板谷峠の想い出
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4駅連続スイッチバックのあった奥羽本線板谷峠の想い出を語るスレです もしもキハ65が急行おがに投入されていれば板谷峠を時速20キロ程度でゆっくり登るなんてことは無かったのに
何故か東日本には投入されなかったが。
キハ65はキハ181とは違い床下に強制風冷型ラジエーターを積んでいるのでオーバーヒートは起こりにくいはず。 >>124
スイッチバック廃止、あけぼの・津軽・おがの経路変更から今年で20年…
>>125
一部の車両だけキハ65に代えてもそこまでスピードアップできるとは思えんがな
(キハ65の投入は冷房化が進行した山岳区間優先だったので東日本には入らず) >>125
20キロというのはキハ58の話し?
そんなに自転車みたいな速度だったのか。
もしかしてEF71辺りに牽引される客レの方が速かったりするんだろうか。
碓氷峠でも30キロくらいって聞いたことがある様な。 >>127
キハ58は変速機の関係で時速20km前後だとオーバーヒートを起こさずに登れたらしい
(キハ80系は速度を稼ぐため補機を連結、キハ181系は力技で登って例の故障)
EF71・ED78の客レだが特急・急行は勿論普通列車でも駅間では結構勢いがあった(50km/h前後?) 急行おがは455系にするべきだった。
全線架線下なのにDC列車って・・・。
急行ざおうは455系だったが。 485系でも大変だったらしい。
6M6Tでは登れず8M4Tでやっと登れるレベルだったのでユニットカットした場合EF71のお世話になったとか。 >>129
多分他線との運用の絡みがあるんでないの。東北の気動車運用は複雑だからね
それに高コストの交直流電車は少ない両数で回したかったんだろうな
ただ電車は無理でも、(EF71+)ED78牽引の12系PCでもよかったように思うけど >>133
冬場の臨時ざおうでよく見た編成だったな >12系
ED78・EF71末期のスキーシーズンにはSERがやって来たり結構カオスだった 赤岩、板谷、峠、大沢の住民はどこで選挙の投票してるのかな?
赤岩って住民居るのかな?山の上の集落は赤岩住民となるんかな? http://www.youtube.com/watch?v=4DOJqVLrZkw
485系でも喘ぎながら登ってるような
もしも近鉄21000系みたくオールMだったら100キロ以上で登れたのでは? >>137
つか、今の新幹線つばさでもそんなにスピード変わって無い気がする。 >>137
リンク先からたどっていったEF71のほうが速いような… 板谷峠は急カーブの連続で振り子でも100km/hは無理かと…
因みに485『つばさ』でも故障等でユニットカットすると板谷峠を登れないらしく釜に引っ張って貰ってた記事が某誌に出てた。 >>139
http://www.youtube.com/watch?v=ceVYixaeRKU
2両編成でEF71牽引とか3両編成でEF71重連牽引とか幾らなんでも無駄だろ
電車化しても良かったのでは?
715系や455系は確か庭坂まで乗り入れていたはず。 >>141
横手や秋田まで直通する普通列車があったからな…
(当時の山形以北はつばさ以外客車だらけ) DD14特雪の後押ししてるED78の写真みたけど凄いね。 >>145
上越線でEF16が特雪にくっついてる光景見たことあるぞ >特雪列車で電機って珍しくないか?
燃料切れとトラブルによる立ち往生が怖かった為に
電機との編成があったと言われている >赤岩、板谷、峠、大沢の住民はどこで選挙の投票してるのかな?
赤岩駅付近住民は庭坂の小学校
板谷駅付近の住民は公民館
大沢各駅付近の住民は旧分校
峠駅付近の住民は主に板谷の投票所まで来て投票してる場合が多い
ソースは各自治体のHP >>149
DD18・DD19を解体したら何かの祟りみたく板谷峠は豪雪被害に遭ったな…
奥羽本線の除雪車といえば廃車前は新庄にいたDD531もパッとしなかった >>151
そりゃDD18、DD19の祟りだろ絶対w >>150
赤岩駅周辺を住所としている人はだれ1人としていないんじゃなかったか?
