板谷峠の想い出
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4駅連続スイッチバックのあった奥羽本線板谷峠の想い出を語るスレです >>278
いろいろ情報ありがとう。
揚げ足を取るつもりは全くないんだけどディーゼルエンジンのガバナは、出力特性の指定とともに、過回転を防止するための基本的な機構でもあるのに…
あまりに重箱の隅をつついても仕方ないので、すんまそん。
ちょっと、181系ってどんなガバナ載せてたのかな?と。
ガバナ特性はディーゼル自動車でも運転すれば顕著に分かる位出力特性が変わるからなあ。 季節外れですまんが。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
二度と見られない風景なんですよね…。 冬景色、ええのう。
スレチだけど私も冬の北陸線で、能登に乗車した時の光景が忘れられません。
実家は米沢、母は福島の旅館の娘だったと父から聞いた。
私は、高校を卒業し、東京の大学への進学を決めた。
父母ともにとても喜んでくれた。
東京での四畳半のアパート住まいにも慣れ、自己の進むべき道を見定めた。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
早晩に米沢に着くと、年老いた父母と、婚約者が寒いホームで待っていてくれた。
私は山形で希望の進路に就職し、今は女房と一男一女の4人暮らしだ。
米沢の父母も健在だ。山形の私の家で一緒に住もうと私も女房も言ったが、
父母は米沢から離れたくない様だ。
あの時の峠の登りの光景は、私にとって二度と見られない風景でもある。
実家は米沢、母は福島の旅館の娘だったと父から聞いた。
私は、高校を卒業し、山形の大学への進学を決めた。
父母ともにとても喜んでくれた。
山形でのアパート住まいにも慣れ、自己の進むべき道を見定めた。
同じ大学の東京出身の女性とも懇意になり、就職を機に結婚しようと2人で決めた。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
母から頂いた塩むすびがとても温かかった。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
早朝に上野駅に着くと、婚約者が一人、寒いホームで待っていてくれた。
私は東京で希望の進路に就職し、今は女房と一男一女の4人暮らしだ。
米沢の父母も健在だ。東京の私の家で一緒に住もうと私も女房も言ったが、
父母は米沢から離れたくない様だ。
あの時の峠を下る光景は、私にとって二度と見られない風景でもある。
>>285
文学的創作にお役にたてたのかもしれないが、自分が乗ってたのは青森発です。
米沢はもちろん山形も運転停車だったと思いますヨ。
付け加えるとその列車には、弘前から高校を出たばかりらしい男女が実際に何人も乗りました。
就職先の指定列車だったのかもしれない。
若くして故郷を離れた、彼・彼女等ももう40になるでしょう。
板谷とスレチになっちゃいますね、スマソ。 >>286
88年〜90年の上野〜青森間2往復だった時代も
あけぼの2号・3号は山形停車だったはず(上下とも夜中だけど) >>286さん
揶揄するつもりはなかったのですが、結果として揶揄してしまい、
申し訳ありません。
追伸を頂き、高校を卒業して遠くへ就職して行く方々、青森から
夜行で就職先に行かれた方、本当に皆さんにとって忘れられない
光景だったと、拝察致します。
「板谷峠の想い出」は悲喜こもごもだったのだと、反省致します。
286さん、弘前から就職先に向かわれた皆様の、いつか峠の良き
思い出として残りますよう、お祈り申し上げます。
大変失礼致しました。 >>287
宮崎アニメの『おもひでぽろぽろ』でも主人公があけぼので深夜の山形駅に降りてたね。
因みに上野発の下り『あけぼの』でした。 >>289
あの入線シーン、ちゃんとEF71+ED78のシルエットが描かれてるんだよな
映画といえばフランキー堺の「喜劇逆転旅行」も舞台が東北・奥羽線だったから
冒頭で早朝の米沢駅を発車するEF71とタイトルバックのED71を見て懐かしくなった >>289
何故かHMの付いていないED75の走行シーン
てっきり「津軽」かと思った 東北寝台は合理化でHMついてなかった時期あったからな。 >>292
その辺考えると中々リアルな設定で描かれたアニメだったな。
上野駅に推進で入ってくるシーンもあったしジブリ関係者に鉄ヲタいるんだろなと当日思ったものだった(笑) >>293
上野地平ホームの場面でも背景の書き込みは勿論奥に583系が写ってるし
最後の方に出た455系や気動車もきっちり国鉄色だったからね 高畑勲監督作品だし、当然そう(極力忠実に)描くはず。 最新刊のJ-trainにEF71牽引キハ181系〈つばさ〉の写真が一枚だけど大きくカラーで出てた、やっぱカッコイィわ(笑)
生で見て見たかった。。。 >>294
あの交直流電車の色合いは見事だったね〜
後に駅舎が建て替えられた後、舞台となった集落に、別の用事のついでに寄って見たんだが、
訪問する人も多いのか、紅花畑の入り口に鎖が張られていて、
「ここから先は畑地なので進入禁止」と数カ所に立て札があったよ。
入っちゃう人も多いんかね?
