モトとレールについて当時運用をご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。
ブログ等では「モトとレール用のマニは常に最後尾に連結していた」旨の記載があり、実際大阪ー青森間は上り下り共にマニを最後尾に連結して走っている画像が確認できます。
しかし、青森ー函館間を走るモトとレールの画像を見つけられなかったので、最後尾だったかどうかが不明な状況です。
青森ー函館では列車の向きが変わる&青森編成の切り離し ro 連結がありますが、ここではマニを先頭にしていたのか、それとも青森編成の切り離し or 連結と共にマニを最後尾に付け替えしていたのでしょうか?