マンモス電機EH10
たかがEF15の2軸増しと言う無かれ。
黒い車体に黄色の洒落た細帯、優雅な広さの運転室。
ファンだった方いませんか? >>68
幌というより、あれは鉄製の通路でしょ、、、 そうなんだ。
あれムーミソみたいに片方だけとかできないのかなって
消防の頃思ったのだが。 EH10はどのような貨車を引いていたのでしょうか? いろいろ。
当時あったやつ。
石炭車とかホッパ車を牽くことは少なかったんでしょうね。
横浜駅に貨物線が通ってた40年前、EH10を先頭にした貨物列車の中に
図鑑で見た通風車が繋がれていて感動した。あとにも先にもそれきり。 EF59登場前に、セノハチ補機としてEH10歯車比変更案もあった模様。
そんな姿を見てみたかった気もしますが・・・。全くイメージ出来ない。 >>76
赤く塗られたEH10を見てみたい気もする。 >>74
>石炭車とかホッパ車を牽くことは少なかったんでしょうね。
ホッパ車はセメントや小麦のを牽いてましたよ。 馬込のマンモス陸橋の下を行くマンモス機。
なんとも形容しがたい唸りの機械音と共に走り去る黒いヤツ…
1970年代を品鶴線で見ておりました。 根府川の白糸川橋梁
58や65の写真が多いですが
EH10も良い被写体でしたね。 >>72
DD50も実質DH50みたいな感じで使ってたね。 エコパワー金太郎君と熊ん蜂の揃い踏みが見てみたいね。ファンとしては。 ロングパスごめん
>>25 >>50
たから号は見た事がないが、晩年までコンテナ列車を牽いていたな。
但し、85km/hの急行貨物で、コンテナ車一色とはいかず、黒色のヨを連結。
コキ5500も4個積み改造後なので、少々格落ちの感は否めなかった。
S50〜53.10までは山陽路から新鶴見まで上る852・854の2本の列車を担当(吹田区)、
2本続けて走っており、名古屋地区を夕方通過していた。
もう少し撮影しておけばと悔やまれる。
なお、852・854のうち、どちらかは四国から上京する列車だったはず。
>>8
当時ブルトレやL特急ブームを尻目に、東海道・山陽筋の
貨物列車用機関車の運用に凝っていたので、、、
吹田・稲沢とも、配置両数=使用両数という運用を組んでいた。
予備で当てていたのは両区ともEF65。
稼働率100%は運用上のあやで、実際はそこまでではなかったとのこと。
ただ、EF60よりは85km/hの急行貨物仕業が多かった。
>>67
中央東線での入線試験なら聞いた事があるけど。
空転が多くて中央東線での使用は諦めたそうな。
でもEH10には他線への都落ちより東海道・山陽での最後までの活躍がカッコ良かったね。 貨物機だから、ホームで止まっているシーンになかなかめぐり会えなかったな。
沼津で一度EH10がホームに止まっていたので、ダメモトで運転席見学させて頂けませんかーと。
乗せて頂いたけどホントに広いね。
老年の機関士さんで私(ガキ)を可愛がっていろいろ話して頂いた。
機関助手さんが、坊主もう発車だぞ、と言ったけど、いや大丈夫だよ、と、汽笛だけ鳴らしてまだ話をして下さった。
今では信じられないような実話です。 運転席の椅子がEF58みたいな
背もたれがカーブした椅子だったね。
DD518000代は確かに広いなw 大宮工場で金太郎が分割されて妻面を露にしているという貴重なものを見せていただいたが、
EH10の中間連結器は、金太郎と同様半永久密着連結器だったのかな? なんともいえない威圧感があるカラーリング。
あのカラーのEF66なんかが有ってほしい。 >>92
搭載機器の関係で、半分では動かせなかったからね。
まあ、半永久というのかどうか。 >>95
棒連結器?
貫通部分は幌でなく鋼板だったね。
大阪の某公園まで行って確かめるしかないか。 土曜日が半ドンの時代で父親と待ち合わせて家族で三ノ宮(神戸)で夕食をとるのが月に一度の贅沢。
そのあと垂水の自宅まで帰る時によくEH10が牽く貨物列車を見ました。
夜、轟音を立てて走っていく真っ黒なEH10が実は子ども心には無茶苦茶怖くて…大嫌いでした
なのでこんなにも魅力的な機関車なのに、いまだにそのころの恐怖が心の中に… 漏れも一番好きな機関車でし!
小さい頃親に連れられで駅前のお店に買い物に行くとき踏みきりで良く見かけました。
他のカマ(EF58など)は全く記憶にありませんがあの黒くて2両繋いだ機関車はインパクトありすぎでした。たまに実車を見に行きます 単なる出力だけじゃないEH10の魅力というのがたくさんあると思う。
洒落た塗色もそうだし、角ばっているけど、全面2枚傾斜窓、
窓回りは、EF58などの東海型からのデザインの進歩でしょうか?
電気機関車で灰色のスカートを付けたのもEH10が初めてですね。
貨物機にしておくのが惜しい、逆に貨物機に導入した優れたデザインが粋ですね。
貨物8軸なら(多分当時は、大出力新性能機関車の構想もある程度あったかも)
もっとデザインに手抜きがありそうなものだけど、高度成長とか、経済・社会面
からの貨物列車への期待も高かったのでしょうか?
機器的には、旧型電機の域を出ないけど、設計・開発された方々は、EH10に大きな
期待や夢を盛り込んだんでしょうね?
静態保存でもいいから、これからも実物が残っていて欲しいです。 P.S.
鉄道ファン誌で「マンモス電機特集:EH10・EF66」っていうのが、
時期は忘れたけど、出てましたね。
引越しの時に古本屋行きになったけど、もう一度読んで見たいなぁ〜 EH10もEF66も貨物機関車には勿体無いイケメンデザインだな 午後8時過ぎ下手するともっと遅かったかもしれないが、東神奈川のプラットフォームに立ってると、確か上りだったと思うが、
EH10の牽引する長大編成の貨物列車がかなりのスピードで通過していったことを思い出す。
迫力があるというより不気味な感じがした。今から30年ぐらい前の話。 規定違反していなければ、所詮は85km/h以下なんだけどな クルマでも85km/hは結構な速度
高速道路ならノンビリ速度だろうけど 確かに85`制限だったけど、カッコよろしかったな〜EH10
OM-1で撮影してました EH10の出現で、東海道線の平坦部での貨物の速度も上がったって話もあったね。
(当たり前か) 当時は貨車も編成が長かったね
踏切待ちで両数を数えたら70両近かったよ 15号機ですね。
もっと注目されてもいいEH10だと思います。
意外に発掘されていない気が。
中央線の件は残念だったけど、大幹線で生まれて大幹線で終焉を迎えたのもEH10らしいと思います。 EH10は機器類は確かにEF15の流用だけど、荷重(動力)伝達機構などは、
新型電機のはしりだから、あながち旧型電機に分類できない気もするけど。 >>112
確かに牽引力を台車から車体に伝える方式は、大出力の国鉄電機としては
目新しいけど、いかんせん8軸なのに新型F級電機程度の出力で、軸重移動
補償やバーニア制御もないので旧型に分類されてもいたしかたないな 大阪のとある公園に保存されている同機は、鳥の篭状態で今でも動きそうな雰囲気。
これ保存当初から柵でがっちり守られていたの?
大阪の下町だから、中途半端な柵だったらDQNどものいい餌食にされて今頃無残な状態になっていただろう。
例、老松公園のED72(現北九州鉄道記念館に保存) ↑最初はあのような柵はなかったですよ。数年前、いたずら防止のために付けたと思います 高度経済成長の大動脈を支えた機関車ですから、
もっと然るべきところに保存して欲しいものですが。 確かにそうですね…あのような公園の片隅に保存するような車両ではないですね。京都に博物館作られたらその時に保存してくれたら有り難いですね >>119
梅小路を拡張するってアレね
ぜひ移動して展示してほしいね
ただ貨物機関車なのでJR貨物はどう思ってるのか
気になるところだが
どうしてあの場所だったんだろうか>淡路
>>121そうです。新しい博物館で保存してくれたら…確かに貨物機ですが貨物鉄道は博物館無いですしね…後、あの場所での保存はあくまで推測ですが吹田に割りと近かったからだと思うのですが… >>122
なるほど
確かに吹田に近いのと
近くを貨物線走ってましたよね
JRFは博物館ないんですよね
ぜひ梅小路移転の際は
展示車に入れてほしいものです EH10, 思い出深いですね。
沼津駅の旅客4番と5番の間に停車して,豪快に引き出し発車。
1980年当時は沼津区に数機がいつもいて,パン上げすると舟が
バウンドし凄い火花が出てたっけ。
忘れられないのは,お袋と東京に遊びに出たんだけど,東海道線
(確か80系だったと思う)の車内から,EH10と併走した思い出がある。
国府津の出発で並んで,藤沢あたりまで抜きつ抜かれつ。
今でも記憶に鮮やかだよ。。。国府津に扇形庫が有ったなあ。
スポーク動輪と,釣り掛けの盛大な音に興奮したっけ。。
当時お袋40そこそこ。今や70過ぎてお婆の領域。なつかしや。
デザインが良かったよね。EH10をデザイン、カラーコーディネートした人はネ申だよ。 萩原デザイン事務所?だったっけ?EH10のデザイン担当。 >>124
国府津の扇形庫にD52が一輌だけ入ってる時代、
同じく東海道線を走るEH10を眺めていた。 >>127
『鉄道ファン』69年9月号に萩原氏の対談記事があってそこで触れられていますね。
DD50二次型、ED72から新幹線まで携わったとのこと。 EF66もそうなの?
国鉄型のデザインって日本の沿線風景に溶け込む EF60などの新性能電機と比べても遜色ない高性能機。
こいつが旅客列車を牽引して120km/hで走る姿を見てみたかったな。 >>124
沼津区は1980年だとほとんどEF60に占領されてるよw
1979年に品川でブルトレの展示会があった時当時の現場の人に
聞いた話だと、「もう東京口にはEH10は来ないよ」と言われ走行写真
とうとう1度も撮影出来ませんでした、残念でしたな。 >>132
旧型のEF58も許容速度が120だから侮れない >>134
高速性能だけなら、EF60以降の新性能型よりEF58の方が上だったんでしょ?
地味に凄いよなEF58の性能も。 直流機=茶
だったからねぇ。交流機が登場してから直流機も垢抜けして青塗装に。 EF60と共通運用されてて、回送兼ねて重連もあったな〜、EH10末期って一番テッチャンが少なかった時代だよね、まったりしてた。 >>142
少なかったことはない。
ガキを含めて、L特急やブルートレインに流れていた。
当時、EF58ですらあまり話題にならなかった。
ましてや一般貨物に目を向けている人はごく少数。
皆の目がEF58に向いた時、EH10は既に退役済み。
50.3改正頃は、吹二・稲二とも、配置両数=使用両数で運用を組んでいた。
検査時の代走は両区ともEF65、当時、どちらもEF60の配置は無い。
揚げ足を取ったようで、ごめん。
たしかに貨物に関しては、まったりしていた。が、変人扱いもされたw >>143末期だよ、昭和55年頃の話。次位回送が毎日のようにEF60になったりEH10になる運用が当時あったよ、俺は消防だったし列車番号は知らなかったが、見てたんだからね。
>>135
EF58(最大運転速度100キロ)はEF60〜63(最大運転速度100キロ)よりは確かに高速運転に適してはいたが、歯数比の下がったEF64・65(最大運転速度110キロ)には及ばない
また、引張力が国鉄の全EL(ED級も含む)中でも最低だったため、平坦で高速運転が維持しやすい線区での、牽引定数の高くない列車(旅客・荷物列車)のみに特化した運用以外にはほとんど使えなかった
EF級でEH10に劣らぬパワーを備え、しかも最大運転速度も85キロから100キロに向上させたのがEF60だといえる(クイル式は結果的に失敗ではあったが…) なんでEH10は早々に引退の憂き目にあったのかが不思議。 >>144
すまんが、どこの話だろうか?