誤って入る所には見えんかったけど。 板谷峠を下る列車は抵抗器からの発熱が半端じゃないことになってたはず。
特に夏季はEF63みたいに抵抗器から陽炎が出ていたのでは? >>300
ここの電機はだいたい回生ブレーキだよ。
EF64だけは抵抗だが、碓氷ほど低速じゃないから目視できないだろう。 >>300
一番凄まじい陽炎出してたのが例のキハ181… いやいや4110やE10の方が…
見たことないけど >>298
これだけは見ておきたいと思って無理して出かけたなあ
何の情報もなかったので地図で良さそうに思えた赤岩と板谷に行った気がする >>305
思ったより速かった気がしますね
峠のSLのような這うようなスピードではなく
普通に走って来る感じ
30〜40キロは出ていたのではないでしょうか 戻し3〜4ノッチだよね。
わかりにくい例えをすると、場内警戒で入って出発注意でダラダラ加速する回送電車の音…かな。 改軌されたが、現役の奥羽本線板谷峠
羨ましいぜ・・・・>碓氷峠 >>306
ありがとう。想像してたより早かったみたいですね。
>>308
トンネル内のケーブルとかかなり盗まれて無残な状態のようです。 ここの住人は421レを知ってると思う。
年末の頃、この421レに乗って山形に帰省していた。
ちょうど赤岩あたりで朝日が昇ってくる。綺麗な朝日だった。
毎年それを楽しみに帰省していた。だが、夜行ドン行の廃止に伴い帰省は出羽を使うようになった。
出羽は早朝に板谷峠を通過してしまうため、峠の朝日を拝むことは出来なくなった。
それから何年経ったのだろうか・・・
今は「新幹線」で越える板谷峠、周りの風景はさほど昔と変わっていないが赤岩駅の朝日だけは見ることが叶わなくなってしまった。 >>299
写真撮ろうとしてヘタに入るとトゲでえらい目に合う。
>>295
綿密にロケハンしてました。
今じゃ高瀬地区も広い道路が通って、仙山線のガードも無くなり
「いきなり山あいの集落に来た」って雰囲気が無くなっちゃった。 山形の帰りに昨日板谷峠4駅フルコンプしてきた
旧駅はもう森に返りつつあって月日感じた >>313
スイッチバックの折り返し千線とかいつの間にか線路撤去されちゃったね。 ところで改軌工事が始まる、すなわち狭軌最後の運転日を見届けた方はいる? >315
狭軌最後の運転日って、455系が福島−関根を往復していただけ。
719が試験運転していたが、工事前日に米沢疎開!
深夜は庭坂駅に工事関係者が多数、最終列車通過後に切替工事とお決まりの流れで。
深夜に霧発生で視界不良、ガスやサンダーの火花が幻想的でした。
面白かったのは、赤岩駅スイッチバック切替で手信号になりスイッチバック4駅で夜行列車が停車。
赤岩駅では38パミールの勾配で牽き出ししていったよ。
次の日に板谷に行くと38パミールの勾配には空転の跡が4ヶ所クッキリあったね。
切替には色々面白いことが有ったね。
以上 >>316
そうでしたか、ありがとう。
路線自体の廃止と違うから、セレモニーとかは無かったようですね。
それでも福島機関区最後の仕事だし、空転との闘いを乗り切った安堵感はひとしおだったろうなぁ。 >>319
福島機関区自体は黒磯〜小牛田のあけぼの撤退と
ED77が全滅するまでは残ったけどな ED78も暫くは【福】の区名札入れてた。
何時から仙になったんだろ… たしかに萌えるな。
紅葉に染まった峠も良し、
白銀の世界を行く姿もまた絵になる。 最後の日より、最後の冬が受験で潰れて結局写真撮ってなかったのが一生の悔やみ。
赤湯駅を出て宮内街道が立体交差の工事をしていて、
あの区域に入りにくかったのも大きな災い。 >>326
赤湯の地元学生さん(当時)ですか?
