【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
>>95
それ、もしかしたら車体のサビとかじゃなくて
パンタグラフの摺り板のカスなのかもしれない。
パンタの無い先頭車とかもどうだか、注意して観察してみよう。 在京某鉄道系のバスは、バブル以前 雨漏り車の屋根をガムテープ貼り付け、上から
スプレー補修!マジです。(今は、その前に地方行きかな?それとも最っと・・?!) 大井川の例を見ると、富山地鉄のレッドアローは
短くなってワンマン化されてるけど、原形を保ってて
大事にされてるよな。
むしろ大井川の収入の柱の一部となっている客車がいつまで持つのか
それが気掛かり… 大井川鉄道の旧客は国土交通省から使用停止命令がでないか心配だよ。
SLばかり注目されているけれどもあの旧客見に来る人達も多いいんだよな。 >>101
じゃあJRの旧客はなぜ平気なんですか? >>101
客車は手のかかる動力系がないからね。それに昔の半鋼製車は丈夫だからなあ。
ナハ10系なら持たなかっただろうな。
>>102
大井川は整備状態がJR(特に高崎車)程良好ではない >>104
それはどうも。
客車の構造じたいが現行の何らかの基準に合わないとかってこと
ではないとわかりほっとしました。 >>99
走行機器は別物と化してるがなw
基本的にJR九州485でマスコンが京急旧1000、
ブレーキが営団3000、CPが都営地下鉄だっけか 流れ豚スライスしてスマソだが、昭和51年頃、157系があまぎから引退するとき、鉄ジャーで「引退は早すぎる、いや早すぎない」という議論があった。
157系の下降窓の中はそれはもうぼろぼろだったらしい。外板内側だけでなく、雨水が台枠まで達し、台枠自体が逝かれていたようだ。
メンテの問題か、昭和30年台にありがちだった軽量化設計の末路か…
同時期の半球の鋼製車1段下降窓ではそういう話は聞かないね。 同時期に製造された南海車は十分な大きさの水抜き穴が開けられていたそうだ。
かつて高砂工場に勤めていた人のブログにあった。
南海に研修で行ったとき、真っ先に窓の下を見たそうだ。
ブログには10系寝台車の下降窓の補修に手を焼いたと言う書き込みもあった。 懐かしではないが「はまなす」ってもしかしてけっこうボロボロ?(泣 >>1
10系客車はとにかく酷かった。乗り心地も良いとは言えないし、何しろ隙間風が・・・・
小海線のキハ55が酷かった。内装が汚れまくりの割れまくりでガムテープ補修。
乗り換えた中央線臨時客車急行のスハ43(が綺麗で感動した。
キハ30、35なんかも酷かったな。 >>102
束の旧客は最長老のスハフ32でも95kmフルスピード運行可能な様に整備してる。
スハフ32は半年かけて全検したからな。現役時代と変わらない。
スハ32とスハ43は真鍮多用したり鋼板厚くしたり、台枠も頑丈にできてる。オハ35は戦時、
戦後設計は粗悪鋼材使ってたので痛みが早いみたいね。
オハ35もスハ32からの仕様を受け継いだ昭和14年製と戦時設計になる昭和16年製では違う。 ,. < ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ > 、
/ ヽ _
〈彡 Y彡三ミ;, も、もうしわけございませんでした…
{\ \|_ \>ー 、 ト三三ニ:} 不肖、私儀こたび土下座してお詫び致します
人{ >、,___.>、/三 ヾ\ |宮三彡;!
