の保存車も見てきてくれ。 子供の頃、広島から高松への里帰りで、年に2回、往復4回は乗ってたなあ。
宇野駅から連絡線へ、席取りのためのダッシュ。
席の確保が出来たら、デッキのうどん屋めがけて、2回目のダッシュ。
高松駅構内のうどん屋も美味かったけど、女木島とかに向かう小さな桟橋の
ところのうどん屋も美味かった。
当時の高松の繁華街の賑わいぶりは、今からは想像もできないでしょうねえ。
瓦煎餅も大きくて、もっと真っ黒で固かったしなあ。
白鳥のぶどう餅なんて、絶品でしょ。
全国的には、無名ですけど。
上京する直前は、玉野市に住んでて、
宇高国道フェリーはバスみたいな感覚で乗ってましたねえ。
玉電廃止の頃ですね、住んでたの。 >>222
80年代前半でも既にかなり寂れてた印象 26年ぶりに宇野駅に行った。駅のショボさと周辺の閑散さを見て涙が出そうになった 今の宇野はほんとうに寂れた印象しかないな。
宇野駅も小さな駅に変わってしまい連絡船時代の面影も全くない。
かつて宇野駅は四国への入り口で、終点という印象は無かったけど今は完全に終着駅。
自分は24年ぶりの訪問だったけどあまりの寂れ具合に言葉もなくただ涙が滲んだ。 あそこは客来ない方がいいの。
退去後がメインだから。 玉野は大金持ちがいない代わりに大貧乏人もいない土地柄。
ちなみに玉野署は岡山の警察官憧れの職場。 玉野(宇野?)っていまだにバブルの幻影を追っているようなイメージしかない町だね
数年前までスペイン村だっけ?
夕張みたいにハコモノ建てりゃ人が来るって妄想に憑りつかれてる人が多いんだろうな。
今度は温泉だっけ?
観光というイメージが全くない町なのに観光開発に必死なのが笑えるよね。
直島の成功を見て焦ってる感がありありで・・・
そのうち財政破綻して他の市町村に泣きついてきても知らねえぞ。 先日、宇野→高松の四国フェリーに乗った。390円で1時間もあの景色を楽しめて、いい気分転換になったなぁ。老後は瀬戸内海沿いの町にぜひ住みたい >>234
チンピラ多いけど苦情無視すればいいしな。
交通取り締まりだけやればいいし。 >>234
マル暴関係部署は県内随一の充実度。
笠岡なんかもそうだけど。 >>238
いいよね〜。
宇高航路は特に夕方に乗って夕日を眺めながらの航海は最高ですよ。 青函でもマラソンあったのかな?
はつかりに座れるかどうかは宇野線快速の比でない重大問題だよね あった、どころか、どっちかと言えば、
青函のマラソンの方が有名だったと思う。 サンポール高松と聞いて何の違和感もなかったwww
やっぱネーミングセンス悪いね。 高松駅横に激安スーパーが進出した結果、大量の無断駐輪が日常化していて見た目が悪いです。 真剣に「サンポール高松」と間違えてる人が多くて笑うな
これの12月1日のところとか、
ttp://www.u-canent.jp/masashi/yokan/concert_info.html 船窓から見える、直島の禿山と、煙突だけしかないのに煙が朦々と出ていた光景が
幼心にはあまりにも不気味でおそろしかった。
宇高連絡船の話題ではないのでスレチですが・・・・
青函連絡船の新居浜への曳航は3月25日お台場を離岸、3月29日新居浜着岸だそうです。
ルートまでは公表されてませんが、曳航という点を考えると明石海峡ルートが有力
かと思います。
いっそのことサンポートとサンポールで何かコラボしたら?w 青函新居浜曳航は豊後水道ルート、来島海峡より四国入り
スレチ失礼 瀬戸内海東部沿岸住民としては残念ながら、そのようです。
ソースは新居浜高専HPの航路予定図。
曳航のデッドシップとは言え、青函連絡船が宇高航路を横切る、という夢の一瞬が、
最後の最後に来るかと思いましたが、まさに「夢」の彼方で終わりました…。 明石ルートなら与島から撮影するつもりだったけど、来島海峡は行った事も
ないし、撮影ポイントも分からないから大人しく新居浜で撮るわ。