話変わりますが赤湯ラーメン龍上海は赤湯本店と山形駅前店では何故味が違い過ぎるのでしょうか?
後者はとても不味かったです・・・本店は激ウマでしたが。 >>327
ぶっちゃけ、赤湯の人であそこ行く人はあまり聞かない。
一度営業停止食らったんだが、それ知ってたのもあるけど、
他にもっと美味いものがあるから。 赤湯で他に美味い物って何?
まさか葡萄ってオチじゃないよね?(笑) 新龍の味噌ラーメン&餃子、いもせ食堂、来々軒とここらだな。
優先順位付かないけど、腹減ったらこのどれかに足が向かい、
普通に入るのがこれらの店。
それでも無性に食いたくなるのは、今泉のかめやw >>331
サンクスです。山形新幹線撮影の折りにでも寄ってみます。 おーい。高畠衆いねが?
長谷川工場ってねぐなったな? EF71とED78って電動送風機の音は半端なく煩かった? あんまし記憶ないど電動送風機がうるさいのは抵抗制御の直流機だろ?
話が変わるけど、縁あって某区間でED75に添乗させていただいた事があるが、電車では経験できない立派なつり架け音だったなー。 そういう経験ができる人は非常に希なのだから、
テッパク保存車両辺りで録音でも良いから再現できる様にすれば良いのにね。
管内が騒音だらけになって、しょうがないかw 管内じゃなくて館内ね。
管内じゃ、いくら何でも広すぎますわなw
失礼。 >>334
駅発車時や回生ブレーキ作動中は結構送風機が回ってた
「ウォーン」と唸り声のような音を出してた碓氷のEF62・63とは異なる
「フィーン」といった感じの高音だけど >>335
>>338
サイリスタ制御だから、抵抗制御の発電ブレーキ搭載の直流勾配機関車と違って煩くないのか >>335 >>339
交流電機であっても主電動機や制御機器を冷却する必要があるから
(特にEF71・ED78は機器室にサイリスタ素子が並んでるわけだし)
負荷が大きいときや回生ブレーキを使用するとそれなりに煩くなる
もっともEF7114・15やED7812・13辺りは送風機を低騒音化してたと思うが 年越し運転会でEF71重連のあけぼのを走らせてきた 回生ブレーキが入るときの音は独特、引っ込み線から本線に出たポイントのあたりで回生のノッチ入れた。
スノーセット付近で撮影していると、カチィと音がしてからウイーンと唸り声をあげて下っていったね。
431レの場合、板谷で31Mの追い越しがあるので停車時間はブロアーを切っていた。
接近警報が鳴るとブロアーを入れたが、パチンと言うかドーンと音がしたらブロアーが動き出す音が板谷の渓谷に響いていたのを思い出す。
走り出すときに、カリカリとギアの噛み合う音が聞こえた。上りも下りも撮影して絵になる機関車だった。
音はビデオで確認したが文字にすると表現が難しい。
もしも直流時代に板谷峠に115系が投入されていたら >>344
いや、日航123便の御巣鷹の尾根への突撃音だろ? >>345
土曜日の昼に号砲を打ち上げ、半ドンといってた名残かもしれない 板谷峠は50系で通り過ぎた覚えがほとんどないw
ED78+EF71+50系は3年間で一度もトラブルに遭わなかったが、
なんだかんだで気動車でのトラブルは遭遇したな。 >>348
急行ざおうや80年代後半の臨時快速なんかでは455・457が走ってたが >>350
福島⇔庭坂の区間運転以外普通列車は一貫して客車列車だったな
旧型客車の時代はよく鋼体化のオハ61・オハフ61が編成に混じってた その頃は東北本線も客車だったしな。その頃の東北の交流区間で電車は仙台口の417系くらいだろ。
50系の頃になると本線系は715系とか455系とかになったけど、板谷は短編成の1ユニットだと故障時に
対応できないから客車のままって聞いたことがある。 新幹線工事で関根−米沢間がバス代行輸送していた時に、福島−関根に455系が入った。
