マンモス電機EH10
たかがEF15の2軸増しと言う無かれ。
黒い車体に黄色の洒落た細帯、優雅な広さの運転室。
ファンだった方いませんか? >>30
やっぱり国鉄はたるんでたんだな
危機管理が全く成ってない
運転台に子供を乗せるなんてとんでもない
民営化して正解だったな 俺は32ではないが33みたいに思う向きもあるかも知れないが
終戦直後に進駐軍の兵士が戦勝国風吹かして乱暴狼藉の末
乗務員室を占拠したりした?ため立ち入りが厳しく制限されたと聞くぞ。
運転室に英語でオフリミットとか書かれてる当時の車両の写真見るし。
非行機ではヨソ者入れてツイラクした話いくつかあるし仕方ないのでは。
外国でキャブライドした写真を平気でうぷする輩がいるが
相互主義の観点から問題があると考えている。
EH10には関係なくて&既出でゴメソ… 古本屋で買ったRailguy78年7月号(特集:EH10)に白黒写真ながら
重連になる985レが紹介されていました
この本は大変薄っぺらいのですが、表紙のEH10に惹かれ思わず購入 >>30
その頃は、まだのんびりしていて人の気持ちにも余裕があったんだね。
いい体験だったね。 全車 廃車になった後、多治見機関区跡地に 廃車体が 並んでいたのを
見た記憶が あるのだが、どうやって やってきたの 稲2から 64牽引?
それとも 自走? 俺は発車待ちの9600の運転室に乗せてもらった事があるな
暑くて降りたい一心だったようだけど >>6
EH1015だね。
歯数比を旅客機並に設定したらしいね、試験が終わって戻したとか。 旧型機関車に見えないと思う人結構居るね
あのデザイン、外部の人が担当したんだって? そんな初歩の初歩、EH10紹介記事で散々書きつくされたネタをふられても 黒くて顔がよく判らず、子供の頃は興味湧かないし薄気味悪い機関車だった 旧型電機とEF60以降の繋ぎ役としてか〜EH級だからか〜
塗色とスタイリングに孤高を感じる >>41
会社は忘れたけど、外部のデザイン社が担当。
黒に黄色の細帯も、車両の連結面に灰色のスカートを付けたのも
デザイン会社の提案だって。
考えてみれば、機関車の連結面にスカートが付いたのは、
EH10が初めてだよね。 >>5
あの保存機を動態保存にできないのかな?
幸い網で囲まれて、屋根のあるから保存状態は良さそうだけど、、、 昭和53年(1978年)に宇野駅の留置線でEH10を目撃したのが自分にとっては最初で最後だった。 田舎(祖父の実家)が静岡で、自分の育った家が神奈川だったから、
EH10はよく見たし、親しみのある機関車だったな。
俺が見た頃は、もう、解結貨の牽引ばかりだったけど。
当時、無機質に見えたFE60やEF65より、とても親しみが持てた。
その頃、交友社から出版された本で、みかん畑の中を走るEH10の写真が
あったけど、まさにEH10というとあのイメージだな。
吹2、稲2所属だったけど、東海道筋でかなり走っていたからね。
大好きな機関車の1つだな。
>>48さんと同じく動態保存を実現して欲しい。 最低でも鉄博のEF66-11みたいに徹底的な修繕をして
未来永劫手厚く保存してほしいな
日本の高度成長期を支えた功労機なんだからね 徹底的な修繕、維持、管理にはお金が掛るわけでして。
口だけじゃなくお金も出さないと。 EH10復活運転できるならいくらでも金だすよ
いくらくらい必要なの? >>54
さあ…
実際に列車走らせるなら10億ぐらい? 走らすと経年変化するから、そっち用は完全新製して
今展示されてるのも整備してそれは永久保存用に回すとかね…
あ、俺は募金、蒸機新造になら1kエンくらい出してもいいですよ… >>43
漏れもガキの頃から東海道沿線住みだが、EH10に対してはおんなじ印象だった。
何より旅客列車の方に興味があったから、EH10に限らず、貨物機というのは「退屈な」
存在で、EF60やEF66(当時はブルトレ牽引機ではなかった)なんかはあまり好きに
なれなかった。 >>40だけど、すでに>>9で紹介されていることに気づいた >>57
それでも今ほど退屈じゃないだろ?
その当時ならまだEF58 60 65の100番台1000番台 66 EH10って結構種類豊富じゃん。
今の200や210 66の100番台にくらべりゃデザインも画一的じゃないし。 >>62
> ボーリングも出来るな
できねえよ。
でもあの広い運転台は優雅だね。 EH10の連結部って幌じゃないよね?
連結部の写真どこかに無いかな ほれ、EH10の連結部(白黒)
ttp://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/EH10/EH10-15_19780319w_33-321_Totuka_2374_s1024.jpg
斜め上から(白黒)
ttp://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/EH10/EH10-40_19780521b_I24_s1024.jpg
勇姿(白黒)
ttp://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/EH10/EH10-19_19760417w_12ct_Totuka_2361_s1024.jpg
他機関車と重連(カラー)
ttp://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/EH10/EH10-24_19790329n_s1024_I07.jpg
勇姿2(カラー)
ttp://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/EH10/EH10-48_19760516b_I09_2164_Odawara_s1024.jpg
PS22Bパンタ(白黒)
ttp://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/EH10/EH10-12_19760514bw_33ct_Totuka_3152_s1024.jpg >>37
私も中央西線にてEH10の黒い巨体の通過をみました
まだ5歳で父親の車の中から踏切待ちの時通過したのが
70系や72系でなく真っ黒な機関車!
大きくなって中央西線にEH10が走る訳がなく
小さい時の記憶の誤りかと思っておりましたが
ただ自走か他機牽引による無動力回送かどうかまでは不明 >>66
さんくす
横から見ても幌かどうかわかんないなあ
上から見ると違うぽい
それに上から見た連結部に板バネがあるのをはじめて知りました >>68
幌というより、あれは鉄製の通路でしょ、、、 そうなんだ。
あれムーミソみたいに片方だけとかできないのかなって
消防の頃思ったのだが。 EH10はどのような貨車を引いていたのでしょうか? いろいろ。
当時あったやつ。
石炭車とかホッパ車を牽くことは少なかったんでしょうね。
横浜駅に貨物線が通ってた40年前、EH10を先頭にした貨物列車の中に
図鑑で見た通風車が繋がれていて感動した。あとにも先にもそれきり。 EF59登場前に、セノハチ補機としてEH10歯車比変更案もあった模様。
そんな姿を見てみたかった気もしますが・・・。全くイメージ出来ない。 >>76
赤く塗られたEH10を見てみたい気もする。 >>74
>石炭車とかホッパ車を牽くことは少なかったんでしょうね。
ホッパ車はセメントや小麦のを牽いてましたよ。 馬込のマンモス陸橋の下を行くマンモス機。
なんとも形容しがたい唸りの機械音と共に走り去る黒いヤツ…
1970年代を品鶴線で見ておりました。 根府川の白糸川橋梁
58や65の写真が多いですが
EH10も良い被写体でしたね。 >>72
DD50も実質DH50みたいな感じで使ってたね。 エコパワー金太郎君と熊ん蜂の揃い踏みが見てみたいね。ファンとしては。 ロングパスごめん