>>256
青函航路の船が宇高航路を横切るって想像しただけで胸熱だったけど残念だね。
青函航路80年の函館発定期最終船の最後が愛媛県というのも予想できなかった。 鯖エラーに付き、羊蹄丸ネタだけど宇高スレで失礼。
昨日(24日)14時半ごろ、船の科学館現地に、作業船が到着。明朝岸壁と船をつないでいる最後の鎖切断するための準備のようです。
http://pc.gban.jp/?p=39259.jpg
関係者らしき人の話だと、明朝6時くらいから作業開始、終了後8時過ぎころ出航の予定とのこと。
ちなみに船首よりの岸壁は何か工事をやっているようで直近には入れなく、また岸壁と地上をつなぐ配管等はすでに切断済みでした。
http://pc.gban.jp/?p=39258.jpg わざわざ遠回りしてまで潮の速い来島通るのは意味がわからんな。
よっぽど備讃瀬戸通りたくなくなかったのか? 鉄ヲタにはわからんやろが、
大阪湾通る方がじゃまくさいんや。 新居浜で羊蹄丸見てきた。
伊予丸型に比してやっぱり青函の船はデカイわ。
船首を切り落とした歪な形の宇高とは違い青函の船は美しい。
でも馴染みが深い不恰好な宇高の方が愛着がある。 >>263
そういや瀬戸内海の短距離航路では船首がない形の船が多いね。
瀬戸内海独特の前と後ろがよく分からない船ってなんかいい味出してるわ。 >瀬戸内海独特の前と後ろがよく分からない船
尾道水道の渡船ぐらいだと、まああれが効率的なんだろうなと理解出来るが、
直島航路であの船形(で尾道のより船もずっと大きい)だと、
少々びっくりしたです(ずいぶん昔のはなしですが)。
今は宇高航路っぽいタイプになったみたいですね。
そういえば、大昔買ったレゴの鉄道連絡船が、
まさにあの船形だった事を、今ふっと思い起こしました。 宇高連絡船は運行本数がそこそこ多かったから素早く着岸して貨車の入れ替えを
するって意味では車両甲板の開口部を船首側にするのは効率的な設計だと思うな。
尻から着ける紫雲丸型よりも伊予丸型のほうが好きだ。 宇高の船は、平水区域の設計だったのか、それとも沿海区域? 間違ってたら申し訳ないけど、土佐丸が新製されて高松へ回航する際に浅瀬
付近で車両甲板に海水が入ってきたらしい。
原因は車両甲板の扉を上げた状態で航行していた事が原因。
だから伊予丸型は外海で航行するには改造が必要な船で内海専用の船。
インドネシアに行った伊予丸型も確かインドネシアへ回航中に浸水があったと
ある書籍に書かれてた。車両甲板の扉を溶接密閉せずに外海を航行した事が原因。
土佐丸は船首を改造したから問題なく外海へ出れる。
未改造のままだとあの船首の形状では波の高いエリアや台風をくらうと浸水しやすい。
だから波の穏やかなエリア専用だな。 <<267
平水だよ。
あの形で沿海OKでるわけないじゃん。
さらに、船足も遅いから、防波板で通ってたんだよ。
現存する宇高連絡船ってないの?青函連絡船は3隻もあるのに(まもなく2隻になるけど)。 >>274
日本に現存するものは無いね。
伊予丸は遠くパナマの地でもう解体されて存在しないという噂は聞いたけど、阿波・土佐・讃岐丸は
インドネシアでカーフェリーや貨物船として今もまだ現役で活躍してると思う。
何年か前にインドネシアに元宇高連絡船を訪ねるという旅行ツアーもあったし。
日本国内に保存されなかったのは残念。
でも海外でまだ現役で活躍してる事を考えると嬉しい。 4〜5年ぐらい前に、青函の檜山丸を訪ねていった人が、
その会社のパンフにどう見てもサウンズオブセト(土佐丸)っぽい船が
僚船として載っている、みたいな情報を書いてた事があったような…
記憶違いだったらゴメソ。 >>276
そうですね、間違いなくあのパンフの写真はサウンズオブセトです。
ところで元檜山丸ですが、ウィキペディアで確認する限り炎上して沈没したと書かれてますね。