/./ トミ;,_ Y/ \>ノー〜=- "
V / /!  ̄ ̄ ゝ | / _
し/'┴──----─''| ン}\-ヾ彡
ヾ、___ノー'''`
>>95
あんなの大したことないだろ。大げさすぎる。
ここのスレに書いてあるなかではかなりマシな方 253系幕板部黒塗装。
類例として鹿島臨海の黒色塗装部分、塗り替え中。 >>78
モスボールというのは文字どおりそこら中を徹底してカバーして外と遮断し、劣化を防ぐようなのをいうので、
米軍の航空機や艦船などで事例がわかる。
大井川の場合は単に放置プレイだ。
>>111
さすがにお召し編成も手がけたぐらいでカネもノウハウもあるところは違うな。
大井川はカネのない中、DIYでやりくりしてる辛さがある…… >>115
この場合のモスボールの意味はじめて知った。ありがとん。
それだけじゃなんなので、廃部品流用といえば、中央線某駅の特快看板で
できたリヤカーと、仙台工場の200系前頭部から作った植木鉢… セミステンレス車って見えないところが凄い事になるんだっけ 100系。
全盛期(1991年頃)は、東京から博多まで1日に何往復も走ったから。
今の酉の100系にトラブルが多いのは、V編成時代に過酷な運用に就いていたから?
しかし、0系は、末期に似たようなトラブルはあまり聞かない。
最後の3編成(R61・67・68)の車両のルーツが様々で、S編成かK編成でデビューした車両がいた。
こだま運用限定だと、走行距離に影響があるのでしょうか。 文脈でわかるが、社名くらいはしょらず書いてくれ。
新幹線車両は、時代とともに運行速度が変わるから
寿命も変わって当然だと思われ。電装の形式も素子もまるで違うし。
どこかのスレで、かつてと近年は車体と電装の寿命が逆転した、とあった。
名鉄モ870(札幌市電A830)…末期は悲惨だった。
車端部の裾の丸まった部分が錆びて穴が空き、
砂利やアスファルトがずっと見えた状態で、ブルブル振動していた。 大阪市交堺筋線の60系。
末期なんかステンレスがちょっと変色していた部分があったし、窓ガラスの振動や揺れが凄かった。 アルミ車体は寿命が短く汚れやすいので、やめた会社が多いようだな。
その後も精力的なのはメトロくらいだが、日立A-trainが覆したとも言えるか。
そういえば、アルミの塗装車ってたまにあるけど、
ステンの塗装車ってあるんだろうか。 大鐵はオハ35系だけでも戦前の丸妻に試作のヘッダーなし珍車の149が
あると思えば戦時に近い車もあったり戦後型の折妻があったりと一通り並んでるな。
43系も大鐵と東日本と比べれば東日本のがいき届いてる。
ただ行き証人的車が大鐵が多い。旧国鉄清水港線生き残り残党43系が2両ある。
ただ清水港線当時は青だったのに確かぶどう色にしちまってる。 大井川は、地方私鉄の電車屋たちが、
蒸機復活に合わせて国鉄旧型客車整備のノウハウも自分たちで積み上げていく必要があったからな。
束みたく膨大なカネもないし、あれでも頑張ってると評価するほかないよ。客を乗せて動いてるだけで貴重だ。
でも、古典車
(例えば旧近鉄の420……名古屋線の名特急車6421の唯一の生き残りだが、
車両保存には概して冷淡な近鉄が引き取ってくれるはずもなく、近畿車輛にもそんな余裕のない、保存場所の当てのないクルマ)
が車籍残したまま野ざらしで転がしてあったりするのはなあ。
東海の木造省電とか、しらさぎ号のように運良く保存の引き取り手が出ればともかく、
SE車「おおいがわ」編成みたいな結末は痛々しいから。 >>130
> ステンの塗装車
最近では南海の新1000とか、
古くは末期のキハ35 900など… >>133 d
そうか、南海1000は塗装だったのか。
キハ35900はすっかり忘れてた。昔八高か久留里で見たはずだが。 下関運転所は場所が場所なだけに昔は酷い車が多かった。
特に80系とか153系。
あんな所に車両基地を置くのは無謀だと思う。 >>134
あとはサロ153-901・902とかね >>130
江ノ電にもあったな。
>>137
興味はあるんだけど何分、資料が少のうて。 >120
昔プルマンが作ったセミステンレスの客車は普通の全鋼車両より痛んだ。 国鉄157系
先に出た153系より短いなんて信じられん。 痛みと言うか、事故復旧車だが西鉄2000形特急車の第4編成は民家に突っ込む大事故
やらかしたんだが、変な振動とか挙動を繰り返すので乗務員から忌み嫌われていたとか。
特に長い直線区間を飛ばしている時、怖くなる事がしばしばあったとか。
当然、真っ先に重機のエサになったとさ。 >>143 ガイシュツ
雨の吹き込まない1段下降窓の元祖は何かな?