福島運転所企画の団体列車、「スイッチバック・YOU、ユー、ユー」で福島-山形-仙台-福島を一周した思い出がある。
今の時期、熊臨を撮りに赤岩や板谷に鉄が。
"シュプール・レインボー"や583の"シュプール・蔵王"も走っていた それにしてもこうした改軌による在来線の運用影響は計り知れないな。
三線にしないのも表向きはトラブル予防とされてたが、最初からポイントヒーターはあったし。 書き込みが少ないね。
401レの話を少し。
板谷好きなら、急行「津軽」をすぐ思い出すとでしょう。
ED78+14系が有名だけれど、昔は4110が牽引していた事を知っている人は少ないよね。
庭坂から福島に行き津軽を連結、福島−庭坂間はノンストップ。
庭坂駅で給水停車、前後に補機を連結してから板谷越えに挑んだそうです。
福島−庭坂では全開走行、機関士席から煙突を見ると火柱が空を焦がしているようだったと。
石炭庫だけでは足りないので出区する時にキャブの床にも石炭を積み、時には助士席が隠れる位まで積んだので揺れる機関車で焚くのも一苦労。
運転席に1トン位積んだが庭坂に戻る頃には半分位使用、米沢までは3トン〜4トン焚いたそうです。
それを、まだ17歳の機関士と16歳の機関助士が本務で板谷越え。
信じない人もいると思いますが、乗務していた方の話です。 4110の時代は名無しの急行401・402レか405・406レじゃないかと(ry >357 その通り、名前はなかったようです。
その方も、「急行401」といっていました。
石炭には松香油(松から取った油)をかけていたが、煙突から燃えた油分が体について取れなかったとも話していました。 >>356
その運転士というと昭和2〜5年生まれの人?
もしかすると最近死んだ親戚の爺さんが機関助士してたかも。
北赤湯信号所で止めるのにどこから減速するかとかなんか聞いたな。
>>356に便乗して俺も聞いた話。
赤湯駅が今のあの場所に建てられるのではなく、予定としては二色根の山あたりであった。
しかし、その先の鳥上坂を走破するに加速する距離が足りず断念し今の場所へと。 千住大橋だろ
地元北千住だが、さすがに古すぎて知らないよ >>362
このスレの住人は殆ど知らないと思われ。 福島ー米沢間が震災で不通になってるけど、どの程度の被害なのでしょうか? >>364
本日より運転再開したそうだ
そういえば400系もいなくなって早1年か…
(今年はEF71が消えて20年でもある) もう20年経ちましたか…
400系のお別れ運転もついこないだのような気がします… >>369
EF71は最初から最後まで福島機関区(福島運転所)所属 78が山形電車区所属だったよね
奥羽本線標準軌化前までは福島運転所でおk? >>371
ED78は93年まで福島運転所所属
93年以降廃車までは仙台運転所所属
ヨンサントオ以降90年代までED77・ED78・EF71は全車が福島所属だった
(ED77は全車会津若松に、ED78の一部は山形に常駐とされてたが) 山形じゃなかったのね
アリがd
>>一部は山形に常駐
落ち葉掃き機関車の12・13号機かな? >>373
常駐といっても仙山線運用に入る分を山形に置くという形だったから
山形に待機してる78は定期的に入れ替わってた
(福島―山形はあけぼのの補機運用その他で回送) 1980年製最終ロットの12・13号機は短い一生だったな。
ED75 700番台はなおも残ってるのに。
三軌条化で在来線ネットワークが維持されていれば、また違った人生だったろう。
詮無い話だが。 >>375
今回の大災害でヒシヒシと感じさせられたよ>>在来線ネットワーク
迂回せずにショートカットできるし 旅客輸送「だけ」しかできないなんて、鉄道のメリットを切ったわけだもんな。
表に出てこないだけで、じくじたる思いの鉄道マンは大勢いるはず。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています