マンモス電機EH10
たかがEF15の2軸増しと言う無かれ。
黒い車体に黄色の洒落た細帯、優雅な広さの運転室。
ファンだった方いませんか? EH10, 思い出深いですね。
沼津駅の旅客4番と5番の間に停車して,豪快に引き出し発車。
1980年当時は沼津区に数機がいつもいて,パン上げすると舟が
バウンドし凄い火花が出てたっけ。
忘れられないのは,お袋と東京に遊びに出たんだけど,東海道線
(確か80系だったと思う)の車内から,EH10と併走した思い出がある。
国府津の出発で並んで,藤沢あたりまで抜きつ抜かれつ。
今でも記憶に鮮やかだよ。。。国府津に扇形庫が有ったなあ。
スポーク動輪と,釣り掛けの盛大な音に興奮したっけ。。
当時お袋40そこそこ。今や70過ぎてお婆の領域。なつかしや。
デザインが良かったよね。EH10をデザイン、カラーコーディネートした人はネ申だよ。 萩原デザイン事務所?だったっけ?EH10のデザイン担当。 >>124
国府津の扇形庫にD52が一輌だけ入ってる時代、
同じく東海道線を走るEH10を眺めていた。 >>127
『鉄道ファン』69年9月号に萩原氏の対談記事があってそこで触れられていますね。
DD50二次型、ED72から新幹線まで携わったとのこと。 EF66もそうなの?
国鉄型のデザインって日本の沿線風景に溶け込む EF60などの新性能電機と比べても遜色ない高性能機。
こいつが旅客列車を牽引して120km/hで走る姿を見てみたかったな。 >>124
沼津区は1980年だとほとんどEF60に占領されてるよw
1979年に品川でブルトレの展示会があった時当時の現場の人に
聞いた話だと、「もう東京口にはEH10は来ないよ」と言われ走行写真
とうとう1度も撮影出来ませんでした、残念でしたな。 >>132
旧型のEF58も許容速度が120だから侮れない >>134
高速性能だけなら、EF60以降の新性能型よりEF58の方が上だったんでしょ?
地味に凄いよなEF58の性能も。 直流機=茶
だったからねぇ。交流機が登場してから直流機も垢抜けして青塗装に。 EF60と共通運用されてて、回送兼ねて重連もあったな〜、EH10末期って一番テッチャンが少なかった時代だよね、まったりしてた。 >>142
少なかったことはない。
ガキを含めて、L特急やブルートレインに流れていた。
当時、EF58ですらあまり話題にならなかった。
ましてや一般貨物に目を向けている人はごく少数。
皆の目がEF58に向いた時、EH10は既に退役済み。
50.3改正頃は、吹二・稲二とも、配置両数=使用両数で運用を組んでいた。
検査時の代走は両区ともEF65、当時、どちらもEF60の配置は無い。
揚げ足を取ったようで、ごめん。
たしかに貨物に関しては、まったりしていた。が、変人扱いもされたw >>143末期だよ、昭和55年頃の話。次位回送が毎日のようにEF60になったりEH10になる運用が当時あったよ、俺は消防だったし列車番号は知らなかったが、見てたんだからね。
>>135
EF58(最大運転速度100キロ)はEF60〜63(最大運転速度100キロ)よりは確かに高速運転に適してはいたが、歯数比の下がったEF64・65(最大運転速度110キロ)には及ばない
また、引張力が国鉄の全EL(ED級も含む)中でも最低だったため、平坦で高速運転が維持しやすい線区での、牽引定数の高くない列車(旅客・荷物列車)のみに特化した運用以外にはほとんど使えなかった
EF級でEH10に劣らぬパワーを備え、しかも最大運転速度も85キロから100キロに向上させたのがEF60だといえる(クイル式は結果的に失敗ではあったが…) なんでEH10は早々に引退の憂き目にあったのかが不思議。 >>144
すまんが、どこの話だろうか?