>>145
お化け車両ってやつだな。事故復旧ならありうる。
新車でもごくごく稀にあるのが問題。 数年前に乗った常磐線415系は、椅子が駅に停車する度に前にずれたり傾いたりそれを直して座るの繰り返しだった。でも415系のモーター音は好きだった……
18きっぷで花巻に行った時に上野〜いわきまで乗ったのがいい思い出です。(。~∂~。) こうしてみるとハリケーンがバカスカ発生する細長い島国で延々と走っていたキューバの戦前製電車は相当丈夫だったんだな。 >>137
オロ41とかモハ63?
ジュラルミン車体は直ぐに腐ってしまったけど、普通鋼体に置き換えてからは、他車と同じように使われてましたね ジュラってすぐ腐ったそうだが、飛行機でもそういうもの?
構体の鋼と局部電池形成して腐りやすいとかもあるのかな。
もしそうなら、普通鋼車より構体は痛まなかったとも思える。
もし塗装すれば違っただろうか。 >120
>142
>150
電蝕ってかなり昔から知られた現象なのになんで分かっててそういう構造にしたのかね?
ジュラやステンレスだから大丈夫と思ったのかな?
>>152
もともと63は数年持てば良いという思想だったし、終戦後物資のない時期で
偶々航空機用ジュラルミンが余っていたからとりあえず使ったということで
ないの? >153
ジュラ電は戦後なのに数年持てばいいって・・・
山口県以東に直通していた車両は、塩害に堪えながら頑張っていたな。 >>152
>>153
>>154
63系ジュラ電は航空機用ジュラルミンが余っていたので流用した訳だが、一種の
広告電車の役割を担っていた面もある。
当時の話によると、明るい雰囲気を出す為にわざと無塗装にして緑の細帯を巻いた
だけにしたり、一般車より照明を明るくしたりしていたとの事。
ある意味「時代が変わった」との国策広告というかプロパガンダみたいなものだろう。
>>155
門司機関区に投入された当初のEF12は、それはもう酷い状態でボロボロになったそうだ。
そこで対策として、@この区間だけ架線と線路の極性を逆転させる、A車体を錆びない
素材で作る、の2案が出たが、@案だと通電中に軌条に触れなくなるのでA案を採用
して、日本初のステンレス車が誕生する事になった。なお、ステンレス車ながら1両を
除いて最初からブドウ色で塗装されていた。
実車が門司港に保存されているので、今でも見ることができる。 >156
宣伝用というわけか。
戦時中は目立たないようにしろと暗色ばかりだったからその逆だな。
ステンレスはEF10じゃなかった? 国鉄の労使関係がどーしようもない頃、
181系の側面に下らんスローガンを書かれていたようだけど、
自分たちの商売道具を貶めるようなことをする輩の気が知れなかった。 >>159
え?
あれって石灰を水で溶いたやつじゃねーの? >159
そもそも商売道具という意識がなかったんじゃないかな
乗車率や売り上げに関係なく空から給料が降ってくる・・・と 24系寝台特急はくつる
末期のはくつるはボロボロ錆び錆びヒビ割れのギッタンギッタン
後日廃車回送&ブレイク工場でスクラップ >>158
保存車はEF10 35
今から20年ぐらい前だが
スカ線113系は幕張車と大船車で、随分車体の状態が違っていた。
特に両車が併結すると、その差が際立ったよ。
傾向として幕張車はそれほど(見た目の)痛みは少なかったが、大船車は色あせや錆汁はあたりまえ。
今も大船配置のハマ線の205系や、特急車の253系もかなり汚れが酷い。 >>163
幕張配置のE217も大船車より綺麗に使われていたな。
大船車は、くすみ帯ハゲ当たり前って感じ。 151系→161系→181系になってチタからニイに行ってからは
ときで酷使してたからボロボロになるのが早かったな
とても電化したくろしおに使用出来る状態ではなかった。 >>163 >>165 あまり認めたくないが、もしかして 動労千葉 の超保守的体質が、もたらせた影の功績? 思想的にはともかく、鉄チャンにとっての功績は大きいな>千葉動労 革新思想の労組が超保守的態度で仕事ってのは、なかなか面白いな。w >>165 167
房総各線では網棚に蜘蛛の巣張った113系が珍しくなかったのだが… 塩害防止で、車体保守に他の線区より特段の取り扱いをしてたのもあるかもよ。
国鉄時代新車で、キハ35 900が塩害対策の刺客で送り込まれた事だし。 初期の頃の仙石線の青色の103系は塩にやられてたな・・・・・・ 外観だけなら、181系「とき」と489系「能登」ではどっち痛んでいた? 横コツの113系
特に11両基本編成は酷使されてたからボロボロのやつ多かった 昔、京阪神の快速で使っていた急行用の払い下げのグリーン車。
サロ112だったか?
