マンモス電機EH10
たかがEF15の2軸増しと言う無かれ。
黒い車体に黄色の洒落た細帯、優雅な広さの運転室。
ファンだった方いませんか? EH10の時代はまだ茶色全盛だけど
せいぜいEF60一般色じゃないかねえ 弾丸輸送列車計画段階ではH級の標準軌電気機関車が提案されていた 同機の高速試験でも時速120キロ代
C62で129キロ
国内の機関車で130キロ出したのは皆無なのね 911「・・・」
それはともかく技師長が動力分散推進派だし
C62越えは優に可能でも
そこに技術的な意義を認めなかったんだろうな ディーゼル機関車で言うと、DD51を重連にしたような感じの機関車だな。
DD51、DE10などは総括制御を取り入れており、後ろにつながった機関車のエンジンをコントロールすることも可能です。
ただし、プッシュプル運転では、総括制御に対応していないため、後ろの機関車に運転士が乗っており、専用の電話で
連絡を取り合いながら手動で運転することになる。 単体じゃ動かないからな
前と後をずーっと引き通すのか胸熱 街中で建物の間を走ってるのを見ると結構大きく見えた >>351
外国には無線で後補機(や中補機!)を総括制御してる貨物列車もあるけどな >>354
実は、マンモスはそんなに大きな動物じゃなかった・・・とか言ってみる。
象と同じくらい。 超大型機がマンモス電機
EF66は大型機だけどマンモス電機ではないな 愛称はやっぱりブラックサンダーになるんかな
OLに人気出そうだな >>356 > 象と同じくらい
それって巨大ですけど
地上最大クラスの生物です >>358
愛称なら、ホーネット(ススメバチ)とか。
アメリカの戦闘機みたいな感じ。
それか、そのままマンモス。 >>358
EH10の時代なら、OLではなくBG(ビジネスガール)と呼ばねば。 >>355
いやだから、EH10はEDが2両つながってるのとは違うので。 ED500が出たとき、「コレの重連仕様でEH10復活しねぇかな、色もKいし」なんて妄想しましたw でかいでかいといっても
長さだけだからね
ここ意外と忘れられてる 黒のBRレガシィってEH10っぽくて、カッコいい。 >>369
ここでも何度か出てるが
本来なら西ではなくて貨物が博物館作って
展示してくれるといいんだけどね
図体がデカいだけに運び出すのも大変そうだ 貨物は保管しておいたEF30やらEF70やらDE15等消した過去があるよね… もし、EH10が竜華機関区に転属していたとしても、車体が大きすぎて
使いづらく、阪和紀勢線では軌道を傷めてしまってたかも >>373
吹田にEF7077とDD13保存していたらしい 結局のところEH10が新型に分類されないのは何故だろう 省電(一発変換出来なくなった・・・)はともかく、
国鉄型って飽きのこないデザインだと思うよ。
今現在でも景色に溶け込んでいる。
これがミトーカデザインだと想像してごらん。
二十年も経てばダサく感じるよ。 >>378
電機の場合はモハ90程の飛躍もなかったし
ED60登場後に溯って仲間に入れるわけにもいかなかったのだろう EH10っていろいろな意味で注目を集めたのだろうけど、結局はプロトタイプの域をでなかった車だよな。 >>381
その後の電機への試行だった
それはそれで意義ある存在 まあ、なんちゅうか、生物の進化におけるカモノハシみたいな。 クイル式で区分される筈が
クイル式がこけたのでry 「きかんしゃやえもん」にも前面スタイルからEH10と思われる電気機関車の
挿し絵が描かれている >>387
意地悪電気機関車がEH10
特急電気機関車がEF58
一郎と花子がキハ01系
だったような気がする EH10+DD54+DF50という鷹取工場への回送のDLを連結した貨物列車も
ときおり見られた >>390
よく擬人化しているなぁw
奥目で鼻筋通って西洋人顔だな 特急つばめ青大将とか
時代設定は丁度昭和30年頃なのかな 刊行が1959年
Wikipediaによれば刊行当時の様子が反映されてるらしい
青大将は151系に置き換わるギリギリ前か 鉄博のクハ181は搬送時になんか抜いたから、
二度と線路走られないらしい。
いかんせん復活は無理でも、そういう処置だけは勘弁。 各地の保全蒸機
利府駅のED71
宇都宮のEF57みたいに
有志やボランティアの手によって維持管理していれば綺麗なんだけど
どうやらEH10に関しては無頓着だ 鈍足で図体がでかいだけで
十分その理由になってると思うが
それでも30年くらいは走ってたろ 氷河期末期の気候変動に伴う植生の変化を原因とする説がある。
温暖化に伴って湿潤化し、大量の雪が降り積もる大地へ変貌していった。
食料となる草木は激減して、マンモスは消えていったという説だ。 つまりEH10が寒冷地仕様だったら上越線に転用されて今でも走っていたに違いないと、そういうこと? >>404
無理。
車体が重すぎて、当時の地方幹線への入線はできなかった。 >>404
無理。
なぜなら絶滅の有力な説のひとつは、人間の狩猟が原因とする説より。
人類がマンモス猟に使用した石器が登場する1万1000年ごろと前後して、
マンモスは地上から姿を消し始めたとの検討結果がある。 EH10は、カラス天狗とか熊ん蜂とか言われるけど、乗務員の側から言うと東京音頭と言われる。
トンテ トンテ トンテ トンテと東京音頭のイントロの様な独特のジョイント音が聞こえるから。 実はマンモスはアフリカゾウはおろかインドゾウより小さい EH10って何故 単独形式で専用塗装だったの?(しかも旧型だし)動輪がHだから・・・そういう規定だったの?
