【キハ55】日光型総合スレッド【157系】
昭和45年頃、朱色の101系快速の走る線路を新宿まで、総武本線の急行形気動車が乗り入れていました。
その編成がどういうわけか、黒屋根と張上げ屋根が交互という不揃いなものだった記憶があるのですが、
キハ55が転用されて、28や58に組み込まれていたのでしょうか。そして、その理由は?
気動車に強い方、ぜひ教えてください。 >>120
気動車急行末期でも中間にキハ26はよく入っていたな
キハ45が入っていたこともあった
需給関係ではないですかね。つまり房総の電化区間が広がり気動車の転出が多くなってきた結果、
急行型の所要両数に一時的に不足を来たすことになったという >>118
国鉄線上と言う条件なら「きのくに」の南海車で正解。
社線内だけの急行を含めてよければ、「出島」崩れの島鉄急行が本当の最後やね。
国鉄純正車に限定すると、1981年に「いよ」に入ってる写真がWIKIにうpされてるけど、
更に臨時まで入れるともう少し遅くまであったはず。
55系列は車内スピーカーがデッキ扉上部と中央にカマボコ型のがありましたな。 それまでの10系は車内放送装置は無く後からJNRロゴが入った金属製のを取り付けた。 初めて157系に乗ったのは、横浜から伊東までの特急「あまぎ」でした。
小学校1年生の時で、小川知子「初恋の人」(そよ風みたいに偲ぶ、あの人はもお♪)
が流行ってました。 >>118
185系が湘南色になったけど、今度は157系のように塗って欲しいな。 真夏の紀勢線急行「きのくに」編成。
南海キハだけ非冷房で窓全開。
あれは乗ってる人きつかったと思う。
南紀の夏も暑かったからね〜。
でも当時一部の天ワカキハ28にもまだ非冷房が居て、共連れで冷房キハ58も
窓全開だったこともあった。
高い運賃と急行料金取りながらあれは酷いと思ったよ。
>>89 遅レスで申し訳ないが、 88が言っているのは、ライトが車両限界に影響したとかじゃなくて
島原もキハ58の自社版を導入し国鉄のモデルチェンジに追従したかった!
その意気込みが、キハ58同様のあの左右離れた所に位置するヘッドライトに反映していると云う事だろう。
結果キハ58の民鉄番は、富士急→有田の車だけに留まり残念なことになったが・・・
島鉄すら導入できなかったキハ58仕様車が 資本も弱小で、開業時軽便並の非弱な蒸機を導入したような有田に入線出来たのは興味深い
(元から入線できる規格なのか?何時改修したのか・・・)
昭和5年に雨宮製ガソリンカーを導入した時に一念発起して規格向上させてたはず。
その後は中国鉄道と類似タイプのコンチネンタルエンジン付き加藤車輌製ボギーガソリンカーを入れていて、
これなら58まではさほど遠くない。 >>133
おもしろそうなので、「私鉄車両めぐり」を開いてみました。
雨宮のガソリンカーは9.3t2軸、加藤車輌の中国鉄道型キハニ201は18t 4軸。当時は軽いですね。
戦後キハ40001、41038、41078、0429、42037と入線して国鉄型入線に下地はあります。
車輌限界等はクリアしてますが、まだ軽いです。
最重は湘南窓の 250 DMH-17B 160PS 28t4軸、S29入線。キハ10に近いです。
58003 が38t4軸なのでもう一息。
S28 の大水害の復興時軌道強化をしたのかな?と思ったら、S16.11.14~30 に省型蒸機230型が入線してました。
動輪軸重10.26t!