製造から十数年しか経っていないのに、窓の下がぼこぼこに凹んでいた。
窓の開閉が多い非冷房車は特に酷かった。 スカ線にも投入されたサロ112…
112、113はアコモはいいんだけど定員48席。
サロ110は64席。
座れるか座れないかの見極めが大変だったね。
朝は64席、帰りは48席、とか考えないといかんかったね。 九州の電車は水が悪い(飲用には良い水だが)せいか水垢汚れで汚かった。
特に大分車。
油拭きの蒸機が綺麗だったのとは対称的。
関門地区は水がまともなので下関区の電車や門司港区の客車は割と綺麗だった。
塩害は酷いけど。
土佐電鉄安芸線は潮風による車体側面の腐食を防ぐ為
定期的に方向転換していたという。 モチロソ181系!
上越路の彼女らは見ててかわいそうになるよ やっぱり10系客車でしょ
検査で、車体をクレーンで持ち上げたら崩れ落ちたとか、電気配線から火を噴いたとか、
イロイロやらかしてる。
戦前製の客車が現役なのとは対称的。 1950年代の初期軽量車が軽量化の技術が未熟でボロボロになりやすかったようだ。
国鉄私鉄問わず20〜30年で廃車というのがゴロゴロしていた。 >>182
70系客車は、10系客車よりも早い時期に淘汰されたか? 東京機関区のEF65と下関運転所本所に配置されたEF66。
連日のブルトレ運用で老朽化が早かった。 >>184
70系は旅客車としては早期に消えたが荷物車改造を経て
さらに救援車などに改造された車両は結構長生きした。
10系は軽量構造が災いして荷物車改造も出来ず、寝台車の
ごく一部が職用車転用されたくらい。 平成4年の今頃、新大阪駅で見送った知人が乗った山陽新幹線0系こだま(何両編成だったか失念)。
広窓車で確か車内銘板に「日立 昭和50年」とあったような記憶がするが、これがまた塗装の亀裂がえげつない…。
新幹線車両の耐用年数とされている15年をとっくに過ぎてるし、「こだま」とはいえとても高速鉄道車両を
名乗るには無理があるほどの不穏なオーラが漂ってたぞ、あれは…。
親兄弟だったら間違いなく止めて次ので行かせたが、鉄ヲタも兼ねた知人はむしろ喜んで亀裂箇所付近に
座って行きよった。ま、その後走行中に分解とかなかったようなんで…。それにもう時効やな。 >187
15年で置き換えていたのは国鉄時代だったけど、赤いひかり運用とかで
走行距離も多かったからじゃないのかな?
全検時に気密点検を行うから、異常があれば補修してるはず。 最近はJR化後に製造された京葉線の205系がポロポロ廃車になっていってるけど
車体は軽量ステンレスで大丈夫でも走行機器がやられてるんだろうか… >>190
走るんですに早く移行したいから、十分使える状態でも廃車してしまう。
京葉線のグループは90年頃からの投入だし勿体無いな。 西日本223系。
現在進行形で痛んでるような・・・
10年近く爆走運用してるから、台車からフラット音聞こえるし、
防音も薄れてきてる・・・ >>193
あろうことかお古が房総に行ってるじゃないか。
あんな屋根の無い駅だらけの地区に4ドアなんて、何を考えてるんだか。