>>25 >>50
たから号は見た事がないが、晩年までコンテナ列車を牽いていたな。
但し、85km/hの急行貨物で、コンテナ車一色とはいかず、黒色のヨを連結。
コキ5500も4個積み改造後なので、少々格落ちの感は否めなかった。
S50〜53.10までは山陽路から新鶴見まで上る852・854の2本の列車を担当(吹田区)、
2本続けて走っており、名古屋地区を夕方通過していた。
もう少し撮影しておけばと悔やまれる。
なお、852・854のうち、どちらかは四国から上京する列車だったはず。
>>8
当時ブルトレやL特急ブームを尻目に、東海道・山陽筋の
貨物列車用機関車の運用に凝っていたので、、、
吹田・稲沢とも、配置両数=使用両数という運用を組んでいた。
予備で当てていたのは両区ともEF65。
稼働率100%は運用上のあやで、実際はそこまでではなかったとのこと。
ただ、EF60よりは85km/hの急行貨物仕業が多かった。
>>67
中央東線での入線試験なら聞いた事があるけど。
空転が多くて中央東線での使用は諦めたそうな。
でもEH10には他線への都落ちより東海道・山陽での最後までの活躍がカッコ良かったね。 貨物機だから、ホームで止まっているシーンになかなかめぐり会えなかったな。
沼津で一度EH10がホームに止まっていたので、ダメモトで運転席見学させて頂けませんかーと。
乗せて頂いたけどホントに広いね。
老年の機関士さんで私(ガキ)を可愛がっていろいろ話して頂いた。
機関助手さんが、坊主もう発車だぞ、と言ったけど、いや大丈夫だよ、と、汽笛だけ鳴らしてまだ話をして下さった。
今では信じられないような実話です。 運転席の椅子がEF58みたいな
背もたれがカーブした椅子だったね。
DD518000代は確かに広いなw 大宮工場で金太郎が分割されて妻面を露にしているという貴重なものを見せていただいたが、
EH10の中間連結器は、金太郎と同様半永久密着連結器だったのかな? なんともいえない威圧感があるカラーリング。
あのカラーのEF66なんかが有ってほしい。 >>92
搭載機器の関係で、半分では動かせなかったからね。
まあ、半永久というのかどうか。 >>95
棒連結器?
貫通部分は幌でなく鋼板だったね。
大阪の某公園まで行って確かめるしかないか。 土曜日が半ドンの時代で父親と待ち合わせて家族で三ノ宮(神戸)で夕食をとるのが月に一度の贅沢。
そのあと垂水の自宅まで帰る時によくEH10が牽く貨物列車を見ました。
夜、轟音を立てて走っていく真っ黒なEH10が実は子ども心には無茶苦茶怖くて…大嫌いでした
なのでこんなにも魅力的な機関車なのに、いまだにそのころの恐怖が心の中に… 漏れも一番好きな機関車でし!
小さい頃親に連れられで駅前のお店に買い物に行くとき踏みきりで良く見かけました。
他のカマ(EF58など)は全く記憶にありませんがあの黒くて2両繋いだ機関車はインパクトありすぎでした。たまに実車を見に行きます 単なる出力だけじゃないEH10の魅力というのがたくさんあると思う。
洒落た塗色もそうだし、角ばっているけど、全面2枚傾斜窓、
窓回りは、EF58などの東海型からのデザインの進歩でしょうか?
電気機関車で灰色のスカートを付けたのもEH10が初めてですね。
貨物機にしておくのが惜しい、逆に貨物機に導入した優れたデザインが粋ですね。
貨物8軸なら(多分当時は、大出力新性能機関車の構想もある程度あったかも)
もっとデザインに手抜きがありそうなものだけど、高度成長とか、経済・社会面
からの貨物列車への期待も高かったのでしょうか?
機器的には、旧型電機の域を出ないけど、設計・開発された方々は、EH10に大きな
期待や夢を盛り込んだんでしょうね?
静態保存でもいいから、これからも実物が残っていて欲しいです。 P.S.
