板谷峠の想い出
4駅連続スイッチバックのあった奥羽本線板谷峠の想い出を語るスレです >>248-249
標準軌のE3が、いくら振り子だからって狭軌の気動車に負けないだろ
>>251
違うけど、最終的に曲線の通過速度は傾斜角度に依存するから。
ペンドリーノみたいなのと違って261は空気バネの安い傾斜装置だから振り子にかなわん。 も少し簡単に説明頂けると…
Wikiとか調べてないので、あまり大きな事を言えないんだけど… >>251
車体傾斜も昔なら「強制振子」に分類された方式だけどな >>251
振り子は車体が外に振り出されるから重心は外に移動し、転覆限界は下がる。(重心を下げてるから低速車よりは高いが)。
車体傾斜方式はカーブの内側に傾けるのだから重心は内側に移動し転覆限界速度は上がる。
どちらも車体を傾けることで横Gを打ち消して乗り心地限界による曲線速度制限を上げるもの。
極論すれば、車体傾斜で乗り心地限界速度を上げるための方式で、振り子式と、枕バネ制御式とがあるって言った方が真実。
もう構造の複雑な振り子式は作られないかも知れない。 現在のE-3系『つばさ』も狭軌時代の485系『つばさ』も見た目では同じ位のスピードなんだけど…
板谷で初めて400系『つばさ』を見た時は余りの遅さに徐行してるのかと思ったよ。 狭軌時代は最速36分で新幹線になってからは最速は30分といくらかだが速くはなってるよ。数年前に郡山からつばさに乗った時に福島駅から峠駅通過まで18分だった記憶が。登りでも80キロ毎時は出てたような感じだが。
山形新幹線の次期新型車両は車体傾斜式にしても良いかと。
東北新幹線内だけでなく板谷峠でも作動させればかなりのスピードアップが期待できる。 >>259
置き換えたばかりじゃそれが出てくるのに約15年かかるがな
てか不思議とIDにE3が入った奴が多いw
誰かEF71やら400とか出してくれば面白いけど 山形新幹線内のE3って、最高速度130キロ毎時なのに評定速度はJR北の特急(スーパーが頭につくやつ)に全然敵わない。
ジークライトって山形交通の高畠線の終点に工場があったような? >>261
そりゃあ、向こうだって130出すし、停車駅の数もあるし・・・ DC急行おがは、9両編成中、1エンジンのキハ58が6両、1エンジンの
キハ28&キロ28が3両であった。1両あたりの平均出力は300ps。
よく補機無しでオーバーヒートもせずに板谷峠を行き来してたな。キハ187
やキハ261なら1両あたり900psだから、エンジン出力でなく曲線半径
で速度制限を受けるなあ。きっと。 >>264
キハ58系は低速に強いDMH17と標準型変速機の相性もあってノロノロ運転だと登れた
これが高速域の性能重視したDML30+DW4のキハ181系だとフルノッチのまま
40〜50km/h前後の速度出した状態で延々走るから不利になったけど キハ181もフルノッチ制限されていたはず。
当初は無かったがオーバーヒート多発で設けられた。 >>266
そりゃまぁガバナー開きすぎで 過回転で580PSくらい出ていたエンジンも
有ったらしい(550PSはゴロゴロ)ですから で,放熱マージンは不足気味ですから。 >>264
> 1エンジンのキハ58が6両、1エンジンのキハ28&キロ28が3両であった。
?
「2エンジン」のキハ58、「1エンジン」のキハ28&キロ28
じゃないの〜?2エンジンキハ58の1エンジンバージョンがキハ28だと思ってたが。 >>268 スマソ。キハ58は2エンジンです。カキコボタンを押すときにチェックしないとねw 急行型DCはまだ軽いからオーバーヒートをしなかったのか。
庭坂〜ピークまで変速全開で何分くらいかけてたの?
さぞかしノロかったんだろうなあ。 >>270 40分程かけてゆっくり登ってたと思われます。 軽いからもあるけど、主な原因は遅いからでしょ。福米1時間くらいかけてなかった?401Dとか。
各駅停車と変わらなかった覚えがある。キハ181もそのくらいならオーバーヒートしなかったでしょ。 自宅が米沢で、女房の実家が福島だったから、盆休みには子供を連れてキハの急行によく乗ったな。
という人もいるかもだけど、DMH17系での単独登坂はちょっと無謀に思える。
勾配用の2台エンジンと言うより、急行型では速度確保の為の2台エンジンだったでねかな?
