地味で目立たなかった車両
>>31
四次形はボイラが太くなったのが響いて、C57らしいシルエットを害していると思われているのでは? >>36
えっ、四次型はキャブが密閉になっただけではなかったの?
C57190は亀山機関区にいましたけど。気がつかなかった。 >32
ルックスが中途半端だったからでは?
同じ半端者でも2600と扱いが違う。 >>36
あとは活躍した地域が、首都圏から離れたところばかりで、
名の通った列車の牽引も担わなかった点もあろうかと。
しかも、C54のようにネタになるような要素もなかったし。
>>37
四次型は、ボイラの内径が42mmだけ太いらしい。
クハ164
急行「比叡」で見かけたが、見た目は低運のクハ153でした。
SLならD61とかD62なんかも“地味”な形式だったんじゃない?
どちらも軸重軽減目的で誕生した改造車形式だしね。
165系ならサハ164も外せないな。2両しか登場しなかった売店車仕様。
473系も1ユニットのみの存在。
159系なんかも割かし中途半端な存在で、地味と言えば地味。 >>41
>見た目は低運のクハ153でした。
いや、まったくもってクハ153低運そのまんまなんだが。
クハ153の主幹制御器とジャンパ栓を165系用に交換したのがクハ164。
必要最低限の改造なんで、外観はジャンパ栓以外塗装も含め変更なし。 ED42の雛型目的で輸入したED41
唯一保存車がないアプトEL 名古屋市営地下鉄の東山線を走っていた黄色電車のうち
701〜709中間車
500形と同じ片開扉で同じ窓配置、屋根構造も500形のような外観に戻した。 東武 2080
東急 初代6000
京急 二代目700
束 207 過渡期の南武線や鶴見線の101系か103系。
その2種類は一般人には見分けがつかない。 >>50
東武2080は当時野田線唯一のカルダン駆動・エアサス装備だったから、
ある意味神だった。 東武2080は不運と失敗が重なりドツボにはまったからね。
中間車を先頭車化したりなどあまりにむちゃくちゃ改造でトラブル多発するは
東上や越生線系統の5000系シリーズを野田線に集結させる事で
既に旧式車の3000系シリーズ全滅のめどがやっとついたのに18m3ドアだし
冷房の搭載すら困難とどぶに捨てたみたいな車だった。
車内も全く更新すらしなかった。
野田線なんかやめて3両かなんかで栃木か太田以北とか小泉線とか使ってれば。
1800系をローカル普通用にしたのにいとも簡単に廃車するといい東武は改造したら
飼い殺しの上に不要になったらポイ捨てばっか。 >55
10系や1700系の扱いを見ていると用が済んだらポイタイプ。 マニ50の現金輸送車
用途が用途のため、車籍表にも載らず(公表されず)、廃車まで存在がずーっと隠されたまま。
写真に収めたヲタは何人いるやら… >>57
それマニ30
確かにベースは50系だが、そういう表現見たのは初めてだわ キハ23形の片運転台タイプの北海道仕様、キハ46。
存在すら知らなかった人も多いと思う。そりゃ6両しか居なかったもんね。
サロ455‐200
サロ451から改造されてるのに、451系のグリーン車であることが知られていないまま民営化の陰でひっそりと消えた。 >>58
形式違ってたか…、訂正サンクス。
目立たないように量産形式に埋もれるように作ったもんと思ってた。
ちなみに、ヲタにはばれてなかったんか気になる。 マニ30現金輸送車、上野で見た。
103レ急行「八甲田」、EF58の次、マニ37と並んで連結されてた。
実はEF58狙いだったんだが、警備が凄く(警備会社ではなく機動隊!)近寄れなかった。
機動隊員数人に取り囲まれ、13番ホームから摘まみ出された。
写真ももちろんダメ。 >>62
お召し列車以上の警備ですね(笑)
多分、百億円単位で運んでいただろうからなぁ。
しかし、写真も撮れないとは凄いな。 >>59
札幌在住なんでキハ46はよく乗りましたよ〜。
苗穂に5両、函館に1両だけ配置されてたんじゃなかったかな。
札沼線や函館本線の山線区間、根室本線の落合まで行く普通列車など、
札鉄局管内の色々な所でお目にかかった。
逆に、キハ46の両運転台版のキハ24は苗穂にはなかったので、一度しか乗れなかった。 >>62
機動隊?初代マニ30の時ですか?
国電暴動や3億円事件の影響だったかもしれない。 >>65
ゴハチ末期だから1983〜4年頃だったと思う。
機動隊、50人以上いたと思う。独特の盾と顔まで覆うヘルメット。
俺らゴハチ追っかけはもちろん、一般乗客にまで威圧的に睨みを利かせて感じ悪かった。
俺の他にも数人、鉄ヲタが追い払われてた。
マニ30 2002? 所属は北スミ?
記憶は定かでない。 連投スマソ
写真撮影だが、機動隊にフィルム抜かれている奴もいたよ。
俺はまだ未撮影だったから大丈夫だった。
撮影厳禁の現金輸送車w
当時、103レの後からが夜行列車のハイライトなんだよね。
だからまだカメラにフィルムを入れてなかった。 >>66-67
貴重な体験談どうもです。
では、写真残ってるとすれば、途中駅で反対ホームから、とか空荷の回送、ぐらいなんですね。
ちなみにレス見て疑問点が増えてもうた。
>>65さんが初代マニ30≠トことは二代目もあったの?
>>66さん、北スミ ってどこ?
全部で何両あったの?
浅学ですいません。 マニ30円はJRになってからいくらでも撮影出来たよ。
北海ライナーの機関車後ろにマニ30円君が
北スミとは隅田川操車場のことだよ
「ヒ」とか置いてあるところね。
俺てきには、「ヒ」の方が目立たなく撮影しにくいよ、だって隅田川に行かないと
撮れないし、いないしあそこほとんど撮影するとこないから。
「ヒ」を撮影中にフェンスにかぶりついてたら、ポリ公が車から降りてきて
いろいろ言われた事がある。もちマニ30円君が置いてある場所とは180°
別の場所でね。マニ30円君は日比谷線車内から良く見えるところに2両置いてあったよ
EF5861牽引マニ30円撮影した時は両方とも車体がピカピカであまり使用感が
無かったなぁ。
EF81カシ釜+DD51842+マニ30円も撮影したことある。
マニ30円君は大蔵省(財務省)の私有貨車扱いなので当然公表される訳ないし
当然用途廃止に成れば税金対策で即刻廃車なんだけど、現在1両だけ保存されていて
こないだ車内公開されたけど、マニ50と車内の違いほとんど分からないね。
マニ30円君で思い出すのがルパンV世(昭和47年東京ムービー製作)に
現金輸送車が東京駅から出るのだが、機関車がDD13タイプなのには奮えた。 >>68 >>70
初代マニ30は昭和20年代に作られたマニ34を改番したもの
二代目マニ30は外見こそ全然違うが初代の続番になってる
因みに運用中はずっと警備員が乗ってた関係上マニ34時代から冷房付 >>69-71
皆さんレスありがとうございます。
>>69
隅田川に客車区あったとは!
“ヒ”は青函連絡船や宇高連絡船で使ってたのは知ってるんですが…。
>>70-71
全く別物の車両なのに同じ形式で続番置き換えって違和感ありますねぇ。 京王2000
最後は高尾線専用になった上に、さよなら運転もなくひっそり引退 20年くらい前にN改造で造った人の作品がTOMIX改造コンテストに入賞してたな<マニ30 マニではなくマヌ34が懐かしい。
冬季に中央線新宿発長野行の夜行列車425レはEF13の後ろにこれが付いていた。
都心でも旧客に乗れSLの香りを楽しめた。B6のボイラーには機関助手が張付き
豆炭をくべていた。機関車がEF64に変ってからも暫く付いてたと記憶する。
では「キハ18」をば…。
急行型、一般型気動車では唯一の中間専用のハ車として7両が製造されますた!ある意味、スタイリッシュで好きだがw >>76
スマソ、唯一ではなかとです。
電気式のキサハ43500がありました。 >>66
>>67
マニ30の次位は旅客車なのがわからないが、次位の客車に乗る人は、相当に苦労したのでしょうね。
漏れが機動隊の隊員だったら、同情してヲタからカメラを借りてコハチを(ファインダーにマニ30が入らないように)撮らせてやったかもしれないが、間違いなく懲戒解雇ですかね? というか、写真を撮らせない法的根拠はあったのか?