一寸興味がある。 >>146
53-10改正以降、およそ1年に1回のダイヤ改正ごとに、貨物列車の削減が順次進められてゆくにあたり、EH級がゆえに幹線系でしか使えず、それで最高速度85キロは遅すぎ、EF65PFの増備とともに車両数に余裕が出たEF60・65(一般型やF)に置き換えられた。
10代形式電機のほとんどは最高速度85キロどまりだが、小型だったりして軸重も軽めのものが多く、ローカル線の貨物輸送に進出したものも多かった中、EH10はそれには大きすぎたといえる。
>>147
桂川橋梁の少し大阪寄りに小さな踏切があってムコ操に繋がる高架線を16時頃だった?に上り方向に向けて、次位回送の重連が通ってた先頭は必ずEH10で次位がEF60又はEH10のぶら下がり。あとク5000の専貨も末期はEF60と日替わりだったよ。
>>150
有難う。EH10は晩年稲二・吹二からは出ていないから、どこかのEF60と
変則的な運用を組んでいたのかな。
当時EF60を持っていたのは 沼 浜 米 岡 広だが、岡山あたりだろうか。
そういうこともあったんだな。 >>149
マンモスというと大きいという意味合いで使われるが、実際のマンモスはアフリカ象と比較しても
決して大きくなかった。これ豆ね。 懐かしいね。
中学時代だったかな。EH10が現役で走っているところを見ていたのは。
東海道本線藤沢ー辻堂間や藤沢ー大船間、そして根府川ー早川、根府川ー真鶴間
あたりでブルトレ取りながら真っ黒いしかも黄色いラインの入った大型でいかにも大パワーを思わせる
モーター音で走ってくるこの電気機関車に魅了されたものだ。
ほかにも、多数の電気機関車のオンパレードでフィルムがいくらあっても足りなかったよ。
今では考えられないわ。 広すぎる運転室の意味はなんだったのだろう?
一番狭い運転室はEF63かな 単純に長距離運用のある機関車の運転室は広いということでは?
EF63はその意味で広くする理由はない。 ただ単に片方の運転台スペースが余った分、広くしただけだったりしてw もと戸塚住人です。
あったよねえ、EH10とEF60の重連。あれって後ろのは回送だったのかあ。。。 EF65 500F+EH10の重連が懐かしい(名古屋地区) EH10のぶら下がりで浜松工場入場の稲沢配置のSLが定期貨物に
ムドだけど三重連だった いかんせん最高速度85キロは遅すぎたな
東海道・山陽の貨物削減以後、転用先がなく、廃車開始後わずか3年足らずで全廃の憂き目に… 東海道・山陽筋専用
ほかはEF15を除き、すべて100キロ電機化
電車も新性能化され、特急は120キロ、急行・快速は110キロが標準 歯車とりかえて高速化ってわけにはいかなかったのかなあ。 それでもEF60よりは高速性能は良かったという話は散見するな。
(RFのEL特集や当時の現場の人の話など)
>>161-163
当時の貨物列車はまだまだ2軸車やボギー車でも最高速度75km/hの車両が主流。
よって機関車だけ高速化しても、牽かれるほうが追いつかない。
EH10が牽引出来なかったのは最高速度95km/h以上の特急貨物のみ、
急行貨物(→直行貨物?)最高速度85km/hには、よく充当されていた。
吹田の車は、他区のEF60よりは急行仕業の割合が多かった気がする。
>>164
ということで、高速化する必要は無かったろうな。EF65でも、75km/h貨車で組成された
列車に結構充当されていたから。まずEF65を転用するだろう。
50.3改正頃の東海道線貨物列車の運転時分は、特急貨物B(最高速度95km/h)はEF65
最高速度75km/hの貨物列車はEF60の性能で策定して引かれていた。
EH10はこのスジに乗っていた。
最高速度が低いだけで使用上はEF60=EH10、同等といったところか。
長文すまん ってことは、最高速度の遅さがEH10短命の理由ではないってことだね。 直並列組み合わせの制御段が少なすぎたからでは?
EHだと8S→4S2P→2S4Pだっけ?
いや,たしか二段階しかなかった気がするが。。。
4S2P→2S4Pかな。
おかげでセノハチもF級と協調が取れなかったんだよな。
運用が岡山以東に制限される原因だったとのことだが。 EH10は、ほとんど見かけたことがないんですが。
わずかに見たときに、「かわいい電気機関車」と思ったという記憶がございます。横に
いた父親の部下の鉄ヲタだったかな、が「でっかいだろ」とか言ってて、ガキのおれに
は何を言われているのだかがよくわからなかった。
今にして思えば、そんしとは「EH級=でかい」という一般的知識を持っており、しかし
おれは「ED級の重連」と思っていたのだろうと。なつかしーなー。