鉄道ファン誌で「マンモス電機特集:EH10・EF66」っていうのが、
時期は忘れたけど、出てましたね。
引越しの時に古本屋行きになったけど、もう一度読んで見たいなぁ〜 EH10もEF66も貨物機関車には勿体無いイケメンデザインだな 午後8時過ぎ下手するともっと遅かったかもしれないが、東神奈川のプラットフォームに立ってると、確か上りだったと思うが、
EH10の牽引する長大編成の貨物列車がかなりのスピードで通過していったことを思い出す。
迫力があるというより不気味な感じがした。今から30年ぐらい前の話。 規定違反していなければ、所詮は85km/h以下なんだけどな クルマでも85km/hは結構な速度
高速道路ならノンビリ速度だろうけど 確かに85`制限だったけど、カッコよろしかったな〜EH10
OM-1で撮影してました EH10の出現で、東海道線の平坦部での貨物の速度も上がったって話もあったね。
(当たり前か) 当時は貨車も編成が長かったね
踏切待ちで両数を数えたら70両近かったよ 15号機ですね。
もっと注目されてもいいEH10だと思います。
意外に発掘されていない気が。
中央線の件は残念だったけど、大幹線で生まれて大幹線で終焉を迎えたのもEH10らしいと思います。 EH10は機器類は確かにEF15の流用だけど、荷重(動力)伝達機構などは、
新型電機のはしりだから、あながち旧型電機に分類できない気もするけど。 >>112
確かに牽引力を台車から車体に伝える方式は、大出力の国鉄電機としては
目新しいけど、いかんせん8軸なのに新型F級電機程度の出力で、軸重移動
補償やバーニア制御もないので旧型に分類されてもいたしかたないな 大阪のとある公園に保存されている同機は、鳥の篭状態で今でも動きそうな雰囲気。
これ保存当初から柵でがっちり守られていたの?
大阪の下町だから、中途半端な柵だったらDQNどものいい餌食にされて今頃無残な状態になっていただろう。
例、老松公園のED72(現北九州鉄道記念館に保存) ↑最初はあのような柵はなかったですよ。数年前、いたずら防止のために付けたと思います 高度経済成長の大動脈を支えた機関車ですから、
もっと然るべきところに保存して欲しいものですが。 確かにそうですね…あのような公園の片隅に保存するような車両ではないですね。京都に博物館作られたらその時に保存してくれたら有り難いですね >>119
梅小路を拡張するってアレね
ぜひ移動して展示してほしいね
ただ貨物機関車なのでJR貨物はどう思ってるのか
気になるところだが
どうしてあの場所だったんだろうか>淡路
>>121そうです。新しい博物館で保存してくれたら…確かに貨物機ですが貨物鉄道は博物館無いですしね…後、あの場所での保存はあくまで推測ですが吹田に割りと近かったからだと思うのですが… >>122
なるほど
確かに吹田に近いのと
近くを貨物線走ってましたよね
JRFは博物館ないんですよね
ぜひ梅小路移転の際は
展示車に入れてほしいものです EH10, 思い出深いですね。
沼津駅の旅客4番と5番の間に停車して,豪快に引き出し発車。
1980年当時は沼津区に数機がいつもいて,パン上げすると舟が
バウンドし凄い火花が出てたっけ。
忘れられないのは,お袋と東京に遊びに出たんだけど,東海道線
(確か80系だったと思う)の車内から,EH10と併走した思い出がある。
国府津の出発で並んで,藤沢あたりまで抜きつ抜かれつ。
今でも記憶に鮮やかだよ。。。国府津に扇形庫が有ったなあ。
スポーク動輪と,釣り掛けの盛大な音に興奮したっけ。。
当時お袋40そこそこ。今や70過ぎてお婆の領域。なつかしや。
デザインが良かったよね。EH10をデザイン、カラーコーディネートした人はネ申だよ。 萩原デザイン事務所?だったっけ?EH10のデザイン担当。 >>124
国府津の扇形庫にD52が一輌だけ入ってる時代、
同じく東海道線を走るEH10を眺めていた。 >>127
『鉄道ファン』69年9月号に萩原氏の対談記事があってそこで触れられていますね。
DD50二次型、ED72から新幹線まで携わったとのこと。 EF66もそうなの?
国鉄型のデザインって日本の沿線風景に溶け込む EF60などの新性能電機と比べても遜色ない高性能機。
こいつが旅客列車を牽引して120km/hで走る姿を見てみたかったな。