峠駅は力餅屋の人などまだ多少いるね。 >>151-152
年末輸送の新幹線を2日連続で終了させたんだっけ >豪雪被害
>>153
赤岩は駅がある山の上にちょっとした集落あるよ、大平集落だったかな?違ってたらすまん。
名前思い出せないお。。。 >>155
間違えていませんよ大平(おおたいら)です
話は変わりますが旧客車時代は運転士の腕が如実に出てましたね
スイッチバック区間は牽引・推進運転の繰り返し
機関車と客車の間そして客車と客車(郵便・荷物車を含む)
間の連結器の隙間を発車時にショックが少なくなるように
上手く調節しながら停車
上手い状態にならなくてもそれはそれで・・・・
良い時代でした
板谷客レ末期の乗車展望ビデオあるけど、発車時のショックが凄くて、画像でも解る程だった。
でも、列車通りの『さよならスイッチバック号』は発車のショックが無い様にみえた。
運転士の差か? さよならスイッチバック号のウテシは確かに上手かった、ネ申の領域かも!? そう言えば廃止間際に撮り鉄のせいで列車が遅延気味になった時にウテシの逆鱗に触れたのか
物凄く運転荒くなったとかあったなぁ〜。 >>161
33‰を結構な勢いで降りてたしつばさが走ってる以上列車本数はあったから
昔ほどでないにしろ回生ブレーキは機能してたでしょ
(特急・急行牽引だと走り方次第で登った分以上の電気が降坂時に生じたそうだが) 架線電圧2万ボルトに回生させるには、発生した電力が同ボルトじゃなくても流せるの?
物理は分からない。 >>164
降圧トランスは逆方向から見れば逆数比の昇圧トランスだから辻褄が合うの(w
発電側がインピーダンス降下分×2だけ高い電圧で送り込まないと回生制動できないが。 普通列車は本数的に気動車化するべきだったのに急勾配のせいで出来なかったかと。
キハ52でさえも客車より遅くなるのでは? >>167
車両運用上のことを考えたら無理にそんなことをする必要もないしな
(機関車は共通運用、普通列車も山形以北発着の列車が存在) あの時代にキハ110があったら運用楽だったろうな。千分の38パーミルの急勾配を時速50キロ毎時でかけあがる姿を見たかった。
脱線だかJR北にあるような1両当り900馬力の特急ディーゼルカーがあれば振り子を利かせて38パーミルを80キロ毎時でかけあがる特急も見たかった。 ディーゼルカーは特急と急行で十分
各駅停車までディーゼルだと夏の暑い日など窓が開ける事が出来ず困る
特にトンネル区間では排気ガスと暑さで我慢できない
但し冷房等の空調機能がきいていれば話は別 ディーゼルだと、やはり33‰はかなり厳しいと思う。
最近の1車両当たり900PSもある気動車は分からんが、国鉄時代では…
スレチかもだけど、肥薩線ではDD51がオハ60系3両牽いてトンネル内で止まりそうな速度になっていたよ。
排ガスが車内に充満して凄かった。
蒸機時代はどうだったのかと思ったよ。 花輪線を走ってるキハ110は33‰の登りを50km/hで登ってると
どっかのサイトに書いてあったなあ。 板谷駅は今頃蝉が盛んに鳴いていて ロケーションも相まって
いい雰囲気なんだよな。BGMは陽水の少年時代か?
大昔は貨車扱いもあり賑わいがある駅だった。 >>172
それは坂に掛かる初速の問題がからむ。
高速で突っ込めればそれほど速度が落ちなくて済むが、勾配起動をしたら大変!