急勾配線区は無煙化後も機関車(EL・DL)での客室牽引列車が多かった気がするけど。 >>272
つキハ181のラジエーターは自然通風式 速度でないと冷えません。 >>271-272
ありがとです。
全開フルノッチじゃなくて、マージン残した走りだったぽいね。
十年チョイ前の真夏に花輪線乗ったけど、換装車はもう余裕♪の33‰でした。
板谷の苦闘はまるで想像できなかったなぁ。 >>272
そう。このスレでキハ181系が自然通風式と知ってびっくりしたが、原因はそれだけでは無いような気も。エンジンと変速機のミスマッチとかどうなんかね?(書いている方がいるね)
あとDML30ってガバナの方式はどうだったんだろう。
基本的には全速ガバナの方が、坂のはじまりで出力が補正(機構的に)されるから運転感覚だけでなく登坂には多少は強いかもね。 キハ183N・NN系だったらオーバーヒートは無かったかと。
キハ181系とは異なり全開走行でも連続定格の範囲内に収まっていた(キハ181系は590PS/2000rpmで連続定格500PS/1600rpmを超過していた)が。 >>276
>>265書いたものだけどDMH17+標準型変速機の場合20〜30km/h前後で踏ん張れるので
所要時間さえ無視すればキハ58系より重いキハ80系でも数字上は登れる
(当然実運用じゃ話にならないから補機連結したワケだけど)
で、DML30+DW4系列のキハ181だと元々70km〜80km/h前後まで引っ張るのを前提の機関構成で
33‰上では変速段のまま約20分程度5ないし6ノッチを投入、それでも50km/h内外の運転と化した挙句
機械式ガバナの調整やガスケット吹き抜けの問題から額面以上の550〜600PS前後と化した機関が出す
排気の温度がおかしなことになったために冷却が追いつかず排気管まで放熱器共々危険な状態で走ってた
(そして中間車の屋上放熱器は散々言われたように役に立たず、補助だったはずの床下放熱器がフル稼働) >>278
いろいろ情報ありがとう。
揚げ足を取るつもりは全くないんだけどディーゼルエンジンのガバナは、出力特性の指定とともに、過回転を防止するための基本的な機構でもあるのに…
あまりに重箱の隅をつついても仕方ないので、すんまそん。
ちょっと、181系ってどんなガバナ載せてたのかな?と。
ガバナ特性はディーゼル自動車でも運転すれば顕著に分かる位出力特性が変わるからなあ。 季節外れですまんが。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
二度と見られない風景なんですよね…。 冬景色、ええのう。
スレチだけど私も冬の北陸線で、能登に乗車した時の光景が忘れられません。
実家は米沢、母は福島の旅館の娘だったと父から聞いた。
私は、高校を卒業し、東京の大学への進学を決めた。
父母ともにとても喜んでくれた。
東京での四畳半のアパート住まいにも慣れ、自己の進むべき道を見定めた。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
早晩に米沢に着くと、年老いた父母と、婚約者が寒いホームで待っていてくれた。
私は山形で希望の進路に就職し、今は女房と一男一女の4人暮らしだ。
米沢の父母も健在だ。山形の私の家で一緒に住もうと私も女房も言ったが、
父母は米沢から離れたくない様だ。
あの時の峠の登りの光景は、私にとって二度と見られない風景でもある。
実家は米沢、母は福島の旅館の娘だったと父から聞いた。
私は、高校を卒業し、山形の大学への進学を決めた。
父母ともにとても喜んでくれた。
山形でのアパート住まいにも慣れ、自己の進むべき道を見定めた。
同じ大学の東京出身の女性とも懇意になり、就職を機に結婚しようと2人で決めた。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
母から頂いた塩むすびがとても温かかった。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
早朝に上野駅に着くと、婚約者が一人、寒いホームで待っていてくれた。
私は東京で希望の進路に就職し、今は女房と一男一女の4人暮らしだ。
米沢の父母も健在だ。東京の私の家で一緒に住もうと私も女房も言ったが、
父母は米沢から離れたくない様だ。
あの時の峠を下る光景は、私にとって二度と見られない風景でもある。
>>285
文学的創作にお役にたてたのかもしれないが、自分が乗ってたのは青森発です。
米沢はもちろん山形も運転停車だったと思いますヨ。
付け加えるとその列車には、弘前から高校を出たばかりらしい男女が実際に何人も乗りました。
就職先の指定列車だったのかもしれない。