フイルムを抜いて露光させるなんて、完全に財産権の侵害だろ。 >>82
今は色もド派手になって宮崎空港専用でかえって目立つ存在?
交流で回生制動つきの初めての実用車だったっけ? なぜか全車900代。 >>83
量産前提の試作だったからじゃないか>713
運転開始前年の83年8月に南福岡の車庫で見かけたが、パッと見、色違いの瀬戸内色に見えたな。 483系
漏れは41年生きてきて、この形式を2回位しか声にだして言ったことがない。
のこりの40年位の人生でも…あと一回あるかないかだろうなw
福知山線113系ブタ鼻シールドビーム車
一度画像を見てみたいものだ・・ググっても出てこん。
ウソ電でしか見たことなす。(あれは165系だが・・) 現在進行形だけど105系
一様東も継承してるしそれなりに両数がいる割には… >79
ネットとかもなく話がバーッって広がらない時代だからこそ
手荒な手段が使えたんだろうね 横須賀グリーンの
サロ113とか特急で使ってのでは? >>87
そういえば105系119系107系123系121系のグループはピクで形式特集組まれた事無いよね。 雑多なサロ110で言うなら、ステンレス試作車だった901、902だな。
もちろんサロ153-900の格下げなんだけど、国鉄時代に登場した車両だしね。
晩年の他車種から改造して登場したのは、全てが余剰車両の有効活用だしな。
同様にキハ35-900も地味と言えば地味。
キハ60系、キハ91系などの試作車系列も試験的意味合いが終わってしまったら、地味な存在でしかなかったな。
あと、新幹線車両でも、300系は“地味”と言えるかも知れない。
もちろん両数は多くて今もバリバリ現役だけど、性能的なことはともかく、
ビジネスライクな造りは設備のバラエティーが豊かだった100系を人気の面で超えることができなかった。
また、後に登場したセンセーショナルな500系の強烈なインパクトの影にもあっさり埋もれてしまい、
花形だった長距離運転の「のぞみ」として活躍した期間は案外短く、
その後は「ひかり」「こだま」を中心とした運用にシフトされたことが余計に“地味さ”を感じさせるようにもなった。 SLだとC50 C52 C54
SL全廃後に出た蒸気機関車大図鑑みたいな本で、
そんな形式の機関車があったのかと初めて知った。 省形制式蒸機をこき下ろすのが好きな後知恵系の人には、C52は、
「欠陥機」C53の欠点をあげつらうための比較対象として重宝されてるようだね。
あと、C54はC53とのセットで島秀雄の蒸機設計能力を貶すグッズにされてる。
C54は持て余されてたのを、西尾源太郎氏が戦後に山陰線の軽負荷運用に充てる配置工作を図って延命させたんだよな。 鉄懐板以外ではデブなのに地味で目立たないナン931-524 このスレでもいろいろ出てるけど、
カルダンと新性能の入れ替わり時期には
ひっそり現れては消えていった車両が多いみたいね
少数派でなおかつ特急車でもなく、
構造も異端児で特に転用もされず、
地味な運用のまま消えていったりとか
新京成700系だとか
いろいろ出てるけど東急5200系や6000系も見た目の割には地味?
京阪の1900系ってほんとについ最近まで生きていたんだっけ?