平衡速度が20km/hそこそことかにっちもさっちもいかなくなる。
昔、筑豊の篠栗線で快速列車なのに表定速度は各駅と同じだというふざけた列車が走ってたが、
それはキハ17系で急勾配区間じゃ停まってられないから「快速」にするしかなかったみたい(w >>174 厨房の頃、DC急行ざおうに乗った時(米沢→福島)、かぶりつきでスピードメーター見てた。関根までは時速60キロ位できてて、関根駅を過ぎて坂にさしかかったら徐々にスピード落ちて20キロ強さしたまま峠駅までゆるゆる上って行った。
花輪線ゆ板谷峠等長い坂道を上がる場合は突っ込む速度は確かに影響する程度で数分で均衡速度に落ち着くかと。
キハ110は30トン程度の軽量ボディに400馬力オーバーのエンジン積んでるから坂道は強いよ。荷物満載の大型トラックのパワーウェイトレシオと変わらんしね。 >>171
そういえば、終戦後に復員兵を満載した列車がトンネル内で立ち往生、我慢しきれず下車した乗客が
後退した列車に轢き殺されたという悲話があったな
>>175
気動車はトルコンやローギアがあるから出力が電車と同等なら、電車よりも勾配に強いかも知れないな
長い勾配では、電車でもさすがに定格以上でモーター回し続けるわけにはいかないからね。
485系も1ユニットカットだと自力では登れなかったようだし
下り「DC急行おが」は板谷付近を昼位に通過する
轟音轟かせ空に向かって煙を巻き上げる
低速で板谷付近を通過する
夏の時期この煙が沿線の住民が一番嫌がった
今の様にクーラー等の冷房器具は無く又気密性の無い住宅
風の無い時は煙が拡散しない為住民は窓を閉めた
列車が通過しても煙が拡散するまで窓は開けられない
逆に上りの「おが」は下りと比べられない早さで通過して行った
>>178 高校の自転車部の選手より遅いな。登攀時のDC急行おがは。
エンジン換装前のキハ58&28でよく38/1000登ってたな。 33.3でしょ。
つか板谷の沿線住民とかいないだろ。キハの排気煙なんか問題にならねぇよ。 >>173
>>177
板谷駅構内を2軸か4軸だったか分からないがロッド付きスイッチャーが
工場内で製品を積み込んだワムやタキ23950形を入れ替えの為
右往左往している姿は懐かしい思い出の一つ
自然に戻りつつある旧板谷駅構内に砂防ダムがある
その場所は昔タキ23950形に製品を充填する装置があった場所 >>180 平均は1/30勾配ね。(33.3‰)スイッチバック前後で38‰ >>181
結構大きい貨車だったよね >タキ23950 >>184
いいの?w
ちょっとネタ考えてみます
でも、ネタあるかなぁ?
今日は健診で有休なんで
今日中はとても無理だし期待しないで下さいねw 自宅が米沢で女房の実家が福島市内の旅館の娘だったから、結婚前には、よく仕事を終えてから
福島行きに乗って女房の実家に泊まったよ、戦後すぐだから、汽車賃はとても払いきれないけど、
女房の父上によく汽車賃を頂いたりしたな。電化直後だよ。電気機関車ってのが珍しかったな。
夏は仕事の掻きいれ時なんで、最終列車にもよく乗った。誰もいない福島駅に着くと、女房がホームで
よく待ってくれていた。
ある時、女房が「機関車のタイアが真っ赤になっていた」、と変な事を言うので2人で見に行った。
機関士さんと車掌さんが腕を組んで機関車の車輪を見ていたけど、なるほど車輪がほの赤くなっていたよ。
33‰を下るとなるほど凄い事になるもんだと思っていたら、車掌氏が、「あんたよく終列車に乗っとるな、
今度乗る時は、機関車がピピピピ…と汽笛を鳴らしたら、客車の隅に丸いハンドルがあるだろう、それを
右回り一杯に回してくれ、ピーと長く鳴らしたら、左に目いっぱい戻すんだ、頼むぞ」と言われた。
でないと、あんた、下手すりゃ事故に遭うぞ、と脅かされたよ。信じられないけど、戦後すぐなんて、
何でもありの時代だったんよ。
で、峠の下りになると、なるほど、機関車がピピ…と汽笛を鳴らす、貫通ブレーキで客車の手動制動なんて
ナンセンスな話だけど、多少は効きが違うのか、ハンドルを右に回す。ピーと鳴ったら左へ回す。
こんなことを何度かやらされたな。
2年程経った時、件の車掌氏と米沢からの車内で会うと、「もうブレーキ屋はやらんでいいぞ」と、
嬉しそうに微笑んでいた。何と「今度の機関車は発電所のようにブレーキが掛かるようになったんだよ」
と、仰る。びっくりすると発電所、発電所と笑いながら言う。今にして思えば、EF16が投入されたんだな。
福島駅に着き、女房に「今度の機関車は発電機が付いたそうだ」というと、「そんな話が…」となった。
機関車を2人で見に行くと、なるほど車輪は多少ほの赤いが、回生制動の威力か、EF15時代のような赤熱は消えていた。
車掌氏から、肩を叩かれ、「お前らもういい加減に結婚せい、汽車賃が無駄だろう」と言われ、若かった
頃なんで、2人して赤面したよ。
後刻、女房と結婚し、女房の実家に行く時に、件の車掌氏と会ったので、「結婚しました」と報告したら、
とても喜んで下さった。
…という様な話が、戦前辺りの軽便鉄道なら意外にあったかもね。
以下、マジ話。
EF71が期待通りの粘着性能が発揮できなかった話は、かなり前の鉄道雑誌で読みました。
私が福島機関区を訪問したのは高校生の頃、まだ国鉄時代。EF71の運転席とか撮影させて頂きました。
回生付きの運転席は、計器が多いのでびっくりでした。最近は機関区の見学などは制限されているんだろうなぁ。
当時は、何処でも(は言い過ぎか??)快く、親切に案内を頂いたけど…
福島機関区は小学生の自分にも快く見せてくれたからなあ。
テニスコート東の庫にED711がひっそりと入ってたのにはビックリしたよ。 毎週末に発表ってのはどう?