若くして故郷を離れた、彼・彼女等ももう40になるでしょう。
板谷とスレチになっちゃいますね、スマソ。 >>286
88年〜90年の上野〜青森間2往復だった時代も
あけぼの2号・3号は山形停車だったはず(上下とも夜中だけど) >>286さん
揶揄するつもりはなかったのですが、結果として揶揄してしまい、
申し訳ありません。
追伸を頂き、高校を卒業して遠くへ就職して行く方々、青森から
夜行で就職先に行かれた方、本当に皆さんにとって忘れられない
光景だったと、拝察致します。
「板谷峠の想い出」は悲喜こもごもだったのだと、反省致します。
286さん、弘前から就職先に向かわれた皆様の、いつか峠の良き
思い出として残りますよう、お祈り申し上げます。
大変失礼致しました。 >>287
宮崎アニメの『おもひでぽろぽろ』でも主人公があけぼので深夜の山形駅に降りてたね。
因みに上野発の下り『あけぼの』でした。 >>289
あの入線シーン、ちゃんとEF71+ED78のシルエットが描かれてるんだよな
映画といえばフランキー堺の「喜劇逆転旅行」も舞台が東北・奥羽線だったから
冒頭で早朝の米沢駅を発車するEF71とタイトルバックのED71を見て懐かしくなった >>289
何故かHMの付いていないED75の走行シーン
てっきり「津軽」かと思った 東北寝台は合理化でHMついてなかった時期あったからな。 >>292
その辺考えると中々リアルな設定で描かれたアニメだったな。
上野駅に推進で入ってくるシーンもあったしジブリ関係者に鉄ヲタいるんだろなと当日思ったものだった(笑) >>293
上野地平ホームの場面でも背景の書き込みは勿論奥に583系が写ってるし
最後の方に出た455系や気動車もきっちり国鉄色だったからね 高畑勲監督作品だし、当然そう(極力忠実に)描くはず。 最新刊のJ-trainにEF71牽引キハ181系〈つばさ〉の写真が一枚だけど大きくカラーで出てた、やっぱカッコイィわ(笑)
生で見て見たかった。。。 >>294
あの交直流電車の色合いは見事だったね〜
後に駅舎が建て替えられた後、舞台となった集落に、別の用事のついでに寄って見たんだが、
訪問する人も多いのか、紅花畑の入り口に鎖が張られていて、
「ここから先は畑地なので進入禁止」と数カ所に立て札があったよ。
入っちゃう人も多いんかね?
誤って入る所には見えんかったけど。 板谷峠を下る列車は抵抗器からの発熱が半端じゃないことになってたはず。
特に夏季はEF63みたいに抵抗器から陽炎が出ていたのでは? >>300
ここの電機はだいたい回生ブレーキだよ。
EF64だけは抵抗だが、碓氷ほど低速じゃないから目視できないだろう。 >>300
一番凄まじい陽炎出してたのが例のキハ181… いやいや4110やE10の方が…
見たことないけど >>298
これだけは見ておきたいと思って無理して出かけたなあ
何の情報もなかったので地図で良さそうに思えた赤岩と板谷に行った気がする >>305
思ったより速かった気がしますね
峠のSLのような這うようなスピードではなく
普通に走って来る感じ
30〜40キロは出ていたのではないでしょうか 戻し3〜4ノッチだよね。
わかりにくい例えをすると、場内警戒で入って出発注意でダラダラ加速する回送電車の音…かな。 改軌されたが、現役の奥羽本線板谷峠
羨ましいぜ・・・・>碓氷峠 >>306
ありがとう。想像してたより早かったみたいですね。
>>308
トンネル内のケーブルとかかなり盗まれて無残な状態のようです。 ここの住人は421レを知ってると思う。
年末の頃、この421レに乗って山形に帰省していた。
ちょうど赤岩あたりで朝日が昇ってくる。綺麗な朝日だった。
毎年それを楽しみに帰省していた。だが、夜行ドン行の廃止に伴い帰省は出羽を使うようになった。
出羽は早朝に板谷峠を通過してしまうため、峠の朝日を拝むことは出来なくなった。
それから何年経ったのだろうか・・・
今は「新幹線」で越える板谷峠、周りの風景はさほど昔と変わっていないが赤岩駅の朝日だけは見ることが叶わなくなってしまった。 >>299
写真撮ろうとしてヘタに入るとトゲでえらい目に合う。
>>295
綿密にロケハンしてました。
今じゃ高瀬地区も広い道路が通って、仙山線のガードも無くなり
「いきなり山あいの集落に来た」って雰囲気が無くなっちゃった。 山形の帰りに昨日板谷峠4駅フルコンプしてきた
旧駅はもう森に返りつつあって月日感じた >>313
スイッチバックの折り返し千線とかいつの間にか線路撤去されちゃったね。 ところで改軌工事が始まる、すなわち狭軌最後の運転日を見届けた方はいる? >315
狭軌最後の運転日って、455系が福島−関根を往復していただけ。
719が試験運転していたが、工事前日に米沢疎開!
