方向幕が回る。それをジッと見るマニア
>>143
子供じゃないんだろうから、今年の年末の大掃除で捨てろよ。全部w >>146
絵幕と勘違いしてないか?
20系の横幕じゃそこまでいくまい。 デフロスタ、セニョ〜ル
デフロスタ、セニョリ〜タ
横長の四角い角の取れた厚めの二重窓の中空に横に3本
電熱線が仕込んであって、中の乾燥空気を暖めて
窓の曇りを防ぐヤツですっけ? この間の西武電車フェスタ直通電車待つため所沢に居た時に所沢止まりで到着した9000の珍表示
[拝島快速|西武球場前]
[区間準急|小竹向原] 20系に幕は無いだろうけど、急行銀河の
絵入りテールマークならみたことある。 ええと、「おが」「明星」「あおもり」「日本海」「日南」「かいもん」「霧島」とか?
そういや相川幕って使うことあるのかね?
正雀の1号線に入る時用らしいけど、2号線からでも
車庫へ入れるしな
梅田駅の行先案内の幕にも相川は入ってたな 20系テールも銀河まではきれいに作っていたようだが、それ以降はやっつけ的に感じられたのはオレだけかな?
ハチマキの無いナハネフに明星マークは完全に終わった感があった。
ホリパルは更に輪をかけて醜さを増していたな。スレ違いでスマソ・・・ 今は知らんが大糸線の115系に糸魚川ってあったんだよな
どうやって行く気だったんだか??? あさかぜのラウンジカーにも、富士|大分 とか入ってたらしいな。
本当に、目的はなんだったんだろう。 >>162
国鉄時代から西行きブルトレは全部共通の幕だったからラウンジもそれに習ったんだろうな
JR化後にトワイライト以外西は黒幕に統一したけどその時もある程度現役の寝台は押さえてた
実際に必要だったのはあかつき、彗星、出雲、だいせん、瀬戸、日本海、つるぎ、銀河ぐらいで富士とかさくらとか関東〜九州ブルトレは不要だったんだけどな 前にも触れられていたが、名古屋地区の117の幕に「武豊」ってのも入っていたのも有名だな。 うちの押入れに京王の正面方向幕がある。
多摩動物公園がライオンの絵柄で府中競馬正門前が蹄鉄マークのやつ。
南大沢がないから多摩センターまでの頃のかな。
あと側面の種別幕。特急の赤がパリパリしてて触るのが怖い。
いつどこで買ったのかも覚えてないけど、今じゃ貴重な物になってしまったなあ。 >>165 京王5000か懐かしいな…、確か高尾山口ゆきも絵入り行き先じゃなかった?。新宿駅で車掌が回してた時"府中競馬正門(蹄鉄)""多摩動物公園(ライオン)""高尾山口(山と鳥)"だった希ガス。 京都の485系には、雷鳥糸魚川とか雷鳥福井とかあるよ。
臨時でこんなのあったっけ? 十数年前300系のぞみ登場の日
夜のJ3編成でホームに入ってから方向幕をまわしていた。
東海道区間内でのこだま:静岡や、ひかり:名古屋なんてのは納得できたが、
すでにのぞみ:姫路が入っていてびびった。
>>168
糸魚川、サンダーバードで設定無かったっけ? >>168
福井行きの臨時雷鳥はあった。サンダバでも臨時の福井行きはあった。
金沢の485きらめき編成になるが、米原での停泊が長い運用があり、
その間合いで、米原から大阪へ回送して大阪発福井行雷鳥に充当、
その後福井から米原へ回送して所定の運用に戻る、という例があった。 >>172
確かに白馬とか大糸線には乗り入れるが、信越本線は乗り入れた事ないな。
ひょっとしたらいつかスキー多客時に長野経由で妙高高原乗り入れも考えていたから、幕に入れたが結局使われた事はないみたいですね。 南海電鉄の車両の方向幕が白地に黒文字だったころ
難波駅で高野線のステンレスカーの変換中の方向幕をみていたら、
「各停御幸辻」、「特急こうや号高野山」、「特急こんごう・いわわき号橋本」
「急 泉北光明池」、「準急紀伊清水」などステンレスカーが入線できない区間の行き先や
設定されていない列車の行き先も出てきた。 俺は金サワ489の『特急信州 長野』がいっつも気になる。あのリンゴマークも気になる。 京浜東北の中間封じ込めクモハ・クハはたいてい変な行先にされてた記憶が。 小田急の2600は[湘南急行]とか種別しか書いてないのがあったな
今も側面で種別しか表示できないのってあるのかな? 阪神電鉄の青胴車は各駅停車専用で、優等仕業に入ることはないが、
方向幕には「準急梅田」、「準急西宮」が入っている。
>>181
最近はそうなの?