あのころの車両でいまだに生きていたのはすごいな
(とはいえ、2600系も50年選手か...) >>100 小田急2100
京成750
南海の京福に行った 貫通のクロス車とか・・・。 阿武急も、制御装置以外はなかなか部品調達しやすそうな車両を買ったな。 デブなのに鉄懐板以外では地味で目立たないチョソ931-524 >>91
そこらはマイナーな形式で、再三取り上げるほどのことはないから
ほぼ終わりの形態が見えた最晩年に一度まとめて特集して終わりの気がする デキ1形
名鉄デキ600型らと同じ東芝標準型凸型電気機関車で、しかも京成が保有した
唯一の電気機関車。
工事用でしか使われず、最後の華は成田空港線工事で全うしたことくらい。 >>107
「当初は(当時の)京成と同じ1372mm軌間であった東京市電と線路をつなげ、沿線からの野菜を輸送する直通貨物列車の牽引を目的としていた」
以上、Wikipedia から。
東京市電とつなげるって、押上で接続の予定だったのかな。「貨物列車」とは、ひょっとして行商人列車のことだったりして。だとすれば、
都電の急カーブを通れる2軸の客車をどこからか買い込む予定だったはずだが・・・。
考えれば考えるほど、わからなくなる。 >>108
まあ、wikipediaに書いてあることは話半分に思っておいたほうがよいでしょう。
現実には電車がぶっ壊れたんで、応急的に入線したという
今月のピクの記事が妥当。 東武2070系、冷房化ができればワンマン線区でまだ走っていたかも。 サハ111-5
非ユニット窓の1000番代のサハより先に廃車になった。 ED74も中途半端なグループで終わったな。
交流用の標準型になったED75も九州の300代は両数も少なく、地味なグループだ。
北海道の500代に至っては、だった1両だけの異端児。
しかし、これ以降北海道内向けの同一形式耐寒仕様車両は500代を名乗るようになった。 京阪新1800系、外板の厚さの関係から先頭車にウィンドウシル付きの630系が種車になったり、非冷房ながら2622Fと同じ試作品の送風器が装備されてた。大阪直通の宇治臨時急行に使われたがほとんど話題にならなかった。 159系
末期は153系とごちゃ混ぜで快速運用に入っていた。 473系。
僅か1ユニットの孤高の形式。
483系。
これも10数ユニットだけの中途半端な存在。
国鉄型交直流電車の優等車両は地味でした。 >>118
483系の末期はひたちで使われていて、7両でなくて最後までグリーン車がある
方の編成にモハが2ユニット残っていた。 鉄道の祖なのにロケット号よりマイナーなトレヴィシックの蒸気機関車 初代南海8000系
チョッパ車が抵抗制御に格下げされた例って他にもあるのかな?
VVVF改造はちらほら見かけるが 東武の10080型
登場して23年になるが一度もあたったことねぇやw >120
蒸気船のダバン、蒸気機関のパパンと一緒で発明者が忘れ去られるケースだな。
トレヴィシックの孫2人が日本の鉄道を支援したというのも因果なものだ。 今も現役だけどDE11
2000番台は側面スカートが厳つくて良いね >>124
スチーブンソンの蒸気機関車と同じく、
蒸気機関はニューコメンの大気圧ポンプからワットの回転往復動式に発展、
蒸気船はフルトンのクレアモント号が最初、というのが世間のイメージになっちゃってるもんな。
ちなみに世界初の内燃機関というのは、昔のギネスブックによると1825年に既にイギリスで実現されており
人の乗れる車輌に搭載されて丘を登ったとか。
しかしそのエンジンの名称は「用気エンジン」なるもの。
世間では最初のまともな内燃機関はルノアールが1860年に実用化した無圧縮ガス機関だとされているが。 ジーメンスの試作電車〜スプレーグの電車の間に登場した電車 東京メトロ千代田線には、JRの207系900代と東京メトロ06系という、
どちらも1編成という“地味”な車両が走っていた。 417系電車。
電車の普通列車といえば仙石線の電車か急行間合い使用くらいしかなかった東北地方に
仙台地区でデビューしたのもつかの間。中途半端な形で消えていった。夜松川まで南下する列車に
一度だけ乗ったことある。 キハ37
僅か5両で打ち止めとは。
キハ30とペアで久留里詣で姿態。 キハ33
地味で目立たないと言うよりも、何もかもが中途半端すぎた。
JR西日本にもう少し技量があったらキハ141系列みたいになったかも知れんのに。 サロ163―7
163系自体が幻の上、すぐにサロ112に改造された。