将来単行本になったりして >>189
また思いついた時にでも書いてくれれば良いと思うが。 >>191
あんがと。もう夫婦ネタはいらんしょ。スレ汚しすんまそん。
マジレスの方のEF71の粘着性能の件、どなたが知らねすか?
確か回路構成がなんとかかんとか…って読んだ記憶あり。 >>192
EF71の主電動機回路が原因かね(台車ごとに直列、それを3組並列の固定接続)
6個直列では出力過剰、福米間ならば並列段使うほどの高速をそう出さないとして
こういう構成にしたらしいがED78は通常の直列―直並列―並列の組み合わせだし
EF71も当初の計画と違い福島―山形スルー運転が基本だった辺り色々微妙だったな 直流機じゃないんだからw
交流D級は全並列のところをF級は粘着に余裕があるってことで2個直列3並列にしたんでしょ。
だからED78が1軸空転すると1/4の牽引力低下で済む所が、EF71は空転すると2/3の牽引力になっちゃう。
そのうえ同じ理由で軸重補償や空転検知もケチってたから、14と15はその辺改良したらしいよ。 >>193
あんがとーです
そんな感じの話だった。ED78と回路構成が違ってなんじゃら。
自分でも少し調べてみます。
読んだ当時は理解したつもりだったけど、今となると…(汗)
私が福米に行った頃はEF71ばかり走っていましたね。
ED78とは、福島機関区で会いました。
仙山線も乗車したけど、ED78の旧客だったかどうか?
それこそ「実家に行って」、当時の旅行ノートや写真のスライド(ISO(ASA)64のコダクロームでした)でも見ないと…
そもそも自宅に残っているか?… >>194さんも回路構成の話ですね。あんがとです。
以降、レス控えて、ちと勉強してみます。
鉄道雑誌も、今更考えても何だけど、古本屋さんに出しちゃったし… っつうか確かに交流機にS・SP・Pの制御概念は無いよね。
基本無段制御ですよね。細かいノッチはあるけど。 細かい話しは抜きにしてEF71、貨物列車や割と長い客レなんかも単機で牽引してたよね。
勿論牽引定数以内の列車なんだろうけど。
プレスアイゼンバーンの板谷峠概史には『あけぼの』に使用されてたカニが改造によって重量が増えてて牽引定数オーバーして(機関士達は知らなかったらしい)
頻繁に空転して遅延の原因になってたとあった。
因みに急行『おが』『津軽』なんかは単機でも空転しなかったとも。
そんなに評判悪い機関車だったんかな?
仙山線の客レは1982年の写真が残ってたけど、この頃既に客レのほうが少なくなってたと記憶してる。
>>194
いずれにしても交流機の粘着特性を過大に見積もっていた経緯があるからね…
>>198
EF71単機の定数は430t(最大450t)だったか
で、「あけぼの」の20系は現車13両、換算41両(410t)とされてた以上
数字の上ではEF71単機牽引で良かったんだろうが昭和40年代後半以降
次々と防火対策工事や補強を実施した関係から編成で実質1割の重量増になってたからな
(昭和53年夏の通達で重連が常態化、24系は元から編成重量が450t以上なので当然重連) そういえばED78の牽引定数も、EF71とそんなに大差が無かったような記憶が。 キハ82、181系の補機として先頭に立つEF71はカッコよかった、ホント泣かせる姿だった。
この頃の動画は流石にYou Tubeにも見当たらないな。 ゴメン、EF71の時代の「つばさ」は181系だったね。
>>202
短期間だけどキハ80系にも補機として使われてるよ(43・10直前〜昭和45年初まで) 貨物列車廃止前に板谷峠を走っていたコンテナ車の形式が分かる方いませんか?