「準急」「準急梅田」「区急梅田」が入ってたのは知ってたが。 >>180
ヲタ急には特急型以外はもう残ってないみたいね〜
関係ないけど、西武の新2000とか東武の10030とかに
側面幕がLED化されたのがでてきた。 >>178
漏れは「快速 橋本」とか見たなぁ > 京浜東北線103系中間封じ込めのクハ しかもこの位置今じゃ209系の
6ドア車だから朝ラッシュ時の収容力にかなりの差だな
東武8000系前面幕の表示の境目で止まってたやつ(故障でなく)・高崎211系の「三峰口」「浦山口」 >>184
普通「みつみね」上野発三峰口逝き。
何度か乗ったよ。115系だったが。 京阪6000登場時
【種別】
試運転
臨時
臨時
回送
普通
回送
区急
準急
急行
特急
【行先】
宇治
樟葉
淀
中書島
深草
三条
淀屋橋
天満橋
守口市
萱島
寝屋川市
香里園
枚方市
私市
交野市 >>184
東武8000の前面幕といえば、朝の本線下りの回送で、回送幕出さずに浅草と業平の幕間を表示させてたな >>180
9000系も更新前がその準急だの急行だの種別表示だけのばっかしだった。
まともな方向幕が出るようになった矢先に廃車が始まった。
2600も最終運転した旧塗装編成やV化魔改造の8連とかはあった。
一番ひど過ぎるのが5000系の更新前。
幕もないし超わかりずらい小さ過ぎな急行とわけわからない種別表示だけ。
下回りに関して言えば一番古い4000でさえ幕付きだったのに。 千マリ183の初期の幕に「特急 くろいそ」というのが入っているが、千マリ183で運転実績はあるのだろうか… >>188
4000の側面幕は冷房化以前には無く、
中間増結車(4200・4300)に準備工事が。 鉄道雑誌で全国鉄道行き先表示特集とかやったら面白いのにな >>191
全コマ掲載!、とかできたら面白いな
幕に興味ない奴からは「115の高尾も201の高尾も同じじゃねーか」とか言われそうだけど 横須賀線はSM分離で総武快速線と直通を始めた時から側面方向幕をしようしたけど、
横須賀線には縁のない、津田沼や千葉とかの表示されているのを見た時にはちょっとしたカルチャーショックを受けたよ。
中でも、上総一ノ宮とか大原とか一体何処なんだろうって思った。
余談だけど、当時千マリ編成の8号車は湘南色のサハ111-2000番台が組み込まれている編成があり
趣味的に面白かった。
まあ、サハの代用でクハが組み込まれているのも面白かったけどね。 >>193
今となっては君津行とか成田(空港)行とか当たり前になったけど、当時は「おおっ」と思いましたね。
逆に総武線沿線の方だと、逗子行とか久里浜行とかを見て同様の反応を感じたのではないでしょうか。
そういえば、横須賀線が東海道線と同じ線路を走っていたころ、
品川駅下りホームの隣に総武快速のホームがあって、
当時は13番線しか使われていませんでしたが、
スカ色113系1000番台の津田沼行などが停まっていました。
で、やがて横須賀線もこっちのホームを使うんだろうなと思いながら眺めていた記憶があります。
また、総武快速の編成が、千葉方7両と品川方4両が併結した11両編成が多く、
将来横須賀線と直通したときにグリーン車をどう挟むのか、疑問に感じた記憶があります。
8号車のサハ代用クハは、東海道線に多く連結されていましたね。
113系がデビューした当初、サハ111なる形式は造られなかったこともあって、
クハがサハ代用として使われるのが当たり前でした。
サハ111のゼロ番台は確か5両しか製造されなかったのでは。
後に8号車はサハに入れ替えられたため、サハ111は2000番台が多かった記憶があります。
大原行は懐かしいですね。
直通が始まった当時は数本の設定があった記憶があります。
確か、付属編成だけが上総一ノ宮止まりだったのでは。
今では外房直通は上総一ノ宮行ばかりですが…。 >>194
逗子での4連増結の際に、貫通路も繋ぐようになったのも、横総直通が始まってからですね。
それと、
千マリへ転属してきたサロ113-1000番台も湘南色で異彩を放っていましたが、シートが豪華すぎて?定員が減り、晩年では早々と廃車になってしまいましたね。
当時は千マリの冷房準備車(付属編成)やクハ111のデカ目なんかも見かけたりしてなかなか面白かったです。 近鉄のスナックカーやビスタカーの方向幕には、「白子」、「生駒」、「天理」、
「西大寺」など臨時特急用や折り返し運転時用の行き先も入っている
そして「ノンストップ生駒」とか「榛原」とかも入っている
>>191
鉄ピク2003年5月号の特集が「行先方向版」だった。
>>194
総武快速が暫定的に品川まで開通したときの話ですね。
当時の時刻表を見ると半分くらいが品川逝きでした。ただ、品川発の最終が19:15分と異常に早いですね。
当時の総武快速は9+4両がデフォだったのでは?基本7両というのは見たことないですね。
サハ111-2000は最後まで総武快速に残りましたね。つーかサハ111-1000が先に消えたような覚えがあります。
>>195
総武快速で何年か通いましたが、4号車にサロ113や特急格下げグリーン車が連結されていましたね。
総武快速のG車は4号車と決めていました。そういうときに2両ともサロ110-1200が入っているとガカーリ。
>>197
帰宅時間帯は東京駅始発で固めた方が混乱が起きにくいということでしょうかね? >>195
>逗子での増結での幌使用
地下を走るということで、当時の基準では貫通編成とすることが必須でしたね。
E217の後期車両が非貫通型で登場した現在からすれば、隔世の感が…。
そういえば183系1000番台が一部房総特急に導入されたとき、
非貫通型で本当に差支えないのか、疑問に思った記憶もあります。
>サロ113
スロ54から始まり、N700系やE5系に至るまで続いている
1160mmのシートピッチの車両でしたね。
当初首都圏に導入されたのですが、定員が減ったとの「悪評」を受け、
サロ110を増備することで対応することになったという奴ですね。
で、これらは関西へと移り、京阪神の快速に連結されたのですが、
利用者が少なかったのと、総武快速に大量に導入する必要があったことから、
この改正で横須賀・総武快速に導入されましたね。
>>197
横須賀線との直通対応で、徐々に9+4が増えていったかと。
直通開始直前期に配られたパンフレットでは、
7+4と9+4がそれぞれグリーン車挿入でどう変更されるか、説明がなされていました。
それにしても、品川始発の最終がそんなに早かったとは、意外でした。
逗子の駅で折り返しの方向幕転換で、館山とか千倉とか安房鴨川とか、
あるいは銚子とか佐原とか鹿島神宮とか、色々出てきましたが、
E217の行先表示器の大半がLED化され、その楽しみもほとんどなくなってしまいました。 >>200ゲト
>>198
>>197ですが、
当時の品川発の最終は上総一ノ宮逝きですね。ちなみに品川発の始発も7:37(津田沼逝き)とかなり遅いです。
この頃の時刻表を見て一番驚くのは下り千葉逝きがほとんどないことですね(1日7本)。津田沼逝きが半分くらいで、あとは千葉より先に逝く列車ばっかりです。
津田沼以遠が複線だったのが原因だったようですね。ちなみに稲毛は停車駅ではありません。
>>199
なるほど、わかりました。
本題ですが、ヨ217系の実際に運用されている「鹿島神宮」、「八街」なんかを見ると面白かったですね。 >>200
新小岩もいつからか停車駅になりましたね
昔品川で総武快速用113が間違えて久里浜を出したな >>191
週刊「鉄道の方向幕」
毎週、毎週、鉄道の方向幕の行き先を一つだけ取り上げます。
創刊号は、103系電車「小田原」行きがついて290円。
デアゴスティーニ。 >>199
懐かしいですね。一時期かなり頻繁に鎌倉通いをしていたことがありまして、その往復にサロ113や特急型改造サロを選んで乗っていたものでしたよ。 >>203
データファイル以上にgdgdになりそう… 純粋に
東 京
for TOKYO
が見られるのもチタ211とトタ201だけになったんだな >>164
俺それ持ってる。
初めて『武豊』表示を見たときは
「ふざけんじゃねーよ」と思ってしまった小6or中1の夏。 >>200
津田沼〜千葉間が複々線化されたのは、
横須賀線と総武快速線が直通運転を開始した年の翌年(昭和56年)です。
稲毛に停車するようになったのはこのときからです。
で、千葉行が大幅に増えるかと思いきや、意外と限定的だった記憶があります。
その後徐々に千葉行が増えていきました。
余談ですが、同じ時期に北海道では石勝線が開業し、
東海道線伊豆方面の列車が特急踊り子に統一されました。
当時は夕方に普通列車の伊豆急下田行(185系使用)ってのもありましたね。
そういえばこの当時まだ東海道線東京口の行先表示は「サボ」でしたね。
「熱 海⇔東 京」(いずれもローマ字併記)とか当たり前でした。
東海道線東京口の行先表示が方向幕に代わったのは昭和60年ころからだった記憶が…。
>>206
その豊田の201系も、中央線三鷹〜立川間高架化の進捗で中央線から撤退間近ですし…。
田町の211系だって、グリーン車はLED化されているし…。
まあE231はLED化されてはいるものの、
一応その表記(ただしTOKYOではなく、Tokyoだが)にはなっているのですが、
「東海道線」表記と交互に切り替わっているから、「純粋」ではないってことですか…。
E233は種別表記が併記されるので、おっしゃる通り純粋なものは…ないです。 >>208
>当時は夕方に普通列車の伊豆急下田行(185系使用)ってのもありましたね。
そう言えばあったような記憶も・・・。
113系全盛当時、12〜15号車の付属編成の御殿場や山北行きなどもあったような気もします。
日中1本だけあった111系モノクラス8連の浜松行きも懐かしいです。 >>209
山北はE231になった今も健在だね
ただ御殿場は対照表からも消えちゃった
211(チタ)は山北・御殿場あったっけ? >>206
373系は?
…と思ったら、確か「for」が無いんですよね。 >>209
御殿場行については、基本編成が御殿場まで行っていた時代もありました。
付属編成の山北行については、>>211さんのおっしゃる通り、今もあります。
(331M〜2331M 東京17:41発)
まあ基本編成が御殿場行という時代は、それこそ急行「ごてんば」が165系3連で、
国府津まで急行「東海」(153系、165系12連)と併結していた時代だったりします。
小田急から入ってくる「あさぎり」はSE車3000系5連でした。
余談ですが、「あさぎり」は同一列車名が首都圏(御殿場線)と九州(日田彦山線)の両方に存在して、
それ自体珍しい存在でもありました。
浜松行といえば、クモユニ74を先頭にした列車もありました。
これは通常のグリーン車付の編成でしたが…。
で、サボの行先を見てwktkした記憶があります。
国鉄時代のことですが、静岡にも113系11連が配属されていた時代も懐かしいですね。 急行 新静岡⇔新清水
柚木 ゆき
新静岡⇔新清水
長沼 ゆき
急行 新静岡⇔新清水
臨時
新静岡⇔新清水
回送(赤)
試運転(赤)
団体(赤)
※ 静岡鉄道 1984年 総合板にこの手のスレがないから聞くけど485勝田車の対照表ってどこにあるんだ?
てっきり183と同じかと思って運転室覗き込んだら無かったわけだが 平塚で電車待ってたら、側面表示が「急行 御殿場」の113系が来た。
駅員は、「急行御殿場になってますが、故障です普通東京行き」と連呼してた >>220
ということは、全車両とも間違った表示になっていたわけだ。
車両単位のコマズレは珍しくなかったけど、編成単位では出会ったことがないなあ。 >>220-221
113系時代のスカ線で、
基本編成のうち1両(1号車)だけ津田沼行を表示していて、
その他は全部両国行を表示していたのを1度だけ見たことがあり、
駅員氏も「両国行となっていますが、津田沼行です」と案内していた。
そういえばスカ線の113系は、総武快速との直通を始めたころ、
「津田沼行」とか「久里浜行」というような表記をしているものがありました。
「行」だけ少し小さい字でした。 昔、コマズレが発生した場合は一旦全車白幕のところに合わせ、再度起動すれ
ばいいのではないかと思っていたのですが、やはりそれでは無理だったのでし
ょうか。 >>223
113系の小さな「行」、あったね。
他地域にもあったのかと記憶を手繰ってみるものの、全然思い出せない。
昔のホーロー板でも基本は「行」表記だったけど、無いものもあった。
発注者の匙加減ってことはないだろうけど、ちょっと気になるね。 >>225
行は、12系と485系の初期の頃は入ってた。
だいたい昭和50年前後で、あるなしの境目があると思う。 >>226
そうそう、485系にもあったね。
でも113-1000'系と近い時期の103系量産冷房車にはない。
なんだろうね。不思議だよ。 無くなってしまったが国府津発で御殿場線周りの静岡行きと
浜松行きがあった。211系を使っていたため御殿場線経由と言う
のが入った幕があった。 あおば 那須塩原
実際にあった。
なすの 仙台
ないよな。 厳密な意味では方向幕とは言えないのだろうが、昭和10年代の旧型国電の一部に今なら方向幕に使いそうな窓があるが、あれはどういう構造なのだろうかしらん。 >>229
行き先で列車名を分けてるからでしょ?
かつての那須塩原行きは、今は郡山行きだから。
方向幕じゃないけど、愛称幕で特急型に快速・普通が出てビックリしたことがあった
まだ間合い運用があることなど知らなかったとき 「終着駅で方向幕が回る時は誰しもが意識して凝視するだろう」
そう考えていた時期が俺にもありました… 路車板のE217スレ民だけどもうすぐこのスレにお邪魔します 大井町線8590に「訓練車」なんて字幕何時出来たんだよ。 >>242
“原”を消しただけのヤツか。
82年のファンでの通勤型特集でこのこと言及してたけど、該当する写真がなかったのは残念だったな。 今はイベント列車でも、ステッカーながらパソコンでも作成できるようになったから、
幕に似せた方向幕が当たり前になってきたけど、昔は幕に用意されていないと「手書き」でよく代用されていたもんだ。
でも、そのほとんどが稚拙な下手な字だったよな。
仮にも“人目につくもの”なんだし、もう少しきれいに書けなかったもんかなといつも思っていた。