実家は米沢、母は福島の旅館の娘だったと父から聞いた。
私は、高校を卒業し、山形の大学への進学を決めた。
父母ともにとても喜んでくれた。
山形でのアパート住まいにも慣れ、自己の進むべき道を見定めた。
同じ大学の東京出身の女性とも懇意になり、就職を機に結婚しようと2人で決めた。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
母から頂いた塩むすびがとても温かかった。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
早朝に上野駅に着くと、婚約者が一人、寒いホームで待っていてくれた。
私は東京で希望の進路に就職し、今は女房と一男一女の4人暮らしだ。
米沢の父母も健在だ。東京の私の家で一緒に住もうと私も女房も言ったが、
父母は米沢から離れたくない様だ。
あの時の峠を下る光景は、私にとって二度と見られない風景でもある。