深夜は庭坂駅に工事関係者が多数、最終列車通過後に切替工事とお決まりの流れで。
深夜に霧発生で視界不良、ガスやサンダーの火花が幻想的でした。
面白かったのは、赤岩駅スイッチバック切替で手信号になりスイッチバック4駅で夜行列車が停車。
赤岩駅では38パミールの勾配で牽き出ししていったよ。
次の日に板谷に行くと38パミールの勾配には空転の跡が4ヶ所クッキリあったね。
切替には色々面白いことが有ったね。
以上 >>316
そうでしたか、ありがとう。
路線自体の廃止と違うから、セレモニーとかは無かったようですね。
それでも福島機関区最後の仕事だし、空転との闘いを乗り切った安堵感はひとしおだったろうなぁ。 >>319
福島機関区自体は黒磯〜小牛田のあけぼの撤退と
ED77が全滅するまでは残ったけどな ED78も暫くは【福】の区名札入れてた。
何時から仙になったんだろ… たしかに萌えるな。
紅葉に染まった峠も良し、
白銀の世界を行く姿もまた絵になる。 最後の日より、最後の冬が受験で潰れて結局写真撮ってなかったのが一生の悔やみ。
赤湯駅を出て宮内街道が立体交差の工事をしていて、
あの区域に入りにくかったのも大きな災い。 >>326
赤湯の地元学生さん(当時)ですか?
話変わりますが赤湯ラーメン龍上海は赤湯本店と山形駅前店では何故味が違い過ぎるのでしょうか?
後者はとても不味かったです・・・本店は激ウマでしたが。 >>327
ぶっちゃけ、赤湯の人であそこ行く人はあまり聞かない。
一度営業停止食らったんだが、それ知ってたのもあるけど、
他にもっと美味いものがあるから。 赤湯で他に美味い物って何?
まさか葡萄ってオチじゃないよね?(笑) 新龍の味噌ラーメン&餃子、いもせ食堂、来々軒とここらだな。
優先順位付かないけど、腹減ったらこのどれかに足が向かい、
普通に入るのがこれらの店。
それでも無性に食いたくなるのは、今泉のかめやw >>331
サンクスです。山形新幹線撮影の折りにでも寄ってみます。 おーい。高畠衆いねが?
長谷川工場ってねぐなったな? EF71とED78って電動送風機の音は半端なく煩かった? あんまし記憶ないど電動送風機がうるさいのは抵抗制御の直流機だろ?
話が変わるけど、縁あって某区間でED75に添乗させていただいた事があるが、電車では経験できない立派なつり架け音だったなー。 そういう経験ができる人は非常に希なのだから、
テッパク保存車両辺りで録音でも良いから再現できる様にすれば良いのにね。
管内が騒音だらけになって、しょうがないかw 管内じゃなくて館内ね。
管内じゃ、いくら何でも広すぎますわなw
失礼。 >>334
駅発車時や回生ブレーキ作動中は結構送風機が回ってた
「ウォーン」と唸り声のような音を出してた碓氷のEF62・63とは異なる
「フィーン」といった感じの高音だけど >>335
>>338
サイリスタ制御だから、抵抗制御の発電ブレーキ搭載の直流勾配機関車と違って煩くないのか >>335 >>339
交流電機であっても主電動機や制御機器を冷却する必要があるから
(特にEF71・ED78は機器室にサイリスタ素子が並んでるわけだし)
負荷が大きいときや回生ブレーキを使用するとそれなりに煩くなる
もっともEF7114・15やED7812・13辺りは送風機を低騒音化してたと思うが 年越し運転会でEF71重連のあけぼのを走らせてきた 回生ブレーキが入るときの音は独特、引っ込み線から本線に出たポイントのあたりで回生のノッチ入れた。
スノーセット付近で撮影していると、カチィと音がしてからウイーンと唸り声をあげて下っていったね。
431レの場合、板谷で31Mの追い越しがあるので停車時間はブロアーを切っていた。
接近警報が鳴るとブロアーを入れたが、パチンと言うかドーンと音がしたらブロアーが動き出す音が板谷の渓谷に響いていたのを思い出す。
走り出すときに、カリカリとギアの噛み合う音が聞こえた。上りも下りも撮影して絵になる機関車だった。
音はビデオで確認したが文字にすると表現が難しい。
もしも直流時代に板谷峠に115系が投入されていたら >>344
いや、日航123便の御巣鷹の尾根への突撃音だろ? >>345
土曜日の昼に号砲を打ち上げ、半ドンといってた名残かもしれない 板谷峠は50系で通り過ぎた覚えがほとんどないw
ED78+EF71+50系は3年間で一度もトラブルに遭わなかったが、
なんだかんだで気動車でのトラブルは遭遇したな。 >>348
急行ざおうや80年代後半の臨時快速なんかでは455・457が走ってたが >>350
福島⇔庭坂の区間運転以外普通列車は一貫して客車列車だったな
旧型客車の時代はよく鋼体化のオハ61・オハフ61が編成に混じってた