それと旧型電機でもEF58の新型は、新型直流機と同じ色が一般的な一方で客車と塗装をあわせたり、お召し専用機はぶどう色だし・・・
電機に関しては国鉄は塗装規定が少し緩かったの? >>409
EF58はブドウ色2号がデフォ
60,.61号機は通称「ため色」でブドウ色にあらず
直流電機の青15号化は1965年らしいが
既に新性能機は登場していたので
EF63までブドウ色で落成したものがある
それ以前でブドウ色以外に塗られたものは
実験的なものや専用機のような扱いと解釈できる
ずっと下ってEF67でまた変り種が登場したが
これも特殊用途の専用機ではある 一度だけ品川あたりで動いているEH10を間近に見たが、こんなに馬鹿デカい機関車があるのかと
子供心に衝撃を受けたことを覚えてる。地元で見たのはデッキ付の茶色の機関車ばかりだったから。 稲沢や吹田辺りじゃ回送を兼ねたEH10の重連が走ってたから賑やかだったよ。 EH10の末裔のEH500ですが、
門司駅を通る時のブロワー音は相当やかましい、まるで石油バーナーの様だ。
ED76のブロワー音の方がもっと静かですね♪♪ EH10の接続連結器って永久連結器なのか半永久連結なのか
どちらにせよ検査時には切り離すだよな
JR型電車だって半永久連結器主流だし 博物館入りは無理やな
大宮鉄博のクハ181みたいに解体して二度と走行出来ないハッタリモノにするか 運転席の前後スペースあり過ぎだろw
車の運転席外して後部座席から運転する感じだろ? パノラミックウィンドーじゃないし、
座席も奥まって前面窓までの距離が長いから視界悪そう。 パノラミックウィンドーの機関車は世界的に見ても少ないし、視界は他の旧型電機とあまり変わらなかったのでは。 >>414
オレその両方で見た。親の転勤で引っ越した先が偶然線路の近くの団地ばかりだっだ。 電気機関車特集集成(上)(鉄道図書刊行会)何回も読んだことあります。
直列 並列 切り替えで「急騰」して負担がかかってたことなど
「目からウロコ」のオンパレード。「うなり」の原因も納得!
茅ケ崎に住んでいたから111系15連との並走よく観た。
松の木と一緒に撮るとよく映えた。 線路脇にいて、ちかずいてくるとよく「モアイがきた、モアイがきた!」っていってた。
ほんとに重たそうに走る釜だった。 EH500はブロワー音がすごいが、EH10もあんなもんだったのかな? >>429
走ってるときかパンタ下げてるときしか見た(聞いた)ことないからなぁ 小学生時代、近所の東海道線藤沢駅周辺で連写一眼CanonAE-1にネオパンSSを装填し、スーパースターブルトレの合間にひっきりなしに通過する貨物列車を撮りまくっていた。
一番大好きだったのはEH10!!(・ω・)理由は当時真っ黒い塗装に黄色い稲妻ライン、デカい車体、姿が見えないところから重低音で地響き立てて迫り来る恐怖感だった。EF15、EF58、EF60、EF61、EF65 500番台、1000番台、EF66など錚々たる面々のなかでも一際、目立っていた。 EH10のブロワー音、モーター音はEF80の女性の悲鳴のような甲高いブロワー音、モーター音の対局に位置する。
言葉で表現できなけど、EH10地響き重低音の迫り来る恐怖感は今でも忘れない。 煩さの要因はMT49?
つりかけMT52のED72も五月蠅かったらしいけど。
惰行したらNFB切ったとか。 クハ181-45みたいに搬送時に二度と鉄路走られないようにするのはゴメンな なんで早々に廃車されてしまったんだろうか・・・。
今更の話だが。 EF60・EF65・EF66と平坦線用の新性能機が続々と出てきたからね。
(6軸で十分、8軸は無駄という思想)
EH500の成功で、8軸も実用に耐えうる事が見事に証明されたが。 機関区の公開などで、「あさかぜ」とか「さくら」などのヘッドマークを
付けたEH10も見てみたかった EH10は当時のモーター出力の限界から8軸化。
JRになってからの8軸は粘着力の向上とコスト削減が目的。 >>436
貨物輸送量の大幅減少のため、53.10〜55.10で列車本数がかなり減らされた。
よって貨物用機関車余剰→EH10は他線に転用できず(東海道・山陽専用車のような物だったので)
そのまま廃車、かな。
ただ、当時EH10より古いEF15が首都圏を中心にかなり残っていたが、
それを東海道・山陽筋から転用したEF60で淘汰したのがもう少し後だったが、
53.10〜55.10のとき、EF60を残しEH10をつぶしているので、案外ガタガ来ていたのかも知れん。
ただ、乗務員には評判が良かったとのこと(当時の関係者談)。
>>437
EF60よりは足が速かった(最高速度は別、RF76年10月号等にその旨の記載有り)。
最高速度85km/hの急行貨物列車だと、EF60よりもよく充当されていた。
東海道中部管内の場合、75・85km/hの貨物列車の基準運転時分はEF60で査定してあり、
その筋でEH10が充当されていた。