宇高連絡船
青函連絡船より地味な存在であった宇高連絡船の思い出をどうぞ。 宇高と仁堀しか乗船歴なし。
青函どころか、北海道には行った事がない。
宇高連絡船はホンマによく乗船した。 >>1
ホバークラフトにもお乗りになったのですか? 地味か?
青函より宇高の方が利用客がかなり多かったんじゃないの? 宇高連絡船最終日、宇野発のホーバー最終便に乗りました。
乗船客には記念の額入りのホーバー(船名忘れた…)の写真が配られました。
その後、宇高連絡船最終便…の続行の続行で、文字通り“営業最終便”となった讃岐丸に乗って宇野を往復。
この讃岐丸は、本来の最終便の後に続行便を出すことは早くから知らされていましたが、
それに乗り切れないときの為に、密かに用意はされていたんですね。
たまたま高松駅で駅員が持っていた運航ダイヤを目にしてその存在を知り、続行便の列に並んだものの、
乗客がかなりあぶれそうだったので、機転を利かせてあえて見送ったのが正解でした。
パニックになっていた宇野では、折り返す乗客を降ろさなかったので、宇野で待っていた乗客が暴れていましたね。
高松到着後、瀬戸大橋開通一番電車の「マリンライナー」の列は既に“札止め”だったので、タクシーで鬼無に移動、
そこから「マリンライナー2号」に乗車、瀬戸大橋の初乗りを果たしました。
満席状態の車内でしたが、肝心の瀬戸大橋にさしかかった時、かなりの人が居眠りをして見損なっていたのには笑えましたね。
その「マリンライナー2号」を途中駅で捨て、今度は下り一番となる「マリンライナー1号」で再度瀬戸大橋へ。
その後、宇多津側と往復、午後からは今度は高速バス運行初便となる倉敷駅前発琴平行きに乗車。
橋の上を渡る営業バス一番乗りも果たし、締めは上り「瀬戸」初列車で帰京…という、怒濤の2日間でした。
今思い出せば、もう懐かしい思い出なんですな。この2日間で宇高連絡船と瀬戸大橋で都合6往復したんですよね…。 瀬戸大橋はなぜか眠くなるんだよな。
初渡橋から3回目まで、必ず橋の手前でぐっすり眠ってしまって瀬戸内海が見れなかった。
>>7
そりゃあ恵まれた軌道の上を減速して走っているのだから眠くなるのも必然だわな。 >>3
ホバーと高速艇に各1回乗船した記憶があります。
>>4
鉄ヲタ的にはやっぱり地味でしょう。
>>6
私は最終日、宇野発B便伊予丸に乗船しました。
翌日の瀬戸大橋は無視、
全船パレードを遠巻きに眺めてました。 廃止直前まで茶屋町駅では硬券の宇高ホーバー券売ってました。 瀬戸大橋開通後の夏休み、家族旅行で高速艇に乗っただけだな。家族一行も
入れて7人で寂しい限り。靄で黒い影を浮かべる瀬戸大橋が印象的だった。
今年6月玉高丸で再訪したが、いかんせん小六の記憶が薄れているから、
何も思い出せなかった。再開発で高松は全滅、宇野は第二バース跡しかない。 >>9
全船パレード懐かしいね〜。
その日、おれも大橋初乗りを後回しにして、
沙弥島の突端あたりで瀬戸大橋の下をくぐる4隻を見てましたわ。
ちなみに最終日は、>>6氏と同じ讃岐丸でした。
宇野の桟橋で「暴れていた」(←実際は声を荒げる程度だったけど)一群の中にいました。
(おれは騒いでませんけどねw ただあの状況では「どうして客を降ろさないんですかっっっ!?」
って声が出るのは、まあ仕方ないかなあ、と思ってました。)
よく考えたら、讃岐丸は残る事が決まってて改装済みのフネだったので、
普段着の伊予丸の方が正解でしたかなあ。「最後の便」という魅力に負けましたが。
にしても、高松の変貌ぶりは、びっくらこきますなぁ。
廃止頃に宇高両岸合わせて1週間ほど滞在して写真撮ったけど、
そういう人間でもやっぱり記憶のすりあわせはむずかしいです。
>>9
宇野発最終便はA伊予丸B阿波丸C讃岐丸だったぞ。
俺は定期最終便ということで伊予丸に乗った。桟橋員の「伊予丸のお客様、さようなら」の絶叫アナウンスが忘れられん。 最終日に貰ったしおりのセット、もったいなくて使う気になれない。 >>14
すみません。
私の間違いでした。
再確認せずに書き込みました。
その通り、B便「阿波丸」でした。