引き上げられて修理されたのか、そのまま放置か、解体されてしまったのか不明ですね。 何度も沈んだ紫雲丸(瀬戸丸)が国内で浮き桟橋として残っていたのを考えると残念至極 雑記帳:「宇高連絡船」懐かしみ「伸びたうどん」販売
香川、岡山両県を結んだ「宇高連絡船」を懐かしむイベントが16日、高松港旅客ターミナルであり、
かつて船内で売られた「伸びたうどん」が販売された。
同船では調理ができず、ゆでたうどんを高松港で載せていたため、伸びたうどんしか提供できなかった。
88年の瀬戸大橋開通で、並行する他社便は残ったが、JR四国の宇高連絡船は廃止。イベントでは、
当時の懐かしいうどんを再現した。
ゆでたてより味は落ちるが、「学生時代、帰省の際によく食べた味を思い出す」と来場者。味覚だけでなく、
思い出をたっぷり味わっていた。
http://mainichi.jp/select/news/20120618k0000m040046000c.html 懐かしい「連絡船うどん」人気 高松で記念イベント
瀬戸大橋開通まで本州−四国間の“大動脈”として活躍した宇高連絡船の開設日(明治43年6月12日)を記念したイベント
「まんでがん宇高連絡船2012」(同実行委主催)が12日、高松市サンポートの高松港旅客ターミナルビルで始まった。
再現された「連絡船うどん」が人気を集めている。
同ビル1〜3階を宇高連絡船に見立てて1階を車両甲板、2階を客室甲板、3階を遊歩甲板に想定。
出港を知らせる銅鑼(どら)の音でオープンした。3階の「連絡船うどん」コーナーは、当時をよりリアルに再現するために、
打ってから時間が経過した“のびたうどん”を用意したという。
高松市の男性(60)は「名古屋の大学に進学して、帰郷のたびに連絡船を利用した。宇野駅で列車から連絡船に
乗り換えると必ず甲板でうどんを食べた。青春時代の思い出が詰まった懐かしい味です」と話していた。
同イベントは16、17の両日(連絡船うどんは売り切れ次第終了)も開かれ、1階で模型で貨車を連絡船に
積み込むシーンの再現、2階でパネル展が開かれる。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120613/kgw12061302100003-n1.htm 記事だけを読んだであろう伊集院がラジオで喋ってたけど
そんなに伸びて不味かったかなぁ?
夜風にあたりながらデッキで食べるうどんは格別だった
不味いと思った事は一度も無い! うどんで打ちたてとかのびたのがちょっととか言い出したのは、ここ10数年
の話で、昔は家で食べるうどんは、蒸篭のゆでうどんを製麺所か近所の商店で
買って、家でだしを作って食べるのが普通だった。また麺も今より太い所が
多く、またのびてもプチプチ切れるものは少なかった。 >>282
今の四国フェリーの船内で食べれるうどんが当時の連絡船のうどんに近い食感だよ。
注文したら、袋入りのうどん(スーパーで3袋100円くらいで売ってそうなうどん)を
ゆがいて出してくれる。
コシとかそんなものを期待してはいけない。
一方、国道フェリーはカトキチの冷凍うどんをゆがいて出す。
こちらは冷凍だがコシがある。
生にこだわるなら四国フェリー。
コシにこだわるなら国道フェリー。
どっちも求めたいなら、フェリーを降りてから高松市内で食え。 >>284
加ト吉じゃなくて、日清冷凍食品株式会社→四国日清食品株式会社
の冷凍うどんだったかと・・・・。 冷凍うどんが開発されたのは1990年代だったような気がする 船で喰ううどんといえば宇高を離れるがジャンボフェリーだな。生もコシもダシも全て確立。
HPにも「うどん県高松市」とか表記してやがるぐらいだし。
冷凍うどんといえば旧加ト吉現テーブルマークだな。あの内村航平(男子体操)も「美味い!」と絶賛。
偏食が激しい(しかしよくあんないい身体に運動神経が保てるな…)内村が言うんだから間違いない。