ググって写真等は見かけるのですが形式まで読み取れる事ができません
よろしくお願いします >>201 この動画がうpされたら急行ニセコC62重連並みに萌えるな。
キハ58の急行おがやざおうの動画もあれば萌え×2 >>205
80年代後半だと大半がコキ50000・コキフ50000では
(まあコキ5500/コキ60000も混じってたかも) >>201
EF64+82系やキハ58はながさなら有るよ。
1002や1003の重連には痺れるが、深夜だったのでほとんど見た方はいないね。
ちなみに、1001と1004は山形受け持ち
1002と1003は福島受け持ち キハ40では、33‰での均衡速度は28km/h程度で、もはや歩くくらいの速度でしか登れないのできつい。 @Reply>>174
士幌線の黒石平駅と同じ。
当駅は勾配上にホームがあるため、当時のキハ20やキハ40で勾配上にあるホームで停車し、そのまま発車させるのは難しかった。
そこで、上り方面は麓にある停車場から発車させ、下り方面は当駅から発車させる事になりました。 失礼します。
この場合の「上り」は坂の上りですよね。
興味があるんですが、知識不足で(汗)。もすこし簡単に状況解説頂けますと幸甚です。 >>209 うpされているサイト分かりましたら教えてくだされ。 >>211
勾配上にあったのは電力所前仮乗降場。
黒石平駅は平坦だったが集落から離れていた。
1963年に電力所前仮乗降場が開設されるまでは黒石平駅に上下列車が停車していた。 213
うpされているサイトは有りません。
当時はカメラでの撮影がほとんど、ビデオでの撮影はほとんど無し。
>>201
無いものねだりで見たくなってきたwシロクニニセコは沢山あるのに何で無いんだろ?
長大編成の「つばさ」がオーバーヒートしそうになりながら板谷峠越えるのってどんなだったんだろ?
>>216
最悪なことに東北のキハ181特急=SLブーム末期だから仕方ない
53・10以前の全力疾走してた東北特急・急行の映像だって
広報用のフィルムかニュース映像程度しか残ってないぞ
(まあ東北は全体的に鉄道関係の映像が微妙だったりするが)
東北本線内を走るキハ181はさながらモータースポーツの会場か
プロペラ機の低空飛行を連想させる爆音上げてたのを覚えてるが
板谷越えはどんな感じだったのだろうな… >>216 当時最新・最強のエンジンを以ってしても板谷峠の過酷な環境に
結果してはね返されてしまう、萌えます。動画があったらぜひ見たいもの。
30年以上前に板谷駅スノーシェッドを通過し38‰に挑むDC急行おがを見た
が、DCといえども萌えた。あまりの坂の険しさに急行といえども時速
20km/hしか出せない。何せ、碓氷峠の66.7‰を登る特急の半分程度しかスピ
ードが出ないもんだから。
181『つばさ』が実際にオーヒートして止まった事もある程だから相当なスロー運転だったんだろう。
EF71+キハ181系つばさの走行音を是非とも聴いてみたいな。 >>198
牽引定数オーバーして(機関士達は知らなかったらしい)
機関士は、1・2ノッチ引いてもEF71が動き出さず3ノッチでようやく動き出すのでいつもと違い重いと思ったら庭坂の勾配から空転が多発。
30・40分の延滞というときもあり、機関区の休憩室であけぼのを運転した機関士仲間でおかしいという話になり、みんなで助役に直談判して調べてもらったそうです。
助役は定数内と一点張りだったが、本社で調べたら定数オバーが発覚し重連になったそうです。
知らなかったのでなく、最初に異変に気が付いたのがあけぼのの機関士というのが真実の話。
そこまでは本などに出てこない話です。
>>221
スゴイ情報通だなアンタ!もしかして現場の人?
上の方であんま良い事書かれてなかったけど現場でのEF71、ED78の評判ってどうだったんだろ?
流石にEF16よりかはマシだと思うが… >>219
47年当時(協調運転なし)
米沢 福島
12:18 2D 13:03
17:18 4D 18:04
15:39 402D 16:40
50年当時(協調運転中)
12:18 2D 13:05
17:18 4D 18:05
15:59 402D 17:02
485系やまばと・455系ざおうで40分、客レが50分ほどの所要時間です。
今気付いたけど、DC時代のつばさって列車番号がエースナンバーだったんだ。
上野発最重要列車が1Mだったから出来た芸当ですね。 >>224
キハ181の特性上速度を上げないと余計に登れなくなるとはいえ
単独時代のこの運転は相当無謀ではあるな
その上で>>217に出た東北本線での全力疾走、さらに雄勝越えもあるからきついな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています