懐かしの南武線
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支線の101系・・・
とか南武線の昔を語るスレです。 >>3
そうそう、しかもチョコレート色(それはそれで嫌いでは無かったが)
ばかりの中に現れた雀群の一鶴!
中央特快なみのヘッドマークも誇らしいが、俺の利用駅は通過…
どこかの鉄研が出した新書に、快速のダイヤ改善案が
(快速が廃止された後に)載っていたのも懐かしい。 停車駅は
登戸・武蔵溝の口・武蔵小杉・川崎
でしたね。
おれは立川だったけど登戸でまっていると立川方面は少ないんだよね。
ひどいときは30分近く待ったこともある。登戸駅1番ホームには
待合室があってそば屋があったな。対面の2番線には「快速」が停留
していたのを何度かみたことがある。 連投だが
↑の時代下り電車は稲城長沼までは6両でも,稲城長沼〜立川間は4両だった記憶。
西国立には下りホーム下車の場合矢川方に構内踏切がありそれを渡った。
矢野口駅は下り上りともにホームに一切屋根がなかった記憶。
中野島駅はカリタス学園が近くにできるまでまわりは「荒野」だったな。
稲田堤駅は京王相模原線が開通した後はそれだけが新幹線みたいに輝いて見えたな。
支線の101系が昔か・・・
やっぱり31系でしょう。 支線のクモハ11+クハ16は厨房の頃オート110のポケカメで撮りました。
さすがに鶴見線のクモハ12以外の17m級は見てないっす。 今日、Googleマップで宿河原付近見てたら
砂利用の廃線跡(?)を初めて見つけてテンション上がったw
あれ綺麗に線路の跡残ってるのな
Youtubeにも関連動画あったし 黄色い電車に身をまかせ〜
(ry
あヽここは南武線 中野島ブルースよ 西国立行くと、機関区があってED16が佇んでると錯覚し、
府中本町近づくと、競馬場駅があると錯覚してしまう。 西国立に住んでいる若い同僚に尋ねたら
「むかし機関車が止まってたという話はよく聞きます」と言っていた。
機関区が無くなった後の生まれだった… >>16
もうそんなに経っちまったか、昭和も遠くなりにけりだな……。 ときどき黄色とオレンジの混成車両に遭遇
武蔵野線の4色混成にはかなわなかったが 南武線では黄色と黄緑とエメラルドの3色編成も見た事ある。
でも混色は確かに黄色とオレンジが多かったね。
黄色と黄緑混色は山手線に205系が随時投入されてる期間のみ見られた。 俺が小学4年位の頃、稲田堤に折返し用のポイントが有ったのを微かに
覚えている、ホームから釣り堀が良く見えた。 >>5
確かお盆や彼岸の時期は臨時で津田山にも停車してたっけ。 >>12
俺地元住民だけど、近所の文化祭見物しに行って
鉄研の厨坊に教えてやったら、「へえぇwww(シルカwハゲww)」とか。
ムカつくぐらい無関心な顔しやがるw 幼少の頃(S30年代後半)、矢向付近の線路近くに住んでいたが、当時は本線にクモハ11、クハ
16などが主力で、青梅線から来たのか反流型のクハ55?も、たまに活躍していた記憶がある。
また、奥多摩(当時は氷川)直通貨物列車はED16、線内貨物はC11、C12が主力で活躍して
いたが、ターンテーブル等の設備が無く、下り方向のSLは常に逆行運転となっていた。 狭いバス停前に、小鳥の糞だらけのペット屋があった武蔵溝ノ口駅 20年近く前稲城に引越した時、稲城長沼の駅周辺に「昭和」を見た。
駅舎の雰囲気とか、改札出てすぐタクシー乗り場があったり、
斜め向かいに日通の営業所(それも古めかしい感じで)があったりで、
まるでドラマか鉄道模型の世界だなぁと感じた。
クモハ101-901モハ100-901モハ101-901クモハ100-901 >>29
その編成懐かしいね。前面に立ち上げられた雨どい、量産車より若干狭幅の方向幕、時計の秒針のように
「カチン、カチン・・・」と機械的な動きをしていた速度計、オールMによる民鉄車両並の軽快な高加速・・・ >>27 中原方面に線路沿い歩くと段々奥行きの狭くなる店舗群(立ち飲み出来る酒屋とか場末のスナックとか)もね。 武蔵中原が地上だった頃、朝ラッシュ時中原街道
の踏切が締まりっぱなしで大渋滞を起こして
いたな… 府中本町−西国立が単線だったころ、谷保でいつも交換待ちでよく待たされたものです。
そのころは、クモハ11、クハ16などの17M車が主力。
43年10月のダイヤ改正に合わせるかのように、73系が徐々に増えてきた。
17M車と73系の混結も見られた。
17M車は白熱灯で、73系は蛍光灯。夜になると明るい車内の73系に、感動したものです。
そうそう電気機関車は、ED16が主力でしたが、一般貨物は、EF10、11、13が担当してました。
特にEF11は、全国的に希少だったんで、今でも、その走行が目に焼き付いています。 >>29
のちにその編成、オレンジのサハを2両組み込んで6両編成になったね。 矢野口駅での思い出。
笛を鳴らす。ドアを閉めようとしたそのとき
券売機のところにいるお客「すみませーんまってくださーい」
改札の駅員「いいからいいからそのままいってー」
そのお客が乗るとすぐドアをしめ,乗務員室のドアを開けると
「どちらまで?」といって車補を取り出す。
昭和50年くらいの話。
もっとも当時だと地方のローカル線にいくと,
「おーーいまってくれーー」といって手をふると
一度動き出したディーゼルカーが再度停まったなんてのが
あたりまえにあったけどね。
質問です。
南武支線(浜川崎線)の旧型車両、について聞きたいことがあります。
80年まで残ったクモハ11(222,244,248,270)とクハ16(003,007,211,215)は70年台前半に鶴見線から来た車両だったのですが、
これらの車が入線する前に走っていた車(確かクモハ11-400台)のナンバー分かる方いらっしゃいますか?
分かる方いらっしゃいましたら御教授願います。 快速のヘッドマークって、最初は153なんかで使う横サボ位の大きさだったんだよね。
101の正面窓の真ん中に下げていたよね。
小坊だった俺は、オレンジを地元で見た事が衝撃的な出来事だった。
中央特快もどきのヘッドマークに変わった時は、未来永劫この快速が走るんだ!と
思ったんだけどね・・・。 南武線に快速が登場したときの感動は今でも忘れられない。臨時の南武・奥多摩号を除けば、実質
同線初の新性能車でオレンジの101系の車体に見とれたことを思い出す。これまで旧型車ばかりで
肩身の狭い感があったが、これで川崎で顔を合わせる東海道、横須賀、京浜東北線や途中駅で交差
する私鉄とも対等に肩を並べらるようになり、南武線が少し大人になったような気分だった。 その昔、矢向から川崎河岸までの単線非電化貨物線の近くに住んでいたことがあり、SL・DL牽引の
貨物列車がたまに走っていた。その線路際にあった床屋によく行っていたが、SLが通過するとあの独
特の臭いとかすかな煤が店内に漂っていた。牽引機はC11・12、DD13だった?と思う・・・
花粉症と言う言葉も無く、クモハ73の運転室直後の窓全開で身を乗り出し、制輪子の鉄粉を全身に
浴びてた。
そんな時代が懐かしい。今じゃ窓開けるのも、周りの気配を読まないと出来ないもんね。 >>41
目は大丈夫だったかい?「ブレーキの粉が目に入ったら大変だから顔を引っ込めろ」と、親父から注意を
受けた事があったぞ。
まだ小さいころの夏、シートの上に立膝をついて開いた窓から外を眺めていたら、「開けた窓が落ちて
くる事があるので、窓枠につかまるな」とも言われたな。
懐かしいねぇ。
ギロチンのごとく、窓が落ちて来るんだよね。
鉄粉はロマンチック的に言えば、ダイアモンドダストみたいなもんだったよ。
目に入る、なんて発想は全く無かった。 >>37 レスがないようなので・・・雲を掴むようなかなり探すのが面倒で
資料としては、微妙だが参考までに・・・
昭和35年製作の映画で「夜の街の流れ」?とか云う映画がある。
それの 終りの方のシーンで尻手駅で草笛光子が、映画の中で離婚した元旦那に無理心中に巻き込まれるシーン
(つまり飛び込み・・・合成だろうが、こんなシーン 当時の国鉄だから許可おりたのかな?)
その時進入してくるのが17m旧国だよ。電車は、カーブ側(川崎側)から来るから本線の電車です。
※当時既に浜川崎支線って完全に専用車両なの?(本線も同レベルで制約無い筈だが?)
線路下でホーム&電車側面に向かって映すカットがあるから車号は確認できるかも?
CS放送で探し録画でもして調べて下さい。
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