一寸興味がある。 >>146
53-10改正以降、およそ1年に1回のダイヤ改正ごとに、貨物列車の削減が順次進められてゆくにあたり、EH級がゆえに幹線系でしか使えず、それで最高速度85キロは遅すぎ、EF65PFの増備とともに車両数に余裕が出たEF60・65(一般型やF)に置き換えられた。
10代形式電機のほとんどは最高速度85キロどまりだが、小型だったりして軸重も軽めのものが多く、ローカル線の貨物輸送に進出したものも多かった中、EH10はそれには大きすぎたといえる。
>>147
桂川橋梁の少し大阪寄りに小さな踏切があってムコ操に繋がる高架線を16時頃だった?に上り方向に向けて、次位回送の重連が通ってた先頭は必ずEH10で次位がEF60又はEH10のぶら下がり。あとク5000の専貨も末期はEF60と日替わりだったよ。
>>150
有難う。EH10は晩年稲二・吹二からは出ていないから、どこかのEF60と
変則的な運用を組んでいたのかな。
当時EF60を持っていたのは 沼 浜 米 岡 広だが、岡山あたりだろうか。
そういうこともあったんだな。 >>149
マンモスというと大きいという意味合いで使われるが、実際のマンモスはアフリカ象と比較しても
決して大きくなかった。これ豆ね。 懐かしいね。
中学時代だったかな。EH10が現役で走っているところを見ていたのは。
東海道本線藤沢ー辻堂間や藤沢ー大船間、そして根府川ー早川、根府川ー真鶴間
あたりでブルトレ取りながら真っ黒いしかも黄色いラインの入った大型でいかにも大パワーを思わせる
モーター音で走ってくるこの電気機関車に魅了されたものだ。
ほかにも、多数の電気機関車のオンパレードでフィルムがいくらあっても足りなかったよ。
今では考えられないわ。 広すぎる運転室の意味はなんだったのだろう?
一番狭い運転室はEF63かな 単純に長距離運用のある機関車の運転室は広いということでは?
EF63はその意味で広くする理由はない。 ただ単に片方の運転台スペースが余った分、広くしただけだったりしてw もと戸塚住人です。
あったよねえ、EH10とEF60の重連。あれって後ろのは回送だったのかあ。。。 EF65 500F+EH10の重連が懐かしい(名古屋地区) EH10のぶら下がりで浜松工場入場の稲沢配置のSLが定期貨物に
ムドだけど三重連だった いかんせん最高速度85キロは遅すぎたな
東海道・山陽の貨物削減以後、転用先がなく、廃車開始後わずか3年足らずで全廃の憂き目に… 東海道・山陽筋専用
ほかはEF15を除き、すべて100キロ電機化
電車も新性能化され、特急は120キロ、急行・快速は110キロが標準 歯車とりかえて高速化ってわけにはいかなかったのかなあ。 それでもEF60よりは高速性能は良かったという話は散見するな。
(RFのEL特集や当時の現場の人の話など)
>>161-163
当時の貨物列車はまだまだ2軸車やボギー車でも最高速度75km/hの車両が主流。
よって機関車だけ高速化しても、牽かれるほうが追いつかない。
EH10が牽引出来なかったのは最高速度95km/h以上の特急貨物のみ、
急行貨物(→直行貨物?)最高速度85km/hには、よく充当されていた。
吹田の車は、他区のEF60よりは急行仕業の割合が多かった気がする。
>>164
ということで、高速化する必要は無かったろうな。EF65でも、75km/h貨車で組成された
列車に結構充当されていたから。まずEF65を転用するだろう。
50.3改正頃の東海道線貨物列車の運転時分は、特急貨物B(最高速度95km/h)はEF65
最高速度75km/hの貨物列車はEF60の性能で策定して引かれていた。
EH10はこのスジに乗っていた。
最高速度が低いだけで使用上はEF60=EH10、同等といったところか。
長文すまん ってことは、最高速度の遅さがEH10短命の理由ではないってことだね。 直並列組み合わせの制御段が少なすぎたからでは?
EHだと8S→4S2P→2S4Pだっけ?
いや,たしか二段階しかなかった気がするが。。。
4S2P→2S4Pかな。
おかげでセノハチもF級と協調が取れなかったんだよな。
運用が岡山以東に制限される原因だったとのことだが。 EH10は、ほとんど見かけたことがないんですが。
わずかに見たときに、「かわいい電気機関車」と思ったという記憶がございます。横に
いた父親の部下の鉄ヲタだったかな、が「でっかいだろ」とか言ってて、ガキのおれに
は何を言われているのだかがよくわからなかった。
今にして思えば、そんしとは「EH級=でかい」という一般的知識を持っており、しかし
おれは「ED級の重連」と思っていたのだろうと。なつかしーなー。 貨物機と言いながらEF66と並んで秀逸したそのデザインは大いに評価できる。
公園に保存されている64号機を是非新梅小路に寄贈してほしい。 >>36
2年も前のレスにあれだけど
国鉄の頃ってのは、現場の人がみんな、自分の職場に誇りを持ってたんだ。
だから、そんな自分たちの職場に興味を持ってくれる子供には優しかった。
その頃のガキどもがそのまんま大きくなって「アソコを見せろ」「ここに入らせろ」
と我儘放題するから、JRの方も、態度を硬化するしかないんだと思う。 なんかものすごい唸り音を上げて走行してたのを覚えている。 いつもEF10や13・15ばかり見てたから、たまに東海道筋でEH10
を見ると運転室が余りにも広いのが印象的だった。
東海道では よく見かけたカマだったけど、当時はカモレに全く興味がなかったので、一枚も撮っていなかった。
今思うと、撮っておけば良かった… EH10の牽く貨物にヨ2000や緑のヨ5000、タキ5000が繋がってると嬉しかった少年時代。あれから30年経つんやな。 なんでバ関西塵ってネット上でも見苦しい関西弁で書き込むわけ?
目障りだから死ねよ。 >>170
その後の世代のガキ共が、サボやら方向幕を盗んだり、大人になっても無断で立入禁止の鉄道施設に入ったり。じゃね?
EH10は大好きだったけど貨物専用だから、なかなか駅のホームに停まっていないんだよな。
なので、機関車細部をじっくり見る機会や、機関士の方に話し掛ける事ができる機会も少ない。
だから運転台を見せていただく機会もなかなか巡ってこないんだよなあー。 EF65などの新性能機と比較すると風格が凄くあるよな。 RMライブラリーでEH10型を2部でやるみたいです。
又EF13型を除く国鉄の全ての電気機関車も1つ残らず紹介する事が100
パーセント決まったみたいです ID:gx7blveLはマルチで妄想投下してる電波系 じいちゃんと平塚競輪に行くと、必ず海岸線に出る手前のガードの所で
EH10来るまで粘った。博徒のじいちゃんも、あの力強さが好きだったようだ。 >>182
じいちゃん、多分EH10を見たある日大勝ちしたんじゃないかな。
孫に見せたいのと、ゲン担ぎの両方でEH10を待っていたんだろな。
じいちゃんにはEH10が競輪勝利の神様に見えたのかもしれん。
いい話だな。 色が茶色くなくても旧型の扱いというのが、ガキの頃ふしぎだった。 子供のころ、岐阜駅でよく見た。EF60とくっつけたり
していたな。2両で一セットだから長いという印象がある。
EF58も近くで見ると長い感じがした。稲沢だけかもしれないが
当時の貨物機は洗車がしてなくてみすぼらしい感じだったよ。 幼稚園時代、園児が遊ぶ場所は、神社、廃墟、線路、その周辺だったな。
とくに線路は貨物マンモスの姿が見えると急いで線路に一円玉や針金を置いたな。
ペシャンコになった姿を皆、面白がって置いていたな。
さすがに石は脱線することを、みんな知っていたので置かなかったが。
うちの親父が子供の頃、横浜に住んでいたんだが、やっぱり市電で同じようなことしてたと。
親父なんかの子供達はボルトなどを線路に置いていたんだとか。
やっぱりと言うか、親父じゃ無いけど、親父の友達は市電を脱線させたそうだw 岐阜の市内線で学校に通っていたが、カーブとかで
脱線することはよくあったよ。転覆はしなかったが。
EH10で不思議に思うのは、なぜ黒なのか?ということ。
黄色い線が入っていて、なんか雷とか、工事現場のイメージなんだな。
なんで青く塗りなおさなかったかも疑問。 >>189
黒に黄帯はかつての急行貨物(ワキ1、ワキ1000その他)に合わせた色
塗装規定の例外扱いで廃車まで同じ塗り分けだった >186
なんと、私とご近所w
私もちいさい頃、岐阜駅を通過していくところをよく見ましたよ。今でもはっきり覚えてます。懐かしい。
当時既にEF65等の青い機関車が主力になっていた中で、黒色黄帯重連編成は存在感(威圧感)あったなぁ。
おそらく岐阜駅を過ぎた後、関が原の急勾配を登っていったんでしょう。まだ新垂井駅があった頃ですね。
年齢も近そうですね。新垂井は寂れた感じの
田舎駅でした。まだ岐阜西駅ができるまえで、西陸橋の
あたりで貨物の入れ替えをやっていました。
当時は高山線にも貨物があって、子供が貨物につかまって
高山で発見されたという事件がありました。ぶらさがって
半日位旅してたようですが、お知り合いですか? >192
子供が貨物につかまって高山まで行った話は知らなかったです。おっかないですね。
新垂井ってプラットホームだけはやたら長いんですよね、典型的田舎駅なのにそこだけは東海道線クオリティというか。
駅廃止後しばらくして立ち寄ったことあり、プラットホームはまだ残ってましたが、今もあるんでしょうか。久しぶりに行ってみようかな。
駅が作られた線路自体は今も現役で、廃駅となったところの脇をしらさぎ等の特急や長い編成の貨物が走ってるので、
EH10の頃のような迫力が楽しめるでしょうね。
当時貨物扱いしてた旧西陸橋のあたりは、今オーキッドパーク(複合商業施設)や、結婚式場等になってますよね。
今近所に住んでて、オーキッドパークには買い物でよく立ち寄りますけど、
もはや当時の面影はないですねぇ。わずかに日通の営業所があるくらいかなぁ。
西陸橋周辺には日通の倉庫がたくさんあって、
あれが当時の岐阜貨物ターミナルだったと思います。
現在は西岐阜の貨物駅にその機能が移ったのかな。
学生時代、引越しのバイトで貨物駅にコンテナを運んだ
ことがあります。巨大なフォークリフトがうなりをあげていました。 東淡路南公園のEH10が夜な夜なトランスフォーマー化したら・・・ EH10を見に行く時はついでに新幹線公園のEF15と、赤川鉄橋の桃太郎も見て機関車三昧で楽しんで下さいませ。 忘れてた...神社のDF50。あそこガラスが汚くて見にくいすね。 今はEH200が幅をきかせているけど、EH10の貫禄には及ばないよね 駅前商店街の密集地の隙間から見える、黒い車体はかなり迫力あった 柴島の桜を見に行ったとき、近所をうろうろしてたら
あんな公園にEH10が置いて有るので驚いた。
昔、黒い貨物列車引いてたときを思い出して
なつかしくてしばらく見ていた。
>>200
全くですな。EH200を見かけるたびにEH10のことを思い出すけど、迫力が全く違う。
保存されているEH10を見に行きたいのだけど、当方関東なので土地勘が無く、今ひとつ場所のイメージが…最寄り駅はどこでしょう? 京都に新鉄道博物館が出来たらEH10を保存して欲しい >>205
JR貨物が博物館作るってんなら
真っ先に保存機に挙がるんだろうけど
何とか博物館で保存&補修してほしい >>205
権利は確か西が持っていたはずだが、やはり貨物で保存して欲しい。 >>206
九州新幹線だって路地の中をトレーラーに引っ張って貰った。 EH10って話題に上がるけど、保存機は1セットしか無いんだよな。
個人で旧国鉄機関車を所有してるのは話題に上がることもNGワードだしな。 >>204さん、200ではありませんが最寄り駅は阪急京都線・淡路駅です。 ちなみに、住所は大阪市東淀川区東淡路2丁目になります。Googleのストリートビューでも写っていました。 EH10の長大な貨物とEF58・クモユニ74の郵便列車は好きだったな EF65PFのブルトレと並ぶと逆にEH10の方がカッコ良かったりする。 あの威圧感というか、得体の知れない存在感ね。
EF66もイカツいと思うが、EH10には及ばない。