で、面白いのを見つけました。
T4.5.26認可で福岡鉄工所製石油発動機機関車導入、T6.6.15播州鉄道へ譲渡。
これは3フィート機を3ft6inに拡げたものらしいです。
S25.4.8の認可で国鉄車キハ41067が有田鉄道へ乗り入れ。
S25.9.12に有田鉄道が譲渡を受けた41038によって国鉄車の直通廃止。
国鉄車が一時的とはいえ、有田に入っていたんですね。 >>136
準急「日光」時代の157系って急行型気動車と同じ配色だったけ? >>137
赤11号とクリーム4号だから気動車急行色と同じ
>>138
それは特急色w もっとも帯は赤11から赤2に変更になってるけどね
それに特急色時代だって日光に使われてたわけだし >>143-144
なんだよこの流れ。
年寄りスレだな、日光型だの東映だの…
>>145
そりゃ東映フライヤーズはともかく
ここキハ55のスレだぜ 東武が進出してなかったら国鉄はここまで力を入れなかったのだろうね。 宇都宮でスイッチバックしてるのに日光まで2時間を切っていたなんてすごいな。
>>148
上野と宇都宮の間ノンストップで必死に走ってたからね >>147
しかし宇都宮までは国鉄も大して力を入れてなかった ♪やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、
やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやんやん
国鉄スワローズ金田正一85歳、息子賢一野球選手に成らず、惜しい! ガキの頃、鶴見に住んでた。東海道やスカ線が停まらない(ホームがない)のがすごく悔しかったな。
ある日、川崎に用事で行った時に京浜東北のホームから東海道側のホームを通過する157系「あまぎ」を見た時の衝撃は今も忘れられない。
運転席の後が機械室みたいになっているのがまたカッコよかったな。 冷房工事の際に下降窓を固定窓化してれば延命できたのにな。 新特急用になって185系は生まれずにJRになっていたかもね。 >>156
両数的に足りないから185系登場は変わらないと思う 日光・かすがもそうなんだけど1960年代半ばから国鉄が「私鉄なんかほっとけ」的な態度になるんだよね。
それまで若干でも競争感のあった京王・西鉄・阪神・名鉄あたりも「国鉄さんが競争しないなら殿様商売でいいか」感が出てくる。
国労・動労がお役所仕事モードになるのもこの辺。
新幹線作ったり、戦後復興したりが一段落ついて堕落したのかな? 準急車両って準急が現存する私鉄でもなかなかないんだよな。
普通用か急行用転用すれば済むからだろうな。 国鉄の準急と私鉄の準急では列車の格がまったく違う。
比較することが愚か。
あまりにも無知な書き込み。 >>164
有料無料の違いはあるが、対象となる乗客のグレードから行くとそれほど違いはないと思うぞ。
昔の国鉄は特急どころか急行すら料金高いと思われていたのだから。 国鉄の準急は他所行き、1等車連結も多く駅弁食ったり車内販売あったり
私鉄の準急は御近所行き、通勤・通学も含めてデイリーで利用 >>165
1行目はトンチンカンな書き込みだな。
>>167
そのとおり。 あのう、ちょっと皆さんに質問なんですが
クロ157-1は今、東総の御料車庫にあるんですよね?
東総公開の時、クロ157も公開されます? >>164-167
当時は
私鉄の特急≒国鉄の準急
といったところだったからな。
私鉄の特急が国鉄・JRの特急とほぼ同格になるのは大体80年代半ば以降だが、
今でも私鉄の特急料金の水準はJRのそれに比べて低いなど、昔の名残はある。 >>172
なつかし板で言うことでもないけど、首都圏に限ればJRの特急は私鉄並でいいでしょ
中央・常磐線除けば、かつての国鉄の特急の機能は新幹線にほぼ代替された
東京駅から100kmくらいまでは、もはや通勤電車に毛が生えた程度のデイリーユース
設備はもっと簡素でいいから安くしてくれないかな >>172
設備的には東武DRC=国鉄特急グリーンだと思うけど あまぎは、120km/hで爆走したっけ?
窓枠の構造だけでなく、酷使も短命の理由だったのか?
サロ165の一部が2段枠に改造されたが、最後まで残った車両は
原形を保っていた。 あまぎは、120km/hで爆走したっけ?
窓枠の構造だけでなく、酷使も短命の理由だったのか?
サロ165の一部が2段枠に改造されたが、最後まで残った車両は
原形を保っていた。 >>174
東武日光線系統の特急はさすがに例外の部類じゃね?
伊勢崎線系統の「りょうもう」ははっきり格落ちだし。 >>174>>177
特急料金も違うね。千奈美にけごん・きぬは【特急スペーシア】
りょうもう・しもつけ等々は【特急】と案内も区別される。
>>175
あまぎは110キロまでしか出さなかったんじゃまいか?
今でも東海道線の束管轄区間は110キロ制限の筈。
>>176
大事なことだから2回言ったんですね、わかります。 東上線系統に至ってはロングシート車だ、特急。
そして国鉄157系も、DRC同様に「例外の部類」として生まれてきたんだよな。
そう、それが、このスレの本題だったっけ。 157系は国鉄として明らかに例外だが
DRCの場合は一私鉄の問題だから例外ではないのでは? まぁDRCは、デビューしてからかなりの間、デラックスの名に
恥じてなかった印象はあるな。
余談だが、これも懐かしくなってしまったがトーマスクックの
海外版(欧州以外を指す)時刻表には、日本の大手私鉄の
有料特急は、1等車と紹介されてたな。そういえば、
対距離制料金のところは、運賃と料金が大体同額な社が多い。 もし意思があるなら157系は今の日光線の体たらくを墓穴で泣いてみているのだろうな。
NEXのお下がりが、東武日光に乗り入れ。そして一部は自身にも声の掛かった長電譲渡。
複雑な心境だろうな。 157系のNEX三鷹ったなあ
定期運用で高尾まで乗り入れ
でもAA基準が… >>184
声が掛かったのは、長電じゃなく、大井川じゃないのか? >>186
長電で合ってる。台車が車両限界に抵触するのが分かって
流れたと記憶しているが。 下降窓下部の腐食が激しくて諦めたと、聞いているが。 長電に165系が乗り入れていて157系がダメなのは何故だ?台車違っていたっけ?(国鉄型台車は当方無知)
微妙に限界が違うの?
