自宅が米沢で女房の実家が福島市内の旅館の娘だったから、結婚前には、よく仕事を終えてから
福島行きに乗って女房の実家に泊まったよ、戦後すぐだから、汽車賃はとても払いきれないけど、
女房の父上によく汽車賃を頂いたりしたな。電化直後だよ。電気機関車ってのが珍しかったな。
夏は仕事の掻きいれ時なんで、最終列車にもよく乗った。誰もいない福島駅に着くと、女房がホームで
よく待ってくれていた。
ある時、女房が「機関車のタイアが真っ赤になっていた」、と変な事を言うので2人で見に行った。
機関士さんと車掌さんが腕を組んで機関車の車輪を見ていたけど、なるほど車輪がほの赤くなっていたよ。
33‰を下るとなるほど凄い事になるもんだと思っていたら、車掌氏が、「あんたよく終列車に乗っとるな、
今度乗る時は、機関車がピピピピ…と汽笛を鳴らしたら、客車の隅に丸いハンドルがあるだろう、それを
右回り一杯に回してくれ、ピーと長く鳴らしたら、左に目いっぱい戻すんだ、頼むぞ」と言われた。
でないと、あんた、下手すりゃ事故に遭うぞ、と脅かされたよ。信じられないけど、戦後すぐなんて、
何でもありの時代だったんよ。
で、峠の下りになると、なるほど、機関車がピピ…と汽笛を鳴らす、貫通ブレーキで客車の手動制動なんて
ナンセンスな話だけど、多少は効きが違うのか、ハンドルを右に回す。ピーと鳴ったら左へ回す。
こんなことを何度かやらされたな。
2年程経った時、件の車掌氏と米沢からの車内で会うと、「もうブレーキ屋はやらんでいいぞ」と、
嬉しそうに微笑んでいた。何と「今度の機関車は発電所のようにブレーキが掛かるようになったんだよ」
と、仰る。びっくりすると発電所、発電所と笑いながら言う。今にして思えば、EF16が投入されたんだな。
福島駅に着き、女房に「今度の機関車は発電機が付いたそうだ」というと、「そんな話が…」となった。
機関車を2人で見に行くと、なるほど車輪は多少ほの赤いが、回生制動の威力か、EF15時代のような赤熱は消えていた。
車掌氏から、肩を叩かれ、「お前らもういい加減に結婚せい、汽車賃が無駄だろう」と言われ、若かった
頃なんで、2人して赤面したよ。
後刻、女房と結婚し、女房の実家に行く時に、件の車掌氏と会ったので、「結婚しました」と報告したら、
とても喜んで下さった。








…という様な話が、戦前辺りの軽便鉄道なら意外にあったかもね。
以下、マジ話。
EF71が期待通りの粘着性能が発揮できなかった話は、かなり前の鉄道雑誌で読みました。
私が福島機関区を訪問したのは高校生の頃、まだ国鉄時代。EF71の運転席とか撮影させて頂きました。
回生付きの運転席は、計器が多いのでびっくりでした。最近は機関区の見学などは制限されているんだろうなぁ。
当時は、何処でも(は言い過ぎか??)快く、親切に案内を頂いたけど…