それとも長電全線で考えた場合困難な場合でも? >>189
165系はDT32で157系はDT24。
詳しくは覚えてないがボルスタアンカーが引っ掛かるのかな?
しかし決定的なのは>>188の理由が大では無かろうか。 しかし、157系を長電に入れるのなら、3連化改造が必要だな。
サハ157を先頭車化改造か。
しかし、本当に昭和51年頃に長電が特急車を必要としていたのだろうか?
小田急車やNEXを最近導入した事を考えると、おかしくないか?
導入しようとしたのは、大井川と聞いているんだが。 富士急あたりも適していたような・・・でも富士急は激しく弄る(手を加えそうだな)。
当時大井川にはいったら、雑多な吊りかけのガラクタ(西武、名鉄、買収社形、木造院電)や 折角カルダンなのに昇圧出来ず自走出来なく虚勢された「くたに」とか
まともな高性能車がなかったからエース級の扱いだったろうな・・・・でも 古くなると使い捨てられボロボロになるまで放られ野垂れ死にだから
潔く解体されたほうがマシかな。
やはり、色とかも似た色なのであまりイメージを変えてしまいそうにない長電なら良かったな。
>自走できずに
うまいっ! だけどそれを言うなら去勢な。 >>191
サハ157の先頭車改造見てみてぇ〜w
非貫通、しかも工事簡略化で切妻になり、クヤ165顔になる悪寒・・・。 >>>170
昔から田町の専用建屋に収納されてます。
それに客車同様廃車になってないので公開は無理でしょ。 ひたちなかの急行色のキハの顔、ライト周りは別としても、なんかキハ55と違う。
どこが原因だろ…?
キハ22とその亜流車は、床の厚み(木張り)の分だけ
55や20に比べて車体全体の縦方向の寸法に差が生じている。 確かに前面窓の位置が高いですね。
キハ55系統と比べるとなんか間の抜けた顔に見えますね。 若干遅レスだが
>本当に昭和51年頃に長電が特急車を必要としていたのだろうか?
国鉄からの車両片乗り入れをやめたかったのでは 若干スレチになるのですが、157系の早期廃車は下降窓侵入の雨水による腐食が災いしたそうですが、
それなら何故 同じ下降窓採用で製造年代的にも大差の無い近鉄の通勤車6800系等は、長生きできたのでしょうか? >>201
水抜き穴の設計が良かったとか、整備の差とかじゃないのか? 157系の廃車の主な理由は本当に下降窓なのだろうか
むしろ少数特殊形式で標準化改造も出来ず使い勝手が悪かったんでないのか あまぎ時代の末期、車体裾やスカートにかなり腐食が見られた。
スカートはともかく車体裾の腐食が何に起因するかは専門家じゃないのでわからない。
クロ157用の2ユニットだけ車体がきれいだった。 >>201
近鉄はシュリーレン式のフリーストップ下降窓技術に、水抜きのノウハウも入ってたんだろうし、
阪急や南海は戦前から長年の経験があってこれまたノウハウがあったんだろうな。
国鉄は車両全体が下降窓の車両、157系以前の鋼製車ではほとんど作ったことない。 >157系以前の鋼製車ではほとんど作ったことない
10系客車
もちろん言いたいことは分かる >>206
うん
ナハネ10デビューからまだ3年
結局、窓の致命的欠陥に気付いていない段階だったわけだ オハネフ12の台車抜きでボディが崩壊とかの噂もあったし
157系の顔って見る角度や写真によってはこの上も無く不細工に見える。 157系の顔を精悍にしたら185系に。
三枚目になったのが117系。
スレチだが西武5000系も精悍な顔つきでカッコいい。
185系やEF65と共通点がある。 そうか、言われてみれば似てないこともないね。117系。
正面非貫通で曲面ガラス、鼻が少々突き出た感じ、
あるいはそれに類似のというと、
ED72, DD54, EF66, あたりも該当するかな?
ライトの位置が違うけど。
西武5000は、俺の中では、
どっちかというと北鉄「しらさぎ」の巨大化バージョンw >>214
登場時は117系も185系も157系に似てるとさんざん言われてたんだが・・・ 腐食しやすい個所は確かステンレス使用しているから長持ち